私もまた、森の一部。牙も爪も無い弱き獣
水を飲んだからか、唾液がゆっくりと出てくるのを感じた少女は、躊躇うことなく二個目を口の中へと放り込み、ご満悦な笑顔で、先ほどと同じ手順でゆっくりと食していく。
最初は座ってお行儀よく食べていたのだが、山から街まで全速力で駆け下りたせいなのか、座っているのも辛いと感じ、体を横にして食事というなの舐める作業を続けていく。
気が付けば唾液浸された小麦を焼いただけの物は柔らかくなってきたので、削るように噛み、削った小さな粉の塊を噛み砕き続けているとふと、少女の世界を照らしてくれる小さな光が気になってしまった。
差し込む月明かりに誘われるように近づき、月明かりを頼りに空を見上げると、少女の頭の中はまたも、今日起きた出来事が溢れ出てきてしまっていた。
本日、何度目かになる回想…
楽しい記憶に触れていると、少女はふと、自身の体の一部が熱を持っているかのような錯覚を感じていることに気が付いた。
熱を感じる箇所にそっと少女の指先が触れると、そこは、彼に触れられていた箇所だった。
迫りくる雪崩から守るように抱き寄せられてしまった肩。
彼の手が触れた部位が未だに熱く、その熱に触れると徐々にじょじょに、まるで、布に水を含ませるかのようにゆっくりと…
全身へと熱が広がっていく…
あたかも、この瞬間も…
彼に守ってもらっていたあの時のように…
暖かく少女を守るように熱が全身を包み込んでいくような…
そんな不思議な感覚が少女の体を包み込んでいく…
少女はこの暖かい感覚に覚えがあった。
その熱はまるで…
そう、この瞬間、この時刻、この場所でその暖かい物があるわけが無いのに…
その熱を感じてしまう、不思議と感じてしまっていた。
その熱とは、幼き頃から、今日だって、いつだって、誰しもが知っている熱。
あの優しくもあり厳しくもある熱が、少女の体を包み込んでいる。
月夜だというのに少女の体は
まるで、太陽の…お日様の下でお昼寝するみたいに暖かく包まれていっているような感覚があった。
余りにも心地よい熱に…
少女の意識は少しずつ、幼き頃のようにその熱に身を委ね、静かに舟をこぎ始めた。
このまま、気持ちよく安らかに眠れるのだろうと少女は感じていたのだが…この熱が…この温もりが…過去を呼び起こす
少女の体の中、奥底へとねじ込み二度と出てこないでと祈った…
忌まわしき幼き頃の記憶が呼び起こされていってしまった…
少女は、思い出したくない故郷での日々を彷彿と湧き上がのを感じつつも、全身を包む穏やかな熱に身を委ねていくのだが、不思議とその熱に対して嫌な感情はわかなかった、寧ろ…
穏やかな感覚に
少女は久しぶりに…心穏やかに眠ることが出来た
だが…そんな休まる一時なぞ…
この森には無いのだと少女を現実へと叩き落す。
草が揺れる音が少女の頬を撫で鼓膜を通りすぎた瞬間、少女の体は心臓を爆発させるように鼓動させた。
少女は跳ねるように動いた心臓の力によってすぐに目を開き意識を覚醒させた。
直ぐに意識を耳へと集中させ、より深く、より確実に音を拾う為に、先ほど聞こえてきた音を拾いきるために、地面へと耳を密着させるように押し当て目を閉じ周囲へと意識を向けていく。
地面を伝い聞こえてきた音は…何か…それは…警戒するべき…肉食獣なのか…何か悪意ある夜に動く人の足音なのか…
少女は意識を地面へと溶かすかのように高めていく…
意識を研ぎ澄まし聞こえてきたのは、幸いにして小さな音だった。
その音は、とても小さな音で少女が警戒するべき音ではなかった。
その小さな音を何かが追いかけるように続くような音も無かった、他にも警戒するべき音も無かった。
鼻から息を吸い込み、ゆっくりと木の葉すら揺らさない程度に、荒ぶる心臓を落ち着かせるためと、全身に駆け巡った緊張を抜くために、ふぅっと息を零した。
危険ではないとわかった瞬間、少女の体から汗が噴き出してくる。
少女はつい、手のひらへと意識を向けると、じんわりと手のひらが暖かいと感じていた。
どうして暖かいのだろうかと、手のひらへと視線を向けると、手のひらが光っていた、どうやら、太陽の光が少女の手のひらへと温もりを与えおり、汗が光を反射させていた。
手のひらに宿った熱を握り締めるように手のひらを閉じてから少女はゆっくりと体を起こし口の中に残っている昨日の食べ残しを飲み込む。
羽織っている服を巡り上げ服の内側で顔を擦ってから、盛大に呑気に大きな欠伸をしてから、ねぐらから出ていくと、気が付けば塒の外は真っ暗だった世界とは違い、心地よい光の束に包まれていた
光の束を受け止めるように少女は大きく手を広げ木々の先、空へと視線を向ける
「お空がきれい」
木々の隙間から見え差し込む柔らかい日差し。
