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47. 航空宇宙訓練学校

 周囲を紺碧(こんぺき)の海に囲まれたその島に、航空宇宙訓練学校はあった。


 そこは蒸せ返るような緑の匂いと、波に削られた荒々しい岩肌が広がる野性味豊かな島だった。もちろんスーパーやコンビニがあるはずはなく、まして学生たちが楽しめる施設もない。島と本土のT県を結ぶ連絡船は日に一度きり。ほとんど島に幽閉されたも同然だ。


 そんな無人島のような島の中心に、灰色の厚いコンクリート製の現代的な建物がそびえ立っている。周囲の自然環境とは一線を画す不気味な要塞のような建物だ。直角と鋭角だけで構成されたシルエットは、宇宙に飛び出すための最短距離を導き出す数式のごとく無駄が一切ない。


 最新の観測ドームや銀色のパラボラアンテナ群が、幾何学的(きかがくてき)な配置で空を見上げている。校舎の敷地面積は島の大部分を占めており、研究開発棟、訓練棟、事務棟、学生寮といった各ブロックごとに分かれていた。さらに近海の海底には『海底実験室』*が設置され、より難易度の高い技術を習得するための設備が整っていた。


 最近、校舎のリニューアル工事が行われたばかりで、新しい実験施設や訓練室が追加され、最新技術を搭載したシミュレータ機が導入された。実際の宇宙飛行士が使用するコントロール室を完全再現したシミュレータ室では、操縦桿(そうじゅうかん)やペダル、制御システムを搭載したパソコンを実際に操作することができる。


 この学校は、宇宙飛行士を志す若者にとっての聖地となっていて、入学試験の倍率は有名な難関大を(しの)ぐほどだ。華岡たち寮のメンバーも、この訓練ができることを楽しみにしていた。


 九重にとってもう一つ幸運だったのは、華岡がルームメイトになったことだった。


 華岡はロングヘアをばっさり切って、2ミリの丸刈りになっていた。制服に身を包んだ彼は、清々(すがすが)しく、まぶしく見えた。


 同室には他に、山田登と金子有蔵(ゆうぞう)がいた。寮のメンバーにはそれぞれ役割が与えられ、班長は華岡が務めた。副班長には山田、保健係は九重、そして衛生係は金子だった。


 毎朝五時に起床し、ラジオ体操、体温測定などの健康チェックを行い、班長は指導教官へ報告する。みんなで朝食をとった後、座学での講義となる。


 一年目は、航空宇宙工学、宇宙科学、地質学や語学などを学ぶ。半年を過ぎれば、小型航空機の操縦シミュレーション訓練やロボティクス操作訓練、船外活動(EVA)シミュレーション訓練、サバイバル訓練といったより過酷な実践訓練が待っていた**。


 それらは体力の向上だけでなく、チームワーク能力、そして極限環境下でも緻密な作業を正確に行うための精神力を鍛える目的がある。


 この学校のなにより厳しいところは、毎回の授業の後に行われる口頭試験と実地試験だ。一つでも及第点に届かないと容赦ない鬼追試が待っており、先へは進めない仕組みになっている。


 どの課題も上手くこなす華岡は、常にトップの成績を維持していた。一方で、クラスから徐々に落ちこぼれが出始めるようになった。その頃になると、クラスが習熟度別に分かれ、上位のクラスと下位のクラスとの差はますます開いていった。周囲の顔つきは日に日に険しくなり、焦燥感が寮の空気を支配していった。


 特に繊細な金子は、精神的に追い詰められていた。金子が行っていたのは、航空機の操縦シミュレーション訓練だった。機械の操作だけではなく、他機や管制官との通信、計器チェック、高度や天候の確認など複数のタスクを同時にこなさなければならない。もともと不器用な上に、緊張に弱い金子は、先週の金曜日のテストで凡ミスを繰り返し、落第してしまったのだった。


