王宮再訪
アレンが部屋に運んでやったにも関わらず、レフは自分の爆睡のことは頭からすっぽり抜けたようで、翌日から魔法陣の作成を開始した。
アレンたちは昨日のことが宿に露見し、質問攻めにされたものの、厚意で広めの部屋を空にしてもらい、そこにレフが魔法陣を書いている。白墨を手に、迷いなく線を引いていくレフを、ラデルとヴェルガードは興味津々に観察し、その「邪魔だ」とか「うるさい」とかいう偉そうな態度に、アゼナに続いて耐性をつけた。アレンも一度覗いたが、複数の円が絡まり合い、その中にややこしい術式が書き込まれているのを見て、なるほど一日掛かるわけだと納得した。しかも本人曰く、まだ半分らしい。
アゼナが一度食事を運んで行き、それを嬉しそうに食べるレフを見て「可愛い!」と感激していたが、ラデルとヴェルガードは断然、魔法陣の方を見ていた。食器を下げた際にアレンに出くわしたアゼナは、レフが可愛かったと熱弁を振るい、あの二人は見る目がないと扱き下ろした。
「でもねー、レフって一回も笑わないの」
アゼナは悄然としたが、あれは果たして笑顔だったのだろうかと、アレンは〈記録〉で一度見たそれらしき表情を想起して首を傾げた。
同室のラデルは大興奮で、
「陣が折り畳まれるのを初めて見た!」
と言っている。ヴェルガードもかなり感心していた。
「俺は一度見たことがあったが、あんな風に易々と綺麗にやってのけるとはすごい。レフは魔術師の腕だけで十分食べていける」
ユアンは、見てみたいのと機巧人に感心してしまった場合の屈辱とを考え合わせ、身悶えするほど迷っていた。
レフは睡眠を挟んだ後で仕上げをし、不具合がないかどうかを、ラデルとヴェルガードが感嘆の声を上げるほど手際よく調べた。満足がいくと、ラデルを(恐らく本人はそう認識していなかったのだろうが)顎で使ってアレンたちを呼んだ。
白墨で真っ白になった指を拭いながら待っていたレフは、陣について説明を始めた。
「わたしが陣に入る前に入ってください。行為者はわたしですから、わたしが所定の部分に入ることで陣が作動します」
「遅れたら置いて行かれるってこと?」
荷物をしっかりと握ってアゼナが尋ね、レフは普通の顔で頷いた。
「そうね。使用は一回だけだもの」
全員、そそくさと陣の中に入り、レフの指示を聞いてその場所に立った。レフは全体を眺め直してから、付け加えた。
「この陣は厩と繋げてありますので、あなた方の馬も同じ地点に出現するはずです。混乱して暴れた場合には対処をお願いします」
「ちょっと待て!」
ユアンとアレンが同時に叫んだ。
「出現するのは屋内じゃないだろうな?」
レフは首を傾げた。
「さあ」
さあって何だよ! と全員が思った。
「わたしが知っているのは、以前の王宮ですから」
おい本当に大丈夫なんだろうな、とアレンとユアン、アゼナまでが及び腰になった。しかしそれには構わず、レフが陣に踏み入った。
光景が捻れ、一箇所に吸い込まれたように見えた。代わって別の光景が目前に勢いよく迫ってくる。視界が暗くなり、全身が圧迫された。その光景に向かって身体が引き摺られていくような感覚があり、一瞬、意識が危うくなる。
次の瞬間、視界が晴れた。圧迫から解放されてレフを除く全員が大きく息をする。行為者だけあって、レフは平気な顔をしていた。ただ隣で大きな嘶きがしたのには驚いたらしく、さっと引いた。それから、周りを見た。
アレンたちもようやく顔を上げた。
辺りは騒然としていた。そこにいるのは町人の服装をした者たちではなく、絢爛な服を纏った貴族たちや、筒袖の制服を着た官吏たちであり、例外なく驚愕の表情を浮かべて後退っている。もっともそれは、混乱に陥った馬たちから身を守るためかも知れない。どうやらここは王宮の中庭の一つのようだった。人通りがそれなりに多かったのは不幸としか言いようがないが、アレンがまず思ったのは、ああ良かった外だった、ということだった。
「何者だ!?」
声が飛んだので、ここで捕まっては堪らないと、アレンは慌てて名乗りを上げた。
「アレンです!――あ、一月前に陛下に召喚されました、あの」
