090 表と裏
何とも、浮き沈みの分りやすい性格だろうかと静かに、やけに静かに食事をするイェライシャを隣から見つめて微かに微笑んでしまった。
微妙な表情と、時々チャクラヴァルティンに話題を振られた時のぎこちない受け答え。
俺とチャクラヴァルティンにはそれでもう、彼女が何かを思い詰めている、と判ってしまうのに。
フィルダウス国内での最近の出来事などをかいつまんで話すパドマさまは、何も気付いていないふうを装っているが、この状況を相変わらず楽しんでいるのであろう事は曲解の余地もない。
「もう少し庭を散歩するかい?それとも部屋で少し休む?」
何か月ぶりかに戻った国元で友人との食事を楽しむ、そんな雰囲気に終止した昼食が終ると、あっさりとパドマさまは弟子を連れて自分の領域へと戻って行った。
そんな彼等を見送りながら意外そうな表情をしているイェライシャに向き直ると、そう言葉をかける。
「……てっきりこの後パドマさまとヴァル殿で何か内密の話し合いでもするのかと思ったのに、違ったの?」
「わたしが知りたかった事は最初に済んでしまっていたから、構わなかったんだよ。一度、直接彼の顔を見ておきたかっただけなのだが、なかなか一筋縄では行かない男でね。ようやく保護者同伴で希望が叶った所だが……」
彼女なりにこの会食の流れを推測していたらしいのだが、俺が何かを答える前にヴァルさまがそう返事をしたので、彼女は更に意外そうな瞳を彼に向けた。
「彼って……ラグヌスさん?何の為に?」
「それはまだ言えないな、わたしの個人的な事柄になるからね」
チャクラヴァルティンの言葉から推測をしたのだろうが、何故彼なのか、その理由までは当然判らないだろう。
そう思っていたのだが。
「何言ってるのかしら、貴方は次期……国王さまなんでしょ?そんな身分にプライベートがどれ程あるって言うのよ」
今さらながら遠慮のない、容赦ないツッコミに俺も困った顔になってしまった。
「確かにそうなんだけれどね、それでもなけなしの秘密にしておきたい事柄もあるんだよ。だから……ファドラーンに聞いても無駄だよ?」
勿論お前が漏らすなどとは思ってはいないけれどね、とにこやかな笑顔を見せられてはうなづく他はない。
後でイェライシャにはこっそり事情を説明しようと思っていたのを見透かされていたのだと、自分の主人ながらその頑固さには舌を巻く。
自分の数少ない一族の醜聞だけはどうしても表沙汰にしたくはないのだろうが。
だが、今それを隠して野放しにしてしまう事の方がより危険なのではないだろうか、そう俺は考えているのに。
俺達の会話に不満そうな表情をしているのだろうイェライシャを想像したが、いずれは話す事もあるだろうと覚悟を決めると、諒解の意を込めてチャクラヴァルティンに対して臣下としての礼を執った。
「済まないが、イェライシャ」
無言で主人に恭順の意を示した俺を見下ろして、流石に少し申し訳無さそうなチャクラヴァルティンの言葉に、彼女がどう反応するのかを見守る。
「失礼ね、何もそんなに念押ししなくたっていいじゃない。彼から無理に聞き出して……人のプライベートに土足で踏み込むような事はしないつもりよ?」
ため息をついたイェライシャの吐息が苦しいが、彼女は取り乱す訳でもなくそう言っただけだった。
チャクラヴァルティンも穏やかな表情のまま、そんな彼女の仕草を見守る。
「勿論、それは信用している。けれど、まだ君が深入りしていい事だとは思えないのでね。……それに早ければ、明日の晩には全て判るかもしれない事だし」
次に彼がそう口にした言葉に、イェライシャはぱっと顔を上げてチャクラヴァルティンを見上げた。戸惑ったようなその表情が無防備な印象を拭えない。
「明日の晩に何があるの?」
「先程……叔父から使いが来てね。明日の晩、お客人ともども王宮へ顔を出すようにと誘われたんだよ」
