追放令
緩く蛇行してシェンド侯の館へと上っていく大通りを急ぎ足で進んでいるうち、遠くで人影が出現した。
唐突な現れ方ではあったが、脇道から飛び出してきたと考えられた。その人物はよろめきながらも走り続けている。レフが小走りになったことからして、あれが第二世代の機巧人だろう。
それを追って、数人が姿を現した。一人に対して数人ということだけで十分に卑怯だが、この場合それに加えて、双方にはかなりの体格差があった。
機巧人は必死になって進もうとしているが、膝から崩れ落ちた。一瞬後、火炎が辺りを明るく照らし出す。
威力は――機巧人のこの状態を考え合わせると――極上のものだったが、狙いを外している。そもそも当てる気が有ったのかとアレンは訝しんだ。その機巧人の全身から、諦念が濃く匂っていた。
アレンが全力疾走に移り、レフが転移の術式を作動させ始めた。
機巧人の微かな息遣いがアレンに聞こえた。追手が迫り、機巧人の余命は幾何もない。追手が手に持つ剣を振り上げた。
刀身が消し飛んだ。
剣を持っていた者は驚いたがアレンも驚いた。やったのは出現したレフだろうが、こんなことが出来るとは聞いていない。
追手がざわりとどよめく。機巧人――十六、七の、赤い髪の少女だった――に到達したアレンは、彼女の腕を掴んで引き摺り立たせた。彼女は事態に呆然として、泣き濡れた顔をアレンに向けた。
「こんなこと出来るのかよ?」
アレンは言ったが、レフは追手たちしか見ていなかった。彼女か彼女の姉の子孫である、大切な機巧人を傷つけられて、理性をどこかに忘れ去っているらしい。しかし、彼女にやらせるととんでもないことが起きそうなので、アレンは声を掛けた。
「レフ、この子を。俺がそっちを」
レフは一瞬躊躇ったが、すぐに従った。機巧人が第一なのである。寄って来て、少女を覗き込む。掛けた声からは真心が窺えた。
「どこが痛いの?」
アレンは彼女をレフに任せて、一歩前に出た。無駄に威嚇して逃げられては堪ったものではないので、怒気も殺気も殺しておく。案の定、五人ばかりの追手たちは掛かってきたが、返り討ちは造作もなかった。事情も分かっていないのに殺してしまうのは嫌なので、立てないようにだけしておく。この少女が凶悪な殺人犯だった、というような場合は、平謝りに謝り倒すしかないだろう。
武器を収めて、振り返って少女を見ると、その心配はなさそうだった。啜り泣いてレフに縋っている。なぜかは知らないが、一方的に追い掛け回されていたのだろう。
彼女には話し掛け辛いので、アレンはレフに声を掛けた。
「さっきのあれ、何だよ?」
レフは困惑の様子でアレンに視線を移した。
「あれは、機巧人が作ったものでしたから。――それよりアレン、どうしましょう。泣かせているのはわたしですか?」
アレンは、質問への答えには混乱したものの、客観的に状況を見た。
「いや、違うと思うぞ」
それから二人に近付いて、出来るだけ穏やかに言った。
「えーっと、無事? こいつがすげえ心配してるから、答えてくれるとありがたい」
少女は顔を上げ、嗚咽を抑えつつ、なるだけ平静に喋ろうとしていた。
「――だいじょうぶ、です。……どこの人、ですか」
アレンは戸惑った。助けた相手に素性を訊かれるというのは、ちょっと予想していなかったのだ。
「――アゼイラ、だけど?」
しかしこの答えが、少女を安心させたらしい。表情を緩め、改めて二人を見るが、礼を言うという発想はなかったらしく、何も言わずに立っている。レフの混乱が、空気を媒体にしてアレンにひしひしと伝わって来た。アレンは困ってしまって、しばらく黙った後、言った。
「……きみ、名前は?」
少女は軽く会釈をした。
「ラシュカです」
