人型機巧兵
レフは機巧兵が近付きつつあるのを感じたが、その感覚は存在を疑いたくなるような、希薄ではないがいつもとは違う、気分が変になるような感覚だった。
しかし近付いているのなら人間たちは騒いでいないとおかしい。
どこか、おかしくなったのだろうか。
レフはとうとうそう考えてしまった。それはこの世に創り出されてからこちら、彼女が恐れ続けて来たことだった。
アレンは、彼女が〈記録〉を離れることを嫌がったのは、単に〈記録〉を守りたかったからだと信じているし、それは事実の側面ではあるが、しかし実際には三つの理由があった。第一に〈記録〉を守りたかったから、第二にフロースへの仕打ちのため。そして――。
レフは心盤の入った袋をぎゅっと抱えた。何か不調があれば、機巧人の場合は心盤に真っ先にそれが表われる。そしてレフの心盤には、それは表われていない。
機巧兵の気配はすぐそこに迫っていた。レフはその場でそちらを透かすように見る。見たところ人間しかいなかった。レフは眉間に皺を寄せた。感覚は近い。自分の感覚が間違っていたのだろうかと思うが、その中に一人、気になる姿があった。
何の変哲もない少年に見えたが、雰囲気がどことなく異なった。しかしそれを機巧兵というのは常識がないと言わざるを得ないだろう。
「どうした、レフ?」
アレンが振り返って訊いた。機巧兵のことをまだ頭のどこかで警戒している。レフは一瞬躊躇した。あの少年は本当に何でもないのかと自問したものの、言った。
「――いいえ、特には」
そうか、とアレンが笑った。何も、と言わなかったのは、彼女が嘘を吐かない性分だからだ。レフはもう一度少年を見たが、少年はこちらを見もせずにすたすたと歩いている。
擦れ違う位置に少年が来た一瞬、レフは馴染んだ感覚に全身が覆われるのを感じた。
撃孔を向けられた感覚。
レフは全く驚かなかった。
そういうものかと納得し、変わった機巧兵だなと思いながら振り返ったのみだ。
少年はただ歩いており、撃孔も完璧に隠しているが、アイゼルトに取っては明白過ぎる気配ではあった。
レフはアレンの袖を引いて注意を向けさせると、ラシュカに目を遣った。アレンは察してラシュカをその場に引き止める。レフは足早に歩いて少年に追い着いた。
少年は目の前に立ったレフを見て、人間がするように目を瞠った。こてん、と首を倒すように傾け、レフを迂回しようとしながらへらっと笑った。
「すいません、目の前に立たないで」
レフは思わずまじまじと相手を見た。
「……喋れるの」
少年はレフを見て、訝しげに眉を寄せようとしたが、瞬間、その表情が激変した。――有体にいえば、泡を食ったような。
「え、うそ。目の色はそっくりなんだけど、本人?」
レフは相手が機巧兵なので、馬鹿にした目で見た。
「誰と?」
少年は道の端に寄るようレフに丁寧な仕草で促し、言った。
「リノ・アイゼルト」
レフは溜息を吐いた。
「いかにも。けれど、その格好はなに」
少年はまた、へらりと笑った。
「うまいでしょ。あなたは何でここにいるんです。〈記録〉にいるはずじゃないんですか。すぐ帰ってください」
レフは眉を寄せた。
「同じことを既に二回言われている。そして、それが出来ないからここにいるの。――もう二回、同じことを訊いているのだけれど、訊くわ。誰がおまえに言葉を許したの」
少年は肩を竦めた。
「言えないんです。でも、ここはいいところですね。機巧人がいないから、傷付けないかとびくびくせずに済む」
「レフ」
後ろからアレンが呼んだ。警戒した口調だ。
「誰だ、そいつ」
レフは少年を見た。少年は飄々とした態度で、「僕何もしませんよ」などと言っている。彼から感じるのは機巧兵五機分の気配、力量もそれだけあるということ。ここで戦闘になれば、市街を巻き込むことになる。
アレンはそれを承知しないだろう――あるいは、レフも……
もしかして、二千年前の決意が――あの、自棄のような宣言の根拠が、間違っていたとしたら、それならばレフも。
「アレン」
