姫君、決める
アレンははっとした。
「――お、俺はアレン。来たのはレイファから……あ、いや、アージェからになるのか」
少女は眉を寄せた。
「レイファ……?――位置を確認」
反射の速度で男の声が答えた。
[レイファ。アゼイラ南東部の小規模な町。人口およそ七百十三人、うち三十二人は機巧人、ただし流出が認められる]
少女は息を呑んだ。
「アゼイラ……良かった」
何が良かったのか、とアレンは思った。
「あ、それで」
アレンは用件を話そうとしたのだが、少女は聞いていなかった。
「アージェ、位置を確認」
[アージェ。旧名、アゼレルファ]
少女はそれで了解したようだった。
「首都、か」
「きみは」
アレンが言ったところで、少女は針で刺されたようにアレンを見た。そして訝しそうにした後で、宙を見上げた。男の声はしない。
「きみは誰」
アレンは語尾を上げずに言った。少女は真顔で訊き返した。
「わたしの名称を尋ねているのか、わたしの性質を尋ねているのか述べなさい」
アレンは眉を寄せた。
「……取り敢えず名称、だ」
「わたしはレフェアイゼ=リノ・アイゼルト」
少女――レフェアイゼは名乗った。そして、さっと動いてアレンの目の前まで来た。
「わたしから訊く。あなたは人間ね?」
「そうだよ」
アレンは苛立ってきた。しかしレフェアイゼは感知しなかった。
「そして特別な血筋でもない。なぜここに?」
「庶民で悪かったな。俺は陛下の命令で来て、今仲間が――」
レフェアイゼは遮った。
「アゼイラの国王が、わたしに会え、と?」
アレンは頭を掻きむしったが、レフェアイゼはその動作を不思議そうに見たのみだった。
「違う。〈記録〉に行って中にあるものを取って来いとの仰せで」
「それは恐らくわたしのこと」
レフェアイゼは、本人はそう認識していないようだがアレンを遮って、ごく自然な口調で言った。アレンは思わず声を漏らす。
「は……?」
レフェアイゼは淡々と言った。
「わたしが収集した情報を統合して考えるに、国王は機巧兵撲滅を望むでしょう。この〈記録〉にあるものの中で、その役に立つものはわたしだけなのよ」
アレンは思わず制した。
「どういう意味だ? きみ、そんな見た目ですごく強いとかなのか?」
レフェアイゼは己を見下ろした。
「わたしの見た目については姉が決めたものだけれど」
少し首を傾げると、極上の銀糸にも似た髪がさらりと揺れた。
「あなたがたが機巧兵を強いと仮定するならば、わたしはそれを上回る、と言えば分かる?」
この華奢な、絶世の美貌を備えた少女がそんなことを言う。俄かには少女の正気を疑わせる発言だが、アレンははっとした。
そんな可能性があるとすれば――。
アレンは唐突に降って来た確信を声に出した。
「きみ――、機巧人か?」
レフェアイゼは頷いた。アレンは呻き、一歩下がった。
「そう。ただし、他と同列に扱われるのは心外よ。わたしは最初の五人のうち一人、アイゼルトの一角なの。イリセの姉が機巧の盟主、わたしはそれに連なる者」
「最初の五人とか、アイゼルトとか、盟主だとかは知らないが、だとしたらすぐ来い」
アレンは問答を許さない声で言ったが、レフェアイゼは気迫を感じる能力が欠落しているのではないかというほどに、明らかに不快に思った様子で言った。
「あなたにはわたしに命令する権限はない」
「今仲間が危ないんだよ!」
アレンは叫んだが、レフェアイゼはむしろ不思議そうに尋ねた。
「それはわたしの不利益になること? それはわたしの守護国が傾くこと?」
アレンは絶句した。レフェアイゼからは一切悪意が感じられず、いっそ無邪気な印象を受ける。それだけに恐ろしいものがあった。
レフェアイゼはアレンの発言を待つ表情であり、アレンは必死に頭を働かせた。レフェアイゼをミリウィアに連れて行かなければならない。
「不利益にはならないかも知れない……けど、あんたは国王に会いに行かなくていいのか」
レフェアイゼは少し考え、アレンにではない誰かに声を掛けた。
「――確認、機巧兵への命令系統はやはりまだ?」
[不明。隠蔽の可能性濃厚。二千年前との類似を指摘]
それを聞いて、レフェアイゼは更に問う。
「機巧兵の数は?」
[探知中、――待機願う。――測定不能。概数を許可願う]
