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シカト  作者: 東京卑弥呼
20/25

〈19〉佐野

プロのアドバイスを受けながら、ログハウスのサウナ小屋が完成した。

砂田たちは完成を喜び、サウナの試運転をすることにした。

すると倉持が佐野に言った。

「佐野。とりあえず、試運転の前に食堂の冷蔵庫からビールと肉、取りに行くぞ」

「肉? 肉なんてあるんですか?」

「砂田さんが、この日のためにバーベキューに使う肉を用意してくれたんだよ」

「ほんとですか」

「砂田さん、ありがとうございます」倉持は砂田に礼を言った。

吉岡も頭を下げた。

「これも、みんなの努力のおかげだから、これぐらいするよ」

「いえ、違います。砂田さんの的確な指示があったから、こんな立派なサウナ小屋が出来たんです。こんなサウナ小屋、他のエリアにはありませんよ」倉持は砂田を称賛した。

砂田も満更ではない。

「佐野、取りに行くぞ」

倉持は佐野を伴ってエリアセンターに向かった。


砂田、倉持、吉岡の三名はサウナ小屋で体を熱し、火照った体を川に飛び込み、川の水で冷ました。

誰彼ともなく「ああ、気持ちいいなぁ」と声を上げ、サウナを満喫した。

佐野はサウナ小屋から少し離れたところにあるバーベキュー場で肉を焼いていた。

するとそこへ倉持がやってきた。

「どうだ。焼けたか?」

「もう食べれます」

倉持は川にいる砂田と吉岡に向かって叫んだ。

「砂田さん。肉が焼けたそうです」

砂田と吉岡は、川岸に向かってきた。

倉持は砂田と吉岡に缶ビールを渡した。

「砂田さんから一言お願いします」倉持が言った。

「え、一言?」

「このエリアSを代表してお願いします」

「代表は嶺ちゃんだよ」砂田は照れるも満更ではない。

「砂田代表、一言、お願いします」倉持がよいしょした。

「それでは、このサウナ小屋の完成を祝して乾杯!」

みんな、缶ビールを掲げた。

砂田たちはバーベキューで焼いた肉を食べながら缶ビールを飲んだ。

特に砂田の用意した肉はとても旨かった。

「この肉旨いっすね。どこで買ったんですか?」倉持が砂田に尋ねた。

「ここに来るドライバーに頼んで畜産牧場エリアからいい肉を回してもらったんだよ」

「さすがですね。やっぱ砂田さんは顔が広い」

「元トラックドライバーだったからな」

「砂田さんがこのエリアにいてほんとよかった。大体、このサウナも砂田さんの発案だし、砂田さんがいなかったら、ほんとここは何の刺激もないただのド田舎のまま。そもそもこの肉だって、砂田さんがいなかったら食べれませんよ。ほんと砂田さんはこのエリアのことを良く考えています。いや、一番考えてるんじゃないんですか?」

「そんなことはないよ」砂田は謙遜するも満更ではない。

「いえ、そうです。長嶺さんよりずっとエリアのことを考えています。いっそ砂田さんがエリアマネージャーになった方がいいんじゃないんですか」

「言いすぎだよ」砂田は笑いながら上機嫌で缶ビールを飲んだ。

「でも、これで若い女の子でもいたら最高ですね。佐野、お前、若いんだから女の子の一人や二人、手配できないのか?」

佐野は砂田と倉持の茶番を話半分で聞いていたので、いきなりふられて意表を突かれた。

「え、女の子ですか?」

「そうだよ。なんかいいの、いるだろ?」

「いやぁ、そういうのはちょっとないですね」

「なんだよ、ないのかよ」

「すみません」

「でも、大体、なんでこんなド田舎に来たんだ?」

「ただ何となく、田舎でのんびり暮らしたかっただけです」

「なんだよそれ。若いんだからもっと都会でやることあるだろ」

「いや、僕はどうも、都会の人間関係が上手くいかなくて。それで田舎に逃げてきた人間ですから」

「なんだよ。小せえ男だな」倉持はいつものように年下や格下には露骨に横柄な態度を取った。

「ほんと、小さい男です」佐野は苦笑した。

確かに佐野は都会での人間関係が上手くいかなかった。

しかし、それは倉持が思っている人間関係とは少し違っていた。

佐野はこのエリアSに田舎暮らしがしたくてやってきたのではない。暫く大人しくするためにエリアに来たのだ。

そう、佐野はここに来る前、妹と恐喝まがいなことをして生活していた。

妹といっても父が再婚した義母の連れ子で佐野とは血の繋がりのない妹。

名前は愛理。佐野の二歳年下になる。

義母はホステスをしていて美人だったが、愛理も母に負けず劣らず美人だった。

しかし、両親が突然、何者かに殺された。

犯人も見つからなければ動機もわからない。

ホステスだった母の人間関係からではという憶測もあった。

両親が死んだとき二人とも学生だったということもあって、父方の親戚の家に預けられた。そこで愛理は親戚の父親にセクハラまがいのことをされ、佐野は愛理を連れて親戚の家から逃げ出した。