レフは思わず呼び掛けた。頭のどこかで「自分は何を言っているのだろう」とは思ったが、ふと訊きたいと思ったのだ。
問い返すように首を傾げたアレンに、レフは言う。
「後で訊きたいことが――」
アレンが頷くと同時、少年が咳払いした。レフは溜息を吐いて、アレンの問いに答える。
「これは昔馴染みのようなものです」
少年は興味津々にアレンを見る。
「誰、あれ、誰?」
レフはかなり冷ややかに切り捨てた。
「何か関係が?」
「ありませんけど」
少年は言って、悪戯っぽく微笑んだ。
「でも髪の色は元のままの方が、お姉さんも気に入ると思うな」
レフは凍り付いた。衣服が間に挟まるということもあって思わず少年の肩を掴み、強い声で問い質した。
「誰? どの姉のことを言っているの? どこにいるか知っているの?」
少年は顔を顰めた。顎の下に、僅かに輝く濃銀の刻印があった。
「いた、痛いって。知らないですよ。でも僕も三千年前から生きてるクチですから。っていうか僕に触っちゃ駄目ですって。僕が何か忘れてません? 汚れますよ」
レフは肩を落として手を離した。自分がアイゼルトの最後の一人なのではないかという、恐ろしい考えが再び胸に沈殿する。少年はそんな彼女を見て、きょとんとした。
「あれ? お姉さんに会ってないんですか。お姉さんも〈記録〉にいると思ったんですけど。どれくらい会ってないんです?」
レフは平坦な声を出した。
「――千年」
少年は、ん、と首を傾げてからあっさりと言った。
「それ、もう生きてないんじゃないですか? 参ったなあ、あなたが最後ですか。ふうん」
何も言えなくなったレフに、彼は人懐こく笑窪を作って会釈した。
「じゃあ、また」
少年はとことこと去って行く。レフはそれをじっと見送った後で、案じるような顔でこちらを見ているアレンのところに戻った。彼の仲間たちも待っていて、レフが戻ったのを見てまた歩き出した。
「誰だったんだ?」
レフはアレンをちらりと見てから、ぼんやりと答えた。
「ですから、知り合いのようなものです」
アレンは一瞬、探るような目をした。疑っているようだったが、すぐに笑顔になってからかった。
「へえ、おまえにも知り合いいたんだな。――で、訊きたいことって?」
レフは一瞬詰まったが、声を抑えて呟くように問うた。
「……例えばあなたが友人を傷付けた挙句に殺してしまったとして。そう、ユアンやアゼナのように近しい人を」
唐突な例え話にアレンは目を丸くする。
「お、おう?」
「もし、同じように傷付けられようとしている人がいたら、それを助けられるとすれば、どうしますか」
アレンはきょとんとしつつも――それはそうだ、彼はレフの質問を、少なくともあの少年に関する……久し振りに会った知り合いに関する一般常識についてだと思っていたのだから――、答えた。
「そりゃ助けるだろう」
レフは疑わしげに目を細める。
「自分が殺した人に申し訳ないとは思いませんか」
「思わないね。むしろ罪滅ぼしのつもりでがんがん助ける」
アレンの即答に、レフは溜息を零す。
――もしも、そうであるならば。
彼は意識していない、出来るはずもないが、その返答は間違いなく、レフの胸に二千年間突き刺さった楔を緩める言葉だった。
「どうした?」
アレンが訊いてきたが、レフは無視して髪を指で梳く。少し考えたかったからだ。そして、自分がした重い話で二人の間に漂う空気を入れ替える意図もあり、ふと思い立って言った。
「わたしが髪の色を変えていたので、さっきのあれにはわたしだとすぐには分からなかったようです。なのでアレン――」
首を傾げて。
「髪の色を戻してもいいですか?」
アレンは殆ど躊躇なく頷いた。
「いいんじゃないか? 染粉を落とす油ってあったと思うけど――」
買うか? と言外に言われ、レフは首を振る。
「不要です。自分で落とせますから」
「そっか。でも何で急に?」
アレンは尋ね、レフは宙に視線を彷徨わせた。
「そうですね――また知り合いに会ったら、気付いてほしいと思ったもので」