納得と困惑の色が辺りに浸透していった。レフは自分の周りを吟味し、アレンに向かって言った。
「――国王はどこです?」
アレンははらはらした。ここで不敬罪で捕らわれたのでは笑えない。必死に説得に当たった。
「堪えて黙れ。案内されるのを待て」
レフは溜息を吐いた。アゼナがその傍に擦り寄り、不安そうに目を伏せた。アレンはレフが常軌を逸した行動を取らないように注目していたため気付かなかったが、ユアンが気付いて声を掛けた。
「――どうした?」
アゼナは目を伏せたまま反問した。
「……あたし、どうなると思う?」
ユアンは眉を寄せた。
「どうって。特赦されたんだから」
アゼナは目を上げた。
「どうだか。詭弁は権力者の常套だよ。あたし、こそっと消えるかもだからね」
「消えるって、おい」
ユアンは力なく言ったが、アゼナは逆に力を込めて断言した。
「あたし、二度とあそこには戻らない」
アレン到着、いや出現の報せが届いたらしく、国王の使者の任を担った侍従が駆け付けてきた。指示系統も混乱しているとみえて、王宮付きの侍従の面子に懸けても認められないだろうが、微妙に目が泳いでいる。
「アレン殿、並びに仲間の皆さま、陛下がお呼びです」
アレンたちは歩き出したが、レフが動かないのを見て、アレンが引っ張った。
「おまえのことを含んで言ってるんだよ!」
ヴェルガードがぼそりと、「保護者……」と呟いた。アレンが睨みつけるとするりと視線を外す。
長い廊下を延々と歩き、階段を上り、謁見の間に入った。以前と変わってはいないが、居並ぶ衛兵たちの視線の集まり方が段違いだ。考えるまでもない、レフの影響だろう。際立った美しさに加え、王家に特有のものであるはずの銀色の髪だ。
やはりまだ国王は来ておらず、豪華な玉座は空だった。予想外だったらしく、レフは不思議そうにしたが、アレンを見て口を開いたところでアレンの「黙れ」という顔に気付いて、怪訝そうに口を閉じた。
前回と同じように玉座脇の扉から侍従が入って来て、国王の入室を告げた。アレンたちは全員が膝を突き、頭を下げたが、レフが動かない。
(嘘だろ――っ)
アレンは慌てて頭を上げ、レフに周りに倣うよう促したが、レフは確実に冗談だと思っている。下手に手を出してレフが機嫌を損ねてしまうと、簡単に謁見の間が消失してしまいそうだ。背筋を伸ばして立つレフに一気に注目が集まり、アレンは目の前が暗くなる思いだった。どうしよう、と一人狼狽え、顔を上げたままだったところに国王が入室した。
アレンは実刑を覚悟した。
国王は玉座までの階を上り、玉座に腰掛けた。それで初めて室内の異常事態に気付いて瞬きする。アレンは言い訳をするしかないと考え、口を開いたが喉が硬直した。それは次の瞬間に国王の面を覆った表情のせい、その、嵐の激しさを持つ驚愕のためだった。
国王トレゼート・シレウ・リアデルはその愕然とした表情のまま立ち上がり、間違いなくレフを――レフだけを見て声を震わせた。
「……リノ・アイゼルト――」
レフが息を呑んだ。何か言おうとして詰まり、それでもまだ言葉を絞り出そうとし、しばらくして、やっと囁いた。
「――そう呼んでくれて、ありがとう」
アレンは混乱しながらも素早く頭を下げた。リノ・アイゼルトという音には聞き覚えがある。〈記録〉でレフがそう呼ばれていた。しかし、国王がそう呼んだのだ、何か意味のある名前と思えた。
衛兵たちがどよめいた。思わず顔を上げると、国王が玉座を下りている。そのまま前に進み出ると、レフの目の前まで来た。レフは国王をまじまじと見ると、遠慮のない態度で尋ねた。
「あなたは何代目なの? エドリアルとは似ていない」
敬語を使え! と、全員が思った。しかし国王は気にした様子もなく答えていた。
「百二十三代目になります」
「敬語は結構。わたしはあなたとの――いえ、初代との盟約のために来たのだけれど」
敬語は結構、と言うのは普通、国王であるはずである。周囲は眩暈に襲われたが、レフは続けた。
「あなたはわたしのことを覚えていないと思っていた。けれど勅使が来たとき、存在は覚えてくれていたのだと思って嬉しかった。今、称号を呼んでくれて、とても嬉しい」
首を傾げて、彼女にしか意味の通じないことを呟いた。
