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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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095 噂の速度


 好奇心からの問いだったのだろうと思うけれど、伺うような、探るようなその問いは全くの不意打ちだったわ。

 私は瞬間黙り込んで、その質問をして来た多分私とそんなに年は違わない彼、をまじまじと見つめてしまった。


「……ほら来た。誰だ、早速そんなガセをばらまいた奴は」


 隣で同じように凍り付いていたファドラーンがそう言葉を繋ぐのだけれど、彼の言葉の端からも明らかな動揺が感じ取れる。

 これは、今後何回でも遭遇するであろうこんな場面で、私もきちんと対応しなくてはいけないのね、と気を引き締めざるを得なかった。


「さっき警備の当番から帰って来た、セグリエスさんとガティノワさんがそう言っていたんですよ。主人さまが女性をお連れになったと」

「……それで二人は?」

「ガティノワさんが……すぐに用事ができたからと外出を。セグリエスさんはさっきまで食堂でしたけれど」

 この話題が出てから急に厳しい表情になってしまったファドラーンに驚いたようで、アルガは少し落ち着きが無くなっている。


「やっぱり、か。今更だが、ガティノワの行動には今後更に気をつけなけりゃいかんな。あいつの……エブランデティオス家は家柄の良さが自慢でね。そのお陰でここに所属しているのだが、どちらかと言うと現王の勢力に迎合していて、時々自分の主人の情報を実家に流しているらしいんだ。」

 さらりと何でもない事のようにそう説明してくれるのだが、内容はかなり微妙な、護衛の任に当たる者にはあってはならないような内容ではないの?

 私の表情が強張っているのに、ファドラーンは至って軽く肩を竦めただけで。


「勿論初めからそれは承知の上なんで、どの情報をどの程度見せるか……は気をつけているんだよ。勿論、今回の君の事もね」

 ちゃんと手綱は付いているし、ある程度計算済みだと言いたいらしいのだが、あっさりとそれを受け入れるには不安があり過ぎた。

 理由は判っているの。

 私は彼等に対して、と言うよりは自分に自信がないから。

 別の言い方をすれば、何の為にこの国へと渡って来たのか、そう問われた時に胸を張って答える理由がはっきりとしていないからだわ。

 でも、はっきりと意思表示しておかなくちゃいけない事があるのは判ってきた。

「えっと、アルガ?確かに……私はこの屋敷のご主人の招待を受けてこの国に来たのだけれど、そのヴァル殿とは……さっきの彼等が噂していたような事は一切ないの。浮ついた噂を流されるのはとても不本意なので、協力して下さる?」

「協力……ですか?」

 怒っているのではないと判ってもらう為に笑顔で、それでも訝しげなアルガにゆっくりとうなづく。

「別に何かして欲しいって訳じゃないの。ただ、私とヴァルさまの……その手の噂を振られた時に、否定して下さればいいだけな の」

「……それで僕が嘘つきにされる、と言う事はないんでしょうね?」

「こら、アルガ」

 少し目を眇めるようにしてアルガの瞳が私を伺う。

 真面目な表情で言った私が疑われているのではなく、多分彼が慎重な性格だからそんな言い方になったのかしら。不躾とも取れなくはない彼のその言葉にファドラーンが何かを言おうとしたのだけれど、私はそれを遮っていた。

「もちろん、ありませんわ」

 他の事には自信はなかったのに、これについては確信にも似たものがあって、そうはっきりと肯定すると改めて私は彼を見つめた。

 そして彼も私をしばらく見つめ、そして不思議そうな表情を見せる。


「……わかりました。なるべくご希望に添えるよう……努力はしますが、大した働きは出来ないと思いますよ?」

「どういう意味でしょう?」

「……噂でもいいからあの方との仲を疑われたい、っていうご令嬢になら随分沢山お目にかかってきましたが、貴女はその逆なんですね」

 アルガの唇の端に浮かんでいるのが微笑みだと判って、ようやく私もぎこちないけれど作り物ではない笑顔で、それに応じる事ができた。

「ええ。そう思われる事が、私にはとても不本意なので」

 深い意味もなくそう言っただけの私の言葉なのに、アルガは明らかに曲解したらしい。

 含みのある視線をファドラーンへと向けて、にっこりと更に微笑んでみせる。


「残念でしたね、隊長。ヴァルさまが身を固められ、さらに隊長に彼女ができれば貴方がヴァルさまと怪しい仲だって言うウワサも消えちゃうんですけどね」

「……え?」

「ばっ、な、な、……何を言ってるんだ、アルガ?」

 私が間抜けな声を出すのと、ファドラーンが裏返ったような変な声を出してアルガへと問い返したのはほぼ同時だったと思うわ。

 少年が口にした事の意味をすぐには理解できなくて戸惑う。

 そして彼が仄めかしたのは私の故国では忌わしい背徳的行為と看做される行いの事だ、と思い当たった頃にはアルガは既に事態を楽しんでいるといった満面の笑みを浮かべていた。 それに対して私は頬が火照って赤くなるのを何とか隠そうと、両方の頬を手のひらで隠すことしか出来ない。


