付き纏い
翌日、朝からアレンは言い訳に追われていた。
昨夜に曖昧なまま終わらせたせいで、夜のうちに各々の頭の中で事態が急成長を遂げていたので、これはなかなか骨の折れる作業だった。
とにかく朝食の前に事情を説明し終えたものの、今度はユアンに思い切り不思議そうに見られた。
「見られて面倒なことになるなと思ってたんなら、何で俺たちが来る前に部屋に帰さなかったんだ?」
「そのつもりはあった」
「何で実行しなかったんだよ? 俺たちが来るのぐらい分かってただろう?」
確かに、人一倍気配に敏感なアレンなら、部屋の傍に人が来れば分かる。しかし、しかしである、昨夜はアレンは本当に気付かなかったのである。主な理由は――。
アレンはむっつりと言っていた、
「こそこそ出て行くレフを見たら、それこそ疑わしさ倍増じゃないのか」
ユアンはまだ不思議そうだった。
「意図した割には、昨日の固まり振りはすごかったな。そもそも転移してもらえば良かったんじゃないのか?」
アレンはもう何も言わず、朝食に向かうことにした。
またしても爆音で起こされたアゼナは毎朝恒例で、死にそうな風情で座っていた。レフがアゼナ以外には音が聞こえないようにしているのだろう、同室のはずのラシュカはけろりとしている。が、レフ相手には微妙に視線を逸らしており、レフは完全に落ち込んでいた。
(擦れ違いだ……)
爆音の衝撃から立ち直っていないアゼナ以外の人間が一斉にそう思ったとして、何の無理があろう。
席に着いたアレンは、自分の朝食を選びがてらにレフの食べられそうな物を示してやりながら――食事の度のこの習慣と、その後レフが何を選ぶかという傾向から、アレンはレフの好き嫌いを把握しつつあり、最近はレフの好きそうな物を狙い撃ちにして示してやっている――、アレンはこっそり訊いた。
「ラシュカと喋ってねえの?」
レフはアレンに目を遣り、海ほどに深い溜息を吐いた。
「……はい。昨夜、わたしがリノ・アイゼルトだと教えたと言っていましたよね――やはり、嫌われているようです」
ラシュカの様子を見てから、アレンはぼそりと呟いた。
「いや、ないと思うけど」
レフは疑わしげにアレンを見てから朝食選びに戻った。この頃アレンが示す物が好きなものばかりになってきたので、悩む時間が増えてきている。このままではアゼナ路線で優柔不断になってしまうのでは、というのが大方の予想だった。
アゼナとレフの注文が決まってから給仕を呼んでそれを伝え、朝食が運ばれてくるまでの間、アレンたちの視線はレフとラシュカの間を行き来していた。
レフもラシュカも目を合わせようとはしていないが、痛いほどお互いを意識しているのが分かる。なかなか見応えのある光景である。
ラシュカの顔には「昨日まずいこと言ったから今更目を合わせたり話したりするのはいかがなものか」と書いてあるのだが、レフがそれを感知する様子はない。ひたすら落ち込んでいる。
朝食を食べながら、アレンたちは行先の微調整を始めた。全員がアドルを出たがり、アレンもそれは同意見だった。
「アドルを抜けて、どうする。このまま南下するか、西に行くかだったけど――」
ラデルが言い、アゼナが顔を顰めてパンを齧った。
「最短距離でシェンド侯領から抜けたいんだけど、それならどっち?」
ユアンが肩を竦める。
「そりゃあ西に行くことだけど」
「陣を書きましょうか」
レフがアレンに向かって言った。アレンは少し考えて、答えた。
「もう少し西に向かってから、頼む。機巧兵はこの辺にはいないんだな?」
「はい。いません」
レフの断言にアレンは頷き、他の仲間に目を遣った。
「じゃあ、次はリーデ辺りを目指そう。入れなかったら、どこか入れる町を見付けて宿を取れ次第、魔法陣を――レフ、書いてくれるか?」
「はい」
レフはこくんと頷き、ラシュカの方をちらりと見て、溜息を落とした。
アレンはそれで、ラシュカをどうするかという問題を思い出し、ここはいっそ仲を取り持ってしまえと思って話を振った。
「それで、レフ。ラシュカを何とか助けたいって言ってたけど」
レフはぱっと顔を上げた。焦げ茶の髪がふわりと舞った。
「そうなんです」
ラシュカは朝食から顔を上げ、ぽかんと口を開けた。あわあわと言葉を探すが思考が空転し、結局口を閉じる。アレンは無視して話を続けた。
