姫君、動揺する
レフは部屋に戻る途中だったが、明らかに落ち込んだ雰囲気を漂わせていた。
追い着いたアレンが肩を叩いて注意を引くと、振り返ってあからさまに驚いた様子になる。
「アレン、どうしました?」
「一人にしといた方がいいならすぐ消える!」
アレンは言下に言い放った。レフは首を傾げたが、素っ気なく言った。
「消えなくとも結構です」
アレンはほっとした。廊下には人気がないので、これ幸いと訊く。
「何であんなこと言った? 違うのは知ってるんだろう?」
レフはがっくりと肩を落とした。どうやら自己嫌悪らしい。
「はい……」
「…………」
追い掛けたものの話題を提供できない情けないアレンに、レフがとつとつと説明を開始した。
「わたしには姉が四人います。それぞれ機巧人を創りました」
「知ってる」
「長姉はイリセ・アイゼルト。中央の守護者です。次がアゼ・アイゼルト、東方の守護者です。次がレナ・アイゼルト、西方の守護者です。そしてゼア・アイゼルト、南方の守護者――」
「で、おまえがリノ・アイゼルトってわけね」
中央、東、西、南、北の、守護者。
「はい。合わせて、五方の守護者、と」
レフは寂しげに言った。
「最初の五百年はみんな揃っていました。ですがイリセのお姉さまが欠けて、他のお姉さまも出て行っていって、二千年が経つとわたしは一人でした。最後に出て行ったのはゼアのお姉さま。あの彼女の――ラシュカの、髪の色は、ゼアのお姉さまのものです。彼女はゼアのお姉さまの子孫です」
レフは自分の発言に愕然としているようだった。
「どうしましょう、アレン。わたしはお姉さまが優しくて、自分の子供たちを慈しんでいたのを知っています。悪意なんて欠片もありませんでした。それなのにあんなことを言ってしまいました」
頭の中は相当なパニックになっているとみえ、レフは彼女にしては有り得ないほど取り乱していた。
「置いて行かれたことがずっと嫌でした。話を聞いているとそれを思い出してしまったんです。それだけです。でも許されないことを言いました」
レフは華やかな青い目でアレンを見たが、途方に暮れているようだった。
「もうきっとお姉さまには会えないんです。会えるとすればイリセのお姉さまにだけなんです。だから謝ることも出来ないのに、とんでもないことを言ってしまいました」
俯いて。
「――わたしは、子どもみたいです」
それで一区切り付いたのを見てから、アレンは言った。
「おまえは殆ど一生、あそこにいたんだろ?」
レフは項垂れたまま答えた。
「……はい」
「だったらまあ、子どもでも無理はないんじゃないかな? それに――」
アレンはレフの動揺し切った姿に思わず笑ってしまった。
「――俺だってユアンに大嫌いだと言われたことも言ったこともあるわけで。心にもないことをするっと言ってしまうのは絶対に経験することだし――」
「アレン」
レフは呻いた。
「なんだ」
「笑わないでください」
弱々しく憤然とした声に、アレンは笑いを引っ込める。
「……失礼」
レフは俯いたまま、声の温度を確実に下げた。
「わたしが子どもとは、どういう意味ですか」
アレンは苦笑するしかない。
「性格が……」
レフの口調に、縋るようなものが含まれた。
「みんなによくあることならば、許されますか」
アレンはちょっと考えた。
「いや……そんなことはないけど、事態として理解されやすいよな。あれこれ言い訳しなくても、ああよくあるなって、笑って許してもらえたり」
レフの声は単調だった。
「……もう、笑顔も見られません。〈記録〉にいなければ、老いて死んでしまう」
アレンは詰まった。レフはここまで、完璧に孤独だ。
「――それは……何も言えないが」
レフはふいと他所を向いた。
「言わないでください。必要ありません。事実なのですから」
悄然として、かつぼんやりとして、レフは言った。
「――ラシュカはアイゼルトが嫌いなようですね」
アレンは黙ったが、そのうち怒りが湧いてきた。それを口に出してみる。
「――なんか、ラシュカに腹立ってきた。取って返して殴っとくか」
「駄目です」
レフがアレンの腕を押さえた。
「そんなことをされたら、わたしがますます申し訳なくなります」
虚を突かれ、アレンは瞬きする。
「……じゃあ、まあいいや。レフに免じて」
レフは頷く。
「わたしに免じて。――そもそもなぜあなたが腹を立てるんです?」
アレンは首を傾ける。主な理由は――。
アレンは息を吐くと、渋面を作って言った。
「何となくだ、何となく」
レフは懐疑的な顔をした。
「本当に何もしません?」
アレンは呆れた顔をした。
「じゃあこのまま部屋に戻りましょうかね? ったく、何で暇しなきゃならないんだ」
アレンの科白を聞いて、レフは顔を明るくした。そして、アレンを食堂に戻してやるという考えは一切なく、言った。
「本当ですか? 暇ならわたしがお話の相手をしますけれど。――あ、アレン。お願いがあります」
アレンは部屋に行きかけていたが、真摯な声に振り返った。
「なんだ」
