〈18〉腐りきったエリアS
次の日、朝礼後に事務所で砂田が長嶺に言った。
「昨日、たまたま中原君のことでみんなで話したんだけど、中原君はわざと世代間対立を起こしているって言うんだよね」
「でも、ここ暫くは自宅でお母さんの看病しているみたいですよ」
「違うんだよ。中原君に対してこんなに不満が出てくるようじゃ、ちょっと問題だって言ってんだよ。このエリアのストロングポイントはチームワークがいいところだ。それが一人の自分勝手な人間によって乱れるようじゃ問題なんだよ」
「……」
「中原君も腰を痛めてから、ずっと有給使って休んでるんだろ? 他の人、有給使いたくても、中々有給なんて使えないぞ」
「まぁ、確かに」
「そこで話したんだけど、どうだろう? 中原君を耕地開拓に回したら」
「耕地開拓?」
「そう。ログハウス作るのに随分木を切ったから、その土地を中原君に開拓してもらうんだよ。そうすれば、中原君もこっちに気を使うこともなくなるし、母親の看病しながら自分の腰とも相談して自分のペースで働ける。な、そっちの方がいいだろう」
「……」
「切ったところも、そのまま放っておくと荒れ地になる。なら、整地にしたほうがいい」
「そうですね」
「こっちの農作業も中原君がいなくてもなんら支障ないんだから問題ない。それに嶺ちゃんだって、中原君と顔を合わせる機会がなくなる方がいいんじゃないか? 雅ちゃんだってきっとそう思うぞ。結婚しても働いているんだから」
「……」砂田の言うことも一理ある。
「この際、そうした方がいい。見舞いもかねて言ってこいよ」砂田は長嶺を則した。
「わかりました」
「うん、そうした方がいい」
そう言って砂田は一服しに事務所を出た。
砂田はあくまでも中原のため、長嶺と雅のためというも、実のところは自分の嫌いな奴の厄介払い、嫌がらせをしたいだけなのだ。
そして、そういうことを夏樹に言うのも自分ではなく人にやらせる。嫌な役は決して自分ではやらないように持っていくのが砂田という人間の姑息さでもあった。
長嶺もまた砂田の傀儡である以上、砂田に異議を唱えることは出来なかった。
長嶺も正直、夏樹には会いにくく、今では接しにくい存在になっていたのも事実。そういう意味では砂田と利害関係は一致していた。
その日の午後、長嶺は砂田の言う通り、見舞いもかねて夏樹の家に行った。
夏樹は長嶺が訪問してきたことに驚いた。
夏樹は部屋に上がるように言ったが長嶺はここでいいと玄関で話をした。
「わざわざ、すみません。本当なら俺が行かなくちゃいけないのに」
「いや、いいんだ? それより腰、どお?」
「腰の方は気を付ければ大丈夫です」
「お母さんの調子は?」
「最近はだいぶ良くなりました。といってもほとんど寝ていますが」
「医者には見せたの?」
「ええ、こないだ採血検査をしたら、貧血と言われて、鉄分のあるものをとって安静にしてなさいって言われました」
「そうか、じゃ仕事にはもう出られるのか?」
「はい。来週あたりから出ようと思います」
「それなんだけど、中原君も腰とかお母さんのこととか色々大変じゃない。また悪くなるかもしれないし、看病だってあるし。そこでみんなと話したんだけど農作業の仕事ではなく、耕地開拓の仕事をしてもらいたいんだ」
「耕地開拓?」
「そう。こないだ木を伐りだした土地があって、そこを耕地として開拓してほしいんだ」
「それは今、みんなでやってることなんですか?」
「いや、まだ誰もやってないんだけど、そのまま放置しておくってわけにもいかないし、それに耕地開拓は別にいつまでにやってくれとか、そういう期限はないから。ほんと中原君のペースで好きなようにやってもらえればいいから。その方が働きやすいだろ。お母さんの看病も出来るし、腰の調子を伺いながら働けるし。それに耕地開拓した土地は中原君が自由に使っていいから。どう、いい話だろ」
夏樹は黙った。
これは長嶺の考えではなく砂田の考えであることは容易に察しがついた。
自分がいない間にここまで来たか、と思った。
長嶺は囁くように言った。
「中原君も砂田さんを気にせず働けるんだから、そっちの方が気が楽だろ?」