「で、具体的にどうするかっていう話なんだが……」
「連れて行こうよ」
パンの屑を払いながらアゼナがあっさり言った。
「レフ、起こし方ひどいんだもん。このままだとあたしの耳、いかれちゃうよ」
レフが訝しげな顔になった。
「いかれちゃう……?」
アレンが素早く解説する。
「いかれるってのは、おかしくなるの、もっとひどいやつだ」
理解したレフは心外な顔をして、アレンに主張した。
「わたし、そんなにひどくしていません」
「嘘だよ。すごい音するんだからね」
アゼナは言い募って膨れた。他の四人は思わず笑った。
ラシュカは笑うどころではなく、かなり切羽詰まった顔をしていた。
「いや、わたし元気になりましたけど……」
アレンはレフに確認の視線を送り、レフはラシュカを見てから頷いた。ラデルがものすごく不思議そうに言った。
「きみ、ここにいたら死んじゃうんじゃなかったか? それとも、他にもここには機巧人が残ってる?」
ラシュカは素早く周囲を窺って、今の科白を聞かれなかったか確かめた。それから向き直り、沈んだ口調で言った。
「……いいえ、いません。残った馬鹿はわたし一人です」
アゼナがにっこりした。
「じゃあ、付いて来ても問題ないねっ!」
まだラシュカはいなくなりたがっていた。
「あー、でもわたしは……」
レフは口を出すべきか出さざるべきかの煩悶を、もろに表情に出しており、アレンはレフと目を合わせて「口を出せ」の意で眉を上げた。
レフは意味を察していささか怯み、躊躇の気配を濃厚に醸した。アレンは呆れて瞳を回した。
ラシュカは言葉をまとめているようだったが、意を決して口に出した。
「付いて行っても状況が変わるとは思えないんですが」
「なんで?」
アゼナが即行で訊き返し、ラシュカは褐色の目を伏せてから皆を見たので、意図せずに上目遣いを作り出し、控えめに見てもいじらしかった。
「だって皆さん、アゼイラの人なんでしょう? レデスナにいる限りわたしたちは迫害され続けるわけで、アゼイラに入った瞬間に流民の肩書きが付くわけで」
ラデルが納得した顔をした。
「ああ、戸籍がないからね」
しかしそのままの顔でのたまった。
「でも大丈夫だと思うよ。うちの陛下に異常なほど顔の効く奴がいるから、戸籍くらいあっと言う間に作ってくれるって」
レフのことである。ラシュカは疑問そのものの表情をしたが、明らかに渋っている。
アレンは眉を寄せた。個人的にはラシュカの意思に口を出すほどお節介ではないが、レフはどうしても彼女を助けたいらしいので、ここではいそうですかと引き下がるわけにもいかない。ユアンにそっと囁く。
「――誘拐していくか」
ユアンはにやっとした。
「いいなぁ、それ。俺たちって前科あるしな」
「は? あれはリアの合意の下だろ」
そんな会話をしているうちに、ラシュカは席を立ちかけていたが、レフがきっぱりと言った。
「離れては駄目」
「えっ?」
反射的にそう返してから、ラシュカは「しまった相手はリノ・アイゼルトなのにどんな口利いてるのよわたしは」という顔をしたが、レフは頓着しなかった。
「あまり離れると、術が剥がれてしまう」
術、というのはラシュカの髪の色を変えたことを指すのだろう。ラシュカはリノ・アイゼルトが相手で頭が真っ白になっているらしく、「あ、そうですか」というようなことを不明瞭に呟いて着席し直したが、すぐにそれが自分の意思ではなかったことを思い出し、ぱっと立ち上がった。
「大丈夫です! 昨日まではちゃんとやっていましたし!」
レフは愁うような顔になり、そのままの視線をアレンに向けた。
「何とかしてください」
他力本願かよ、とアレンは思ったが、レフが人に関わったのは数えるほどの機会しかなかったのだ。無理もないかも知れないと思い直す。というわけで、にっこり笑ってラシュカに言った。
「一旦座れ?」
奴隷商人を残らず威圧した凄みの持ち主であるから、ラシュカはすごすごと席に戻ったが、少しばかり恨みがましそうである。
一方のレフだが、機巧兵を頭から押さえ付けることも余裕でやってみせたのだから、アレン以上の気迫の持ち主であるはずだ。しかし、こういった場合には全く役に立たないらしい。
それから一刻ほど、ラシュカ慰留に一同が心を砕いたのだが、ラシュカは取り敢えず逃げ出したがっている様子から梃子でも動かない。
