098 緊張と油断の微笑2
背筋を伸ばして立つイェライシャの隣に半歩だけ控えて並んだ俺は、彼女の視線が捕らえるであろうものをその頭の動きから追っていた。
勿論そればかりに集中していた訳じゃないぜ?
同時に部隊の動きや揃い具合もきちんと把握出来るようにしている。
好奇心やそれぞれの思惑から注意の多くをイェライシャに向けているおかげで、どうやらいつもより隙の多い騎士達をじっくりと観察する。明日の晩の王宮への伺候に当たって、親衛隊が弛んでいては困るからな。
こんな機会は確かになかなかないから、見せ物のような扱いのイェライシャには申し訳ないのだが。
「略式の儀式だけれど……君からも返礼をしてやってくれる?」
副隊長を務めているラズィル・シアルウィールの号令で皆が一斉に動き、乱れのない揃い具合に満足しながらそうイェライシャに指示を出す。綺麗な姿勢を保っている彼女だが、その実緊張で固まっているだけだとちゃんと判っているからね。
とは言え漠然とした返礼と言う言葉だけでどんな行動を取るかは彼女任せだったのだが、いつも通りの優雅な礼を、浅過ぎずかといって深過ぎもしない微妙なバランスで披露してみせる。
まるで彼女の立場を表わしているような微妙な危うさだな、と考えながら見守っていた俺は、顔を上げたイェライシャのその視線の先にいた男がイェライシャににこやかな笑みを見せたのに気が付いた。
その男はさっき玄関前の警護をしていたセグリエス・ティルガだと咄嗟に判別が付くが、なんでそんな笑顔が出て来るんだ?
そんなに積極的に女性にアプローチするタイプの男ではなかったはずなのに。
そう訝しみながらも、中断させる訳にもいかない型通りの儀式を続ける。
とは言え略式のものなので、じきに整列していた者達も隊列を変えると馬場の縁へと移動して一旦そこで解散となった。その後は各自での鍛錬となるのがいつもの流れだ。
案の定、皆は幾人かづつのグループで固まってそれぞれに手合わせをはじめる。
俺はそれらの動きを目の端に入れながら、副隊長のラズィル・シアルウィールが挨拶に来るのをイェライシャの隣に立ったままで待つ事にした。
ラズィル・シアルウィールは俺より少しだけ年上で、落ち着いた雰囲気のある黒髪の男だ。
瞳の色は一見すると黒いのだが、時々金色が掠める不思議な色をしている。自分の瞳の色が実は嫌いなのだと公言して憚らないヴァルなどは、彼の瞳の色が気になって仕方がないらしい。
こちらへと足を向けながらも途中の若者の指導を怠らない彼が、その視界に俺達を映しているのを承知しながら俺はイェライシャに彼を指し示してみせた。
「彼が副隊長のラズィル・シアルウィール。俺が長い間留守にする事が多いから、実質的にはこの隊を纏め上げているのは彼だと言っても間違いは無いな」
俺の指し示した方向を見つめるイェライシャが少し俯き加減で、らしくない、と感じた。
「……何か気になる事でもあったの?例えば、セグリエスの事とかで?」
鎌をかけた訳じゃないが、思い当たる事と言えばそれくらいのものだ。
けれど案の定、彼女は増々俯いてしまう。
どうやら図星だったらしいのだが、セグリエスのやけに嬉しそうな微笑みと目の前のイェライシャの落ち込み加減とがどうにも繋がらない。
「どう……」
「ご免なさい、失敗したかもしれないわ」
一体何をそんなに深刻に考えているのか問いかけようとしただけなのに、先に謝られてしまった俺は戸惑う。
「返礼も完璧だったし、隣で見ていた限りでは君は失敗なんてしていないと思うんだけれど?」
できる限り穏やかな声でそう返事をすると、ようやくイェライシャは顔を上げて俺を見た。
しばらく言いにくそうにしていたが、聞き取れるぎりぎりの声が帰って来た時はどうしようかと思ってしまった。
「うっかりしていて、セグリエスさんにだけ微笑んじゃったの。何か誤解されちゃったらどうしよう……って笑わなくても良いじゃない」
実に他愛の無い事で真剣に悩んでしまっているその姿に笑いが込み上げるが、胸の奥では少し複雑な気持ちも蟠っていた。
社交辞令に過ぎないイェライシャの微笑みに、嬉しそうな反応を見せたセグリエスの気持ちも判らなくはないのだが、それを目の当たりにしてしまうとつまらない独占欲がうずく。
そんな翳りを隠したまま、やはり俺はしばらく笑い続けていた。




