091 按試
玄関のエントランスから、ゆっくりとした足取りでファドラーンが先をゆく。
メインの大きな廊下を外れる事なく通りすがりの部屋や設備を簡単に説明してくれるその背中を見つめ、一体どこへ案内してくれるのかと思っていたら、辿り着いたのは見覚えのある扉だった。
それは何て事はない、私へと宛てがわれた客室。
どうやら、ファドラーンはエントランスからこの部屋への道順を覚えさせようとしていたらしい。
少しだけ隙間の開いている扉を訝しみながら、隣に留まったままのファドラーンが特に制止する様子もないのでその扉に手をかけた。
「あら、……まぁ」
そして室内を見回した途端、私の口をついて出たのはそんな言葉だったと思う。
リビングを兼ねる初めの部屋のローテーブルの上には、大きめのトレイが二つ並んでいた。
一つにはシンプルながら優美な絵柄で統一された茶器の一揃いが、焼き菓子とともに用意されていて、ほのかに甘い香りを漂わせている。
来客への心遣いとしてはそれはとても嬉しいのだが、その隣りのもう一つのトレイにはつい溜め息をついてしまったわ。その上に幾つも積み上げられている小箱がこの場には余りにも不似合いだったから、少なからず呆れたと言うのが正しいのだろうか。
後ろではファドラーンが小さく笑いをかみ殺す気配がする。
「どうかなさいましたか?」
そして、奥の部屋からは先程の衣装合わせを手伝ってくれていた侍女の一人が顔を出して、怪訝そうな顔を見せた。
「これは……?」
「ミュゼナさまが先程お持ち下さった、主人さまからお客様への贈り物にございます。明日の今頃には今日の衣装もいくつか仕上がってくると思いますから、それらに合わせてお使い下さいとの事でしたわ」
私の視線から察したのか彼女はさらりと答えをくれると、お茶を入れる為のお湯をとりに行くと付け加え部屋を出て行った。
入り口に居たファドラーンへ頭を下げる仕草さえ、さりげなく優雅なの。
その背中を見送り、改めて卓上の小箱達に視線を戻す。
高価なものを納めているのだと細かな細工が主張しているその箱の中身は、見なくても想像がゆく。
確かに明日の晩には高貴な身分の方へのお目通りも控えているらしいのだから、最低限の身なりは礼儀の内だと理解はしている。
「有り難く御借りすると……ヴァル殿へ伝えに行くべきなのかしら」
扉へと背を預けるように立っているファドラーンへと視線を向けると、微かに困ったような彼の微笑みに気が付いた。
「贈り物だと言っていただろう?」
「それでも、返却する自由だってあるはずだわ。彼や皆の心遣いは有り難いけれど、もう充分にして頂いているもの。これ以上は、駄目よ」
頑なだと受け取られても構わない、そう思ったからはっきりと言葉を紡ぐ。
拒絶ではないの、感謝しては居るのよ。だけれどこれ以上甘えてしまったら、私は旅に出る以前の無知で愚かな娘から何も変わっていない事になるような気がするの。
でも、今でも臆病なのは変わってはいないみたいだけれど。
ずいぶん自分は変わったろうと思うのに、未だに、目の前に居る人の腕の中へと飛び込むだけの勇気すら無い。
「頑張って彼を説得しなくちゃならないよ?」
「……判っているわよ」
面白がっているようなファドラーンの言葉に、既に結果を予測しているのだろうと察して力の抜けたような声で返事をしてしまった。
判っているわよ、まだまだ私では彼にはかなわないだろうなんて事は。
溜め息と共にそのままソファへと腰を下ろして見上げると、相変わらず扉にもたれたままの彼と視線が合う。
部屋の「今の」主である私が彼を招き入れる為の言葉を口にしていないから、律儀にそこで踏み止まっているのだと知ってはいるのだけれど。
そのための言葉を口にできずにいた。
『一緒にお茶を如何?』
そう、今のようなシチュエーションならば、たったそれだけの言葉で済む事だというのに。
逡巡して視線を彼から外そうとした時、軽やかな足音と共に先程の侍女が戻って来た。
腕には湯が入っているらしいポットを抱えている。
「……あら、こんな所で何を突っ立っていらっしゃるの?もしかしたらお邪魔だったかしら」
ファドラーンへと向けたにこやかな笑顔はそんな事ちっとも心配していないような風情で、むしろ微かにからかうような気配を含んでいるようだ。
