自由って良いわね、どうして、私とは…
そのまま照れ笑いのまま、表情を崩すことなく二人から離れ、お淑やかに建物から出て行った。
そんな礼儀正しい少女の姿をお姉さんは微笑みながら優しく手を振って見送っていた。
少女が開けたドアが軋む音を響かせながら閉まると、建物の中から音が消え、音を連れてきてくれた人物の足音が遠ざかっていくのをお姉さんはどこか悲しそうな顔で小さくうつむいていた。
一瞬だけ建物の中が騒がしくなったけれども、音を運んでくれた人物が居なくなると部屋の中が静かになってしまう、それが寂しいのかお姉さんは物憂げに少女が来る前にしていた作業へと戻ろうとすると、物憂げな表情は直ぐに弟子としての顔へと変わった。
気持ちを切り替えて作業を開始すると
「ふむ、明日、知り合いの…」
先生と呼ばれている人物が細い目を大きく開き、未だ居るであろうと思っている少女に向けて何か言おうとしたが、その開かれた眼には、はつらつと、されど儚さを纏う少女の姿が無かったため、語ろうとした言葉が止まり、近くで作業をしている弟子に向けて
「私は、どれ程?」
隣で平常運転よろしく作業を開始しようとしている弟子へと状況を確認すると
「あ、はい、えっと、そうですね。今回はお早い方ですよ」
弟子は作業を続け乍ら師匠に言われた内容に対して的確に返事を返していく
「ルーちゃんが帰られてから僅か数秒ほど、ですよ。ですので、だいたい…5分?10分?くらいじゃないですか?」
自分が何分近く思考の渦に囚われていたのか把握した先生は目を細め右手で軽く顎髭をなぞるような仕草をしながら「そうか、明日にはくるじゃろう」何度か頷いてから、呑気に小さな欠伸をしていた。
そんな呑気な先生に弟子である彼女は聞かなくてもいいのに、つい、いつもの様にそれが彼女たちの日常であるように、礼節抜きで質問をぶつけてしまう、答えはいつだって同じだとしても
「先ほどの、よろしいのですか?対価もなく」
「守銭奴。良くないぞ」
小さく零すような問いかけに対して直ぐに諫められてしまう。
彼女はこうなることがわかっていたとしても、どうしても疑問をぶつけずにはいられなかった。
師の不機嫌そうな声に臆することなくお姉さんは言葉を続けようとする
「です、が、あれは」
「高くとも。そも、あれはもう時期、効力が弱まる、無駄にしてやるな。この時期、この瞬間、天に揺らめく二つの光、示していたのだろう、そも、あれは、あの子の中へと廻る、そういった廻り合わせだったのだろう」
先生は圧を込めて弟子の言葉を遮る、その言い分に弟子は納得が出来なかったのか眉に皺を作ってしまっていた。
そもそも、弟子として師匠の行動に納得が出来ないから、突っかかったのである。
何故なら、少女に渡した水、あの中に溶かし込まれた薬は少女が易々と飲んでいいような…安い品ではない、豪商と呼ばれる様な人達が手にするような高額なく薬の一つだから。
高価な理由は単純に、入所困難な材料を用いており、調合の配分を知っているのも師匠だけとなる特別な薬の一つ、それを弟子は知っているからこそ、あんな気軽に分け与えてはいけないのだと…
何故、あの少女を特別扱いするのかも弟子は不満を抱えてしまっていた。
弟子はいつだって師である先生のさりげない行動すらもしっかりと覚え少しでも学びへと変えようとしている、その為、弟子はいつだって先生の行動を把握していた。
弟子としても、情が無いわけではない。
少女の境遇などを考えるとあの薬が高価であるのだと少女に伝えてはいけないのだと、それもまた理解はしていたし、少女にとって必要なものなのだと先生の行動からして理解もしている、しているのだが、弟子として、いや、人として、その先生の行動、未だに納得が出来ず答えが何時だって二律背反のようにすれ違っていた。
弟子として納得がいかない部分がある、それが経営としての部分だ。
なぜなら、あの薬はまだ高値で売れると弟子は計算していた。
