侯爵の頼み
レフたちがいたところへ戻ったとき、アレンは勿論驚いた。
数人いる衛兵たちには一切目もくれず、ユアンと目を合わせて眉を顰める。
「いないな?」
「ったく、ラデルが二人を追い掛けてったのかな?」
ヴェルガードが真面目に言った。
「逃げるラシュカを他が追い掛けたのか」
ありそうだ。
アレンは通り掛かった一人を呼び止めた。
「すいません、この辺りで、すっごい美人見ませんでした? 銀髪の」
呼び止められた女性は眉を寄せ、それから表情を晴らした。
「ああ、あの。見たけれど……?」
「どこ行ったかとか、見ました?」
レフがいかに人に見られているか再確認したアレンは、それには全く反応せずに訊いた。女性は首を傾げる。
「さあ……そこまでは」
アレンは軽く会釈した。
「そうですか」
このやり取りに気付いた衛兵の一人が、アレンに近付いて声を掛けた。
「失礼。リノ・アイゼルト様のお連れでしょうか」
アレンは機敏に振り返り、自分よりやや背の高い相手を眉を顰めて見た。リノ・アイゼルトの名を聞いた驚きは表わしていない。
「誰あんた?」
不愛想な問いだが、相手はその対応に機嫌を損ねた様子もなかった。頭を下げる。
「リノ・アイゼルト様のお連れをご案内するために残されたのですが」
「レフ――リノ・アイゼルトはどこに?」
アレンは言って、相手の反応を試すような目をした。アゼナやラデル、ラシュカが一緒にいるのか確かめるために一人のみの名前を挙げたのだ。相手は丁寧に答える。
「リノ・アイゼルト様及びお連れのお三方は先に、主の下へ向かわれました」
他の仲間は一箇所にいるらしいと思い、アレンは相手をじろじろと見た。
「――あんた、誰に仕えてるわけ」
「シェンド侯に」
衛兵の即答に対し冷ややかな空気が発散されて、ユアンはアレンに落ち着けと目配せした。シェンド侯は機巧人を迫害する人であり、レフがその招きに応じるとは考え辛いのだが、レフのことだから、そうと認識せずに応じたという可能性も十分にある。
アレンはユアンの目配せに気付いたものの、声は十分に鋭かった。
「レフたちは自分の意思で付いて行ったんだな?」
もしそうでなければ、相手が誰であろうと相応の報復をすることを決めている口調だった。しかしその内容に、相手は屈託なく目を瞠る。
「勿論ですとも」
そう聞き、嘘ではないと判断するとアレンは迷わなかった。
「案内しろ」
相手を見据えてそう言い放った。
□□□□□□□□□□□□□□□□
領主館、つまりはシェンド侯の居館に連れられ、中に招かれたアレンたちは、まず最初にレフたちとの合流を果たした。
広い応接室で寛ぐラデルとアゼナ、固くなっているラシュカと、その隣で無関心そうにしているレフを見て、何はともあれ少しほっとしたアレンたちに、最初に気付いたのはレフだった。レフがぱっと振り向くと、銀色の髪が大きな暖炉で燃える炎を映したように、赤みを帯びて明るい煌めきを散らした。
レフはアレンたちを認めると、柔らかく言った。
「来たんですね」
それから一人一人を見る。アレンは溜息を吐いた。
「おまえは――また、面倒に巻き込まれたのか」
レフは首を傾げ、どうでも良さそうに視線を泳がせた。
「さあ。でもここの主人はわたしのことを知っていましたね」
「何でだろうな」
アレンは言って、長椅子に座るレフの脇に立ち、溜息交じりに告げた。応接室には暖炉の前に、一辺の欠けた四角形のように長椅子が三脚置いてあった。
「取り敢えず、どうでも良さそうな話ならさっさと終わらせて町を出たいんだがな」
「ラシュカが同意しました」
唐突にレフが言った。アレンは目を瞬く。
「……何に?」
「わたしたちに同行することに」
レフが答え、アレンはようやく思い当たって得心した顔をした。
「ああ! そりゃ良かった」
アレンを見て、レフは少し得意げな色を浮かべる。
「わたしのことを嫌ってもいないそうです」
苦笑いしたアレンだった。
「俺、それは心配してなかったな」
ラデルがユアンに、とんでもない処に行かせるなと言っただろうと、冗談半分に責められ、これもまた冗談半分に憤慨している。
「断るわけにもいかないだろう。他国のとはいえ貴族のお招きだ。それにここ、とんでもない処ではないだろう」
ユアンは面白がっていた。
「さっさと出たかったところに割り込んで来たんだぜ? とんでもないだろ」
応接室の外の気配に、恐らくアレンが最初に気付いて他に知らせた。
「おい、誰か来るぞ。多分ここの主人だろうが」
七人が黙って扉を見た。必然、そこを開けて現れた初老の男とその連れは、一同の視線に部屋に入ったその瞬間から晒されることとなり、少し驚いた様子を見せた。