「構わない」
[およそ五万。うち三万は当万術の柱、入口付近にて確認]
レフェアイゼは眉を寄せた。
「どの入口に最も多い?」
[中央。およそ二万]
レフェアイゼはアレンには分からない言語で何か言ったが、口調から推して罵った様子だった。それから、続いて問うた。
「人間による撲滅の可能性は?」
[試算中、――待機願う。――その可能性は否定]
アレンは総毛立ったが、レフェアイゼは面倒そうだった。
「機巧人の生存の可能性は?」
[試算中、――待機願う。――半数の生存が見込まれる]
レフェアイゼはアレンに向き直った。
「じゃあ……」
じゃあ、じゃねえ! とアレンは叫び掛け、詰め寄ったが、アレンがレフェアイゼに掴み掛かるよりも早く、男の声が淡々と言った。レフェアイゼは憎らしいほどにどこ吹く風の体だった。
[警告、客人アレン。リノ・アイゼルトに危害を加えた場合、敵と見做して物理的制裁を加える。注意、リノ・アイゼルト。静観は貴女の交わした盟約に反する]
アレンはレフェアイゼを睨み据えた。
「盟約に反するんだと。とっとと来い」
レフェアイゼは欠伸でもしそうな声で確認した。
「確認。盟約はわたしが〈記録〉から離れることを義務付けているかしら?」
[否定]
おい! とアレンは内心で絶叫した。それでは意味がない。レフェアイゼは続けた。
「あなたのその仲間はどこにいるの?」
「ミリウィアだ、一日で着く」
レフェアイゼは宙に尋ねた。
「ミリウィアについて教えて」
[ミリウィア。アゼイラ北部の小規模な町。当万術の柱のリノの門、直近の町。歴史は新しく、創立七百三年。人口は四百二十七人。機巧人が五十人余り居住していたが、この一年で相次いで転居。当人たちの意思ではないと考えられる。現在の様子を探知、――機巧兵五十三機に包囲されている]
「分かるだろ、やばいんだよ!」
アレンは叫んだが、レフェアイゼは首を傾げた。それから、アレンには答えずに問いを重ねたが、アレンには理解できない詠唱の一部だと思われる言葉が混じっていた。
「わたしの【掃討波】の射程に入る?」
[計測中、――待機願う。――肯定。【掃討波】は到達可能]
レフェアイゼは頷いた。どことなく満足げだった。
「分かった。――そこの人間……えっと……アレン? 聞いての通りよ」
アレンは不機嫌に見返した。
「何がだよ? 何言ってるのか全く分からなかったっての」
レフェアイゼはますます面倒そうだった。
「機巧兵をミリウィアから一掃するの」
アレンは耳を疑った。
「ここから!?」
レフェアイゼは首を振った。
「ここからではさすがに駄目。リノの門からになるわ。ミリウィア近辺の機巧兵を全て破壊するの」
アレンの耳の奥で警鐘が鳴った。
「待て、それは――機巧兵だけを選択して、ってことだよな?」
レフェアイゼは不思議そうに首を傾げた。
「そんなことはさすがに出来ない。出来るなら以前だってそうしたわ。ミリウィアの町ごと破壊するの」
「何を言ってる!」
アレンは怒鳴りつけた。
「人がいるんだぞ! 分かってるのか!」
レフェアイゼは青い目を瞬かせ、アレンの反応を興味深げに見守った。
「何が問題なの。――これまでに」
口調が変わった。最上級の美しさはそのままに、一切の彩りを削ぎ落とした事務的な声。
「人間が謂われなく殺害した機巧人の数は千二百六人。機巧人が謂われなく殺害した人間の数は三百二人。差は九百四人。ミリウィアの人口は四百二十七人。数の大小関係は分かるでしょう?」
「は……?」
「わたしは確かに人間に助けられたこともあるけれど、わたしが大好きな人間たちはもうこの世にいない。だから彼らではない人間が機巧人を害してきたのならば、わたしは要請された責務を果たす過程でそれを正す。わたしにはその権利があり、そしてわたしにはもう、人を守る権利がない。わたしは何ももう守らない。――それとも、今の時代の人間に生きる価値があるとでも思うの?」
怒っているのでも責めているのでもない。まるで丁寧に状況を解説するような口調だった。アレンは思わず本音を零した。
「殺されて痛がる機巧人かよ。そもそもが機巧兵と同類だろうが」