訊いてしまった以上は名乗らなくてはならない。
「俺はアレンでこっちはレフな」
沈黙。ラシュカが話そうとしない上、「じゃあ、生きてて良かったね」と言って離れていくのは余りに薄情なのでできかねて、アレンも動けない。レフはラシュカを穴の開くほど凝視している。
アレンは咳払いした。
「え……っと、ラシュカ。どこに住んでるんだ? 良ければ送るけど」
これが地雷だったらしく、せっかく泣き止んでいたラシュカは俯いてしまった。アレンは大いに狼狽えた。そんなに責めるように見てくれるなとレフに言いたい。ごく普通の質問だったはずだ。
とにかく、ラシュカに家はないらしい。アレンは慌てて提案した。
「だったら、俺たちが泊まってる宿に来るか? 休みたいだろうし」
レフがアレンから視線を外し、ラシュカを見た。ラシュカは初めて必死になった。
「い、いやっ、いいですっ。この町、わたしの一家以外赤毛がいないのは知れ渡ってますし」
「……それの、何が問題?」
アレンは至極当然のことを訊いたのだが、ラシュカに逆にぽかんとされてしまった。
「……えっとぉ……、アドルに入ったのは最近――みたいな感じですか」
「最近も何も、今日だ」
ラシュカは頭を抱えてしまった。
「道理で。――多分ご迷惑になるんで、遠慮――」
「駄目」
レフがきっぱりと言った。
「休まないといけない。アレンも言ったでしょう?」
無表情の親切に、ラシュカは及び腰になった。
「えっ、でも……」
しかしアレンは、別の物音を聞いていた。ラシュカが出てきた方の脇道の奥が騒がしい。恐らく、ラシュカには他にも追手がいるらしい。
「ラシュカ、まだ来るみたいだぞ、どうする」
言われたラシュカは顔を歪めた。嫌悪そのものの表情で、脇道の方を一瞥する。――また、諦念が匂った。
「撃退しろってんなら、出来るけど」
アレンが断言した。ラシュカは目を見開いたが、レフがまたしてもきっぱりと言った。
「駄目。ラシュカは疲れていて、特に心盤の消耗が著しい。休まないといけない」
敬語ではないので、ラシュカに向かって言ったのだろう。ラシュカがぴくっとした。心盤という、外部から見えないモノの消耗を指摘されてはそうもなるだろう。アレンはレフに言った。
「このままさっさととんずらした方がいいのか?」
レフは訝しげにした。
「……とんずら……?」
「逃げるってことだ」
アレンが解説し、レフはそれならと頷いた。
「そうです。ラシュカを連れて行かないと――」
「分かった」
アレンは言って、レフに縋りつくラシュカを引っ張り寄せた。少々乱暴だが、自力では歩けなさそうなので仕方ない。
アレンの肩の上に、足を後ろに顔を前に、腹を下にしていわば荷物のように担ぎ上げられたラシュカは、余りのやり方に呆然としていた。レフは心配そうにアレンに言う。
「落とさないでくださいね」
アレンは笑顔で答えた。
「おう。けど悪い、おまえまでは担げねえぞ」
レフは熟考した上で、言った。
「……遠慮します」
ラシュカは正気に戻ったものの、歩けますとは言えないので黙っている。頭に血が上るのを防ぐために顔を上げているのだが、背筋にとってはなかなか辛い姿勢である。何せ、楽に上半身を起こしておくためにはアレンの胸部か腹部かに手を突かなくてはならないわけで、初対面でそれはいかがなものかと思われたらしい。いきおい、背筋のみで上半身を保持しなくてはならない。
アレンはそれを完全に失念しており、レフの方も全く気付かなかった。レフはラシュカが担がれているのとは逆側のアレンの隣を、アレンに合わせるため速足で歩き、アレンはレフを気遣ってゆっくりと歩いているつもりではあったが、肩の上にラシュカを担いでいる状況であるから、早く下ろしたい気持ちもある。追手の方は、いざとなれば撃退する自信があるので、意識の上では放置している。それに頼めば、レフが何とかして誤魔化してくれるだろう。