レフは華やかな青い目に信頼に近いものを浮かべていた。
「ラシュカを助けてくださいね」
アレンは目を瞠り、それから息を吐いた。
「はいはい、何とかする」
そして歩き出したアレンにレフが付いて来たので、アレンはかなりのところぎょっとした。
「まじで、付いて来るのか」
レフは首を傾げた。
「いけませんか? 暇だと言っていましたよね」
何だかすごく色々問題があるよな? と思いながら、アレンは気付いたら言っていた。
「まぁ……、いけなくは、ない」
自分で自分に蹴りを入れたくなる科白であった。
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ラシュカは数十秒、身動きもままならずに座っていた。銀髪と言われただけではぴんとこないが、リノ・アイゼルトの名には聞き覚えがある。
確か小さいときに聴いた、御伽噺に出てきたような。機巧人の誕生を司る五人姉妹の、末の一人だったような。
あの噺は機巧人の間でひっそりと語り継がれる類のもので、機巧人であっても家系によっては知らないということもある。それを人間が知っていたということは、あの科白には真実味がある。そしてもしそうならば、自分の発言はとんでもない失礼ということになる。
ラシュカはやっとのことで声を取り戻し、「さっきのは……」と呟いたが、周囲が別の話をしていることにはたと気付いた。
「どう思う?」
「躊躇いなく飛び出したな」
「しかもここから出すなだって、明らかに」
「レフ誘拐事件辺りから怪しいとは思ってたんだ」
「誘拐……?」
とこれはラシュカ。リノ・アイゼルトが誘拐されるという由々しき事態を想定して眉間に皺を寄せるが、周囲には認知されない。
「いやぁ、びっくりだよなー。ちょっと前までなら疑いもしなかったぞ」
「ユアンはどっち?」
「何が?」
「応援か、反対か」
「反対してどうすんだよ」
「いや、待って。決まったわけじゃないだろう」
「おい貴族、考えが甘い。こういうのは外堀を埋めてナンボなんだ」
「でもレフ、このごたごたが片付いたら帰っちゃうんでしょ?」
「それが問題だよなー」
ラシュカは呆然とした。何の話だ。
「それに、レフの方はどうなんだろう」
「結構楽しそうにしてるじゃないか」
「でもこの間なんて、何か別の人のことを喋ってたよ」
「なんと。男か、女か」
「男。オーヴェル? オルヴェン? そんな名前の」
「うっわー、望みなしか。いや、そもそもアレンだって気があったとは限らないか」
「さっきそう言ったんだけど」
「えー、つまんないの。普通こういう集団というか仲間って、最低でも一組は夫婦を出すものじゃないの?」
ラシュカは控えめに気を引こうとした。
「あの……」
周りは聞いていなかった。
「何だよ、それ。でもとにかく仲間としてではあれ大事には思ってるよな、良かった良かった」
「ユアンは機巧人嫌いだったでしょ、最近まで」
「今は違うって誰が見ても言うと思うけどね」
「その子が喋りたがってるぞ」
ヴェルガードの一言でやっと全員が口を閉じた。ラシュカは恐る恐る言った。
「さっきの、本当ですか……?」
「さっきの?」
アゼナはきょとんとしたが、すぐに閃いて答えた。
「ああ、レフがリノ・アイゼルトだって? ホントだよ。嘘ついてどうするの」
ラシュカは目の前が暗くなるのを感じて遠い目になったが、アゼナは疑われたとでも思ったのか言い募った。
「だってアレンが〈記録〉から連れて来たって」
ラシュカは無言で頭を抱えた。どよんと漂った空気に気付き、四人は気まずげな顔になった。
「レ、レフも怒ったりしないって」
「アレンが上手く取りまとめてくれるって」
ラシュカは乾いた笑い声を立てた。
「……だってわたしとんでもないこと言いましたよね」
四人は顔を見合わせた。どうも彼らには、レフがやんごとない身分を持っているという感覚が薄いのだった。
やがてレフがいなくなったことに気付いた給仕が近付いて来て、お食事が終わりましたらお部屋の方へと言ってきた。ユアンは術を解除してからいい返事をし、アゼナが裁縫道具をまとめて、ラシュカと一緒に部屋まで持って行った。アレンの「ここから出すな」という命令をきちんと守るつもりらしい。
部屋に普通に入った男性陣の中で、先頭を切ってしまったラデルが哀れにも中の光景に絶句して硬直し、後ろのユアンに追突されてしまったのを、同じく硬直したアレンが迎えた。寝台に座り、レフに向けていた笑顔そのままに固まるアレンと向かい合う形でもう一つの寝台に腰掛けるレフが、どうしたのだろうという顔をしているが、勿論彼女が原因である。アレンの頭の中では、他の連中が上がってくる前に彼女にはお引き取り願うつもりだったのである。
アレンは状況説明のため立ち上がったが、言葉が出てこず、しかしこの数箇月で身に沁みついている号令を掛ける癖が、彼にこう言わせていた。
「レフ、部屋に戻れ。他、騒ぐな」
レフがすっと典雅に立ち上がって従い、他は驚きで、ものを言うどころではなかった。