レフェアイゼの表情が変わった。明らかに怒気を孕んでいる。彼女は顎を上げ、真っ向からアレンを見据えて不穏な口調で言い放った。
「一緒にしないで。確かに人間と機巧兵が、機巧人を模倣して作られたのは認めるけれど、同類なんかでは断じてないのよ。あんな無様なモノと混同しないで。機巧人は人間以上の情緒と知性を持っているの。あなた方のように鼠算式に殖えてはいかないけれどもね!」
「はあっ? 人間が模倣で作られただと? 逆だろうが」
レフェアイゼは怒鳴ったが、さながら弦楽器のような声だった。
「純粋な人間だっていることはいるわ。でも彼らに文明を教えたのはわたしたちよ! 三千年前の世の始まりに、わたしは立ち会っているの!」
それから、蟀谷を押さえて乱れた呼吸を整える。どうやら大声を出すのが久し振りだったらしい。
何を馬鹿な、と言い掛けて、アレンははっとした。
今の人間や機巧人では作れない万術の柱の中に独りでいる。己を機巧兵を上回るものだと断言する。――最初の五人のうち一人。
「おまえ……、三千年前からここにいるのか」
レフェアイゼは頷いた。その瞳の中から、激情が速やかに引いていっていた。しかし、大声を出したからなのか、声を出そうとはしなかった。
アレンは額を押さえた。信じ難いことだがここに、三千年前の遺物がある。しかも機巧兵に対処できるようだ。問題は、ユアンたちを無事救出できるかどうかだった。ここは嫌悪の感情を、一旦脇に置くしかなさそうだった。
「……分かった。取り敢えずその議論は脇に置こう。質問するから答えてくれ」
レフェアイゼは不承不承という雰囲気で頷いた。
「おまえは、機巧兵に勝てる?」
「勿論」
「やろうと思えば、ミリウィアの町も人も傷付けずに、機巧兵を一掃できる?」
彼女は押し黙った。古風な白い衣装の、垂れ下がる襞の胸の辺りを押さえ、眉を寄せ、考え込んでいる。アレンは焦った。
「出来ないのか?」
レフェアイゼは唇を噛んだ。
「――可否を問うならば――それだけならば――出来る」
「何が問題なんだ?」
レフェアイゼは顔を背け、後ろを向いて机の方へ歩み寄った。アレンも数歩、そちらへ踏み出す。
「……いくつか」
言って、レフェアイゼは机の縁を手でなぞる。ひどく落ち着かないようだった。
「わたし自身――わたし自身だと、恐らく威力が強過ぎる」
「え?」
「姉はわたしが対峙する相手を、第一世代の機巧人に設定し、更に戦闘色に於いては他のアイゼルトよりも強くしたの。だから本当に手加減しなくては、機巧兵を狙い撃ちには出来ない」
「……手加減、できないのか……?」
レフェアイゼは俯いた。先程怒鳴り声を上げた人物と同一人物とは思えない。
「……出来るかも知れないけれど、五分。わたしが実際に闘争状態に置かれたのは、二千年前が最後のことだから、勘が失われたと思う」
アレンは眩暈を感じた。
「――で、他の問題は?」
レフェアイゼは自分が座っていた椅子まで下がり、高い背もたれの横の部分を忙しなく擦った。
「……わたし自身で、外に出なくてはならなくなるの」
アレンはつかつかと机まで歩み寄り、剣呑な声で言った。
「それが、なんだ」
レフェアイゼは椅子の向こうからアレンを見た。
「わたしはここにいなくては……」
「何のためにだよ!」
アレンは何度目かに叫び、レフェアイゼは細い指をぴんと立てて周りを示した。
「ここにあるのは皆、わたしと姉たちが書き綴ってきた、この三千年間の記録。何よりも守って行かなくてはならないものであり、今はわたしがその任を一手に引き受けているの。わたしが離れて、ここが脅かされるようなことになったら……」
レフェアイゼは愁うように目を伏せた。アレンは力を込めて机の縁を握り締め、怒鳴りたいのを堪えた。
「あのな。機巧兵がここへの入口を破壊する可能性だってあるわけだ」
「それくらいなら処理してみせるわ」
レフェアイゼは背筋を伸ばし、その瞬間、彼女は姫君のように誇り高く見えた。
「あなたは理解しようとしていない。わたしたちがこの記録を作って、守ることに懸けてきた年月の長さや、わたしが毎日ここで、ずっと守ってきた重さなどを」
「その通りだが、おまえは仲間が死にそうな俺の気持ちが分かるのか」