脇道に入ったり大通りに戻ったり、あれこれとして追手を撒き、アレンは宿に足を向けた。
ラシュカはそれに勘付いたのか、ばたばたと存在を主張し始めた。レフがそれを見て、アレンの袖を引いた。アレンはレフ経由でラシュカに目を遣り、目を瞬いた。
「どうした?」
「下ろしてっ、くださいっ」
ラシュカは言ったが、放り出されたら立てもしないだろうなとは思った。
「ご、めいわくっ!」
腹が圧迫されているせいで言葉に詰まっている。アレンは一瞬戸惑った後で、思い当たったように目を明るくした。
「ああ、あれか。言ってた、赤毛はきみの一家だけっていう」
ラシュカはこくこくと頷き、アレンはそれを無視してレフに視線を移した。
「誤魔化せるか?」
レフは気負いも何もなく肯んじた。
「大丈夫です」
それからラシュカの頭の上でひらひらと手を動かしたが、アレンが感嘆の声を上げたことに、すぐさまその髪の色が黒く変じた。ラシュカは顔の横で揺れる一房の髪を見てそれを確認し、はっ!? と声を上げたが、これもアレンには無視され、アレンは断固として言った。
「これでいいな」
アレンはそのまま、ごく普通に宿に入って行った。
中で、まだ裁縫をしていたアゼナ以外の三人が手を挙げて二人が帰って来たのを迎え、ラシュカを見て目を丸くした。
「どうした、その子?」
アレンは席にラシュカを下ろし、レフが腰かけて椅子がなくなってしまったので、膝立ちの状態で机の上に腕を組んだ。
「いやー、追い掛けられてるとこを助けた。ラシュカっていうらしい。ラシュカ、あれがアゼナで、金髪のがラデル。一番歳食ってんのがヴェルガードさんで、これがユアン」
ラシュカが警戒に満ちた目で周囲を見ていたので、ユアンが声に出して詠唱した。
「*【行為者の意思で声を遮断】*」
その効果を聞いてから、アレンが続けた。
「第二世代だって」
何で知ってるの? という視線をラシュカが向ける。が、彼女が何を言うよりも早く。
「何で追い掛けられてたの?」
アゼナが縫い物から目を離さずに言い、ラシュカは躊躇ったものの、答えた。
「――追放令を無視したから」
「追放令?」
ラデルが問い返し、ラシュカが頷いた。
「シェンド侯がお出しになったでしょ? 第一世代はアドルから出るようにって。第二世代も暗黙のうちに対象になってるし。残ってるのは少数でしょう?」
アゼナが思わず顔を上げた。ぽかんとしている。
「なぁにそれ? 出てった人はどうするの?」
「どうしようもないですね」
ラシュカは断言した。レフは不快に思ったように眉間に皺を刻み、ユアンがふと気付いて言った。
「それ……機巧人は入ってはいけない、みたいなこともあるのか?」
ラシュカは首を振る。
「ううん、それはない。ですけど、入ってくる人なんていないでしょ」
「いた、ね」
ラデルが苦笑した。そしてレフに目を遣る。
「彼女、第一世代だよ」
ラシュカは目を見開いた。レフを見て、彼女が無表情に頷くのを見て息を吸い込む。
「すごーい……第一世代、いいなぁ……」
レフは首を傾げた。
「あなたは、どこで血が混じったの?」
「えっとー、確か、父方の曽祖父が人間だったはず」
その口調から、彼女が自分に流れる人間の血を好ましく思っていないことが分かる。機巧人の事情はよく分からないがそんなものなのだろうか、とアレンは思った。
「追い掛けられてたのは分かったけど、行くとこもないんだね」
アゼナが言った。深刻そうな顔をしている。しかしラシュカはにこりと笑った。
「何とかなると思いますよ」
「当てあるの?」