夏樹はそれを聞いて、どっちもどっちだな、と思った。
それは砂田にとっても、雅と結婚した長嶺にとっても、自分はもはやエリアSの厄介者でしかないということを実感した。
しかし、それならそれで構わないと夏樹は思っていた。
そもそも母の体調が悪く暫く休みたいといったのも、母の調子の悪さは何も変わってない。変わったのは自分。エリアの人々に会いたくなかったから嘘をついたのだ。
それほど夏樹はエリアSの人々に対して極度の人間不信に陥っていた。
「嫌か?」長嶺は夏樹を伺うように尋ねてきた。
夏樹は微笑みながら言った。
「いいですよ、それで。長嶺マネージャーが決めたのなら自分はそれに従います。それに僕にとってはとてもいい話だと思います」夏樹は微笑みながら答えた。
「そうか! わかった。じゃ、みんなにはそう伝えておくから」長嶺は安堵し、意気揚々と帰っていった。
砂田に言われ、責務を果たして楽になったのだろう。
夏樹もなんだか気が楽になった。
つまる所、エリアセンターに来るなと言われたのだが、夏樹自身、誰にも会わないで済むなら会いたくなかった。許されるなら、このままひきこもっていたいぐらいだった。それが伐採した木の後始末でも、一人になれて給料がもらえるのなら断る理由は何もなかった。
〈あってないような仕事で、お金がもらえるのならそれでいい〉
夏樹は砂田たちの自分に対するやり口を思うと半ば笑えてきた。
ほどなくして、夏樹はログハウス作りで伐採された土地を整地し始めた。
整地するといっても木の切り株の処理をしなければ整地することは出来ない。
そのためにまず木の切り株を掘り起こさなくてはいけない。
木の切り株を掘り起こすには重機を使って掘り起こすのが正解だろう。
しかし、ここには重機などというものはない。
公邸を作る業者がサウナ小屋建築にあたって重機を無償で貸してはいるが、そんなことは夏樹には伝えられていないし、砂田も夏樹に重機を使って整地させるつもりはない。
夏樹に渡されたのはシャベルとつるはしだけだった。
要は整地作業をすぐ終わらせたくない。
エリアセンターでまたみんなと一緒に仕事をさせたくない。
耕地開拓は夏樹をエリアの人々から遠ざけるための手段に過ぎないのだ。
夏樹も耕地開拓は厄介払いの口実に過ぎないことは重々承知していた。だから、サボることも出来た。無数の木の切り株をつるはし一つで、しかも一人で取り除いていくのは過酷な労働だ。とても腰を痛めた者がやる仕事ではない。耕地開拓という名目だけの厄介払いのあってないような仕事。
それでも夏樹はサボらず働いた。
サボれば砂田と同じになる。
仕事のふりして不正に給料を頂くこととなんら変わりはない。
そんな人間にはなりたくなかった。
砂田の同類にはなりたくなかった。
その想いが夏樹を突き動かし、過酷な労働であっても夏樹は真面目に働いた。
しかし、夏樹の給料は減額された。
そのことを長嶺に言うと、「エリアはあくまでの農場エリアだから、農作業をしてない中原君の給料は減額されるらしい。エリア統括本部がそう言ってきた」と言い訳した。
「給料が元に戻るには耕地開拓を終えて、農作業に復帰すれば給料も元に戻るらしい」と付け加えた。
エリア統括本部が本当にそういっているのかどうか、にわかに信じがたい。
〈砂田の傀儡に成り下がった長嶺が砂田の指示で給料の面でも嫌がらせをしているのではないか? 給料を減額して、自主的に俺をここから出て行くよう仕向けているのではないのか?〉
夏樹は無意識に勘ぐってしまう。
それほど夏樹はエリアSの人々を信用していない。
疑いの目しか持てなくなっていた。
ここを出れることなら、とっとと出て行きたい。
しかし、病床の母と共に生きていける場所はここしかない。
夏樹は減額されても食料は今まで通り、エリアセンターで出荷することが出来ない訳アリ作物をタダでもらえたので生活するにはさしたる支障はない。
〈今は、ここしか生きていけない〉
夏樹には減額も受け入れるしかなかった。
夏樹は週に二回、エリアセンターに訳アリ作物を貰いに行った。
