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雨の冠  作者: 桃宮
4.美しき雨
21/103

9 バルコニー

 部屋に着いてから、私はブロット氏から受け取った紙切れを広げてみた。

 そこには走り書きのような筆跡で、何やら文字が書かれている。私は今朝と同じように文字表を手に、何とか一文字一文字を判別して小声で読み上げた。


「……今宵、月の、出たら……出る頃……? 露台、出る、べし、待つ」


 うーん。

 相変わらず間抜けな訳になってしまったが、まあいいや。意味拾えただけでも。露台ってバルコニーのことだよね。今夜月が昇る頃バルコニーに出て待て、って意味かな。出てどうするのかは謎だが、これの書き手が窓の下でも通るのかもしれない。

 で、それがブロット氏? 多分違うよね?

 文末に目をやれば、差出人の名前らしき文字があった。声に出して読んでみる。


「ミ……ナ」


 うん、あの人ですね。

 ブロット氏に伝言じゃなくてわざわざメモで託したのとか、こっそり渡してきた感じとかの割に、あんま偽名の意味なさそうな気がするけど。この名で連想されるのが特定の誰か過ぎる。でも私にも通じる名前となるとまぁこれしかないし、堂々と「アルス」と書くよりはマシかもしれない。


 さてそういう訳で、私は夕食後早々に寝室へ篭った。寝るには早い時刻だけれど、水読を起こしたという大仕事が知れているので、アプリコット達も怪しまなかった。

 で、月っていつ出るの。

 今夜は満月の次の次の晩だから……午後8時とか9時とか、そんなくらいかな? この辺は地平線にずっと山があるので謎だ。

 仕方がないので、窓際に椅子を運んでボーっと空を見ながら待つ。やがて山脈から欠けた月が顔を出し、私はそっとガラスの格子戸を開いて外へ出た。夜空は快晴で、ぬるい夜風が気持ちいい。石の手摺りに両手を乗せ、澄み切った月光を浴びる。


「――ミウ」


 空や森を眺めていると、背後から小さく呼ぶ声がした。少年らしい少し甘いそれは予想通りの声だ――けど、そこから掛かるとは聞いていないぞ。

 まさか、と振り返れば、なんと部屋の屋根というか壁の上にアルス王子が居るではないか。なんでそんなとこに!?

 この部屋は4階で、上は見張り用の屋上だ。彼はその屋上の手摺りを越えて、通路ではないこちら側へ降りていた。しかも、わざわざ持参したらしくロープっぽいモノをしっかり仕込んでいる。……ちょっと、やんちゃ過ぎやしませんか。仮にも王子様でしょう。


 唖然としていると、アルス王子はロープと壁の凹凸を頼りにひょいひょいと壁を降りて来た。結構手馴れていて、様になっているのが謎だ。どこで覚えたんだろう。

 そしてあっという間に私と同じ場所へ降り立つ。この城、結構ザル警備である。


「大丈夫だ。この上は顔の知れてる奴しか入れない」


 彼は無造作に服で手の平を払うと、なんとも言えない顔をしているであろう私に言った。それは良かった。けど、あなた。


「謹慎中じゃ……」

「ああ。あと5日残ってる」


 声を顰める私に、アルス王子は何でもないことのように答えた。見張りとかいないのかな。どうやって誤魔化してきたんだろう。


「じゃあ、部屋から出てきちゃ駄目じゃないですか。しかもこんな……」

「でも、」


 小言のような私の言葉を、彼は思わず、という素振りで遮った。


「……お前に礼を言えって、レオが」


 ……いやそれ絶対、謹慎明けてからの話だよ。

 お礼というのは、彼の助命を申し出たことについてだろう。


「それでわざわざ来てくれたんですか」

「まあな」

 

 ぶっきら棒な返事に、私は呆れつつも笑顔で答えた。律儀だなあ。それくらい、あの紙切れに一言書いておいてくれても良かったのに。でもまあ、わざわざ出向いて貰って嫌な気はしない。