しかし、ここでラシュカをみすみす行かせてしまっては、レデスナに入って以降どん底と思われたレフの気分が、更に落ち込みかねない。
それだけは避けねばと決意したアレンたちは、逆にラシュカに付いて行く方針を固めつつあった。無論、ずっとというわけには行かないが、適当なところで誘拐してしまえと全員の目が言っている。
実際、宿を出たアレンたちは、何だかんだと理由をつけてラシュカの後を付いて回った。ラシュカはいい迷惑だろうが、これは仕方がないと、アレンたちは無言のうちに彼女に告げていた。
アレンはいつラシュカをいつ誘拐するのか、ユアンと冗談めかして相談していたが、周りが見えないほど熱中していたわけではない。レフがそわそわとし出したのには気付いて、訊いた。
「どうした?」
レフはアレンに目を向けて、非常に曖昧な顔をした。
「いえ……機巧兵が」
アレンはすぐに反応した。
「どこだ?」
こうなると申し訳ないが、ラシュカは諦めてもらわねばならない。しかしレフは首を捻っていた。
「いるような、いないような、感じです」
アレンはぽかんとした。
「……何だそれは」
レフも混乱しているようだった。アレンに向かって、まるでアレンが機巧兵を隠匿しているかのように口調を尖らせて、言う。
「わたしは確実に機巧兵が分かるはずなんです。それなのに、このような感じはするはずがないんです――失礼」
レフは言って、ユアンを見てからラシュカを見た。仕草は偉そうだが、ユアンももう慣れてしまっている。無言でラシュカを引き留めに掛かり、立ち止まったレフの傍に置いておいた。
レフが肩から斜交いに掛けた黒天鵞絨の鞄から、彼女の心盤をそっと取り出すのを見て、アレンは身体でさりげなく心盤を衆目から守った。別に彼らに視線が集中しているわけではない。しかし、万に一つも見られるようなことがあったら、レフがいい気がしないだろうと思ったのだ。レフはその気遣いを感知する様子もなく、一心に心盤を覗き込んでいる。
アレンは心盤をちらりと見た。
――情報を交換中……〈記録〉にある姉の全ての記録を走査――
事態の異常さに、調査を始めたらしい。心盤の内側に白い霧が流れ、渦を巻き、解け、また流れる。そのうちにその霧が文字の形を成して煌めいた。
――接触を拒否された記録があります。その他の記録に該当する記録はなし――
レフが目を瞠った。アレンが心盤を見ていることに気付くと、顔を上げて決まり悪そうにした後、もう一度心盤を覗き込んだ。彼女が心中で何かの命令を下したのだろう、心盤の中でまたしても霧が流れ始めた。
――接触を拒否する理由に、貴女が干渉・調査の権限を持つものは含まれておりません――
レフはしばらく心盤を睨んだ後、それを慎重な手付きで鞄に仕舞い直した。
「分かりませんね」
彼女は言った。アレンは肩を竦めたが、厳しい声音で言った。
「機巧兵がいるかも知れないんだな?」
レフはつまらなさそうにした。
「ですが。わたしが感じるのは、いると仮定すれば、ですが、五機はいるような感覚です。それにしてはうるさくなっていないと思いませんか?」
確かにそうだった。アレンは眉を寄せる。
「……まあ、そうだな。ってことはいないのか……」
思わず心配そうにレフを見る。レフが自信を持っていた、機巧兵を感知する能力に異常を来したとすれば、それは憂慮すべき事態だった。レフはそれに気づき、向きになったように言った。
「何ですか。わたしは役立たずですか」
アレンは怯んだ。
「そんなこと言ってないだろうが。――で、実際のところ、熱があったりは?」
レフはむっとしたようだった。
「しません」
「悪寒がしたり、眩暈がしたりしないんだな?」
「しません。何を疑っているんですか」
レフは憤然と言い、アレンは逆に戸惑った。
「調子が悪いときは真っ先に風邪を疑うのは常識だ」
レフは瞬きした。風邪、と言われて戸惑ったようだった。アレンは嫌な予感がした。
「――まさか、風邪が何か分からないのか」
レフはこくりと頷く。アレンは天を仰いだ。
「嘘だろ。俺が言ったことは風邪の症状じゃないか」
「いいえ」
まさかの強い否定があった。
「あれは、機能に負荷を掛け過ぎたときに出てくる症状です」
