10 火と水の関係(1)
さて、水読を起こした日の翌日……の翌日、の翌日。
三日ぶりのその日になってようやく、塔を訪問する許可が出た。
その間私は、王様にも水読にも面会することは叶わなかった。
こちらはそれこそぽっと出だが、地位のある人達は色々と大変らしい。二人は立場こそ違えど言わば国のツートップ、処理しなければならない仕事が山のようにあるという。まあ、この状況では当然だろう。
ひたすら待機命令が下された三日間、雨はいいのかと私の方が心配してたんだけど、水読の手が空かないというのだから仕方ない。
水読はこの前言っていた通り、「この国全土の水を元の水位まで戻す」という莫大なスケールの仕事を優先で行ったようだ。その証拠に、水読が起きた翌日には王宮の中庭や城壁の水路に透き通った水が溢れるようになっていた。目にする人々は明らかにホッとした様子で、私に対して焦りや切望が滲む目を向けることも無くなっていた。お陰で気が楽だ。
では早速、塔へ向かいますか……。
私は書き机の引き出しに、いつか見たのと同じ白い封筒をしまう。
クラインからはあの日以来、二通目のカードが届いていた。マーガレットのような可憐な花が添えられたそれには、相変わらず美しい丁寧な字で短い文が綴られていた。返事を求めるような雰囲気は一切無く、ただ私の体を気遣う言葉と水読を起こしたという旨への賞賛、そしてそれによる気候の微細な変化だけが書かれている。一応、サニアに読んでもらったから間違いない。
私は引き出しを閉めると花を摘んで立ち上がり、ベッド脇の花瓶にそっと挿した。そこには既に、最初に彼から貰った桃色の花が活けられている。もう随分褪せてしまったが、この花のお陰でここ数日、寝室には甘く爽やかな香りが漂っていたものだ。
花びらの開いてしまったそれと、新たに加わった小さな一輪。双方を複雑な気持ちで見やり、溜息をつく。私は今朝この花が届く前、そろそろ花瓶を片付けるか尋ねるリコに否と答えたのだ。
もう少し。もう少しだけ。
何かに言い訳をするように、心で呟きながら部屋を出る。
萎れかけた花に対してだけではなく、送り主への感情だ。クラインが悪い人だなんて思えない。
ついこの間アルス王子から散々釘を刺されたというのに、私はいま一歩踏ん切りの付かない自分に戸惑っていた。
塔へ着くと、いつもの様に石段を上った。大分慣れた通路だが、目的地はこれまでよりも一つ分下の階となる。
塔は石造りの不恰好なウエディングケーキのように、下から段になった円筒状の建物だ。1階部分は広くて廊下で城と直結しており、2階までその大きさ。ここに神官達の食堂や講堂、資料室などの施設があるらしい。3階、4階は幾らか建物が狭まり、渡り廊下で城とつながっている。全貌はまだ見せてもらっていないが、会議室や高位神官の部屋は恐らくこの部分だろう。
そして4階の上からは更に直径が小さくなり、まさしく「塔」という趣で最上階の水晶の小部屋まで、延々と壁に沿って螺旋階段が続く。あの小部屋は“祈り場”だそうだ。水読の住居はそのワンフロア手前にある。
因みにこれが塔の全てかといえば、そうではない。
塔の最下部は城よりずっと下にある。城や塔の建っている土地の端は崖になっているが、塔は崖っぷちに建てられていて、崖の側面を覆うように建物が続いているのだ。
中には、崖の側面に直接掘り出された石の階段が、崖下までずっと繋がっている。それ以外の建物スペースは、神官や塔兵の寮だそうだ。
そして階段は崖下から更に地下へと続き、その最下層があの地下の泉だ。
最近は見に行っていないが、塔の祈り場と泉を往復していた頃は私、連日中々の運動量をこなしていた。体力作りの為に、今後も許可が出たら往復するべきか。
考えている間に、水読の部屋の前までたどり着いた。
ドア横のベルを鳴らすと、内側から扉が開けられる。私は護衛の人達をドアの手前に残し、中へお邪魔した。
水読は相変わらず、白くて裾や袖の長い独特の装束を着ていた。いつも下ろされていた髪だけは、緩くひとまとめに括られている。
「ようこそいらっしゃいました。そこへ掛けてくださいね。お飲み物をお出ししますから」
にこやかに言う水読に従い、私はこの前の広いソファに腰掛けた。
窓を大きく取っているだけあって、この部屋は明るいだけじゃなく涼しかった。風がよく通る。カーブした窓の外には同じようにベランダが付けられている。それなりに高い場所なので、外はさぞや見晴らしが良いだろう。
