088 訪い
「おや、仲良くデートですか?羨ましいなぁ」
笑顔のままうなづくファドラーンにどう応酬しようかと見上げた所で、背後からそう聞き覚えのある柔らかい声がした。
「……ラグヌスさん」
慌てて振り向いた先には、昨日会った若い男ともう一人、背の高い人物が立っている。
いつの間にそこに居たのかは……問うだけ無駄かしらね。
「ようこそおいで下さいました、パドマさま。昨日はご助力を有り難うございます」
驚くふうもなく、さっき迄の楽しそうな気配を恭しい敬意に換えてファドラーンが丁寧に頭を下げる。
私もそれに倣うように黙って腰を落とす仕草で敬意を表した。
どうやら来客とは彼等の事だったらしい。
言われてみれば、この名は昨日も耳にしたわ。
確か、ラグヌスの師匠だったわね。
押さえきれない好奇心で見上げると、背の高いその人物は右手をラグヌスに預けていて……まるで騎士にエスコートされている貴婦人のように見える。
もっとも、彼の方がラグヌスよりもう少し背が高いので、その誤解はすぐに解けるけれど。
銀髪と言うよりも白髪と言った方がいいのだろうか、長い髪を後ろに流し、ゆったりとした衣装に身を包むなよやかな姿。
そしてかなり痩身であろうことは目に付いた鋭い顎のラインから想像出来る。
何処と無くその人の面差しが懐かしいような気がして見詰めるのだが、はっきりとはしないまま次に気になるものを見つけてしまった。
それは、その人の両の瞳。
彼は両目をしっかりと閉じたままで、その全体の違和感からか、その人物を見つめたままで立ち尽くしてしまった。
全く目が見えていないのかしら、それとも何か理由があってそうしているの?
でも閉じたままの瞳では、私の姿も見えていないのではないかしら。
侮る訳ではないが、そう疑問を抱き見つめていた彼の表情が動き、柔らかい微笑みが浮かんで……その微笑みに引き込まれそうになってしまった。
この人はなんて優しそうに微笑むのかしら。
「昨日ラグヌスに会った時に言ったと思うけれど、彼がパドマさま……この国の守護結界を保持する役を長い間務めておられる方だ。そしてヴァルさまの古くからの友人でもある」
ファドラーンがそう説明をしてくれるのを、何処と無く上の空で聞いていてような気もするわ。
「イェライシャ?」
「……初めまして、セシリア・イェライシャ・グレンフォードと申します。昨日はお連れのラグヌス殿にお世話になりました」
怪訝そうなファドの声に我に返って、そう言葉と共に改めて挨拶をする。
「初めてお目にかかる、イェライシャ嬢。この弟子から報告は聞いておりましたが……確かにユグドラセアの方のようですね。懐かしい顔立ちだな」
「……お判りになるんですか?それに懐かしいとは……?」
優しい微笑みに相応する柔らかな声。
けれど一度も瞳を開けた気配もないのに私の顔立ちまでも判ると言うのかしら。それよりも、もしかして本当は、目が見えているのね?
疑問が優先してしまい、かなり不躾な質問を口にしてしまう。
「師匠は、物を見る為の視力は失ってしまわれましたが……違う方法で世界を視る事がお出来になるんです。とはいっても、日常の不便はありますから、こうして弟子が交代でお世話をね」
おおまかな説明のようにラグヌスが言葉を挟んで来たので、改めて彼にも視線を向ける。
昨夜は暗くなっていた事と、外套をすっぽりと身に纏っていたのでよく分からなかったが、やはり長い黒髪を後ろですっきりと束ねて、とても動き易そうな出で立ちをしていた。
束ねられたその艶やかな漆黒の髪は、多分ラウ……じゃなかったチャクラヴァルティンと同じくらいに長いだろうと思われる。
体格もよく似ているわね、と観察してしまい慌てて注意を目の前の人物に戻した。
「私の父が……貴方と同じくユグドラセアの民でした。その当時としては最後の純血の世代でしたし……今は純粋な容貌を持つ者はこの国には居りませんしね」
優しそうな声色で語られるのは、それには似つかわしくはない内容だった。
ただその穏やかな語り口のお陰だろうか、悲壮感は感じられない。
「……だから皆さんがユグドラセアの習慣をご存じだったのですね」
「この国に馴染んでしまった彼の国の習慣も多くありますから、遠来のお客人としては驚かれたでしょうね。けれど……この国の習慣を構成しているものは、ユグドラセアだけに限ったものではありません。周辺諸国は勿論、この国を構成する多くの民族の矛盾しない習慣を取り入れる事により……この国は維持されて来たのですよ」
「……それだけ多くの民族がこの国には居ると言う事ですか?」
「そう言う事になりますね。もっとも……民の数自体は多いものではありませんが」
どこまでも穏やかな口調で私の言葉に同意を示したパドマさまに、ヴァルやファドラーンには聞く事すら思い付かなかった質問が心をよぎる。
とはいえ口に出す事はやはり躊躇われて、いつものようにその質問を呑み込んでしまおうとした。
それがファドラーンの手前だから遠慮したのか、つまらない虚栄心の故だったかは我ながら判別がつかなかったけれど。
「だとしても、特別な力や……能力を持つ者だけがこの国に住まいなす訳ではありません。この国の在り方を理解しえた者にのみ、フィルダウスの民を名乗る事が許されるのです。尤も……長くこの国に住む者は、その事を幾分か忘れているような気がしますがね」
次に、ついでのように何気なく付け足されたその言葉に目を見張る。
どのような力を持つ者であればこの国の民となれるのか?