「あまりにもヴァルさまに女性絡みの噂がないものだから、一部のご婦人方の間ではそんな戯れ言も囁かれているんですよ。そうでなくては彼女達のブライドが許さないんでしょうね。それとも……遊ばれているだけなのかな」

「もういいから、アルガ」

 かなり困ったようなファドラーンの様子と、けろりと悪びれる風もないアルガ。

 ファドラーンもその噂は既に承知していた風にも見えるけれど、私の耳には入れたくなかったのかしら。

 彼のその狼狽えぶりは面白い程で、普通ならば眉をひそめてしまう類いの話題だと言うのに私はただ彼等のやり取りを見守っていただけだったわ。


「お前はラズィルに声を掛けて、皆を集合させるんだ。ヴァルさまは臨席なさらぬが、そのお客人に代理を頼んでの閲兵をする。まさかすぐに用意が出来んと言う程に弛んでいるとは思わんが、長くは待たせるなよ」

「はい、御命承りました」

 背筋を伸ばして、ようやく気を取り直したらしいファドラーンがそう言葉を続けると、応じたようにアルガも姿勢を正して礼儀正しく答える。

 そして踵を返して急ぎ足で建物の中へと入っていった。

 アルガの変わり身は見事なまでに鮮やかで、先程の態度からは想像も付かないくらいに礼儀正しい。  

 それに半ば呆れて彼の後ろ姿を見送ってしまっていた私は、ファドラーンが何かを言ったらしいのにも気が付かなかった。


「……何?」

 名前を呼ばれたのだと気付いて見上げると、笑顔が妙に楽しそうだわ。

「そんなに呆れなくても良いだろう?さ、行こう」

「行くって……何処へ?」

 突然そう促されても、何の事だか判らないじゃない。

「練兵場として使っている馬場。ここの主人の代理として、そこで君が彼等を閲兵するのさ。今のアルガと俺のやり取りを聞いていなかった訳じゃないだろう?さ、どうぞ」

 ぼんやりしていた私をからかうような口調で揶揄した彼は、笑顔のままで腕を差し出す。 護衛も兼ねる案内人だからこれくらい傍に近寄っても礼儀上の問題はないけれど、それ以外の思惑もちゃんと判った。

 内緒話は近い程聞き取られにくいって。


 でもどうして私なの?


 しかもヴァルの代理だなんて、口実に過ぎない事は明らかすぎる。

 隊を動かすだけなのならば、隊長としての貴方の権限があるじゃない。

 差し出された彼の腕に素直に手を沿わせ、どんな言葉でそれを訊ねようかと思案しながらファドラーンの横顔を見上げた。

「君がこの屋敷の主人からどれほど信を置かれた客か、という事を誇示しておきたいんだよ。ヴァルさまからの指示もあっての事だから、当然と言う顔をしていてくれるね?」

「この屋敷にはガティノワさん以外にも、貴方達が信用していない人が居るの?」

 私が疑問に思う所なんてちゃんと判っていると、前を向いたまま特に表情を変えるふうもない彼にそう尋ねてみる。知らないままで居て、余計な騒動を起こすような事はしたくないもの。

「そうじゃない。むしろ、ここ以外の外部の人間の動きを把握しておきたいと思っている、と言った方が良いかな」

「よく……わからないわ」

「説明してあげられない事ばっかりで、すまない」

 肩を竦めて、呟くような返事になってしまったのは誰かを困らせる為ではなかったのに。

 本心からそう思っている、と少し不機嫌そうに寄せられたファドラーンの眉が語っている。

 けれどその不機嫌が自分自身に対してなのか、私を手駒の一つとして扱おうとしている彼の主人に対してのものなのかは判らない。


「でもね、聞いてくれる?私は不満に思っている訳ではないわ。リスクもあるでしょうに貴方がたは私をここへ連れて来て下さったのだもの、そのリスクに見合うだけの代償を支払う覚悟は一応あるのよ?」

「イェライシャ……?」 

 それは今まで口にした事はなかったけれどずっと思っていた事で、ファドラーンに知ってもらうには丁度良いタイミングのような気がした。


 偉そうな事を言っているという自覚はあるの。

 その代償に見合うどんなものをも、私が持っていない可能性すらあるのだけれど……それでも。

 私のなけなしの覚悟を初めて知ったという彼の表情が、驚いたものから穏やかな微笑みへと移ってゆく様をドキドキしながら見守る。

 こんな事を言って、自分の進むべき道も見つけられないくせに、なんて身の程知らずな事を言う女だろうと呆れられてしまうかしらとも思っていたから。

「莫迦な事を言っていると思う?」

「いいや、びっくりはさせられたけどね。でもそれはヴァルには内緒にしておいてくれる?」

「どうして」

「これ以上彼が調子に乗ると、フォローするのが大変だから」

 そう言ったファドラーンの表情は私からは見えなかった。

 彼は、再び前方を向いて目的地へと歩き出してしまっていたから。



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