相変わらずのんきなその物言いに、イェライシャは華奢な両肩をがっくりと落とした。
「……多分それって、お誘い……とは言えないんじゃないかしら」
「強制ではないんだから、良いんだよ。わたしには一応、拒む権利も認められているのだから」
にこやかな表情であっさりとそういい切ってしまうと、彼は俺達をその場に残しすたすたと廊下を歩いてゆく。
その方向から推測すると、どうやら自分が不本意ながらも溜め込んでしまった仕事に戻るのだろうと、半ば安堵してその背中を見送った。
例え相手がどんな積もりであろうと、自分の解釈次第でどうとでも事態を収拾出来るとそう言いたげな、受け取りかたに拠っては傲慢とも取れてしまう彼の態度が意外ではあったけれど。
「何を隠しているのか知らないけれど……私ってそんなに信用ないのかしら」
同じようにチャクラヴァルティンの後ろ姿を見送っていたイェライシャは不満そうにそう言ったが、俺を見上げて事態の説明だか追求だかにおよぶ気配は見せなかった。
「君を信用していない訳じゃないって……ヴァルさまも言っただろう?ただ、彼の口からは言うのを憚られる事がこの国にも少なからず存在するってことなんだ。俺としてもかなり不本意なんだがね」
スキャンダルならば何処にでもある。それは判っている。
それでも自分の事でもないのにそれについて想いを巡らせる時、無性に苛立たしい気持ちになるのは、主人であるチャクラヴァルティンの心の痛みを慮ってしまうからだ。
「貴方がそんな顔するくらいだもの、私は聞かないでおく方が身の為だって…納得出来るわ」
気がつくとイェライシャが俺を見上げていて、自分がかなり厳しい顔をしていたのだと悟った。
「……悪い、うっかりしてた」
ゆっくりと息を吐くと表情を緩める為に上を仰いで、大きく息を吸い込む。
窓の向こう、雲のようにも見える靄の遥か上にある岩盤に想いを馳せ、考えを不愉快なものから切り離すように地上の今日の天気を思い描いた。
此所に向けて出発した時、クティナンは曇りであまり雲は晴れそうにもなかったな。
眉間に刻んでしまっていたしかめっ面の皺がなくなる事を祈りながら、のんびりとした事を考える。
「明日の晩の準備はミュゼナに任せておけば大丈夫だとは思うが、少し慌ただしくなると思う。……済まないが付き合ってくれるかな?」
とは言え心配事はなくなる訳ではないから、ゆっくりと俺を見上げているであろうイェライシャへと顔を向けながらそう訊ねる。
そこには予想通り、少し矜持を傷付けられたような彼女の表情を見つけた。
「私をそこまで我侭だと思っているのなら、私は貴方に対して怒るわよ?他人の領域にお招きいただいて……廻りの方々にご挨拶をしない訳にはいかないことくらい承知しているわ。義理を通すだけのことでしょうに、どうしてそこまで下手に出るのよ」
まだ俺が自分の事を理解し切っていないと幾ばくかの落胆すら感じ取れるその雰囲気に、ようやく浮かんだ微かな微笑みを隠す事が出来ない。
「それだけの理由があるんだよ。だから……心配しているんだ、俺も……そしてヴァルもね」
「……ヴァル殿絡みで、私にも何かあると思っているのね?」
察しのいいその返事に、イェライシャを見下ろすと困惑の色を浮かべるその淡い金色の瞳へと視線を合わせた。
「ないとは……言い切れないな。だとしても俺達のバックアップは信用してくれていい」
それが今の俺に言えるぎりぎりのライン。
それに彼女が納得してくれるかどうかが判らなくて、見つめているとイェライシャはひたと金色の眼差しを向けてくる。
「それは、初めから信用しているわ。でも……改めてお願いするわね?」
「諒解」
困惑のようにも見える、落ち着かない彼女の瞳にはっきりとした言葉で返事を返す。
初めからそれ以外に用意していた答えはない。
その瞳に応じ、微かに微笑み返してくれたイェライシャの頬へ挨拶程度の軽い口付けを落としてから、彼女の部屋へと足を向けた。