最初のうちは、夏樹がエリアセンターに作物を貰いに行くと、エリアの人々がところどころで見てはいけないものを見るかのような目でちらちら見たり、ひそひそ話をする人の姿があった。
しかし、誰も夏樹に話しかける人はいなかった。
夏樹は誰にも何も言われず、訳アリ作物が置いてある場所から必要な分だけ持ち帰った。
その姿が見慣れた光景になった頃、人々の夏樹を見る眼差しが変わった。
どうやら人々の中に夏樹が本当に働いているか不審に思う人が出てきのだ。
いや、そう思うように夏樹がいないところで勝手に開廷される欠席裁判によって不審に思うように倉持が人々を焚きつけていたのだ。
そして、それは起こった。
夏樹が耕地開拓を終え、泥だらけの作業着を着たまま、いつものように自転車に乗ってエリアセンターに訳アリ作物を貰いに来たときのことだった。
丁度、川岸でサウナ小屋を建てている倉持と佐野がエリアセンターの食堂にビールを取りに来て持ち帰るところにばったり出くわした。
すると倉持は夏樹を見て、一人大きな声を上げた。
「お、乞食が来た、乞食が!」
夏樹は、倉持が聞こえよがしに言ってきているのはわかっていたので相手にしなかった。
佐野もただビールを持ったまま静観していた。
倉持はお構いなしに続けた。
「大体、ほんとに働いてるのかねぇ? 全くこっちは本業以外の仕事をさせられてるっていうのによお」
それは夏樹も同じである。しかも、夏樹は減額までされている。
その場に居合わせたエリアセンターにいた人々は倉持と夏樹を見て見ぬふりをするだけで誰も何も言わなかった。それが身の安全であることを重々承知していた。
夏樹も倉持を相手にしなかった。
乞食呼ばわりされても生きていけるならそれでいい。
〈罵声を浴びせたいのなら浴びせればいい。蔑めばいい〉
人間不信になっている夏樹は砂田も倉持もエリアの人々も相手にするつもりはなかった。
夏樹は黙って訳アリ作物をカバンに入れ終わると、自転車に乗って帰っていった。
それを見届けた倉持は舌打ちして吐き捨てるように言った。
「なんだよ、あいつ、ほんと気に入らねぇな!」
後ろで聞いていた佐野は何も言わなかった。
倉持と佐野は川岸に戻った。
いつもの仕事の後の酒盛りが始まった。
そのとき倉持は夏樹に会ったことを言い、罵声を浴びせたことを話すと、砂田は「言いすぎだぞ」というも顔は綻んでいた。
「いい気味ですよね、あいつ、樋口さんと付き合ってたころ。なんかそれを鼻に掛けているところあったじゃないですか。それが樋口さんにふられ、今じゃ荒れ地開拓ですからね。めっちゃ笑えますよ」倉持は笑った。
砂田も吉岡も一緒に笑った。
吉岡も知ったような口を利いた。
「でも、考えれば妥当です。長嶺マネージャーと中原じゃ比較にならない。樋口さんが長嶺さんを選ぶのは当然です」
夏樹はエリアSからも事実上、追放されているにも関わらず、未だ夏樹の欠席裁判で盛り上がる。
しかし、砂田は率先して夏樹の悪口を言わない。
砂田はみんなが夏樹の悪口をいうのを聞くのが好きなのだ。
佐野は、いつものようにみんなが夏樹の悪口を言って盛り上がっているのを静観した。
すると倉持が佐野に向かって言った。
「佐野、飲んでるか? 足りるか?」
「大丈夫です。これで十分です」缶ビールを掲げた。
佐野は常に欠席裁判に対して終始、傍聴人だった。
欠席裁判は酒盛りが終わるまで続いた。
夏樹は母の看病をしながら耕地開拓をした。
初めた頃は悔しさでいっぱいだったが、今は自分一人、誰も気にすることなく、ましてや砂田とその追従者たちと接することがなくなったことでストレスを感じることがなくなり、これはこれでいい、と思うようになっていた。
〈針の筵で働くより、ここで一人の方が気が楽だ〉
そんなある日の午後、佐野が一人、開拓地にやってきた。
「せいが出ますね」
夏樹は佐野を一瞥しただけで返事はしなかった。
夏樹にとって佐野も砂田に迎合する仲間の一人にすぎない。
夏樹は黙って切り株の根っこにつるはしを突き刺した。
佐野は素っ気ない夏樹に言った。
「そう邪険にしないでくださいよ。これ持ってきました」佐野は右手に持っているビニール袋を掲げて見せた。
