〈21〉ヒューマンイノベーション
「少子化と過疎化は比例する」
そう言ったのは七十過ぎの大物政治家だった。
その真意は物価や賃料の高い大都市に人が集中すれば、当然、経済力がなければ家族をもつことは出来ない。ましてや子供をもうけ、育てるなんて夢のまた夢。
子供は育てるだけでお金がかかる。
では、それに必要なのは何か?
〈余裕〉
大都市では生活するのに精いっぱいで暮らしに余裕が持てない。
東京や大都市で暮らしに余裕がもてるのは一部のお金持ちにしかいない。
一部と限定されるようでは少子化は止まらない。
誰もが余裕を持って暮らせる社会にならなければ、とても少子化に歯止めがかかるとはいえない。
政府がどんな政策を打ち出しても人々が大都市集中、一極集中している限り、焼け石に水。
せいぜい既得権益層を肥えさせることしか出来ない。
〈少子化と過疎化はセットで考えなければいけない〉
地方に人が分散する政策を打ち出さなければいけない。
地方なら都会より物価も賃料も安い。
大都市でもらう給料と同額の給料が地方でも頂ければ生活に余裕が生まれる。
余裕を持つことが出来る。
余裕を持つことが出来れば、子供をもうけるということを現実として考える余裕も生まれる。
余裕こそが脱少子化の一歩。
しかし、地方には収入源となる仕事がないという弱点がある。
そのためには企業にも積極的に地方に、特に過疎化地域に進出してもらう。
そのために国は地方進出した企業に恩恵を与える。
それと一緒に大物政治家が提唱したのが世代別人口移動である。
企業にも家族を持とうと考えている人や子育て世代、そういう世代を大都市だけで雇用するのではなく、積極的に地方で雇用し、余裕をもって暮らせることを促し、人口移動させる。
物価の安い地方で暮らせば金銭面でも豊かになれる。暮らしに余裕がもてる。
つまるところ、余裕がなければ何も出来ないのだ。
暮らしに余裕を持てる社会を作る。生き方を作る。
過疎地には子育てをする世代が移り住み、子供が親離れしたら移動し、また子育て世代が移り住む。
決して定住を求めず、世代を循環させる。
世代にはそれぞれ適正居住地がある。
人は自分に合った適正居住地に移り住むような考えを国民一人一人が持つようにイノベーションする。
それこそが脱少子化になり脱過疎化に繋がる。
まさに革新的構造改革。
そこから連想するように生まれた言葉がある。
〈ヒューマンイノベーション〉
一人一人が斬新かつ革新的な考え方を身に着け、それに順応できる人間が社会を変える。
その大物政治家の考えに官民問わず、日本を変えようとする人々が集まり、ヒューマンイノベーションという言葉がそのまま政策グループの名前になり一大勢力を築いた。
勿論、この大物政治家の提唱を「絵空事だ!」「机上の空論だ!」と嘲笑するものは大勢いた。
大物政治家はその者たちに向かって言った。
「絵空事も見れない世の中では何も変わらない。理想がなければ、理想の現実は生まれない」
それはヒューマンイノベーションに参画する人々を鼓舞するために言った言葉でもあった。
大物政治家は国民に向かっても発言した。
「中流階級以下でも地方に行けば上流階級並みの暮らしが出来る。都会では生きるだけで精一杯だった人生に余裕をもって豊かに暮らせる地方があれば人生をカスタマイズすることが出来る」
それを聞いた国民の中には大物政治家のビジョンに希望を見出す者も多かった。
ヒューマンイノベーション、世代別人口移動、暮らし方改革、余裕、という言葉が流行語にもなった。
なかには一極集中をもたらす東京を東京悪と呼ぶ者もいた。
このころ国民は確かに政治に関心を持ち始めた。
その大物政治家こそ、みをりのお祖父さん、今、夏樹の目の前にいる犬飼猛堂、その人である。
しかし、それは七年前。
夏樹が思い出せないのも無理はない。夏樹が十五歳の頃のことだ。
では、なぜ猛堂がこの地で世捨て人のような暮らしをしているのか?
