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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
89/110

089 食前の・・・


 ホールから何処へ向かうのか、淀みない足取りで先頭を進むファドラーン。


 一行の一番後ろに付いてその背中を見つめていたら、捜すように振り向いた彼に目線で促されてしまった。仕方なく足を速めると、彼の隣へと並んで歩く。

「お待ちしていました、皆様。どうぞこちらへ」

 更に歩いて幾つかの角を曲がると、廊下の中程に立っていた女性が丁寧な口調で腰を折り、側の扉へと案内してくれた。軽くそれにうなづいたファドラーンが皆を振り返り、ゆっくりとした仕草で扉を開けると中へと促す。


「じきに主人さまもおいでになります。寛いでお待ち下さいませ」

 きょろきょろと案内された室内を見回していた私には構わず、侍女はそう告げると扉を閉める。

 来客とこの時間帯と言うシチュエーションから想像した通り、そこは広いけれど仰々しくはない空間で少人数向けの食卓が誂えてあった。

 既に食器もセッティングしてあり、後は人数が揃うのを待つばかり。

 けれど、その配置には少し違和感があり、思わずじっとそれを見つめてしまった。

 何処かが通常の会食の席とは違っているのだと感じられるのに、それがはっきりと判らないもどかしい感覚。

「イェライシャ、食前酒は如何?」

「先にパドマさまにお訊ねするのが筋でしょ?」

 楕円形のような食卓を見つめて思案している私に、その脇に寄せられたワゴンからグラスを取り、デカンタに入れられたものを軽く揺らしてみせるファドラーン。

 そののんびりとした風情についそう切り返す。

 この場で一番の年長者であり、一番目上の存在と言えば彼しか考えられない。当然、礼儀の上では彼に最初に訊ねるべきなのに。

「私は仕事柄もあって酒を嗜みません。ファドはそれをよく知っているのですよ、貴女はお気になさらずどうぞ?」

「……私も結構ですってば」

 パドマさまもそう自分の事情を口にしてやんわりと勧めて下さるのだが、面白がっている気配があからさまに出ているので、つい口調がぞんざいなものになってしまう。

 他の皆も同様のようで、ラグヌスの穏やかな微笑みさえもがちょっとばかり口惜しい。


「……待たせたね、どうかしたのかな?」


 相変わらず間がいいのか悪いのか、憮然としてファドラーンを軽く睨み上げた所へと入って来たのはラウ……チャクラヴァルティン殿下で、その後ろにはミュゼナ以下数人の侍女の姿が見える。

 室内に入るなり向かい合って立つ私とファドラーンに気が付いたのか、訊ねる彼の声色はしかし状況を案じるものではないわね。

 そののんびりとした主人の後に続き軽く一礼して室内に入って来た侍女達は、いつも通りとばかりに手際良く食卓の上に料理を給仕してしまうと、ミュゼナともう一人を残してそそくさと退出してゆく。