夏樹も作業を辞めて訝しげな顔をして佐野を見た。
佐野は夏樹に寄ってきてビニール袋を夏樹に渡した。
「どうぞ。お土産です」夏樹は佐野からビニール袋を受け取り中身を見た。
缶ビールが六本につまみの乾きものの袋が入っていた。
「どうして?」夏樹は素っ気なく尋ねた。
「ただのお土産です。手ぶらで会いに来るよりお土産があった方がいいでしょ。俺もその方が来やすい。ああ、別に気使う必要ないですよ。これは仕事の後に砂田さんたちが飲んでいるビールをちょろまかしてきただけですから」佐野はニヤリと微笑んだ。
「そんなことして大丈夫?」
「平気ですよ。そういうの、得意ですから。都会仕込みっていうのかな」佐野は人差し指を曲げる仕草をした。
それを見て夏樹は笑った。
「それより仕事はいいのかい? まだ勤務中だろ」
「今日は用事があると言って早退しました」
「用事があるのに、ここに来たの?」
「ここに来るのが用事です」
夏樹は吹き出して、「適当だな」と言った。
「あの年寄りたちと一緒にいると辟易してくる。特に砂田さんたちと居ると人の悪口で盛り上がる始末。ほんと自分のことを棚に上げてよく言う。それ聞いてるとほんと気分が悪くなるんですよ。それに輪をかけて倉持さんの砂田への太鼓持ちにはほんと反吐が出る。大の大人がああも犬になれるもんなんですかね?」
佐野は砂田たちへの嫌悪感を露骨に表した。
夏樹は苦笑した。
砂田たちが誰の悪口を言っているのか容易に想像がつく。それを佐野に確認することはしなかった。
「それ、思っても言わない方がいい」
「わかってます。こんなことが言えるのは中原さんしかいないから。でも、俺がここで、中原さんに愚痴言ってたら、ほんと世話ないですよね」
「別にいいよ」夏樹は苦笑した。
「ああ、俺もここで働きたいわ。その方が気が楽だわ」
「佐野君は若いんだから、都会に出ればいいじゃないか」
「いや、まだ早いです」
「そうだった。雲隠れに来たんだっけ」夏樹は微笑んだ。
夏樹は何か久しぶりに忌憚のない話をして屈託なく笑った気がした。
「でも、中原さんだって若いじゃないですか。俺と変わりはない」
「俺には母がいるし、それに別にここにいて食えないわけじゃないから」
「けど疎まれてる。俺の見立てじゃ、一番まともな人なのに」
「世の中っていうのは、必ずしも正しい者が好かれえるとは限らない。正しさゆえに逆に疎まれることは多々ある。たとえば、交通違反の取り締まりだってそうだ。違反したから取り締まられるにも関わらず、取り締まられた方はなぜだか憤懣やるかたない気持ちになる。砂田さんはまさにそれだ。不正をしているからそれを注意したばかりに不機嫌になり、更にわがままになった。そう、あの時、そのわがままに屈さず、毅然とした態度をとっていればこんなことにはならなかった。しかし、一人の些細なわがままに屈してしまったばっかりにわがままは傲慢になり、悪に変わった。そして、その悪を許容したばかりに長嶺さんは砂田の傀儡に成り下がった。このエリアの長がそれだから、他の人々も砂田に迎合し、追従者に成り下がった。もともと事なかれの日和見主義の集まりだからね、ここの人たちは」夏樹はそこまで言うと、思わず吹き出して笑った。
「ほんと凄いよ。大したもんだよ。シカト一つでここまで変えてしまうんだから。ある意味、天才だよ」そう言って夏樹は笑った。乾いた笑いだった。
佐野は黙ってそれを聞き入っていた。
「ほんと、あの人には、いろいろ学ばせてもらったよ」
「……」
「こうやって秩序と規律を失い、世界は腐敗していくんだなって。佐野君も気を付けた方がいい。いつ砂田が機嫌を損ね、いじめの標的になるかわからない」
「ご忠告、肝に銘じます」というも、佐野の口元は笑っていた。
「ほんと、最近、口をついて出る言葉がある」
「どんな言葉ですか?」
「正しき者に背を向け、不正を働く者に媚びる、ってね」
佐野も後に続いて言った。
「正しき者に背を向け、不正を働く者に媚びる。なんか悟りきってますね」
「もういいっていうぐらい、汚いものが見えるから、そんな言葉が自然と出てきたのかな」
夏樹は佐野に微笑んで見せた。