ヒューマンイノベーションの勢いは長く続かなかった。
ヒューマンイノベーションに参画する一人の官僚が政治体制を変えるべきと提案した。
通信が発展した今、政治家という仲介人を介さない政治を提唱した。政治家を十分の一に削減するという大胆な提案をして猛堂に気に入られた。
通信が発展した今こそ民意がダイレクトに反映する行政に転換できると。
首相と国民の対話型政治が実現できると。
荒唐無稽に聞こえるが、理想があるから理想の現実が生まれる、をモットーとしている猛堂はその若い官僚を称賛した。
若い官僚もまた猛堂を心底、心酔していた。
その若い官僚に猛堂の息子で代議士の犬飼勇人が近づいた。
勇人もまた父、猛堂が率いるヒューマンイノベーションの一人として参画していた。
勇人は若い官僚に言った。
「父はあなたのことを高く買ってる。あなたのような若い人が日本を引っ張っていかなくてはいけないと常々言っている」
「そう言って頂けるなんて、嬉しいです」
「私も同意見だ。今の政治は大物と呼ばれる年寄りの許可なくしては何も進まない。代議士をしている私がいうのだから間違いない」
「そうですね。端から見てもそう見えます」
「それにあの大御所たちは、一体いつまで政治家を続けるのか? 政治家は終身雇用ではない。そうは思わないか?」
「そう思います」
「引き際の知らない爺さんが多すぎる。そこでどうだろう。政治家の定年制、ないし年齢制限を導入しては? そうすれば若い議員がもっと政治の前面に立つことが出来る」
「若い人が必然的に政治を動かすということですね」
「そうだ。そのためにはまず引き際の知らない爺さんに退いてもらわなければならない。この定年制を引き際の知らない爺さんの花道にしてやればいいと思わないか?」
「いいですね。きっと猛堂先生も賛成しますよ。提案なさってはいかがですか?」
「実はそこがネックなんだ」
「といいますと」
「定年制を提案すれば父は間違いなくそれに引っかかる。息子の私が父に引退してくれと言うのは正直、言いにくい。しかも嫁の父も代議士だ。父と同世代で定年制に引っかかる。二人の父親に引退してくれは私からは言えない」
「なるほど。鬼塚先生も犬飼先生と同世代ですからね。確かに言いにくいですね」
「そこでどうだろう。この提案を君の提案として父に言ってみてくれないか?」
「私がですか?」
「父は君のことを高く買っている。きっと君の意見なら父は受け入れてくれると思う」
「それって議員辞職を促すってことですか?」
「君の意見ならきっと自ら進んで引退するだろう」
「なんか、荷が重いですね」
「提案するだけ提案してみないか」
若い官僚はしばらく考えてから答えた。
「わかりました。私から言ってみます。若い議員が政治の前面に出てくることは決して悪いことではないと思います」
「やってくれるか」
「はい!」
「私も賛同してくれる議員に声掛けをするから。ヒューマンイノベーションをまず日本の政治家から浸透させていこうじゃないか!」
「はい」
そして若い官僚は猛堂に提案した。
「いいじゃないか。私のような年寄りの想像する未来ではなく、君のような若者が想像する未来を作るんだ」
猛堂は快諾した。
猛堂は自分と同世代の議員に声掛けをして、自ら手本になり議員辞職した。
しかし、猛堂に賛同した同世代の議員は猛堂に追随しなかった。
猛堂一人だけが議員辞職した。
明らかに猛堂は裏切られた。
そして裏切りの人を引いていたのは勇人だった。
勇人は妻の父でもあり党の重鎮である鬼塚将司から圧力をかけられていた。
鬼塚は猛堂の発言に危機感を感じていた。
そして、娘婿の勇人に猛堂を排除するように命じられていた。
「君が我が党で頭角を現すための最初の試練と思え」
勇人はやるしかなかった。
勇人は猛堂が気に入っている若い官僚に近づき、猛堂を議員辞職させるよう利用し、猛堂から国会議員という権力を削いで陥れた。
猛堂は事実を知り、隼人に問うた。
「なぜ、お前がそんなことをしなければいけないんだ!」
「出る杭は打たれる。そうやって父さんもまた出る杭をむしり取ってきたではありませんか! 私の政治生命はまだまだ続くのです。父さんの改革案は党の改革案ではない。我が党はそんな改革を望んではいない。私は党の重鎮に嫌われるわけにはいかないんです。これ以上、私の足を引っ張らないで欲しいんです」
猛堂は失望した。
まさか息子に裏切られるとは思ってもいなかった。
猛堂の議員辞職で権力を失ったヒューマンイノベーションはそのまま凋落の一途を辿った。
猛堂の息のかかった者は冷遇された。
定年制を提案した若い官僚もまた左遷された。
