087 改めて
何処へ向かうのかは教えてくれなかったけれど、私の手を取ったファドラーンはゆっくりと歩いてくれる。
それが、初めて身に纏った慣れないフィルダウス風のドレスに配慮しているからだとは言う迄もなくて、相変わらず優しいその心遣いがとてもくすぐったい。それに、幾重にも重ねる故国の衣装よりも身軽すぎるこのドレスは不思議に心を浮き立たせてくれるので、足取りも自然と軽いものになりつつある。
「着心地はどう?」
見上げると、目もとの辺りに笑い皺を作ったファドラーンが様子を伺っていた。
「馴染んでいた衣装とはずいぶん違うから戸惑っているし、急に身軽になり過ぎて……却って気を使うわ」
「なんだそりゃ」
如何にも判らないというような彼の言葉に、仕方がないわねって曖昧に笑って見せる。
私の故国の衣装がどうしてあれ程に何枚もの生地を重ねるものなのか、を彼は理解しては居ないのだわ。
あれは防寒への必需品ではなく、たしなみとしての必需品だから。
幾重にも厳格に伝統の衣装に身を包む事は、自分がそれだけ慎み深く且つ道徳を遵守する者である、と言う無言のアピール。
そしてそれをしない者、そうではない者を差別し排斥する為の口実。
そんな窮屈な衣装から突然解放されてしまったら、その開放感に浮かれて余計に羽目を外してしまいそうな気がする。
そんな口には出せない事を胸の内で持て余しながら、リードしてくれるファドの横顔を見上げて歩いた。
「……着いた。ここが一応この館のエントランス……まあ玄関だな。一応初めてのお客さまだからここからはじめるのが妥当だろう?」
そう言って彼が私を再び見下ろす。
まっすぐ見つめてくるその瞳がとても好きなんだけれど、それはまだまだ口には出来ない。
足を止めたファドラーンから一歩踏み出して、ルクアディナルファからここまで『移動』して来た部屋よりも、ひとまわり以上大きく見えるその空間を見回す。
来客を迎える為に、或いはその権威を誇示する為にだろうか、今まで見て来た屋敷の中でもさらに一際華やかな造りだ。
そして真ん中に威圧的にそびえ立つ両開きの大きな扉。
丁寧な細工に覆われているせいで繊細に見えるけれど、その大きさからして重厚な感じは払拭し切れてはいない。
「大きな扉ね。ここから外に出てもいいの?」
「もちろん。庭園になっているから散歩も出来るけれど、今日はずいぶんくたびれたんじゃないか?」
「まだお昼前でしょ?大丈夫よ」
扉を見上げて好奇心優先の私に、それを容認してくれているファドはくすくす笑いながら大きな扉に手をかけた。
さして力を入れたようにも見えなかったのに、その大きな扉は軽々と開いてゆく。
見た目の予想を裏切られて、呆気にとられたような感想しか出てはこない。
「……力持ちね、驚いた」
「力が要らないようになっているんだよ。それに、ちょうど来客もあるから、この辺りで待っていようか」
「お出迎えなの?」
いつの間にそんな事になっていたのかとも思ったけれど、私が着せ替え人形よろしく、何枚もの衣装に翻弄されていたのはかなり長い間だったのだわ。
「まぁ……そんな感じだね。散歩はまた後で行ってみようか」
気付くと、扉を出たすぐ両側にそれぞれ一人づつの人影がある。
揃いのティール・ブルーの制服をきっちりと着込んで帯剣しているのを見ると、彼等はこの屋敷の警護に当たっている人達なのらしい。
彼等も私達に気付いたのか、姿勢を正してからしっかりとした深さで頭を下げて来た。
「お帰りなさい、隊長」
「しっかり務めているようだな、ガティノワ、それにセグリエス。紹介しよう、こちらはセシリア・イェライシャ・グレンフォード嬢。しばらくこちらに滞在する予定のヴァルさまのお客人だ、くれぐれも……無礼の無いように」
同じようにきりっと背筋を伸ばしたファドが、少しばかり低い声で自分の部下に当たるらしい2人に紹介してくれる。
「イェライシャ……です。よろしく」
「ガティノワ・エブランデティオスです。はじめまして」
「ようこそ、フィルダウスへ。セグリエス・ティルガです」
礼儀正しい挨拶とは裏腹に、彼等の瞳は明らかな好奇心に輝いている。
それに気圧されてしまいそうになり、私はいつものように腰を落とす故国風の挨拶を返し、そして少しだけファドラーンの後ろへと下がる。
故国であればこれ以上の会話はファド(保護者)を通して欲しい、という無言の意思表示になる私の動作。
それを彼等が理解してくれる事を期待しながら。
「今は勤務中だからね、無駄口は叩くなよ?」
2人は何かを言いたそうにしていたが、強引にそう会話の糸口をファドラーンに断ち切られては仕事に戻らざるを得ない。
それが彼等の規則だからなのか、ファドラーンが気を配ってくれたからなのか、はっきりとはしないわね。
当座の質問攻めからは逃れる事が出来たとはいえ、これから暫くは彼等のような視線を覚悟しなくちゃならないのね、と少々げんなりとしてしまった。
彼等の私を見つめるその視線が、拒絶を伴う冷たいものでなかっただけ……良かったじゃない。
「驚かせたかな?地上からのお客はとても珍しいし、チャクラヴァルティンさまが自らお連れになった女性という情報の方が先走っているようだから……興味本位の奴らも多いと思うんだ」
「……興味本位って?」
如何にも申し訳無さそうなファドラーンの言葉遣いに、何か彼等の事情のようなものを感じ取る。
彼等と言うよりはチャクラヴァルティンの、というべきだろうか。
まだ視線を感じる気がするから、何気ない散歩を装って警護の2人から離れる事にした。
エントランスの大きな扉を背後に、明らかに整えられた庭園へと続く小道を少しだけ進む。
「ミュゼナがヴァルさまの乳姉妹だという、サヤのくれたヒントからもう判ってるとは思うけれど、ラウ……チャクラヴァルティンさまは長寿の属性を持つ王族の中にあって特にその徴候が顕著な方で。さらに今の所というのか未だに独り身で……」
「つまり、見た目も良くて肩書きもあって、それなのに独身で隙がある男が連れて来た女性だから……勘繰る人もいる……と言いたいのね?」
「……まぁ、そういうことだね。けれど、理由も無くそんな思わせぶりな立場に居る訳じゃないのは……彼の性格からしても理解して貰えるとは思う」
言葉を濁すようなファドラーンの言葉がじれったくて、すっぱりと切り込んでみる。容赦の無い言葉に苦笑いしながら、それでも彼は自分の上司を擁護する言葉を口にした。
「私だってそんなに……長い付き合いではないのだもの、簡単にはうなづけないわ」
「イェライシャ?」
意外だと言う表情で見つめてくるファドラーンに、ふざけているのではない真剣な眼差しを返す。
「誤解しないでね?私が貴方や他の皆を信用していないとか判っていないとか……そういう事ではないのよ。ただ、彼の考えは私には理解出来ないくらい遠いものだから、例え貴方の意見でも安易には同意出来ないの。なにより私は、本当の彼を昨日知ったばかりなのだもの、彼の事情なんて判りっこないわ」
そう言葉を続けると彼の表情は微かに和らぎ、そして同時に困ったような笑顔になった。
「何と言うのか……君らしい答えだね。うん、実に君らしい」
納得したようにうなづかれて、さすがにちょっと反応に困った。
その妙におもしろがっているような笑顔も納得いかないわ。