初老の男は――彼がシェンド侯だろうが――目尻に笑みが刻んだ皺を持ち、柔和で闊達な印象を受ける六十代の、灰色の目と髪を持つ整った容貌で、かっちりと正装していた。正装した身分のある人の前に立つという状況に、ラシュカとレフ以外は既視感を覚えて遠い目になった。
アレンは同時に違和感を覚え、それは他も同様であるようだった。
シェンド侯は、機巧人を迫害するような人間には見えない。アレンやユアンがレイファにいたとき――彼らの世界が狭かったときに会っていれば、そうは思わなかったかも知れないけれど。
レフはそんな印象は受けなかったらしい。絶対零度の冷たさで侯を見ている。彼女の大切な機巧人を迫害し追放した男に、暖かさのある視線は不要と判断したらしい。傍から見ても心臓に悪い光景である。
アレンは現実にこの人が施行した政策と、この人の印象とが噛み合わなくて困惑した。
「お初にお目に掛かります、私がラデル、こちらから順にラシュカ、アゼナ、レフ、アレン、ユアン、ヴェルガード。お招きを受けて参りましたが、こちらも急ぎの旅の途中ですので、失礼ではありますが手短に」
ラデルが相当無礼に切り出した。シェンド侯はレフを見ながらではあったが、愛想よく返した。
「承知してはおりますが、少しお時間を取ることになるかも知れませんな」
レフはアレンを見て、その顔に如実に「面倒くさい」と浮かんでいるのを見た。そして、はっきりと言った。
「戻りましょうか」
よく言った、とアレンは思った。が、シェンド侯はにっこりとアレンに視線を向けた。
「お話よろしいでしょうか?」
アレンは周りを見て、ラデルまでもが申し訳なさそうにしているのを見て諦めた。明らかにレフに話し掛けられたことで注意を引いてしまったのだが、それはもう慣れた。
侯が立って部屋を出る。客人(しかも主賓)を置いて主人が部屋を出るなど、本来有り得ないが、こちら――つまりラデルが、既に非常識にも主人よりも先に、無礼に口を開き(機先を制して脱出するつもりが失敗したようなもの)、そのことを指摘できない状態になっている。アレンも渋々後に続いた。
侯は隣の部屋に入った。アレンも続いた。
品のいい、小さな部屋だ。本来ならば応接室には入れない従者か、侍女の類のための部屋だろうが、調度品に感性を感じる。が、やはり客人を入れるための部屋ではない。部屋中央にはこぢんまりとした長方形の机があり、その各辺に一脚ずつ、対の椅子が置かれている。侯は人払いし、アレンに座るよう促した。アレンは従い、侯が座らないので妙に思った。
侯はしばし何かを考えているようだったが、意を決したように動いた。アレンの向かいに立ち、椅子には掛けず、誠実な目をして言ったのだ。
「協力していただきたい」
アレンの目が丸くなった。ついでその視線が厳しくなったのは当然といえよう。
「誰に言ってます?」
どう控えめに言っても、これは不敬だ。身分的に遥かに上の人物に向かって言って良いことではない。しかし侯は怒らなかったし、アレンも続けた。
「リノ・アイゼルトが何か、分かった上で言ってますか。あいつは機巧人ですよ。それなのに呼び付けるなんて、相当面の皮が厚い人だとは思いましたが、予想以上だ」
「いかにもお恥ずかしい」
これが侯の返答だった。アレンが眉を寄せると、侯は片手を挙げ、指を二本立てた。
「領地を治める上で大切なことが二つありましてな、何か分かりますか?」
アレンはますます眉を寄せた。それを意に介さず、侯はとつとつと続ける。
「一つ目は、彼我の力量を見定めることです。ここを任されてからこちら、繰り返してきました……。新王が即位なさったとき。隣の領主と境界線争いをしたとき。この判断を誤ったことはありません」
「へえ、すごいですね」
アレンはまたもや大胆な返事をし、気が立っている自分を自覚した。なぜかは分からないが、この状況を嫌がっている自分がいる。
「随分前のことですが、私を訪ねた二人連れがおりまして――訪問の仕方は正規のものではありませんでしたが――、追放令の施行を求めました。やはり彼我の差を感じました。私は従いました」
アレンは頬杖でも突きそうな顔だった。
「機巧人にとっちゃいい迷惑ですね」
侯は、意外にも、身を乗り出した。
「そうです。しかしここで二つ目です」
ぴん、と指を伸ばす。
「二つ目は民の、幸福を考えることです。無論、全ての民を幸せにすることなど出来ようはずもありますまい。私は最大多数の最大幸福を取ります。機巧兵の被害が多くなって、領民同士の緊張や小競り合いが頻発し、私は最善を考えました。――この場合の最大多数は、数の多い人間でした」
