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46.人間時代(2)

 二人は近所にある定食屋、"たらふく" へと歩いていた。安くておいしい飯を腹一杯食わせる店として、地元の学生たちから絶大な人気を誇る名店である。昼時の店内は、学生たちの熱気でごった返していた。二人は運良く、ちょうど空いたカウンターで隣同士に滑り込んだ。


「ラッキー!! 先輩、なに頼みます? 俺は、『卵かけ牛牛(ぎゅうぎゅう)てんこ盛り丼』にします!」


 華岡はメニュー表も見ずに、さっそく注文した。


「先輩、悩んでます?……そっかぁ、じゃあ、ここは俺と同じのにしときます? 」


 なんとも、せっかちな奴だ……。


「じゃあ同じので……」と言いかけた瞬間に、華岡が吠えた。


「おっちゃん!! 卵かけ牛牛てんこ盛り丼 、かけ2で!!」


 耳が壊れそうなほどの特大の声だ。"でしょでしょ先生" の前で振り絞ったあの時の絶叫より、はるかにデカイに違いない……。


「アイヨ!!」

「らっしゃい!らっしゃい!」


 九重はこういう体育会系のノリが苦手だった。隣で卵と肉と飯を豪快にかきこむこいつも、店主も周りの学生も、うるさすぎる。全てが、明るすぎてまぶしいんだ……。


 人ごみが苦手な彼は、普段ならこんなうるさい店には寄り付かない。陰気な店か、人が少ない時間帯を狙うのが常だ。


 華岡は完全な"陽" の人間、俺は完全に"陰" の人間。


 こいつとは金輪際(こんりんざい)、もう、何の関わりもないだろう。食事が終われば、また元の生活に戻るだけだ。


 騒がしい店内で、九重はただ一人、宇宙空間にぽつんといるような感覚で箸を動かしていた。


「あーっ、うまかったっすねー。今度はなにします?」


 やつは、また目を輝かせて俺を見た。やめてくれないかな……その目。


「なにもしない。俺は帰る。これ、飯代」


「えっ? 先輩、これじゃあ足りなくないっすか?」


「えっ?!」


 九重は赤面して、慌ててポケットから小銭入れを引っ張り出した。


「あはは、冗談っす! 俺のおごりなんで、いいっすよ。この後、俺の部屋で麻雀でもしませんか? すぐに人、呼べるんで」


「はぁ?! 俺はしないよ。じゃあな」


 細身で長身の九重は、華岡に背を向けて足早に歩き出した。


「おーい、せんぱーい……!」


 これでいい。これがいいんだ。俺には。九重は何度も自分に言い聞かせた。切らしていたしょう油を買いにスーパーに寄るのも忘れたまま、彼はぼろアパートの自室へ逃げ帰った。



***

 それからしばらく経った、ある休日のこと。


 コンコンコン!


 ドアの覗き穴から目をこらすと、あの"陽" のやつが仁王立(におうだ)ちしていたのだ。


「ちはー! 先輩! もう昼ですよ! 俺も今日は講義がなくて、自由の身なんすよ(笑)!」



 ……どこまでも、しつこいやつだ。


 結局、華岡は他の仲間二人を連れ込んでしまい、九重の狭い部屋は男たちのすし詰め状態になった。そして夜明けまで酒を飲み、騒ぎ、麻雀をした。九重は最初こそ嫌がり、警察を呼ぶぞと脅したりもしたが、しだいにその空間に慣れていくと、騒いでいる連中のそばでも、一人黙々と参考書を読んでいられるようになった。さらには、みんなと(ぱい)を囲んだり、オープンカーに乗って海へ遊びに出かけるという高度な技術を身に付けた。


 九重は自分の変わりようが信じられなかった。かといって、華岡のような明るい気質を手に入れたわけではなかった。


 しかし、華岡がさりげなく自分に気を使って輪の中に入れようとしてくれていることに気がついていた。そのお節介はたしかに面倒だが内心、感謝もひそかに芽生えていたのだった。