自ら議員辞職した猛堂は、そのまま政界を去り、人知れず姿を消した。
そして今、奇しくもエリアSの近くの山に猛堂は住んでいた。
今の猛堂には政界で戦っていた頃の気迫はない。
噂で聞いたことのある老人がここにいるだけ。
犬飼猛堂、八十歳。
猛堂は夏樹に名乗ることはしなかった。
みをりは、長さ一メートルほどの棒を持ち、天井を見上げた。
「私が中から屋根裏の雨漏りしているところこの棒で内側から突くから、夏樹君は屋根に上ってそこにトタンを打ちつけてほしいの」
「いいよ」
「でも、気を付けて。屋根もそんなに丈夫じゃないから、慎重にね」
「わかった」
「とりあえず、どこら辺が雨漏りしてるか教えるね」
「そうだね。あらかじめどこから直していくか決めた方がいいね」
みをりは夏樹に雨漏りしている箇所を教え、どの箇所から直していくか段取りを決めた。
夏樹は外に出て梯子を使って屋根裏にあがった。段取りを決めたせいか、屋根の修繕はスムーズに終わった。
雨漏りの修繕が一通り終わると、夏樹は改めて家の中に招かれ、労をねぎらわれた。みをりが夏樹の前に搾りたてのジュースを出した。
「それ、搾りたての特製みをりジュースだから美味しいよ」みをりは笑顔で言った。
この笑顔だけでねぎらわれると夏樹は思った。
「じゃぁ、頂きます」
「それと残り物だけど、良かったら」みをりはパンとジャムの入った瓶も夏樹の前に出した。
夏樹はパンを手に取った。
「このパン、どうしたの?」
猛堂が口を挟んだ。
「懇意にしてくれてる農家の人から頂いたんだよ」
「手作りのジャムとか魚とかあげてるから、色々貰えるの」
「みをりのジャムは天下一品だ。それならどこへ出しても金がとれる」猛堂が自慢げに言った。
「エリアの知らないところで、色々な人と交流してるんだね」
「そう。だから、言わないでよ」
「言わないよ。そんなこと」
夏樹はパンにジャムを塗った。
「これ、何をジャムにしたの?」
「木苺。ここからちょっと離れたところに木苺が実る場所があるの。そこで採ってきてジャムやシロップ漬けにして保存するの」
夏樹はいただいた。
「ほんとだ、旨い。これなら十分お金がとれるよ」
「そうお?」みをりは笑った。
「ジュースも作るし、ジャムも出来る。毛ばりも作れる。ほんとなんでも出来るんだね」
「それぐらいしかやることないから。自然と覚えただけよ。それにやると案外楽しくて、夢中になれる」
「いや、でも、これなら都会にもっていっても十分通用する。天然素材のものは特に好まれるから必ず売れる」
「いいよ、都会は」
「どうして?」
「興味ない」
「なんか、勿体ないなぁ。行ってみたらもっと自分を輝かせる場所があるかもしれないのに」
「そうだろ」猛堂が割って入ってきた。
「俺もみをりには、俺のことはいいから都会に行けと言ってるんだが中々行く気にならんなくて困ってるんだ」
「行っても意味ないよ」
「ほら、またそういうことを言う」
「だって、そうでしょう。ただ人がいっぱいいるだけでしょ」
「それだけじゃないぞ。もっといろんなことがいっぱいある。都会には人生の選択肢が沢山あるんだ」
「私はここでいいよ」
「一度は都会に行ってみたいと思わない? ここよりずっと刺激的で煌びやかな世界があるんだよ。行ったらもしかしたらここには戻れなくなるかもしれない」
「そうだ。その通りだ。あんたは都会に行ったことがあるのか?」
「いえ、ないです。でも、行けるなら行ってみたいです」
「煌びやかな世界が、イコール幸せではないでしょ。現にお爺さんはそれが嫌になってここにいるわけだし」
「またそう屁理屈を言う」
「ほんとのことよ」
夏樹は二人の会話がどこか微笑ましいと思った。
この二人を見ているうちに、また一つの言葉が脳裏に浮かんだ。
〈清貧〉
貧しくとも清く正しく。
今の時代には考えられない。少なくともこのエリアの人間からは見受けられない。
〈この人たちなんだ? 大概、人はみな自分を良く魅せようとする。自分を嘘で固めてまで、よく魅せようとする人もいる。しかし、この人たちは違う。そういうものが微塵も感じられない。正直で、あるがままの姿しか見せない。見せようとしない〉
夏樹は心の奥底から込み上げてくる思いを抑えられず、瞳が涙で滲んだ。それを、ふと見たみをりが夏樹に言った。
「あれ、なんかウルってない?」
「え、あ、いや」夏樹は誤魔化すも、
「あれ、もしかして、あんまりみすぼらしくて、思わず泣けてきた?」みをりは冗談っぽく言って微笑んだ。
「いや、そんなんじゃないよ」夏樹は目頭を小指で拭った。
夏樹は、もうこの二人から暖かさしか感じなかった。