効力が弱まっており狙った作用や効能が期待できないのであれば勿体ないが破棄する、それ程までにギリギリな状態の薬であれば少女に飲ませたのであれば納得する。
何故なら効果のない薬を豪商にでも売れば反感を買うだけだと弟子は理解しているからだ。
だが、あの薬であればまだ持つ、効力に期待が出来る範囲内であると弟子は知っている。
なので、明日にでも豪商に話を取り付けてその場で薬を飲んでもらえば…まだ、売れる薬だった。
明日と言わず、少女が飲んだ破棄が近い薬であれば、まだ、一週間の間くらいであれば問題など無かった。
明日にでも豪商へと話をつけに使いの者(自分)が用件を取り付ければ、あの薬は金に変えれた…
そう、先生を贔屓にしている豪商であれば、急な用件であろうと耳を貸すだろうから。
だったら!今この瞬間、なんかの廻り合わせで先も無い少女に薬をタダで飲ませた先生の考えに弟子は理解が追い付かない、からこそ、何時だってこの答えに納得が出来なかった。
だが、現時点ではまだ破棄の段階ではない。
明日にでも売れるかもしれない高価な薬であるのという一点においてそれは間違いなく揺るぎようがない事実であった。
なのに、先生は売るという判断を捨てたのだ
経営だって豪商から多くを借り受けて何とかしている
この店に高価な薬を施すような余裕なぞ皆無なのに
何故か、そう、どうしてなのか、先生は、あの少女に高価な薬を飲ませた
それも、一度だけじゃなく…
先生が他にもそのように誰にでも優しく神のように慈悲深い人物であれば弟子は何も思わなかっただろう、傍に居続けている弟子は先生と呼ばれている人物が生易しい人物ではないのを誰よりも理解している。
そう、この人物は、弟子が相手だとして、絶対にその様な施しなんてしない。
そんな厳格で色々と厳しい先生が何故か、あの少女にだけは甘かった。
どうして先生はあの少女を特別扱いするのか弟子には理解ができなかった。
何度も何度も考え、同じような場面を見届けてきたけれども
何度その場面を目撃し質問を投げかけたとしても納得が出来なかった。
弟子は先生がどうしてそのような行動を選択するのか…
心底、納得が出来なかった…
ゆえに、何度でも、同じ答えが返ってくると解っていても聞かずにはいられなかった。
何か隠し事をしているのではないかと弟子は師を…信じ切れないことが辛かった。
そんな態度がにじみ出ている弟子を目の当たりにした賢き先生は、小さな溜息を零してから明後日の方向へと視線を泳がせている。
この話は永遠に交わらない平行線であるのだと師もまた理解している。
弟子は師である先生の考えが変わらない限り、詳細を説明をされたとしても絶対に納得しない、という姿勢を崩さないのを何度も見てきた先生としては、また同じことを繰り返すのかと、滲みだすように呆れたような声で
「薬とて、何も成さず、意味も無く消えるのは悲しいとおもわんか?」
この状況になると同じように弟子にいつもの質問を投げかけるが、その押し問答の始まりで、この先に続く言葉を遮るように弟子は同じ答えを返した。
「意味はなくとも?前提が間違っています。あの薬はまだ売れます」
薬師としての経営状況など、帳簿の付け方すらも死から教わっている弟子からすれば、この店がいつ豪商に全て差し押さえられてもおかしくないほどに借金を抱えているのを知っている弟子としては
いつだって、損得勘定で反論してしまう。
弟子としてもそこに人情などは必要がないと理解している。
合理的に生きないといけないと心のそこから信じており、生きるためには曲げてはいけない部分があるのだと、師とは何度もぶつかり続けている。
だが、師はその様な弟子の姿を見るといつも冷ややかに冷めた瞳で弟子を見つめてしまう、その欲にまみれた様な悪臭すら漂ってきそうな姿を見下すように…
師は軽く首を横に振ってから弟子の間違いを正し始める、それも、弟子が納得できる内容で