それに対するファドラーンも微かに微笑みを見せて返しただけで、特に言葉を返す事はしない。
けれど他の人にさらりとそう口にされて、さらにファドラーンのそんな反応を見てしまうと改めて気恥ずかしくなってしまうわ。まるで私が彼との恋愛の駆け引きを楽しんでいる、と皆がそう考えているような気すらしてくる。
妙に頬が火照るのを俯くようにして隠しながら、けれどと反論も考えてみた。
私はまだ彼に返事を返した訳ではないの、だからこんな風にからかわれて、赤くなっていたら駄目なのよ?と。
そして同時に違う事も考えてしまっていた。
そんなに私達は、判り易いのかしらと。
「興味本位でならば……そう言う事はおっしゃらないで頂けますか?」
声を荒げてしまいそうな内心の鬱屈した怒りをなんとか抑えてそう言葉にする。
流石に悪ふざけが過ぎたと思ったのだろうか、侍女はソファに腰掛けた私の元に膝を付くと、俯き加減の私を下から覗き込むようにして視線を合わせて来た。
「ごめんなさい、お気を悪くなさったのならば、お詫び致しますわ。ですが……悪気があった訳ではない事だけは……判って頂きたいの」
穏やかな表情と言葉だったけれどその瞳が余りにも真剣だったから、拗ねたようにふて腐れた態度だった私も、彼女の瞳を見つめないわけにはいかなかった。
「貴方が何処までこの国の事を知っていらっしゃるのかは存じませんが……この国の民はそんなに多い数ではありませんの。主人さまの領内の民なぞ殆どが顔見知りと言っても過言ではございませんわ。ですから……誰かにおめでたい事があれば、皆も同様に嬉しいのです」
まだ、そうとは決まった訳じゃないのよ?
私は、彼を選ばないかもしれないじゃない。なんていう天の邪鬼な言葉が脳裏をよぎったが、真剣な彼女の眼差しにそれは口には出来なかった。
「余所者の私に、皆さんがとても良くして下さっているのは感謝していますわ、けれど……私はここへ伴侶を捜しに来た訳ではないのです。ですから、あまり……そういう風にからかわないで頂きたいの」
無難な言葉を選んで口にしてみたものの、固い口調になってしまうのは押さえきれなくて、侍女の瞳を見つめていた視線をも背けてしまった。
口にした言葉は拒絶を伴う堅苦しいものだったのに、私の頬はいつまで経っても熱を帯びていて、それが何だか嘘を吐いているような後ろめたい気にさせるのだ。
「判りました、気を付けるように致しますわ。……ご機嫌を直して頂けますかしら?」
「ええ、……もちろん」
此所まであっさりと引き下がられては当然そう言葉を繋がざるを得ない。そして、目の前の彼女もそれは計算に入れているはずだわ。
それじゃあ。
「……わざと?」
故意に、私を怒らせようとした?
その可能性に思い当たって顔を上げると、彼女はにっこりと微笑んで見せた。
「わたくしの独断ではありますが……どの程度で感情的になる方なのか知りたかったのですわ。試すような真似をして申し訳ありません」
独断でと目の前のこのひとは言ったが、その言動の陰には瞬間淡い色の瞳を持つ侍女長の姿が見えたような気がする。
けれど私はその事には気が付かなかった振りをしたまま、深く無礼を詫びる礼を執る彼女を見守った。私の反応はこの地の人から見てどう受け止められているのだろうと、他人からの評価を気にしてしまっていたから。
油断していた、と言ってもいいかもしれない。
「では……お茶を淹れましょうね、勿論ファドラーンさまもご一緒下さりましょう?」
次にあっさりと彼女が口にした言葉を拒絶する訳にもいかなくて、黙り込んでしまった。
今度はどう言葉を弄しても拒絶すれば角が立つ。
けれど2人きりでは、この場の雰囲気は和やかとは言えないものになってしまいそうで……。
「では、貴女もご一緒して下さる?まだお名前も伺っていないし、こちらの事も私はさっぱりわからないのです……いろいろ教えて頂けると助かるわ。ね、ファド?」
咄嗟にそう侍女へと話を振ってしまったのは、所謂溺れる者は藁をも掴む、って言うのかしら。
同意を求められたファドラーンはゆっくりとした動作でソファへと腰を下ろしながら、にこやかな表情を崩してはいなかった。
「君の好きなように」
いつも通りの彼の声が、そう落ち着いた返事をくれる。
彼の言葉を承諾と受け取って促すと、侍女……ティセルと名乗った……はようやく同じソファへと腰掛けてくれた。