その瞬間、レフェアイゼは痛ましげに目を細めた。アレンが――機巧人を人とも思わぬアレンが、覚えずはっとするような、そんな鮮やかな切なさの滲む表情だった。
「……分かりたくもないわ、そんなもの」
しかし彼女が綴った言葉は非情で、レフェアイゼは噛んで含めるように言う。
「わたしは、もう何も、守ったりはしないの」
「おまえは――!」
怒鳴り掛け、しかし自制したアレンは自尊心を捨てることにした。機巧人に縋らなくてはならない。そうでなくては、置いて来てしまった四人が死んでしまう。
「頼む。おまえは俺とあいつらを助ける可能性を持ってる、唯一の存在だ」
レフェアイゼはふいと目を逸らした。その横顔が如実に、興味も同情もないことを語っていた。ただ無関心というのではなく、助けることを考慮しないという顔。
ぞっとするほど美しく、超然とした横顔。その顔を見て、覚えずアレンは言葉を重ねていた。――機巧人に縋るなど、死ぬほど嫌だったはずなのに。
「頼む……」
その声の余韻が消えると同時に、あの平坦な男の声が告げた。
[リノ・アイゼルト。静観は盟約に反する。貴女の心情にも反する]
「分かっている」
レフェアイゼは呟いた。
「だから【掃討波】で」
[確認。それはアゼイラ国王の勅使によって拒否]
宙を睨み据えたレフェアイゼは、切り込むように言い立てた。
「そんなことは分かっているのよ。でもね、わたしはもう二度と、国を守ったりはしないと決めたのよ。――それともわたしに、起てと?」
[アイゼルトは自身の意思によって]
「わたしが動きたがっていると?」
[留意。貴女のための勅使が最後に貴女に対し発言した内容]
男の声は言い、レフェアイゼは髪を押さえて俯いた。
「ええ、そうね……。あの人はわたしのために願ってくれたわね」
[然り]
「それでも……、もう一つの問題が」
それからアレンに視線を投げ、ふと思い出したように、不思議そうに訊いた。
「アゼイラの国王は、わたしのことを忘れていると思っていたけれど」
レフェアイゼが傾きつつあることを感じながらアレンは答えた。
「確かにおまえ自身のことには触れなかったが、存在は伝わっているようだった。――完全に忘れたわけではなさそうだったぞ」
瞬間、レフェアイゼの左右対称の顔が歪んだ。彼女が唯一醜く見える瞬間だった。アレンは戸惑ったが、どうやら笑ったつもりのようだった。
「そう……。動きましょうか」
レフェアイゼは言って、宙に向かって声を掛けた。
「管理を任せていいわね?」
[御意]
レフェアイゼは背筋を伸ばして立ち、透き通る声で命令を発し始めた。
「アゼ、レナ、ゼア、イリセの記録を抽出しなさい。わたしの心盤に接続、情報の共有を図る」
アレンは固有名詞の理解が出来なかったが、レフェアイゼが出て来るということは理解した。安堵の余りほうっと息を吐く。
「リノ部分の防御壁を解除、出力の五割を他の区域へ均等に配分。剰余の五割を一割ずつ分割、各門に配分」
〈記録〉全体が淡く輝き始めた。上空で微かに空気を切るような音がする。本棚の間で軽やかな光球が幾つも生まれてそこを渡り始め、レフェアイゼは衣装の襞の間から両手を合わせたほどの大きさの、半透明に透ける平坦な長方形の板を取り出した。漂う光球が次々にそこに吸い込まれ、板がその度に燐光を放つ。
「なんだ、それ?」
アレンは好奇心に駆られて訊き、レフェアイゼはちらりと視線を上げた。
「これはわたしの心盤。機巧人と人間の違いは、心盤のあるなしと言って過言ではないけれど、初代の五人だけはこれが体外にあるの」
心盤が間断なく柔らかな輝きを放つ。
「何してるんだ?」
「情報を共有する。これが窓口になって、この外でもここにある知識が使えるように。リノの――わたし自身の記録は頭の中だけれど、他の四人のお姉さまの記録は膨大だから」
レフェアイゼは手元に視線を落とした。心盤はあるだけの光球を吸い込み終わり、元の状態に戻っている。
「……何のために?」
アレンは尋ね、レフェアイゼはこの上なく嫌そうに、しかし何かを期待するように言った。
「あなたを支援する」
「は?」
アレンは声を漏らし、レフェアイゼは溜息を零した。
「わたしの威力を抑えるにはこれしかないの。――あなたをわたしの使用者に設定します」