佐野と愛理はバイトをしながらなんとかギリギリの生活をしていた。

愛理はバイト先でも上司にセクハラされたり、援助交際を持ち掛けられたりしていた。

愛理はまだ十九歳だったが、背も高くメリハリのあるプロポーションに男好きする顔立ち、俗にいう男心をそそる女だった。

そんな愛理が突然、佐野に持ち掛けた。

「私が、私に寄ってきた男をたぶらかすから、お兄ちゃんはその男を恐喝して」

「恐喝?」

「そう。その方が今より何倍も、いや、何百倍も稼げる。しかも簡単に。どお?」

佐野は驚いた。

まさか妹から恐喝の話を持ちかけられるとは想像もしていなかった。

その話を持ち出した妹の表情に迷いはなかった。

義母も肝が据わった女性だったが、愛理もまた義母に似ていた。

「こういうぶっ飛んだ度胸のあるところは、お義母さん譲りだな」

「そうかな」

こうして美人局で生計を立てていく生活が始まった。

獲物を楽しませる匙加減は愛理が取り仕切っていた。

愛理もまた訴えられては困ると思い用心して、獲物はそれなりに地位が高く、妻子ある良き父親の仮面を被っている男を狙った。

印象やイメージ、評判が良ければ良いほど格好の獲物になった。

所謂、泣き寝入りする男を狙った。

佐野の役目は、愛理からゴーサインが出たら愛理と写っている写真や画像、愛理が仕込んだボイスレコーダーを使って男を恐喝するだけだった。

全ては愛理の主導。

美人局は上手くいき、ひと儲けすることが出来た。

佐野はただただ愛理の度胸の良さに感心するばかりだった。

一回うまくいくと二回目からは楽だった。

全てが愛理の思惑通りに進んだ。

佐野は感心した。

しかし、佐野も感心ばかりしてもいられない。こんなことを長くは続けられない。上手くいっている時だからこそ引き際を見極めなくてはいけない。

「愛理。もうそろそろ辞めよう」

佐野は愛理に美人局を終わらせることを持ちかけた。

「どうして! こんなにうまくいってるのに」

「うまくいってるから、辞めるんだよ」

「お兄ちゃん。もしかしてビビってんの?」

「そうじゃない」

「ウソ! ビビってる!」

「じゃぁ、捕まるまでやるのか?」

「大丈夫だよ。捕まらないよ。ほんと心配性だな」

「愛理。物事って言うのは慢心しているときが一番危ないんだ。図に乗って慢心して驕れる者になって。世の中、驕れる者から落ちていくんだよ。今のお前はまさにそれだ。堕ちてからじゃ遅いんだ」

「……」愛理は黙った。

佐野は、愛理にブレーキをかけるのは自分の役目でもあることを知っていた。

いいアクセルにはいいブレーキは必要なものだ。

それが上手くやっていく秘訣だ。

「わかった。でも、最後にもう一人だけやらせて。いいカモがいるの」

「……」佐野は躊躇した。

愛理はそれを察したのか、続けて言った。

「今までの獲物の中では一番安全よ。ほんと、まさに安全安心、美味しいカモだわ」そういって愛理は笑った。佐野も愛理の笑顔を見て頬を緩ませた。

「わかった。じゃ、そのカモを鍋にして〆よう」

「うん」

 

愛理が見つけたカモは、瀬能祐也、十九歳。

 上場企業の創業者の孫にあたる。

 その会社は祖父、瀬能興永が創業し業績を伸ばしていた。

興永が亡くなってから息子である父、永光が社長になった。

しかし、永光が社長になってから業績は伸びず、株価は右肩下がり。それでも永光は社長として居座っていた。

永光は創業家出身ゆえに誰も口出しできなかった。

ワンマンだったのだ。

そんなワンマン社長に口出ししたのは母、翠だった。

「毎年毎年、自社株も上げることが出来ず、赤字決算ばかりだして社長の座に居座るっていったいどういう神経してるの? あなたが社長である限り、業績は上がることはないのよ。そんなこともわからないの」

