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五方の守護者  作者: 陶花ゆうの
1 記録の中の姫君
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記録の中の姫君

 アレンは焦った目で辺りを見回した。出発してから一日、感覚はここが五百セラ北方だと告げている。


「入口ってなんだよ!」


 アレンは苛立ちのあまり叫んだ。辺りは暁闇。広がる一面の荒野には、名前の分からない植物が細い茎をそよがせている。前方には影が溜まり、右手の空は刻々と明るさを増していた。荒野はアレンの叫びを風に散らし、何の変化もなく横たわっている。



 無駄だったのではないかという、恐ろしい考えが頭の中に膨れ上がった。



 ユアンが死んでしまう。アゼナもラデルもヴェルガードも、助からない。


「駄目だ……」


 アレンは呟いた。何の効果があるわけでもないと、分かっているけれども、それでも駄目なものは駄目なのだと、見えない何かに諭すように、繰り返し繰り返し。


「駄目だ……駄目だ……」


 辺りを見回しても、焦りが募るばかりで何の役にも立たない。



 右手の空が黒から藍へ、藍から群青へ、空色へ、白へ、可憐な薄紅へと色を変えていく。朱金に煌めき、黄金を帯びた真珠色に雲をたなびかせ、太陽が昇ろうとしている。


「……駄目だ……駄目だ……」


 アレンの呟きは嘆願に近くなっていた。精神は重みに耐えかねて軋み、腹に熱い石を入れられた気がした。もう全部投げ出して蹲りたいくらいに苦しいのに、それが許されないことが痛いほど分かっている。


 胸が苦しい。


 曙光が神々しいまでに白い(かいな)を地上に投げ掛け、中天が青く透けた。植物の茎が陰影を描き、さながら一枚の絵画のよう。




 アレンは目を疑った。



 先程まで前方に溜まっていた影、それが影のまま、立体的に地面から起き上がった形で、ぽつねんと残っている。しかし影を落とすようなものはそこにはない。


 馬の轡を引きながらそこに近付いた。


 影の表面はつるりとした個体を思わせる。そっと手を伸ばすと、抵抗なく腕が向こう側に突き抜けた。大きさは大体、アレンよりも頭一つ高い程度の高さと、家の戸口程の幅――。


 これが入口か? しかしこれでは中に入れない。


 アレンは裏側に回った。無意識にそうしていた。そして思わず笑みを零したが、それは、必死になったものが目の前にあるときの、限りなく感謝に近い表情だった。



「こんな処に」


 呟いたアレンの緑の目に、向こう側の穏やかな晴天が映った。



 空間に切り取られた扉の向こうに、薄紫を溶かし込んだような煙る晴天が広がっている。燦々と照る真昼の陽光に、風に吹かれて白く波立つ草原。その中に建つ、壮麗な建物がある。円筒形の高い建物だが、横幅が縦幅を大きく上回っているために高さが際立たない。この世に有り得べからざるほど真っ白な石の壁には汚れ一つなく、壁には唐草の、屋根には波状の、黄金の装飾が施されている。光を弾いて建物が輝いているが、窓はない。息を呑むほど美しい建造物――芸術品だった。




 アレンは中に踏み込み、懐から短剣を取り出して鞘のまま地面に突き刺し、それに馬の手綱を結び付けた。

「――ここにいるんだぞ」


 声を掛け、その建物に向かって歩き出した。


 建物の向こう側と、アレンから見て左右の方向に、アレンが入って来たのと同じような、明らかに別の空間と繋がっている入口が見えた。





 建物への入口は右手の方向にあり、建物が少し抉られて扉の上に庇を作っている。扉は両開きで、握る部分は黄金の(バー)、扉自体は木目の美しい木で枠が作られ、そこに厚く透明な硝子が嵌め込まれている。そしてその扉へ続く幅広の三段の階段の脇に、五つ目の入口があった。




 アレンは階段を一足飛びに上がり、扉を押し開けた。扉はどっしりと重い。



 中に入った瞬間、その暗さに目を瞬いた。それにこの――匂い。独特の、微かに甘い匂い。


 紙の匂いだ。


 目が慣れてくると、そこには重厚な磨き抜かれた木の本棚が、中央に向かって放射状に並んでいた。褪せてはいるが色とりどりの、大きさも厚さも様々な本の背表紙が並んでいる。数十、数百、いや……。


 アレンは足を踏み出した。足の裏が、毛足の長い絨毯に沈んだ。


 中央に向かってアレンは歩を進める。沈黙する本たちに見られているような、そんな気がして足を速めた。中央が見えた。明るい。それは天窓があるせいだった。




 アレンが足早に歩いても、中央に辿り着くには十数分を要した。







 本棚に囲まれた、その円形の空間の天井は吹き抜けになっている。天窓から燦々と陽光が差し込み、木目のはっきりとした、古い、大きな机をつやつやと照らし、その上の総玻璃の水差しが銀色に虹色に輝いた。それとは逆に隅に置かれているのは、黒色の袋が一枚と、象嵌細工のインク壺に鵞ペン、そしてアレンが今まで見たこともないほど、薄く白い白紙の束が各五組。机の周囲には、背もたれの高く反り返り、肘掛と座面に褥の敷かれた椅子が、等間隔に五脚置かれていた。



 そのうち一つ、アレンから見て左手の椅子に、銀髪の、完璧なまでに整った容貌の少女が腰かけていた。歳の頃は十七、八か。アレンが彼女に気付いた時には、彼女はとうにアレンの観察を終えていた。彼女は物を見る目でアレンを見て、アレンにではない誰かに向かって言った。



「――今、ここに来たわ」



 その声に匹敵する楽の音を、未だアレンは聴いたことがなかった。


 少女の声に答えたのか、無機質で平坦な男の声が告げた。

[確認。客人はリノ・アイゼルトの視認の範囲]


 アレンは思わず周りを見回したが、誰も居ない。



 少女が立ち上がった。古風な白い衣装が揺れ、その華やかな青い目が間違いなくアレンを見据えて煌めいた。

 少女は首を傾げ、眉を顰めて言い放った。







「どこから来たのか言いなさい。そこにただ立っているのでは役立たずなの」


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