「その言い分、間違いに気が付かぬか?弟子よ、大前提として、私が交渉の場に立てば、っというのを忘れてはいまいか。弟子よ、お前がお前ひとりであの薬を売りに行けるのか?話を通すことが出来ると申すか?」
師の言葉は何も間違っていなかった。
薬師として長く世を渡り、数多くの力ある商家達と接して来た師であるからこそ、つまりは贔屓にして貰っている豪商との伝手があるからこそ売れる。
師の言葉そういう意味であるのだと、師は優しくされど鋭く弟子を諭すように伝えると。
「ぅ、無理、です」
その前提があるからこそあの薬が売れるのだと弟子はしっかりと理解しているがゆえに、自分の浅はかな考えだと諭されてしまい、俯いてしまう
その姿を見た師は呆れた様な顔をしてから
「まだまだ」
首を何度か横に振りドアへと向かって歩き出し
「名を授けることはできん」
ぽつり小さく、聞こえてしまったも構わないのか聞こえて欲しくないのか、いや、敢えて聞こえるように言葉を残し、何も言い返せなくなってしまったまだまだ経験が足りていない弟子を振り返ることなくドアを開け何処かへ去って行った。
その後ろ姿に弟子は何処に行くのですか、っという質問すら聞くことが出来なかった、何故なら弟子は、師の言葉である”まだまだ”に含まれている様々な至らぬ指摘がフラッシュバックしていたから。
先生が去っていき、静かになってしまった建物の中…
弟子は苦い薬でも噛まされているかのように表情を崩してしまっていた…
ただ、この状況に慣れているのか、弟子は直ぐに表情を崩したままだとしても作業するために体を動かし始めた。
ここで苦しみ耐えていても何もならないと彼女は良く知っている、少しでも紛らわせようと木のコップを手に取り流し台へと向かおうとすると豪快にドアが叩かれる音に心の底から項垂れてしまった。
振り返りたくないと思っていても来客はそんな事を考えたりなんてしない
「おう!きたぞ!」
蝶番が悲鳴を上げ豪快にドアが開かれ大きな声が声が部屋の中で大きく反響した。
やってきたのは乱暴な来客?いやまて、薬屋だというのに薬を求めてやってこない客を客と呼んでも良いのかとお姉さんは少しばかり悩んでしまったが、そんな事はどうでも良いと、心の中で盛大に溜息を吐き捨てるのと同時に心が折れてしまいそうになるのを何とか堪える為にもう一度、盛大に豪快に今度は相手にも見えるように溜息を零した。
よりによって先生がいない時に厄介な邪魔者が来たものだと、弟子は聞こえても構わないと盛大な溜息を吐き溢して振り返ると乱暴な客は店内を一瞥しお姉さんを見て上機嫌で近づいてくる。
その姿を見てお姉さんはただ一言、心の中でただ一言
『廻り合わせがあるのだとしたら、私の廻り合わせはこんなのばかりなのかしら』っと、先生の言葉が彼女の境遇全てが運が悪いのだと、心の奥が痛くなるのを感じていた。
それと同時に、敬愛する先生の言葉すらまともに受け止めれない己の未熟さに呆れも感じてしまっていた。
そんな状況だとしてもお姉さんは引きずっていたとしても気持ちを切り替えていく。
望んでいない相手を前にしたとしても…
そう、可能なら、出来る事なら、金輪際、一生会いたくない人物が来客としてやってきたとしても…
薬師の弟子として、薬売りとして、自分は街を支える大切な役柄なのだと言い聞かせると思考がいつもの薬屋の看板娘として切り替わっていく。
そうすることで漸く、目の前にいる人物を対応する心構えが出来上がっていく。
まるで麻痺作用でもあるかのような薬を飲んだ後のような、そんな状態へと自身を導き目の前の人物へと相手取る…
こんな夜だというのに、ここが薬を扱う街にとって大切な役割を持っている大事な店だというのに、用もなくやってきたどうでもいい人物が相手だとしても…
誰であろうと変わらない取り繕った笑顔で挨拶を返す、まるで、愛嬌のある看板娘のように…