***


 一日の訓練が終わり、みんなが寮などでくつろいでいた頃、九重は華岡と金子がまだ戻ってきていないことに気づいた。


「華岡と金子、まだ帰って来てないよな? なんだか遅くないか?」


「うん? ああ、今日も付き合ってるんじゃないかな?」


 夕食後のコッペパンを至福そうに頬張っていた山田が、もぐもぐしながら答えた。


「つ、付き合ってる……っ?!」


 九重は急に顔を赤らめた。山田は、ぽかんとした顔で付け加えた。


「そうだよ。金子がテストでへまをやったから、華岡がマンツーマンで教えてやるんだってさ」


「……なんだ、そうか」


 一瞬でもおかしな想像をしてしまったことを、九重は心底恥じた。


「山田はいつもうまそうに食うよな。そうだ、俺もなんか買ってくるかな」


「それがいいよ。九重は少し食べて体を大きくしたほうがいいんだ。ここのところ、体重減ってるよね?」


「まあ……そうだな」

「行ってら」


 実のところ、九重は腹など空いてはいなかった。少食の彼にとって、ノルマのようにボリューミーな食事を毎回完食しなければならないこと自体、すでに必死だったのだから。


 彼の足は一階の売店を通りすぎ、地下へと続く薄暗い階段を降りていた。ほぼ無意識のうちにたどり着いたシミュレータ室には、まだ電気がついていた。


「金子、またさっきんとこ、間違えたぞ。もう一度やってみろ」

「……うん」

「いいや、まだ違う」

「……そうだ、こっちが最初だった」

「オーケー。じゃあ、もう一度テキストを見て、流れを整理しよう」

「うん……」


 デモ機の中から、二人の話し声が聞こえる。九重は意を決してドアを開けた。


「二人ともここにいたのか。邪魔して悪い。帰りが遅かったから、気になって来てみた」


「よぉ、九重。金子にちょっと付き合っててさ」


 華岡の所属する選抜クラスは、一番先を行くクラスで、二日後に 『海底実験室』での "極限環境ミッション訓練" を控えていた。二週間にわたり、宇宙空間に似た閉鎖環境で数々のミッションを行うのだ。


「華岡、お前明日もテストだろ? 海底訓練の準備もあるのに大丈夫か?」


 金子はぎょっとして、華岡を振り返った。


「えっ!? そうなの? 知らなかったよ。ごめん、華岡。遅くまで付き合わせてしまって。僕のことはもういいよ、だいぶ分かったから」


「だめだ。だって、まだスムーズにできていないじゃないか。このままだと、また落ちるぞ」

「……う、うん」


「体が覚えるまで何度もやるんだ。最後まで付き合うって言っただろ」

「だって……」

「俺の心配なんかすんなよ」

「悪いな」


 管理のおじさんに頼み込んで特別に部屋を使わせてもらっていたが、そろそろ限界だ。「やれやれ」とした顔で施錠しに来るまで、華岡の熱血指導は続いた。


 その甲斐(かい)あって、金子は無事に再追試をクリアした。華岡も自身のテストに合格し、颯爽さっそうと荷物をまとめると、予定どおり海底へと旅立っていった。



 華岡のいない寮の部屋で、九重たちは頭の片隅で華岡を思いながら、日々の訓練や課題に追われていた。


 華岡は次の課題で求められることや、クリアするためのコツを三人のために書き残していってくれていた。そんな華岡は、当時の九重にとって、冬の夜空に輝く一等星のシリウスのような存在だった。



 だからこそ、九重は痛感していた。自分は決して華岡にはなれないのだと。明日は我が身の状態の中、誰もが自分のことで精一杯だった。他のメンバーのことを考える余裕などどこにもない。


 学年が進むにつれ、訓練は狂気じみた過酷さを極めてきた。


 例えば、一日の気温差が激しい砂漠地帯を歩き、ボーリング調査を行う地質学実習。あるいは極寒地でのサバイバル訓練。どちらの訓練も、チームワークと過酷な環境での耐性が試される。



 そして一週間後。九重には生死をさまようようなさらなる過酷な訓練が待ち受けていた。


 

宇宙飛行士候補者は、JAXAなどの機関で約二年間の訓練を受ける。

*『海底実験室』…NASAが主導する「NEEMO」訓練は、深さ19mに設置された海底実験室「アクエリアス」で行われている。

**ロボティクス操作訓練…国際宇宙ステーション(「きぼう」など)のロボットアームを操作する訓練。

**船外活動(EVA)シミュレーション…巨大なプールに宇宙服と同じような装備で潜り、微小重力に近い状態で、船外の修理や機器の取り付けなどの作業訓練を行う。

**サバイバル訓練…極寒地や砂漠での訓練が実際に行われている。月や火星でのミッションを想定している。また宇宙船が不時着した時のために、クルー全員で協力し、生きのびるための技術を習得する。日本では陸上自衛隊の協力のもと、山中でのサバイバル訓練が行われたことがある。


【作者からの長い一言】

華岡くんたちがこれから挑むのは、ものすごく過酷な訓練です。JAXAのホームページなどで、実際に行われている訓練を参考にしています。

 ちなみに、九重くんが「つ、付き合ってる……っ!?」と勘違いしたシーンですが、山田くんの言葉足らずのせいで変な空気になっちゃいました(これが、山田くんの良いところです笑)。

 実際の学校でも、あんな風に誰かが誰かにマンツーマンで勉強を教えるような熱いドラマがあったらいいなと思って書いています(^-^)


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