「それで、だから……」

「はい」

「だから…………」

「…………?」


 アルス王子は幾らも言わずに横を向いて黙ってしまった。

 どうした、お礼を言いに来たんじゃないのか。

 怪訝に思ってその顔を見ても、そっぽを向いたまま頑なにこっちを見ない。私はそこでやっと、彼が照れくさく思っているのに気付いた。なるほど、そうだよね。この子あんまり日頃から人にお礼とか言ってる感じしないもんね。


「……どういたしまして?」

「まだ言ってない」


 助け舟のつもりで先回りしてみたが、お気に召さなかったようだ。案外真面目だな。踏ん切りが着かない様子をしばし見守っていると、ようやく整理が付いたらしい。彼は短く息を吐いて、不意に顔を上げる。


「ミウ」

「はい」

「…………」


 一度はしっかりかち合った青くて大きな目は、やっぱりすぐに逸らされた。シャイボーイか。代わりに、ごく小さい声でその言葉が告げられる。


「……ありがと」

「…………」


 やっべ可愛いな! えらいね! よく言えたね!!

 そう叫んでその頭を思い切りよしよし掻き回したい衝動を、私はどうにかこうにか必死に抑える。流石にそれやったらブチ切れられるだろう。反抗期真っ盛りのお年頃だし。

 しかし拗ねたような口調と表情は明らかに照れ隠しで、見た目と合わさると子猫ちゃん風味だし、やっぱり普段言い慣れてなさそうな絞り出したようなお礼には、気の強い生意気な子が頑張る「初めてのおつかい」的な感動がある。微笑ましい。録画して全国放送するべきだ!


「……なんだよ、黙るなよ」

「あ、すいません」


 ニヤニヤ見守る私に、アルス王子は大変気まずそうだった。私はすぐに、うわーよく頑張ったねー、じゃないや、どういたしましてこちらこそ、と返した。


「アルス王子って、甘え上手を目指した方が断然人生楽になると思いますよ」

「はぁ?」

「可愛いは正義ってことで……」

「……お前それ、まさか俺のこと言ってんのか」

「あはは」


 笑って誤魔化すと、彼はげんなりした顔で溜息を吐いた。すごい嫌そう。でも嫌そうな感じが可愛さを倍増させているのがなんとも皮肉だ。世の中には可愛いと言われて喜んでみせる小賢しい少年も多いだろうに、この人はその逆のタイプなんだね。まあ分かってたけど。ていうか怒るかなと思ってたけど。


「……まあ、いい。今回は見逃してやる」

「どうも」


 ありがたや。

 さて、経緯とルートはアレだがお礼を言いに来てくれたというのに、あんまりからかって機嫌を損ねては申し訳ない。

 茶々を入れるのはこの辺にして、ニヤニヤがせめてニコニコに見えるよう努力していると、アルス王子も気を取り直したように話題を変えた。


「それよりお前、水読起こしたんだってな」

「あれ、もう知ってるんですか」


 謹慎中なのに情報早いな。


「すげーじゃん。……本当に“泉の乙女”だったんだな」

「なんか、はい。そうみたいです」


 “泉の乙女”なのは確か、「体だけ」とか言われた気がするけどね。


「どうやって誤魔化そうって思ってたのに、結構あっさり上手く行って拍子抜けしてます」

「だな。ま、いいんじゃねーの」

「ですよね、結果的には……あっ、そういえば水読さんが、アルス王子が功労者だって言ってましたよ。あとなんか、居てくれると助かるって」


 私は思い出しついでに、水読に言われた事を伝えた。アルス王子にも、引力とやらがあるとか言っていたはずだ。


「は……? なんだそれ」

「うーん、よくわからないんですけど。ともかく、私もアルス王子が無事だと嬉しいので、どうぞずっと元気でいてください」


 あちらの世界のためにも。

 ……あ、そういえば水読に帰る方法聞くの忘れたな。明日聞かなきゃ。いやーしかし、命の心配がクリアになって本当に良かった。後は向こうに帰れれば万事オッケーだ。


「な、何だよ急に」


 内心で脱線していく私に、少し持ち直していたはずの彼は再び目を瞬かせ狼狽えていた。ん、また照れてるな。頬が少し赤い気がする。多分基本、褒められたりお礼言われたりすると恥ずかしいんだろう。それってつまり、それ程そういう温かいやりとりに慣れていないって事じゃ……だとしたらちょっと悲しいなあ。よっしゃ、ちょっと突っ込んでみるか。