アゼナが訊くと、ラシュカは緩く首を振り、胸を張った。
「刃物持って追い掛けられるのはすごく怖かったですけど、飢え死にとかそういう、じわじわくる方のは大丈夫だと思います」
レフが暗い声で言った。
「……死んでしまうのは同じでは」
「同じですけど、いいんです」
ラシュカは言って、レフを気まずそうに見た。先程礼を言わなかったのは、礼儀に欠けているからではなく、助かったと思わなかったからであるようだ。
「あなたはアゼイラにいたから分からないでしょうけど、ここでは随分前から機巧人が死んでいっていたんです。今日まで生きてただけで上等。もういいと思います」
「もういい……」
レフが呆然と繰り返した。ラシュカはじりじりと椅子の上で、撤退の方向へ身体を持って行きつつあった。
「助けてくださったのに何ですが、わたし、死ぬことは確定です、しかも近いうちに。他所ではやっていけませんし」
ラデルが唖然とした声で訊いた。
「えっと――遺してしまう人とかはいないのかな?」
ラシュカは堂々と言った。
「いません」
言ってしまって弾みがついたのか、ラシュカは瞳に憤りを込めた。
「父は殺されて母と妹は消息不明、兄に至ってはこの間の領主館襲撃に参加して死亡ですよ? 本当、馬鹿ですよね。ですけどこの状況は何なんですかって思いません? 何で人間じゃなくて機巧人が迫害されるんですか――あ、失礼」
その場にいる殆どが人間だということを思い出したのだろう。人間は揃って首を振り、気にしていないことを示した。ヴェルガードに至っては、どうぞ続けて、と仕草で示す。レフがぽつりと言った。
「機巧兵も機巧人も、同じ機巧ではあるの。格は違うけれど」
「何でそんな風に作られたんでしょう?」
ラシュカは言った。眉を寄せて吐き捨てる。
「さっきも考えていたんですよ。どうしてこんな風に作られたんだろうって。どうせこうなるなら機巧人なんて作るなと思いますし、作ったんなら責任持てとも思います。わたしたちが作られたのって三千年前ですよね? こうなることは予想できなかったんでしょうか。そうだとしたらわたしたちを作ったモノは何であれ頭が悪いんです、機巧兵と同じ属性ですもん、わたしたち。それにもし頭が悪くなかったのなら――わたしたちは、悪意で作られたんですよ。慈しむとか、そういうことはなくて」
アレンは呆然として、口を挟むことも出来なかった。
やっとのことでレフを見ると、レフは微動だにしていなかった。
その瞳に、今までで一番絶望に近いものが映っていた。
こうまで大切に思うものに、こんなことを言われて、平気であるはずもない。
レフはその目を伏せた。詫びるようでもあったが、打ちひしがれているようでもあった。何かをじっと思い出して、考え込んでいるようでもあった。
アレンはどうしたらいいのか分からなくなった。ラシュカを今すぐ放り出したく思うのに、それをしてしまったらレフがもっと傷つく気がした。ラシュカに向かって違うと主張するのは、もっと的外れな気がした。
人間たちが全員凍り付く中で、レフがいつも通りの声を出した。
「――そうかも知れない」
それを聞いてアレンは驚愕した。続けるレフの声が初めて、僅かに震えた。
「あなたの、最初の祖先を創った人は、わたしを、千年苦しめた方だから」
それからごく静かに席を立って歩き出したが、アレンはじっとしていられなかった。
一瞬躊躇ったものの立ち上がり、ユアンに言った。
「こいつ、ここから出すな。死なれると目覚めが悪い。それから――」
ぽかんとしているラシュカを見下ろし、アレンは教えた。
「あいつの地毛は銀色だ。知っているかは知らないが、あいつはリノ・アイゼルトだ」
そして、ラシュカの反応を待たずにレフを追い掛けた。