だからこその「何を疑っているんですか」という発言だったのだろう。機能に無理をさせていないレフは、どうしてそんなことを訊かれるのかが分からなかったのだ。
「楽しそうにしてるところ悪いけど」
ラデルが言った。
「ラシュカは急いでるみたいだよ」
アレンはそちらに目を遣った。ラシュカは決して急いではいなかったが、逃げようとはしていた。アレンはふと思いつき、訊いた。
「ラシュカ、機巧人って風邪引かないのか?」
ラシュカは腰を抜かさんばかりに度肝を抜かれ、周囲を見た。機巧人であることに気付かれるのが怖いのだろうが、何があっても助けられると思うからアレンは口に出しているのである。それと、
(誰かが血相変えて追っかけてきたら、ラシュカも同行しませんとは言えなくなるだろ)
という、少々腹黒い考えがあったりする。
ラシュカは誰も自分を見ていないことを確認してから、渋々答えた。
「……引きますよ、それは」
アレンはレフを振り返った。レフは真顔で言った。
「どこの誰がわたしの前に、熱のある顔を持ってくるというんです」
つまり、風邪引きの人間を見たことすらないらしい。つまりは感染ったりもしない。アレンが感心していると、ラシュカは非常に言い辛そうに言った。
「あのー、何で一緒にいるんでしょうか」
レフを除いてアレンたちは、にっこり笑ってこれを黙殺した。何があっても、これ以上レフの気分を下げてはならない。
(全てはレフのため!)
「同行なんですけど、絶対迷惑ですよね」
にっこり笑った面子が、そのままの顔で首を振った。レフがものすごく落ち込んでいる方が、はっきり言って迷惑である。
「このご時世ですから、色々危険もありますし」
「問題ないよ?」
アゼナが即答した。ラシュカは明らかに疑っている顔だったが、ふと視線を逸らして独り言の調子で呟いた。
「でも、真っ直ぐ北上すれば大丈夫なんだろうな……」
アレンは一瞬、聞き間違いかと思った。なぜ、大丈夫だと言い切れる経路がある? 他も同じ感想を抱いたらしく、代表してユアンが訊いた。
「え……っと何で?」
ラシュカはきょとんとした。
「え? 同時期じゃないんですか?」
「……何と?」
ラシュカは首を捻った。
「あれ? 時期は合うと思ったんですけど。この辺りから北上して行った処で、何回か機巧兵が退治されてますよね? アゼイラの勇者様だって、みんな言ってましたよ。人の家の裏手とかで寝ると、噂ってよく入ってくるんですよね。出国は同時くらいじゃなかったんですか?」
アレンは硬直したお蔭で反応を示さずに済んだ。アゼナは素知らぬ顔で「ふうん」とか言っている。鉄面皮め……とアレンは思った。
ラシュカは本人に向かって爆弾を投下し続ける。
「勇者様はアゼイラの人だから、来るとは誰も思ってなかったんですけど。姫君見たさに騒いでる人も絶対いますよね」
アレンがこの件で復活した。姫君が噂になっている!
「姫君ねー」
ラデルが必死に平静を装いつつ言うが、口角は痙攣している。レフは機巧兵の感覚がする方角が気になって仕方がないらしく、じっと前方を見ていて反応していない。
ラシュカは言っていた。
「だからですね、勇者様たちならいざ知らず、わたしみたいな素人がくっ付いていたら、きっと迷惑ですって」
「ほうほう」
ユアンは面白がっていたが、アレンは自分が「勇者」だと暴露しない方法を必死になって考えていた。ラデルに至っては進んで暴露の方向に話を持って行こうとしている。
「姫君ってどんな人?」
「見たことはないですよ」
ラシュカは笑って言った。
「ただすっごく綺麗らしいですね」
アレンは思わずラシュカを凝視してしまった。「すごく綺麗」という形容が付くならば、まずレフを疑わないのはなぜなのだろうと、真剣に悩む。ラデルは食い下がった。
「髪の色とかは伝わってないのか?」
ラシュカはこくんと頷いた。
「はい――わたしは聞いたことないです」
おっと、誤算。国境は跨げなかったか、とレフを除く全員が思ったが、ラシュカは罪のない顔で、少し困った表情を浮かべている。
アレンはもっと噂を広めねばと決意した。未だに目標は打倒勇者である。
「……じゃあ見ても分からないな」
ラデルがまとめた。
□□□□□□□□□□□□□□□□
アレンたちは知らないが、そこからやや離れた領主館では、領主直々の命を受け、六頭立ての豪華な馬車が仕立てられ、出発したところだった。