「アルス王子こそ、何でそんなに慌てるんですか」

「別に俺は……! いや、その」


 狼狽える目をじっと見つめ、半歩距離を詰める。


「……あんまり近付くな」


 ちょっと引かれた。うん、いいな。

 この前はこっちが翻弄されたが、今日は割と歳相応な反応が返って来てなんか嬉しい。人間同士のやりとりって感じがする。あと今日の昼間、この人のお兄さん達には通じなかった感覚が共有できて少し溜飲が下がったっていうか。素晴らしいよね、常識的なパーソナルスペース。

 地味にストレス解消をする私に、それとは知らないアルス王子がぼそっと言った。


「……俺に生きてて欲しいって言う奴、滅多に居ないから」

「…………」


 私のお気楽思考が一瞬でしんみりする。そうか……それは、うん。下らないことでからかってごめんね。あと、こっちの損得勘定入ってて。


「でも、王様はあなたの事を大事に思っていますよ」


 せめてものフォローに加えると、アルス王子は「知ってる」と小さく返した。


「湖から帰ったあと、張り倒された」

「ええ!?」


 な、なんだってー!?

 まさか、あの神々しい佇まいでビンタされたの? 迸る威圧オーラはもちろん増し増しで、口元の微笑みは消滅、目は明らかな怒りに燃え……ってこ、こえええぇ……!! 

 想像だけでひっくり返りそうになりながら、私は「そうなんですか」と辛うじて相槌を打った。あの人の怒り顔マジ怖い。なんせ笑ってても怖いのだ。塩湖白骨死体事件の次に恐ろしい絵をイメージしまったかもしれない。

 そう思うと、アルス王子凄いな……私なら、もしそんなことされたら、例え体へのダメージがゼロだとしても余裕でショック死できます。

 一人でブルブルしている私に、アルス王子は思い出したように尋ねた。


「そうだお前、クラインには会ってないだろうな」

「……あ」

「バカ、会ったのか!?」


 あああ、あんまり大きな声を出すと人が来そう。きつく問われ、私はボリュームを下げて答えた。


「いえ、会ってません。ただ」

「ただ?」

「手紙と、お花を頂きました……」

「…………」


 告げた途端、アルス王子はむっとした表情で口を噤んだ。傍目にも機嫌が急降下して行くのが分かる。……いやそんな理不尽な。私が要求して貰ったわけじゃない。まさか本気で、クラインの名前が出ただけで不機嫌になるレベル?


「返事は」

「してません」


 ピリピリした空気を退けようと即答したが、機嫌が戻る気配はない。


「……あ、あのもしかして、したほうが?」

「はぁ!? しなくていいに決まってんだろ。するなよ、絶対」

「は、はい」


 迫力に押されて頷く。さっきまでラブリー一択だったのに、強い口調で言われるといきなりおっかない。さすがあの王様の弟なだけあるな……既に見て取れる片鱗に妙に感心する。

 見た目も今でこそほぼ私と同身長だけど、これでもっと上背が伸びたら、普通に子猫風味とか抜けちゃうんだろうな。タイガーになれるぞきっと。せっかく可愛い見た目なんだから、出来ればずっと今のままで居て欲しいけど。

 不純な動機で成長停止を願われているとは露知らず、アルス王子はクラインに接触するなと繰り返し念を押した。初対面ではあんなに攻撃的だったのに、今ではすっかり身内扱いである。わかった、わかったと都度返事をすると、ようやく納得できたのか、突然話の矛先が逸れる。