アレンは思わず笑った。苦笑に近かった。侯は悪い人間ではない、それは分かった。そしてアレンは彼に好意を抱きすらしたかも知れない――会ったのが、その順番が、レフと逆でありさえすれば。
レフに会って、好むと好まざるとに拘らず、最初の一歩は無理やり踏み出して、アレンは機巧人に関する考え方を変えたのだ。そうなった今、アレンが侯に感じたのは、悪い人ではないという客観的考察と、気が合わないなという主観的感想の二つだけだった。
「そうですか」
アレンの表情の意味に気付いたのかどうか、侯は手を下ろし、真剣な口調で言った。
「先程の二人――彼らは私にある要求をしました。一つは先も言いましたように、追放令を施行することです。もう一つが、そうすればきっと現れる者がいるから、その者を自分たちの処へ送るように、というものでした。その者はリノ・アイゼルトと呼ばれているということでしたが、あなたのお連れですな?」
アレンは顔を顰めた。レフは決して、このアドルの機巧人に対する仕打ちを聞いて来たのではない。
どうも、巷の情報が混乱している。人間たちはリノ・アイゼルトの名を知らず、ただ銀髪の姫君としてレフを認知し、機巧人たちはリノ・アイゼルトを知ってはいてもそれが「勇者」と一緒だとは知らなかったり、そもそもリノ・アイゼルトを知らなかったり、様々だ。
つまり侯に実力差を知らしめたその二人連れとやらは、リノ・アイゼルトを知っている希少な人間である可能性も無きにしも非ずだが、恐らくは機巧人。しかもリノ・アイゼルトが今〈記録〉を出ていることを知っており、なおかつ単独かそれに近い状態で機巧人を助けて回っていると考えているようだ。
なぜレフと会いたがっているのか。
「ですけど――あいつが付いて行きますかね?」
アレンは言った。機巧人を大勢犠牲にした上で会いに来いと言うなど、レフに「私を吹き飛ばしてください」と言うようなものである。侯は穏やかに微笑んだ。
「だからこその、協力、ですよ」
アレンが首を傾げると、侯は微笑みながら着席し、机の上で手を組んで、身を乗り出した。
「私に会いに来た二人は確かに恐ろしい。しかし聞けば、リノ・アイゼルトも相当に恐ろしいとか」
思い返し、アレンは大真面目に頷いた。
「相当というか――かなり」
侯は少し満足げだった。
「ですから、体面を繕っていただきたい。あの二人も、私にリノ・アイゼルトを二人の処へ向かわせる意思はあったのだと納得すれば、私にもこの領地にも、手を出しはしないでしょう」
筋の通った言い分だった。しかし。
「ですから一日、彼女をお貸し願いたい」
「はあっ!?」
アレンは思わず声を上げた。侯はそれを制しようとしたが、アレンは音量を下げることなく言っていた。
「何ですかそれは。何だと思ってる――」
「落ち着いて」
侯は言って、両の掌をアレンに見せた。
「まずは聞いて」
アレンは大きく息を吐いた。
「一応聞きますが」
侯は身を乗り出した。
「あなたに協力をお願いしたいことは一つです。つまりは、口を出さないでいただきたい。見たところリノ・アイゼルトはあなたを頼りにしているようですから――」
いや、それはどうだろうか。頼りにしている相手を、頻度は抑えられたとはいえ馬鹿にした目で見るのだろうか、普通の人は。
「あなたが否と言えばそのように言ってしまうでしょう――」
いや、それはもっとどうなんだろう。レフはまず間違いなく意志が固い部類に入るだろうけれども。
「彼女とて本来ならば嫌とは言わない場所のはず」
「え? レフをどっかに行かせるってことですか」
アレンが割り込むと、侯は当然とばかりに頷く。
「左様。しかし一日お貸ししてくだされば返して差し上げますし」
アレンはその言い方に腹を立てたが、待て一箇月かそこら前は自分もこうだったではないかと思い返した。ただ、慎重に尋ねた。
「レフ一人ではないですよね?」
「一人ですが何か?」
二人は揃って黙り込み、ややあってアレンが言った。
「あー、勿論、レフは大抵の危険には対処でき過ぎるくらいですが、その場合心配なのは周囲に及ぼす被害で……」
「こちらの手勢を付けますから。あなた方が一緒でなければならない理由がありましたら考慮しますが」
アレンは沈黙した。
侯はその二人連れの他にもレフをも恐れているらしい。そこで、その二人に申し開きをするために、実際にレフをどこかへ向かわせたいらしい。そこは、レフも行くことを厭わない場所というが――
なぜ侯がそれを知っている?
