生徒の屋上への出入りは禁止されています。
「おかえり。今日は早かったね。ご飯にする? お風呂にする? それとも――」
「とりあえず説教にする」
屋上に戻ると何事もなかったかのように名古が出迎えてきた。込み上げてくる怒りを押さえ、深呼吸をする。冷静にならなければ彼女の思うツボだ。ジャージのチャックを引き上げ、気を引き締める。シャワー室を借りて洗浄してきた髪は湿っていたが、頭を冷やすためのものだと思い込み、我慢することにした。
「それともーの後を言わせてくれないんだ?」
名古はするすると梯子を上り、ペントハウスの上に立つ。やわらかな長髪とスカートが春風と踊っているようで、思わず僕はその動きに見とれてしまった。ひざ丈のスカートからのぞく白い太ももがまぶしい。……っといかん、いかん。あやうく目的を忘れるところだった。
ジャージのポケットからハンカチを二枚取りだす。それを両手にあてがい、そのまま梯子をのぼった。ちょっとした手袋代わりだ。
「はい。どうぞ」
名古がすでに置いてあった通学カバンから、藍色の風呂敷を取り出して床に敷いた。何か罠がないか確認してから座る。名古は普通にコンクリートの上に座っているけど、僕にはとてもじゃないけど真似できない。
おままごとみたいだね、と名古が笑うが僕の表情は以前として固いままだ。
「名古、上履きの件は涙をのむ思いで無かったことにしよう」
「うん。本当に泣いていたもんね」
「うるさい」
自分の目的を思い出せ。この程度でいちいち腹を立ててはいけない。
「屋上は出入り禁止だ。僕は半年以上前からそう言っているよな?」
「ねぇねぇ。それともーの続き気にならない?」
無視。
「屋上は危ないんだ。名古は平気だと言うけれど、他の人はそうじゃないだろう。とくに今年から名古は二年生なんだし、新入生が勘違いして屋上で遊び始めたらとても危険だ」
「そっかー。やっぱり続き、気になっちゃうよね。仕方ないなー」
だめだ。話が成立しない。同じ年数を生きてきた人間とは思えないほど大きな隔たりを感じていた。
「おかえりなさい。ごはんにするー? おふろにするー?」
止める間もなく名古が勝手に喋りだす。そのうららかな口調に、思わずここが屋上であることを忘れてしまう。疲れて家に帰ってきた僕を名古が出迎えてくれて、こうしてお約束の質問をするのだ。
「それともー」
そこでわざと間をあける。そのせいで僕は呼吸を忘れて名古をみつめてしまう。
あぁ……何故かドキドキしてきた。桜の風が髪をなで、夕陽が名古を染め上げる。どこか大人っぽい艶を帯びた唇が次の言葉を紡ぎだす。
「読書にする?」
「この読書ヲタクが!!」
僕のときめきを返せ! と怒鳴りたいが「じゃあ、何を期待していたの?」と尋ねられても困るので、ぐっとこらえた。
名古は拗ねたように唇を尖らせ、鞄をあさり始める。
「ひどい言い方するなぁ。文学少女って呼んでよー」
真っ赤な箱に入ったポッキーを取り出し、僕の頬をつつき始めた。たいして効果のない抗議だ。
その後、僕はしばらく沈黙していたが、名古の抗議がしつこくウザかった為、適当な話題をふる。
「今日は何の本を読んでいたんだ?」
「お菓子なアリスの国」
「不思議なアリスの国だろ」
「不思議の国のアリスだよ」
「あ、しまった」
してやったり、という顔で名古はポッキーをくわえた。すぐに歯をたてず、チョコをなめるのが名古の食べ方だ。ちなみに僕は間食が嫌いだ。
「ひさしぶりに読んだけど面白かったよ。でも三月うさぎはどうして三月なのかなーって思った」
僕はあいまいな記憶を辿りつつ、三月うさぎの事を考える。アリスが最初に目撃したうさぎとは違ううさぎだったんだっけ? やはりあいまいだ。
「三月うさぎ、四月うさぎ、ごっがつ、う・さ・ぎー」
名古がまた歌いだす。歌詞は変としか言えないものだが音程は正確だ。そのせいで余計に変な歌に聞こえてしまう。
ふと、歌というキーワードから、ある記憶が呼びおこされる。それは名古の母親の顔だった。