「……お前、花とか好きなのか」

「へ? 花ですか?」


 そりゃ、好きは好きだけど。


「でもまあ、柄じゃないですよ。花より団子って感じで」


 特に『お花だーいすき』みたいなキャラでもないので、茶化して返すと、アルス王子もちょっと意地悪そうに鼻で笑った。おお、それね。見覚えのあるモードだ。


「ま、それもそうだな。お前は菓子でも食ってろ」

「はい」


 大人しく頷くと、彼は幾分満足そうに表情を緩めた。よかった、機嫌は戻ったらしい。


「……じゃ、戻る。あんまり部屋空けてるとバレるから」


 立ち話に沈黙が落ち、どことなく解散の気配が漂い出した頃、アルス王子は壁の方へ向かって行った。一応、バレない算段はあるらしい。何となく、あの王様には何もかも把握されてそうだけど。


「あ、ちょっと待ってください」


 私は、ロープに向かう彼を引き止めた。一つ試したいことがあったのだ。


「何だ」

「手を握ってもいいですか?」

「……は!?」


 大げさなほどぎょっとしているアルス王子の片手を、返事を待たず取り上げる。そしてしっかり握ってみる。……あれ、やっぱりなんともない。


「お前、何……」

「すいません、もうちょっと」


 片手だからかな?

 私はその手にもう一方も添え、両手でぎゅっと包み込んで目を閉じた。その内面に何か無いか、意識を集中させる。


 アルス王子は王族で、しかも水読は、微量とはいえ何らかの力があると言っていた。だからあの王様の手みたいに、何か圧力のようなものを感じるのではないかと思ったのだ。塩湖の帰りでは何ともなかったけれど、今はその力の感覚を知った後だから感知できるかもしれない。

 しかしやはり、どれだけ意識を向けてみても彼からは何も感じとれなかった。あれは王様に限った現象なんだろうか、もしくは水読に触れている間だけの話か。今はせいぜい、手の持ち主の動揺が伝わってくるだけだ。ていうか何で今さら動揺する。この前は手なんて繋ぎっぱなしだったし、そっちから言い出したくらいだったし。


 そう思いつつ目を開けたら、何故か私の両手の上に彼のもう一方の手が加わろうとしている所だった。

 視線に気付いた途端、触れる前に素早く引っ込められる。


「え、何ですか」

「な、何が! お前こそ何だよ!」

「いや、ちょっと確かめたいことがあって。嫌でした?」

「……べ、別に、嫌とかそういうんじゃ」

「よかった」


 まあ、嫌って言われてもスルーする気だったけどな!

 アルス王子は、やはり少し赤くなって気まずそうだ。多分、命令したり主導権を握るのは慣れてるけど、その逆には慣れないんだろう。ぱっと見も今は普通に照れてるな、くらいに見えるけど、もしかしたら内心は結構困惑してるのかもしれない。

お陰で、これまでは若干残っていた夜の森での大人びた印象が、完全にどこかへ行ってしまった。でもこのくらいの方が年齢的には健康的な感じするし、いいか。


「戻る」

「あ。はい」


 パッと手を離すと、アルス王子は仏頂面でそう言って来た時と同じように壁際へ踵を返した。ロープを軽く掴む。あ、帰りもやっぱそこから戻るんですね。

 おやすみなさい、と声を掛け私は見送る体勢に入るが、彼は何故かすぐには壁を登らない。

 まだ何かあったのか?


「…………いや。また来る」


 私をじっと見た後、アルス王子はふいと目を逸らし壁の石に足を掛けた。月夜に城の壁登りをする少年、しかも王族。シュール過ぎるだろ。


「もう壁から来ちゃ駄目ですよ」


 ヒョイヒョイと半分くらい上った所で振り返った顔には、何となく不服そうな色があった。この子、またこのルートで来るつもりだったな。


「お願いします。危ないことしないでください」


 更に重ねて言う。

 いや正直、ロープを伝っての登り降りは本気でお勧めできないし。この前のあなたの結び目、緩かったからね。せっかく処刑回避したのに城壁で忍者ごっこして転落死、あげく日本沈没とか笑えない。

 懇願する私に、アルス王子は何だか変な顔をしてボソッと言った。


「……次は扉から来る」

「はい」


 そう残し、彼は無事屋上へ消えていった。登り切った後、手摺りの向こうからちらと寄越された視線に、私は片手を振って応えた。


 その数日後、私の部屋に花を象った綺麗な砂糖菓子が届けられたのはまた別の話。


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