「なぜレフが嫌がらないって言えるんですか」
侯はにこりと笑った。
「この町を出た機巧人の、殆どが行っている場所だからですかね」
ここで少し首を傾げて、小声で、独り言のように。
「あの、ラシュカという少女。どうしてあんなに怯えていたのでしょうな? 機巧人がここに入れたとは思えないのですが……」
アレンは殺気に近いものを感じた。この侯爵は気付いている。侯はアレンと目を合わせてにっこりした。
「――彼女は行ってくれませんかな?」
「念のために訊きますが、その二人とレフを遭遇させてしまえ、などとは考えてませんよね」
アレンが間髪入れずに訊くと、侯は苦笑した。
「分かりますか、私がそのつもりなら、あなた方をさり気なくそちらに誘導していた方が遥かにやり易かったのですよ?」
その言い方が、言葉に対する信用性を高めていた。
そもそもレフに同行する理由もない。レフは普通の機巧人が使用者を設定する理由とは逆で、自身が強すぎるからこそアレンという使用者を設定せざるを得なかったのであり、またこれも世間の使用者とは逆だが、アレンはレフがいなければかなり力を削られる――今から考えれば不具になるようなものである。つまりレフが処理できなくてアレンに処理できる危険はない。
レフが一人になったところで、何の問題もない。
アレンがレフを行かせるのを渋るのはこの町を出るのが遅れるからだ――そのはずだが、それにしてはこの気分の悪さは何だろう。
アレンは溜息を吐いた。
「仲間に訊いてみないと何とも答えられません」
侯は「そうでしょうね」と言わんばかりに頷いた。
「構いませんとも。こうして話しているのは彼女をお借りするための根回しというものですから。ただ、話を切り出すのはあなたにやっていただきたい」
アレンは顔を顰めた。
「その借りるという言い方は……」
侯は聞いてもおらず、アレンに部屋から出るよう促した。
アレンと侯が部屋に戻ると、アゼナが飛ぶような速さで置かれた長椅子に戻るのが視界を掠めた。アレンは思わずマントルピースを確認。その上にある置物に破損はない。
そのアレンの仕草を見て、ユアンが素早く注釈をつけた。
「大丈夫、ちゃんと見てた」
「ならいいけど」
アレンは嘆息し、長椅子は一脚に二人ずつ座っていて満員になっていたので、ユアンの後ろ辺りに立って話し始めた。
「――侯爵様から話を聞いて来たんだけど」
レフがふいとそっぽを向いた。機巧人を迫害する人間に興味はないのだ。アレンは侯に視線を移し、「行くと思います?」と眉で訊いた。侯は微笑んだ。
「話はレフへの頼みで」
アレンが言った瞬間、レフがアレンと侯の正気を疑うかのように双方を見た。ユアンがばっと振り返り、きょとんとしたアゼナと、口調は違うものの声を揃えた。
「この辺が吹っ飛ばされたりは……」
レフが柳眉を寄せた。
「しない」
ただ一言だったが、明らかに仲間たちはほっとしている。ユアンは座り直した。
アレンは話を侯に譲った。
「リノ・アイゼルト」
レフはちらりと見たものの、本当にどうでもいいようで、視線を合わせることもしない。自分が誇る称号を呼ばれたから反応しただけのようだ。侯はその冷ややかを通り越した無関心な反応にさえ、全く頓着しなかった。
「お手を煩わせて申し訳ない。詳しい事情はその方にお話ししましたが、あなたにはここから少し南に向かっていただきたい」
ラシュカが唖然として侯を見たが、それに気付かなかったらしいレフは、やっと侯を見て言った。
「口調がぞんざい過ぎる」
ラシュカと侯以外がその場で凍り付いた。例によっていち早く回復したアレンが、さすがにレフに詰め寄って、とにかく立たせて隅に引っ張った。
「何ですか」
本気で訝しそうなのが怖い。アレンは唸った。