***

 ある日、九重が華岡の家へ遊びに行くと、華岡がおもむろに尻のポケットから丸めたチラシを取り出した。


「俺、これ受けてみようと思うんだ」


 そこには大きなゴシック体で、『あなたも宇宙飛行士になりませんか?』と書いてある。


「……本気なのか?」


「ああ。……九重も一緒に受けてみないか?」


「……」


 九重は博士課程を修了したものの、その先の道をまだ決めかねていた。大学に残る選択もあったが、ポストの空きがなく、就職に困っていたところだった。


 宇宙飛行士――。


 

 九重は、夕陽に照らされた帰りの電車の中で、幼い頃の記憶をたどっていた。


 周囲になじめず、いつも独りだった自分に母はたくさんの絵本を買ってくれた。その中で、彼の心を温かな光の方へと導いてくれた本があった。たしか、大学進学でこっちへ引っ越すときに一緒に持ってきたはずだった。


 それは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』。小さな星からやってきた王子さまが、いくつもの小惑星を巡り、色んな人との出会いを通して、愛を知る物語だ。


 子どもの頃は、ただ孤独な王子さまと自分とを重ねていただけだった。しかし今改めて読み返してみると、また違った意味での衝撃がある。


 王子の有名なセリフである『大事なものは、目には見えない』など、簡潔で柔らかい文面には、どこか哲学的で、人生観をもガラリと変えてしまうような不思議な強さが秘められている。


 九重が特に好きなセリフがあった。王子がいよいよ星へ帰らなければならない時に語った言葉――。


『夜になったら、きみは空を見上げる。ぼくの星はとても小さいから、どこにあるのか教えてあげられないけど、でも、その方がいいんだよ。ぼくの星が、あのたくさんの星の一つだと思えば、どの星を見るのも好きになる』



 かつて、母と二人で団地のベランダに出て、大きく澄んだ満月を見上げた夜。母が卒業祝にプレゼントしてくれた望遠鏡を覗くと、月の表面のクレーターがよく見えた。月は石なんだと、感動した記憶が鮮明に(よみがえ)ってくる。


「お母さん。僕、将来は宇宙飛行士になる」


「どうしてなりたいの?」


「宇宙には、まだまだ知らない星がたくさんあるんだ。星の王子さまが住んでいる星だって、あるかもしれない。そう思ったら、いろんな星を見つけに、こっちから行ってみたくなったんだ。きっとその方が、寂しがりやな王子さまだってうれしいと思うんだ」


「そっか、光ちゃんは優しいのね。……うん。きっと、なれるわ。お母さんの子どもだもの」

 


 それから年月は過ぎていった。


***


「もしもし? ああ……俺、光」


「光? 全然電話くれないから、どうしたかしらって心配していたのよ」


「ごめん。あのさ、決まったんだ」


「……就職決まったの? 良かったじゃない! 大学の研究所の仕事を探してたのよね。どこの研究所?」


 受話器を握る手に力がこもる。少しの沈黙の後、彼は答えた。


「……うんとさ、研究所じゃないんだ。……宇宙なんだ」


「……え?」


 九重は華岡と共に見事、航空宇宙訓練学校への入学を許可されたのだった。


 

お疲れ様です。今日は、九重さんも学生時代通った定食屋「たらふく」のご主人にインタビューをお願いしました。どうぞ、ご主人お願いします。


たらふくの主人: よろしく。

作者:よろしくお願いします。ご主人は、学生時代の華岡さんと、九重さんを知っているそうですね。どんな感じの学生でしたか? なにか、エピソードがあればお願いします。

たらふくの主人:そうだね。華岡はね、文句無しでいいやつだよ。明るくって、いつもみんなのことを考えているムードメーカーだね。まあ、少しはしゃぎすぎるところもあったけど、要は熱い男なんだよな。九重君も、とってもいい青年だったな。なにより、彼は心が清らかで優しい子だね。元気でわいわいやるような感じじゃなかったけど、俺が思うに、優しい人間ってのは、ああゆうのをいうんだね。口先だけでおべんちゃら言ってるのは俺は嫌いだからね。純朴なのがいいね。あとね、彼はね、華岡のことを、……

(お客さんが一人見えました)

へい!らっしゃい!らっしゃい!(従業員総出で呼応で、作者そっちのけ…。はい、強制終了…笑)

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