その向こう側へと少女は思いをはせるように呟いてから、もう一度、全身を伸ばすように腕を空へ向かって伸ばすと世界は少女の日々を祝福し歌うかのように少女を光の束で包み込んでいく。
木々の隙間から流れるように差し込んでくる光と、その隙間から見える綺麗な青色が、世界が…少女を出迎えてくれているのだと錯覚してしまいそうだった。
少女は胸いっぱいに森の空気を吸い込む様に深呼吸をしてから、回れ右をし自身のねぐらへと体の半分、上半身だけを突っ込み、塒の奥へと腕を伸ばし木の根元の奥から愛用の鞄を取り出してから、いつもの様に慣れた手つきで木の根元にある塒を念入りに隠していく。
誰かに見つからないように木々や枝を被せ、自分しかわからないであろうとチェックを終えてから、上機嫌に水が流れる音がする方へと向かっていった。
水の音が聞こえてきた場所に到着すると、そこには透明な湧水があった。
森の中にいくつかある水場の一つ、そこの少女が到着するといつもの様に鞄から使い古した布を取り出してから、着ている服を脱いでいくのだが、年頃のお転婆な娘さんみたいにその辺に脱ぎ散らかすことなく、お行儀よく綺麗に服を畳む、畳み終えると鞄と共に、長いロープで縛る、そして、ロープの先を腕に巻き付け始めた。
先ほど鞄から取り出した使い古した布を湧水が湧いている冷たい水たまりへと浸し、布を絞り適度に湿らせ始めた。
少女は手に伝わる冷たい感触に体を小さく震わせ何度も深呼吸を始める。
森の中にはこういった湧水が湧いている箇所がいくつかあり、ここもまたその一つ、森に流れる小さな川の起点となっている。
ここから湧き出ている水が何処かへと流れて行き、その流れは幾つもの湧水と合流し、小さな川となってどこかに流れていっている。
その為、この森では水場を求めて争いが起きるような事は無く、また、豊富な水源が随所にある為、水を求めてやってくる小さな獲物を待ち伏せするような脅威も遭遇するリスクが非常に低い。
その源流の一つである水たまりに処女はもう一度、布を浸す。
冷たい水を含んだ布を体に擦り付け洗っていくのだが、いつだって湧水の水は冷たい
「ぅぅちべたい」
僅かに宿った少女の熱を次々と奪っていく。
少女の体は、いつもの様に熱を求め小刻みに震え始める。
少しでも熱を求めて足踏みが止まらなくなったとしても、少女は気合を入れて何度も何度も布を冷たい水に浸しては絞り、冷たい布で体を擦り続けた。
「はぅーあぅー…うぎぎ」
辛いことに、この時期はこの周囲も肌寒く、木々の間を通り抜けていく風は冷たかった。
お日様の光も木の葉の隙間を通る僅かなものとなり、その程度では少女の体に熱を与えることは叶わなかった。
冷たい水で体を洗う少女の体温は下がる一方…
少女の体は熱を求めるように震え続ける、最初は小刻みだった震えも徐々に徐々に、小刻みを通り越し全身が躍動し強風で煽られているかのように体が震え始めていた。
毎朝のこの習慣は、常人であれば心が折れ手早く済ませるほどに苦行であるにも関わらず、少女は、全身が凍り付きそうになったとしても歯を食いしばり身を清め続けた。
冷たい布で体をふくだけに留まらず、少女は、そうするべきであり、それが当然であると言わんばかりに常人では耐え切れない行動へと移す。
そう、誰もが絶対にしない、湧水を手のひらですくうという行動を少女は躊躇うことなく歯を食いしばり行った。
指先ですら触れるのを躊躇う程の冷たく、その冷たい液体に指が触れると鋭い棘で刺された様な鋭い痛みが走る。
そんな過酷な刺激が待ち受けているのに、少女は、湧水で髪の毛や顔といった箇所へと気合を込めて湧水をぶつけ汚れを洗い落としていく。
何度も何度も、冷たい湧水へと手を突っ込み続け、少女が満足する迄、体を清め続けると少女の両の手が痺れてきていた。
その段階になってようやく少女は体を洗うのをやめた。
全身を震わせ歯を鳴らしながら鞄の中から渇いた布を取り出して体温を奪っていく水滴から解放されていくのだが、全身の熱が全て水に溶けてしまったかのように全身が冷たくなってしまっていた
「ぁ、ぅ、ぅ、ぅ」
更に全身を震わせて渇いた布で皮膚を擦り続ける、最初は小さな動きだったが、体が熱を取り戻してくるとその動きは大きくなっていった。
いつものように渇いた布で肌を擦り続けることで少女の体は熱を取り戻していく。
ある程度、体に熱が宿り、青ざめ、紫色になってしまった少女の唇が些か生気を取り戻したかのような色になると、驚いたことに、少女の前に尻尾が大きく茶色と黄色の縦線模様がある小さな獣が姿を現した。
警戒心の強い小さな獣が少女の足元まで近づき、多少は熱を取り戻したとはいえ、まだまだ、青ざめ小刻みに体を震わせている少女を堂々と見上げてくる。
少女もまた足元まで近づいてきた突然の来訪者と目が合い
「ぅ?」
小さな声を漏らしどちら様?っと、首を傾げてしまった。