「あの日以降、体調に変化はありませんか?」
広い長机に用意されていたティーセットからお茶を注ぎ、水読はグラスを手渡しながら隣に腰掛けた。私はそれを受け取りつつ頷く。勧められてお茶を口にすると、甘くて驚いた。砂糖じゃない。甘茶みたい。
不思議な味をちびちび味わう私の髪に、不意に水読が手を伸ばした。突然の事にビクッとすると、向こうこそ驚いたように「すみません」と言った。この人すごく静かに動くので、気付かなくてびっくりする。
「素晴らしい髪ですね。これは元からですか?」
「いえ、こちらに来てからこんな風に。元は、色は一緒ですがもっと普通でした」
「なるほど。きっと、こちらの水が回ったんですね。これはとても“泉の乙女”らしいです」
水読はそう言って、手で何度か私の髪を梳いた。ちらりと伺うと、ふふ、と微笑みを返される。
……嫌では無いのでじっとしていたけれど、何となく気まずい。水核では確かに、こんな感じだったけど。
「あ、あの、雨……」
いよいよ耐え切れなくなり、頃合いを見計らって切り出すと、水読はにっこりした。
「ああ、そうでした、すみません。ミウさんが、あんまり可愛らしいので」
「か、かわ……!?」
笑顔で言われ、大いに動揺する。髪の色が珍しいとかは、いくらでも褒めて貰って構わないんですが……。
「では、ちょっと失礼しますね」
水読は以前のように私の両手を取り、さらっと顔を近付け額を合わせる。ぎゃあ、そうだ雨を降らせるってこうだった!
あまりの緊張で固まる私とは裏腹に、水読は至近距離でもリラックスした様子だった。何かを読み取るように、瞳を閉じてじっと黙っている。
「……アルス殿下と接触しました?」
「え!? は、はい」
間近で聞かれ裏返った声で答えると、水読は顔を離し、不思議な色の目に私を映し瞬く。
アルス王子と接触って、もしかして今の額くっつけるので分かったの?
「そんな事が分かるんですか……?」
「何となくですけれどね。“蓄え”が増えていますから。これなら雲を呼べそうです」
「そ、そうなんですか……?」
やっぱり水読は、今のやり取りで何か察する力があるようだ。
そういえば前は確か、「空に干渉できる力が足りない」と言ってたよね。アルス王子と接触したことで、それがクリアできたという事だろうか? 手に触れても、何も感じなかったけれど。
「ミウさんの体は前回お話しした通り、火と水両方の影響を受けます。具体的には、それぞれの力を備蓄する性質があるんです。勿論貯めこむ一方ではなくて、自然に出入りはしますが。雨を降らせるなら、アルス殿下は最適でしたね。少しで済みます。国王陛下だと逆に、強すぎてちょっと」
「はあ……」
とりあえず、気まずさを無視して頷く。水読の言う事は毎度謎が多い。でもこれだけは言える。某城壁クライマーよ、この前の脱走事件は確実にバレるぞ。
その後もう一度額を合わせ、「雨を呼ぶ」という儀式をこなした。
おでこをくっつけ両手を握ったまま、水読はしばらくの間じっと黙っていた。私も仕方がないので観念して目を閉じ、水読の呼吸に合わせてゆっくり息を吐く。落ち着いた相手のリズムに集中していると、気まずさとか緊張が幾らかマシになると発見したのだ。
「――はい、お疲れ様です」
その後、水読がそう言って顔を離した。私も目を開ける。手を握られたままなので、まだ向かい合わせだけど。
「これで雨が降りますか……?」
「ええ。ですが、早くて今夜から明日の夜頃になると思います。今は、日が少し強すぎますね」
「日、ですか?」
「そうです。元々、雨が降らない原因は水ではなくて、太陽の方なんですよ。水位が下がったり私が眠ったりしていたのは、地下の水漏れのせいですが、雨はそもそも水読の能力で操るものではありませんから」
私は首を傾げた。旱魃と聞いて、てっきり全ての原因は同じだと思い込んでいたんだけど。
「それってもしかして、“呪われた太陽”っていうのですか……?」
思い当たった嫌な単語が、思わず口から飛び出してきた。
太陽。呪い。
やはり雨が降らない原因は、彼らにあるのだろうか。恐る恐る訊く私に、水読は首を横に振った。薄水色の髪が揺れ、美しい光沢を辺りに振り撒く。
「いいえ。実のところ、クライン殿下やアルス殿下はあまり関係ないですね。寧ろ、問題があるのは……」
「あるのは……?」
「国王陛下です」
「えっ」
予想外の答えに、私は目を見開いた。