「……報酬は払われた」
国王は一瞬不思議そうにしたが、すぐに温かく笑った。
「伝説の類と思って半信半疑だったのです。それが今、貴女がここにいて――これほどの奇跡はない」
心からの言葉のようだったが、レフは眼差しを曇らせて一歩下がり、真顔で宣告した。
「そう言ってもらえて光栄なこと。でも、わたしは帰りたいの。理由は置いておくとして、事情を説明させてもらえる?」
空気を読め……と、アレンは殆ど絶望しながら思った。国王も面食らい、語尾を上げる。
「帰りたい……?」
レフは頷いた。
「そうなの。理由を述べるわ。――機巧兵を一掃してあげたいのだけれど、命令系統が分からないの。それが邪魔でわたしが権限を行使できない」
「一掃は出来なくとも」
国王が食い下がった。
「貴女なら何か出来るに違いありますまい?」
レフが言い澱んだので、国王の視線はアレンに向かった。
「どうだ、アレン?」
アレンはレフのために嘘を吐く気はさらさらなく、きっぱりと言った。
「はい、陛下。それはもう大変なことが」
レフが傷ついたようにアレンを見たが、アレンは睨み返した。が、背後からの逆襲に遭って呻いた。
「畏れながら直言をお許しください、陛下。――アレンがその力の一部を使っております」
ラデルである。国王はその言葉を受けてアレンに目を向け、アレンは仕方なしに頷いた。
「えぇまあ……使用者だ、そうです」
国王が目を見開いた。アレンは思わずレフを見て、怒鳴りつけたくなった。レフの顔に、明々白々と、書いてあった――
「しまった」、と。
おいどういうことだ、陛下に筋を通さなければならないのだったのだとしたら、あの時おまえがさっさと王宮に転移していっそ陛下を使用者にしていれば良かったんじゃないか、と怒濤の勢いで湧き上がってくる言葉を、しかしアレンは慌てて留めた。もしもそうしていれば、ミリウィアまでは一日――レフが魔法陣を書く間――だけ掛かり、ミリウィアは助からなかった。
レフが慌てたように言った。
「使用者の変更は、できるけれど。あなたが使用者を希望してくれてもいいのだけれど、あなた自身は使用者設定には臨まない方が――」
(朗報、なのかな?)
アレンは思ったが、国王は静かに首を振った。
「いや……そうだな、元より一流の戦士であるアレンが相応しいだろう」
(俺はいつから戦士に、しかも一流なんかになったんだ……)
アレンは遠い目をした。
(しかも使用者としては三流らしいし)
背後でユアンが、笑いを誤魔化そうとして必死になっているのが分かった。国王はなぜか微妙な顔をしているレフを見て、恭しくその手を取った。
「リノ・アイゼルト。貴女が我が血筋との盟約を重んじてくれるならば、機巧兵を排す手助けをしてほしい」
レフが言い逃れようとしているのが分かった。余程帰りたいらしい。目を泳がせ、返事を保留していたが、やがて溜息を吐いた。そして、この上なく上質な声が硬い口調で言った。
「――盟約の拘束は絶対だから」
間違っても自分の意思ではないのだと言い含めるようだった。それから頭を巡らせて石柱の一つを見て、唇を歪めた。
「懐かしい、わたしの魔法陣が残っているけれど、起動は出来なかったのではない? いいわ、盟約に従ってまず、首都だけでも確実に守ってあげる」
レフが謁見の間の中央に歩を進めた。全員の目が彼女に集中する。レフはそこでゆっくりと回転しながら石柱を指していく。その様は古風な衣装と美貌と相まって、さながら女神が御自ら儀式を執り行うかのようだった。
石柱の戴く玉が輝いた。その輝きは光線となって玉のない石柱へと走り、そこで反射され、巨大な魔法陣が浮かんで煌めき渡り、消失と同時に天へと光柱が立ち上った。無音の鳴動を響かせて、首都を守る結界が立ち上がる。
国の最高峰の魔術師たちが反応すらさせられなかった魔法陣を、いとも容易く発動させた太古の姫君は、国王を見つめ、玉座に視線を移すと低く断言した。
「わたしがあなたの血筋に預けた王座だから、守り切らせてあげましょう」
レフェアイゼをひたと見据えてから、一国の最高の権を持つ王がその膝を突き、自らの頭を下げた。