翠ははっきりした性格が興永に気に入られ永光の妻として嫁いできた。

「なんだと⁉」

「ほんとのことよ。もし、自分以外の者が社長になったら、会社はどうなるのか、考えたことないの」

「俺以外の者が社長になって業績が上がるのと思ってるのか? 俺だから赤字を最小限に食い止めることが出来るんだ。第一お前に会社のことがわかるのか!」

「わかるわよ。お父様の築いたものを食い物にして最小限に食い止めてる。ほんと、ただの極潰しじゃない。恥ずかしいと思わないわけ」

「言ったな」

「言うわよ! 現に株価は今も下がってるじゃない。なけなしのお金で株を買ったのに一向にあがらないとか。こっちは生活苦なのに赤字決算出してる社長は私よりいい暮らしをしているのが納得できないとか、そんな陰口言われたことある? たまんないわ」

「……」さすがに永光は黙った。

「大体、株価を上げることが出来ない社長が何の責任も取らないなんておかしくない? 自分の会社の株を買ってくれている人の気持ち、考えたことないでしょ? そんな鈍い経営者が業績を上げられると思ってるの?」

翠は永光をこき下ろした。

「……」

「ほんと、あなたが居座る限り、何も変わらない。それよりもいったん自分以外の者に社長をやらせたらどうなの? そういう考えはないの? 自分以外の者が社長になったら会社はどうなるのか知りたいとは思わないの? それともやられて上手くいかれるのが怖い?」