「頼む。今覚えろ。今は人間の方が多い時代だ。だからちょっとは――上辺でいいから、慣習を合わせてくれ。いいか、俺たちの社会で偉いのは王族! その下に爵位持ちの貴族と将軍とかがくるんだが、爵位は上から公・侯・伯・子・男! つまりあそこにいる人は上から二番目の爵位を持ってんだっ!」
レフは無表情ながらも可愛らしく首を傾げた。
「理解し学習しました。――それが、何か」
アレンは壁に手を突いて己を支えた。目を閉じて自分の熱弁の無駄を噛み締めていると、レフに心配そうに声を掛けられた。
「どうしました? 大丈夫ですか」
アレンは歯軋りした。
「誰のせいだ……っ」
深呼吸して目を開け、レフの絶世の美貌を見てアレンは悟りを開いた心境になった。
「分かった。人間の都合だったな、ごめん」
そして、レフを引っ張って戻った。そこで軽く会釈する。
「中座、失礼しました」
レフは何も言わずに着席している。ラシュカが存在を憚るかの如くそうっと言った。
「……あのぅ、ここより南って、機巧人の……」
レフがラシュカを見たが、何も言わない。侯は穏やかに言った。
「よく知っているね」
ラシュカは身を縮めた。レフはラシュカから侯へと視線を滑らせ、侯は彼女と目を合わせた。
「彼女は、どうしてここに?」
侯が尋ねた瞬間、ラシュカが危なくなると考えたのか、レフは判断を翻した。
「分かった、行く。――彼女はわたしの友達」
「レフ」
責めるように声を上げたのはアレンである。また、あの誘拐のように、レフが機巧人を盾にいいように扱われている、そんな気がしたのだ。レフはアレンに目を向け、きょとんとして首を傾げた。
「何か?」
ラシュカは申し訳なさの余り消え入りそうな風情だったが、彼女を見るレフの目は心底満足げである。
「いいのか?」
アレンが小声で問うと、レフは眉を寄せた。しかし機嫌を損ねたのではなくて、案じるような顔。
「……いけません? あなたたちを見ている限り、人間もそれほど常軌を逸したことはしないでしょうし」
アレンは溜息を零す。
「――おまえは好きなようにすればいいが」
アレンが折れて、レフが行くことがほぼ決まり、侯はかなり嬉しげだった。
「では早速供を選んでいただいて――」
「供?」
レフは今までで一番不思議そうにした。視線はアレンを始めとして仲間たちに向かう。アレンはそっぽを向いたが、他の仲間は困惑の反応。
「え? 一緒に行くんじゃないの?」
「レフ一人で行かせるのか?」
「いいのか、アレン?」
ヴェルガードに訊かれ、アレンはレフに目を戻す。彼女も少し驚いているようだった。アレンは肩を竦める。
「一人の方がいいんだそうだ。もっとも、俺たちが同行する理由があれば別」
レフはぴくりと眉を寄せた。
「――理由?」
アレンは頷く。
「例えば、おまえに対処できないことに俺たちのうち誰かが対処できるとか、おまえが付いて来てほしいと思うとか」
レフは混乱したように侯を振り返った。
「それほど危険な処なの?」
侯は穏やかに首を振る。レフはそれで納得した。アレンたちの上に視線を戻してあっさりと言う。
「では大丈夫です」
これがレフの失敗だった。
三千年掛けて育まれた恐怖は確かに彼女を用心深くしたが、それと同時にその歳月は、彼女にとっては姉たちしかまともな相手にはならないという傲慢さ、慢心をも育てていた。
千年掛けて彼女に根付いた孤独は、彼女から彼女が与えるべき信頼を奪い、このときまでに彼女が誰かに告げていれば良かったことを秘めさせた。
レフェアイゼ=リノ・アイゼルトが次に彼らに会うときが、彼女が長年苦しめられた、彼女の姉の最大の悲劇、あるいは彼女の偽った汚点が明らかになるときだった。