なんという幼稚で単純な質問。
けれど私は、それを今まで誰にも問えずにいた。
それなのに……まさに見透かしているように、優しい微笑みのその人は口に出せなかった問いにあっさりと答えをくれたのだ。
驚いて見つめていたので、彼の表情が微かに動いたのに気が付く。
何処と無く少年のように悪戯っぽさを感じさせる、その微笑み。
私の心の無様な迷いなぞ承知の上で、偶然を装い答えをくれたのだと判る。
その優しさに少し目許が熱くなってしまったが、他の人たちの手前もあるし流石にあからさまな態度に出す訳にはいかないわね。
それでも精一杯の感謝を込めて私としては最上の微笑みを浮かべ、その微笑みに彼の意図を汲んだという私なりの意思表示をのせると、丁寧な仕草で礼を執った。
「ご教授有り難うございます」
取り立てて大切な事ではないけれど、知らなかった事を教えてもらった、そんなニュアンスを装って口にした言葉に、パドマさまは一層にこやかな微笑みを見せてくれた。
そして微かに顔の向きをファドラーンの方へと変える。
「なに、大した事ではありませんが……この程度の事も貴女にお教えしていないとは……貴女の案内役も大した事は無いですね」
「いじめないで下さい、パドマさま。私もヴァル殿下も……彼女には予備知識無しで、ありのままのこの国を見て欲しいと思ったまでです。その上で……彼女の自由意志を尊重すると」
やんわりとした口調でからかわれて、どう反応するのかと思ったファドラーンは意外にも真面目な表情でそう答えた。
ムキになる訳でもなくあくまで冷静に向き合っているその姿は、パドマさまの性格を知り抜いた上で自分達が決して考え無しに事態に対処しているのではないと、そう主張しているようにも見える。
「……まぁ、とても彼らしい考えですね。ではその主人殿の元へ案内を頼みますよ、ファドラーン」
ファドラーンの答えをどう解釈したのか、それ以上は追求するふうもなくさらりと本来の用件へと軌道を修正してしまうパドマさまのその鮮やかさに、感心すると言うよりは呆気にとられて見つめる。
「どうぞ、こちらへ」
それすらもファドラーンにとってはいつもの事とばかりに、難なく受け流すと先に立って大きな玄関ホールへと向かう。
次に続いたパドマさまとラグヌスの後を追うように、私も再び屋敷の大きな扉の前へと立った。
余裕の仕草で来客に敬意を表する警護の2人、ガティノワとセグリエスの視線をまだくすぐったく感じながらも扉を潜ると、改めてその屋敷のエントランスが壮麗なものであると感じた。
「いつ来ても大げさな屋敷ですよね。ヴァルが望んで此所を住まいにしている訳ではないのが救いですが、無駄に豪奢が過ぎるでしょう?」
「……望んでいる訳ではない?」
相変わらず飄々とした口調でパドマさまに話しかけられ、どう答えればいいのか正直戸惑う。
肯定すればこの屋敷の主人、私にとっては招待主でもある男を貶めているとも取られかねない事態になる。
相手の思惑が読み取れなくてそうおうむ返しに問い返すと、それに答えをくれたのは意外にもファドラーンだった。
「この屋敷は、何代か前の退位なされた国王の為に建てられた屋敷だと聞いてる。豪奢好みの方だったらしくて、ここがかなり手の込んだ造りになっているのはそのせいだとか」
ちらりと彼の視線がパドマさまをかすめ、さっき言われた事を気にしているのだと判ってしまう。
「ヴァルが今の任に就くにあたって王宮を出、外沿地……辺境の事ですが……にある所領の小さな屋敷に移るつもりだと陛下に申し上げた事がありましてね。陛下はヴァルの所領を増封するついでにこの屋敷もヴァルの管轄へと変えてしまったのだとか。仮にも次期国王の居館と成すならばこれくらいの構えは必要だと……そう奴を押し切ったあたり、国王陛下の粘り勝ちだったようですね」
パドマさまは、ファドの視線には気付かぬ振りで後をそう続ける。
そして少し前に見た悪戯っぽい微笑みを浮かべている所を見ると、どうやらこの状況を楽しんでいるのは明らかだわ。