「やるような気量の奴はいない」

「そう思うのは、あなたがワンマンだからよ。本当はやらせて上手くいかれて自分がただのボンボンだったと自覚するのが怖いんでしょ」

「やれる社員がいるならやらせるよ! ただいないだけだ!」永光は突っ張ってみせた。

「なら私がやるわ」

「お、面白い。ならやってみろ。そこまでいうならやってみろ。そうすれば俺の苦労がお前もわかるはずだ」永光は笑った。

そうして翠は社長の座についた。すると業績は上がり株価は半年でV字回復した。

永光が社長になってから下がることしか出来ない株価があがっていったのだ。

永光は会社に居場所を失った。

「あなたも名前だけは残しておくから、私の邪魔をしないで」

翠は永光を永光の愛人ごと追放した。

翠は社員に女帝や女王蜂と囁かれるようになった。

 そんな翠を母に持つ祐也は翠と比べられて物足りなく見えた。

「創業家の男は創業者の興永だけで、あとはただのボンボン」と言われていた。

特に祐也は体も華奢でどことなくひ弱そうに見え、女帝の翠を当てにしているようで頼りなくマザコンのように見えた。十九歳の大学生だからそう見えるのかもしれない。

そんな相手を愛理は獲物にした。

最後の仕事にしてはいささか物足りない相手にも見えたが、安全に越したことはない。

愛理は祐也が通う大学のキャンパスに大学生に成りすまして入り、祐也に近づきゴルフ同好会にまで入った。

ゴルフ同好会で愛理はゴルフなんてやったことがないので初心者として振る舞っていたら祐也の方から愛理に近づいてきた。

愛理がどう祐也を落とすか考える間もなく祐也は愛理に落ちていた。

愛理は祐也とゴルフのラウンドを楽しむように祐也とのラウンドデートを重ね、今までのどの獲物よりもじっくりと自分に夢中にさせていった。

愛理は獲物が自分にのめり込めば込むほど、堕とされる姿を想像しては激しい興奮を覚えていた。愛理はそれがたまらなかった。

そうして楽しい時間を過ごした。

「そろそろ、いい頃合いだわ」それは愛理のゴーサイン。

「わかった」佐野はニヤリと微笑んだ。


愛理と祐也がいつものように二人だけでゴルフ場にいきラウンドを回ってクラブハウスで食事をしているときのことだった。

祐也は突然、背後から肩を掴まれた。

祐也はその場で振り返ると佐野が立っていた。

「おい、俺の女と何イチャイチャ、ゴルフなんかしてるんだよ」

祐也は動揺した。

「司⁉ なんでここにいるの⁉」愛理が佐野に向かって言った。

二人は美人局をするとき、その都度、偽名を使っている。このとき佐野は本名の亮ではなく司、愛理は茉莉と名乗っていた。

「お前の様子がおかしいから、つけていたんだよ」

周りに座っているゴルフ客も佐野たちを見た。

「色男。外に出ようか」佐野は祐也の襟を掴んでクラブハウスの外に出た。

「どうするんですか⁉」祐也は不安げな表情をして佐野に尋ねた。

佐野が一枚のメモ紙を渡した。

そのメモ紙には銀行と口座番号が書いてある。

「ここに三百万、今ここで振り込め。そうしたら許してやるよ」

「三百万! そんなの無理です!」

「そんな筈ないだろ。社長のせがれならそれぐらいあるだろ」

「そんなに使ったらママに叱られる。弁解できないよ」祐也は不安げな顔をした。

するとクラブハウスの外に出てきていた愛理が佐野の服を引っ張った。

佐野が愛理を見ると愛理の表情は曇っていた。

「ちょっと、いくらなんでも高すぎるよ」愛理は同情するような目をしていた。

「わかったよ。百万ならいいだろ?」

これも芝居である。

もともと百万しか頂かない。はじめに三百万とふっかけたほうが相手も折れやすいと思わせる手口。

祐也はオドオドしながら頷いた。

祐也は佐野から渡されたメモ紙を見ながら自分のスマホを操作し、百万振り込んだ。

佐野はスマホを見て、振り込まれたのを確認した。

「二度と茉莉に近づくんじゃねぇぞ。わかったな」佐野は祐也の胸を押した。

祐也は佐野に押され、そのまま二三歩後ずさった。

祐也は愛理と目が合った。

祐也は気弱そうにピョコリと頭を下げてから足早にその場を去っていった。

その姿を見送っていた愛理に佐野が言った。

「最後にしては、ちょっと後味が悪いわ」

「そうだな。今まで年上ばかり相手にしてたから。これじゃ美人局じゃなくてただの恐喝だ」

「そうね」

「でも、これでもうおしまいだ。これからは稼いだ金を軍資金に何かやろう」

愛理は頷いた。

そう、美人局まがいの恐喝はもうこれで終わった。

筈だった。

それは一週間後のことだった。

佐野と愛理は美人局をしていたころはウィークリーマンションを転々としていた。それは用心の為である。

しかし、それも引退した今、二人は都内の2LDKのマンションを借りて新しい生活を始めようとしていた。

身内もいなければ親しい友人もいない。誰も二人のことを知らない。そんな知らない二人が住む新居に珍客が訪れた。

呼び鈴がなり愛理が部屋に備え付けてあるインターホンを見た。

しかし、玄関モニターの画像は見えなかった。

愛理は玄関に行きドアを少し開けた。

するとカモにした筈の祐也が玄関モニターのカメラを指で押さえて立っていた。

「いやぁ、茉莉さん。いや、愛理さんって言ったほうがいいのかな?」

愛理は驚いた。

なぜここに祐也が来たのか?

そもそもマンションに引っ越して来たばかりなのになぜ?

愛理が戸惑っている隙に祐也は開いたドアの隙間に足を入れて閉められなくした。

「彼氏、いや、お兄さんに脅され、百万振り込んだ間抜けな男のこと、まだ覚えてるみたいだね」

祐也は口元に笑みを湛えているも、目は笑っていない。

愛理は開いた口が塞がらず、その場に立ち尽くした。

そこにいる祐也は愛理が知っている祐也ではなかった。

祐也の母は女帝と呼ばれる人だ。翠は祐也を甘やかすことはしなかった。

特に祐也は華奢で優しい顔をしている。それだけで祐也を甘く見て思うように操ろうとする人物が寄って来る。社長の息子を利用しようとする者もいる。時には犯罪に巻き込まれることもあるだろう。