 そして、食器の配置を見ながらさっき感じた違和感の原因にようやく思い当たったの。

 ごく一般の家庭のように支度されたこの食卓には、会食という性質の席にありがちな上座というものが設定されていないと言う事に。

 その証拠に主人も客人も、相手の身分を前提とした仰々しくも改まった挨拶というものを一切省いてしまっている。


 けれどこの屋敷の主人は次期国王で、そしてパドマさまも何やら重要な役を担っておられるらしい。  

 それなのに上下関係はこの場に持ち込まないということは、あくまで友人としての立場でこの席を過ごす、と言うことなのかしら。


 部屋を出て行った侍女達が席につくでもなく立っている客の事をあまり気にしているふうではないのが救いと言えるのかどうか。

 とはいえミュゼナはそれを見過ごす気はなかったらしい。

「さぁ、お掛け下さいな。料理が冷めてしまいます。パドマさまも、この地へおいでになって日の浅い方をおからかいにならないで頂きたいですわ」 

 食卓の椅子を引きながらそう軽く眉を上げてパドマさまを睨んでみせる。

「貴女には適わないね、ミュゼナ。なかなか彼女の反応が面白いものだから、つい調子に乗ってしまったんだよ」

 見ていた筈もないのに、彼等の質をよく把握しているらしい侍女長の言葉。

 相変わらずの微笑みを浮かべながらしおらしい事を言うパドマさまだったが、私としては同様に私をからかおうとしていたファドラーンにも何か一矢報いてやりたくて堪らない。

「イェライシャ、そんな怖い顔をしていないで席に着かないかね?ファドラーンへのお仕置きなら後ででも出来るし、なんなら一緒に効果的な方法を考えてあげてもいいよ」

「パドマさま、そうやって嗾けないで下さいよ」

 落ち着いた風情でラグヌスの介助を受け席に着いたパドマさまの言葉に、今さらながらファドラーンが慌てる。

 先程までの悪戯仲間があっさりと自分を裏切ったのを恨めしげに見つめている、彼のその風情に私の中でも感情が動いた。まだまだファドラーンはパドマさまからすれば軽くいなしてしまえるヒヨッ子のようなものなのだわ。

 憮然としたファドは気が付いていないようだけれど、ラグヌスだけは何処と無く気の毒そうな表情を見せている。

 ラウ……じゃなかったチャクラヴァルティン殿下も、少し面白がっているような仕方ないなぁって表情だ。

 そう考えてしまうと、何だかさっきまでの自分の少しばかりムキになっていた感情すらもがどうでもいい、幼いものに見えて来てしまった。

「彼にこの程度で噛み付いていたらキリがありませんもの、大目に見ておいてあげる事にしますわ」

 ポーズなんかではなく本心からの溜め息を吐いてそう言葉にすると、待ち受けていてくれるミュゼナのサービスで椅子へと腰を下ろす。

 その隣へと何処と無くほっとしたような複雑な表情のファドラーンが腰を下ろしたので、私はファドラーンとパドマさまとに挟まれて座る形になった。

 パドマさまの向こう隣にはラグヌスが座ったのだが、更にその隣にはチャクラヴァルティンが腰を下ろしているので、彼は私以上に居心地が悪そうだ。


「こうして見ると、ラグヌスはやはり……ヴァルとよく似た雰囲気を持っているんだね。どうかな、彼を君の影武者にするって言うのは?」

 皆のグラスに淡い色の付いた果実水が注がれてゆく傍らで再び口を開いたパドマさまに、今度はラグヌスが引きつった顔をした。

 それに当然気付いていながらもパドマさまはにこやかなまま、閉じた瞳で2人を見比べているらしい。


 確かに2人が似ているとは、私も思った事があったけれど。


 彼等の間での会話としては今さらな話題なのではないかしらと考えて、その言葉の裏に何かしら思惑の存在を確信してしまった。

 内輪の席での話題だとしても、ここでは核心に迫れない何かがあると?

 誰かが居るから……?

 それに該当するのは、多分ラグヌスと私しかいないわね。

 そう考えるのは少し胸が痛かったけれど仕方がないじゃない、私はあくまで部外者で。

 ラグヌスにしたってパドマさまの弟子だと言っていたけれど、まだ完全に師匠の信頼を得てはいないのかもしれないじゃない。

 ファドラーンはどう見たってチャクラヴァルティン「殿下」の腹心の部下、とも言うべき貫禄なのだし。

 とりあえず詳しい話は後でする事にして、私達の居る所では具体的な話をする気がないと言う事なのかしら。暗い方向へ考えてしまいそうだったけれど、確かに自分は部外者に変わりはないじゃない、と自分を納得させファドラーンに勧められるままグラスを手にしていた。


「まずは無事の再会を祝して」


 軽くグラスを掲げてチャクラヴァルティンはそう言うと、にこやかな笑みを見せる。

 合わせて掲げたグラスへと口を付けると、仄かに果物の香りと微かな甘みを感じた。

 でも、何となく気が塞いでしまうのは仕方ないのかしら。


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