084 案内
「まずはこの屋敷でお過ごし頂くお部屋へご案内致しますわね。何か質問がお有りならば……わたくしとファドラーンに答えられる範囲でお答え致しますが?」
書斎からの長い廊下を導かれるままに歩いていた私に、そうミュゼナが振り返って言う。
何処に案内されるのだろうかと考えていた正にそのタイミングでの問い掛けに、喫驚しつつ絶対このひとは人の心が読めるのだと、妙に確信を持った。
以前にも同じように絶妙のタイミングで思っていた事を言い当てられた事があったからかもしれないけれど、フィルダウスの民は何処かしら自分とは「違う」のだという思い込み故だったかもしれない。
それにファドラーンが、実は見かけ以上に凄く年上だったと言う事実もその一端を担っているのは否めない。
「いろいろ……知りたい事があったんじゃないの?」
迷って泳いだ視線は自然と隣を歩くファドラーンの横顔に留まっていて、日に焼けた頬を見つめてしまう。
その視線を感じたのか、私の方を伺う素振りも見せないままそうファドラーンが口を開いても、どう何から尋ねれば良いのかすら判らない。
「その筈だったのに……私はここで何をすれば良いのかすら判らないのよ?何を尋ねれば良いかなんて……見当も付かないの」
「……そっか」
意気地のない私の答えに、ファドラーンは短くそう答えただけ。
「ここにヴァルさまがおいででしたならば、先程以上に笑って下さいましょうに……惜しいこと」
ミュゼナの皮肉るような声がして、慌てて前を行く彼女の背中を見つめる。
私の反応を伺うように一瞬だけ彼女が振り向き、目が合った彼女のその瞳は言葉とは裏腹に柔らかい光をたたえていた。
「明確な目的の無い方であっても、お館さまがお認めになり……お連れになられたお方故、この館の者は貴女を歓迎致しましてよ。ましてや主人さまのあのように朗らかな様を拝見致したのは実に久しぶりですから、わたくしとしては……貴女には当分こちらにおいでいただきたいですわね」
「……え?」
どうやら、チャクラヴァルティンの笑う姿を珍しいと感じるのは私達だけではないらしい。 でも何だか彼女の物言いには引っかかるものがある。
「歓迎して頂けるのは嬉しいのですが……私は道化ではありませんわ」
「無論でしょう。あの方が道化に惑わされるようでは困りますわ」
先程の皮肉とも取れかねない言葉に対抗するつもりではなかったが、黙って引き下がる訳にも行かなくて口にした言葉に、間髪入れずにそう返される。
「ミュゼナ」
少し強い口調のファドラーンはまるで彼女を咎めているようだったが、ミュゼナの声は微笑みを含んだままで。
「あの方にとってこの地での慰めが少ないと言う事は事実ですが、誤解なさらないで頂きたいですわね。あの方は道化を愛でるだけの者であってはならないと……それを強く自身に戒めておられる方です」
「……だからあんな仏頂面になってしまったのね」
つい、そう口にしてしまい流石に今度こそミュゼナを不快にさせてしまったかなとひやりとした。
自分の主人にかなりな誇りを抱いているらしいミュゼナの言葉だったが、その言葉の裏側を見れば、愉しみとか心を癒すモノの無い殺伐とした環境なのだろうと思えてしまったから。
流石にじろりと睨み付けるようなミュゼナの視線を何とか受け止めつつ、どうやら隣ではフアドラーンが言葉もなく笑っているらしいのを感じ取る。
仮にも自分の想い人が困った状況に陥っているのに、呑気に笑っていられる彼に無性に腹が立って、隣を歩くその無防備な脇腹につい肘を喰らわせてしまっていた。
勿論かなり手加減をしたし、彼が躱すのを承知の上でのじゃれ合うようなものだったから、案の定彼がそれを難なく躱して更に笑うのを睨み上げて見せる。
「まぁ……その物怖じなさらない所がお気に召したのかしらね。それにしてもファドラーン、随分余裕たっぷりのようね」
少し厳しい瞳ではあったものの、やはり微笑みのようなものを見せながら意味深な事を言うミュゼナにもう少し導かれて一つの部屋へと辿り着いた。
「お客さま用にこちらの部屋をご用意させて頂きましたの、中をお改め下さいな。一通りの日用品は備え付けてございますが、他にお好みのものがありましたら遠慮なくお申し付け下さい」
扉を開けた彼女に促されてその中へと入り、必要以上に広い部屋と豪華なその内装に流石に気後れしてしまった。
壁面を覆う何枚もの大きく縦長なタピストリーは何かの物語の一場面づつだろうか、赤い色を主体に纏められたそれが室内の淡い色調を引き締めている。
さらに窓には色目を押さえたドレーパリーとドレープカーテンがどっしりと重々しく掛けられている。想像以上に贅沢な造りの室内には、やはり同じように統一された色調の家具が重過ぎない間隔を取って配置されていた。
初めの間はリビングとして使えるようになっているもののようで、低いテーブルと座り心地の良さそうなソファセットが中央に置かれているだけだわ。
縦長なタペストリーの複数の隙間には幾つものニッチが穿たれ、その窪みには照明用の燭台とインテリアとしての美術品が交互に配置されている。
「この奥は?」
多分寝室だろうとは思ったものの続くドアを示して尋ねると、したり顔のミュゼナの返事が返って来た。
「寝室と……その一角にクローゼットを設えてございます。その奥には浴室もございますので、ご自由にどうぞ」
「浴室?」
「夜会などへおいでになる時は、仕度は侍女に手伝ってもらうと良いでしょうから、お申し付け下さいね」
にっこり当然のように言われて、かなり困る。
「……ご招待いただく当てもありませんし、何の支度もしていませんから」
それにそんな所へ出て行っても見せ物のように扱われてしまうのでは、と妙に気弱になってしまってそう答えるとミュゼナはびっくりしたような顔をしていた。
「辺境守の君が、地上の女性を伴ってご帰国されたとの知らせは既に王の元へも届いておりましょうから、じきに何らかの動きがあるでしょうし……お館様もそれを待っておられるのだと思いますわ」
私はそんな事の為にここへ来た訳ではないのだけれど、そう顔に出てしまっていたのかしら、ファドラーンが如何にも面白そうに笑顔を見せる。
喉を鳴らすような笑い声付きのその微笑みには、私の彼に対する第一印象だった爽やかさのカケラが無くて。むしろ、何か企んでいそうな雰囲気すらするわ。
「お部屋の確認がお済みならば、もう一か所ご一緒して下さいませ。お針子を手配してありますから」
「お針子?」
「そうですわ、でなければ明日は何をお召しになりますの?」
その準備をしようと思っていたのに、ファドラーンが突然あんな事を言うから……。
と考えて、連鎖するようにあの時の彼の言葉を思い出してしまい、頬が上気してしまうのが自分でも判る。
「お客人に便宜を図るのはあるじとして当然の義務ですから、どうか……お気になさらないで下さいな。それにフィルダウス風の衣装にもご興味がおありでしょう?」
様子を伺っていたミュゼナはどう解釈したのか穏やかに宥めてくれるのだが、奇妙な居心地の悪さはちっとも変わらなかった。