翠は祐也にあらゆるリスクに対応できるように教育した。


「したたかに生きることを学びなさい」

「駆け引きを学びなさい」

「出来ない顔して実はやり手。出来るような顔して出来ないのが一番恥ずかしいのよ」


祐也に微笑みながら近づいてくる人間を見極める嗅覚を身につけさせた。

祐也もまたマザコンを演出していた。

翠を利用したのだ。

女帝には敵わなくても息子なら懐柔できると思わせる手口を培っていった。


「特に女には気をつけなさい」

「パパのように追放されないようにでしょ」

「良妻賢母は肩がこる」翠は笑った。


祐也は初めから愛理を調べ、愛理の狙いははなからわかっていた。

わかっていたからこそ、祐也は愛理と佐野に興味を持ち、その時が来るのを待っていたのだ。

ゲームを楽しんでいたのはほかならぬ祐也だったのだ。

マンションは祐也と祐也の部下の二人の屈強で強面の男に占拠された。

佐野もマンションに帰って来るなり、取り押さえられ後ろ手に縛り上げられた。

佐野と愛理は別々の部屋で監禁された。

佐野と愛理は祐也の二人の部下にそれぞれ見張られている。

佐野のいる部屋に祐也がやってきた。

祐也は部下に声をかけた。

「お兄さんと二人だけで話がしたい」

「わかりました」

佐野は後ろ手に縛りあげられ、壁に寄りかかり、足を前に出して座っていた。

祐也は佐野の前にしゃがんだ。

「僕はどうも、人に見くびられやすい」祐也は微笑んだ。

「はじめから知ってたんだ」

「美人局なんて、しょっぱいことしますね。今までそんなことやってきたんですか? やることが小さいですよ」

「どうするつもりだ」

「振り込んだ百万はそのままあなたにあげます。だから愛理さんと別れてくれませんか? 手切れ金です」

「それは愛理の前から消えろってことか?」

「はい」

「愛理をどうするつもりだ」

「心配しないでください。彼女を悲しませるようなことはしません。古今東西、女性は色々使いどころがある。人脈を作るための政略結婚とかね」

「……」

「ママが聞いたら僕が締め上げられますけど」祐也は微笑んだ。

「もし、断ったら」

「お兄さん。その選択は利口じゃない。彼女を悲しませるようなことはしない方がいい」

「なるほど」佐野は悟った。

拒めば自分は何らかの目に遭うだろう。

結局、どちらに転んでも愛理は祐也に奪われるのだ。

「お兄さん。僕は悪党ではない。愛理さんを不幸な目に合わせることはありません。心配しないでください。ただ、あなたが傍にいると愛理さんにあまりいい影響を与えない。それはやめていただきたい」

佐野には選択肢はないのだ。

佐野はただ一つ、気になったことを最後に聞いた。

「愛理のこと、好きなのか?」

そんなことを聞いても気休めにしかならない。

しかし、どこか納得できるような、踏ん切りがつけられる気がした。

祐也は微笑んだだけで何も答えなかった。


佐野は縄を解かれ、別の部屋で祐也の部下に見張られている愛理と会った。

愛理は拘束されておらず、椅子に座っていた。

「お兄ちゃん!」愛理は佐野に抱き着いた。

「愛理」

「お前はこれから、この人たちの言うことを聞け」

「どういうこと?」

「いいから。俺と居るよりよっぽどいい。こんな先のわからない根無し草の生活とおさらばするんだ。こんなにいい話はない」

「お兄ちゃんは?」

「俺は出て行く」

「じゃぁ私も」

「それはダメだ」

「どうして⁉」

「足手まといだ」

「お兄ちゃん⁉」

「愛理、これからはまっとうな生き方をするんだ」

「お兄ちゃん!」

「大丈夫。心配するな。あいつは俺やお前が思っている以上に案外やる男だ。少なくとも妹に美人局をさせるような最低な男とは大違いだ」

「お兄ちゃん!」愛理は佐野にしがみついて離さない。

佐野は祐也の部下を見た。

部下は察したのか愛理を佐野から力づくで離した。

佐野は愛理を見て微笑んだ。

「じゃぁな」

「お兄ちゃん!」佐野の背後から愛理の涙交じりの声が聞こえた。

佐野は祐也とすれ違いざまに呟いた。

「妹を不幸にしたら、俺はお前を殺す」

その一言は佐野にとって、血は繋がらなくとも最愛の妹と別れる最後の抵抗だった。

祐也は目を伏せたまま微動だにしなかった。

佐野は愛理の泣き叫ぶ声を背中に受けながらマンションを去った。

その後、佐野は各地を転々とした挙句、エリアSに流れ着いた。

そんな経験をしてきた佐野にとってエリアSで働く人々も取るに足らない雑魚にしか見えなかった。

特に夏樹をいじめて盛り上がる砂田たちを見て思っていた。

〈いい大人がこんなくだらないことで盛り上がれるなんて、ほんとクズだな。まぁ、結局、妹を捨てた俺も大した変わらんか……〉

佐野は苦笑した。



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