076 首肯
「もしかして……それってプロポーズのつもりなの?」
「ずっと前から、そのつもりなんだけど?」
すこし心もとなげなイェライシャの言葉にあっさりと、そう答える。
そうでなければ、ここまで彼女に詳細を教えはしない。
初めはイェライシャが「ヴァル様」の正体に気が付いたのかと思って、流石にうろたえたのだが。
けれどどうやらそうでは無さそうなので少し気を抜くことにした。
何しろ、目の前のイェライシャは俺の言葉に反応して真っ赤になってしまっていて、とても可愛らしかったから。
俺の言葉を納得させる為にもその華奢な身体を抱き寄せてしまおうか、と思った所で階段を下りてくる気配に気が付いた。
落ち着いた足取りで現れたのは、俺達の帰還をすら当然のものだと言うような顔をしたラウドラチャクリンだった。
「お帰り。あの仕掛けを使ったのだから無事ではなかったかもしれないが、戻れて良かったよ」
「大した怪我じゃなかったから、取り敢えずラグヌスが癒してくれた。それにしても……馬をスーイン卿の屋敷に置いて来てしまったな」
ラウドラチャクリンは相変わらず、穏やかな表情だ。
全てを把握している彼らしい物言いだが、俺は自分の忘れ物に気が付いて眉をしかめてしまった。
「ああ、それなら大丈夫。いまラトーとヨシュアが取りに行っているよ。ハルヴァイは捕らえたクァーナ人の確認に出た所だ」
「じゃ、今日俺がすべき事はもうないな」
「厨房の支度をしながらサヤが心配していたから、安心させてやっておくれ。それに……イェライシャのフォローもお前の仕事だよ?」
「仕事なんじゃないさ、俺が好きでしている事だ」
義務だと受け取られかねないラウドラチャクリンの言葉を訂正しながら、隣に居るイェライシャの様子をうかがう。
今の好きという言葉をどう受け取るのか興味があって見つめていたのだが、彼女は少し心ここに在らずと言う表情でラウドラチャクリンを見つめていた。
「……もしかして辺境守の「ヴァル様」って……貴方の事なの?……ラウ?」
どうやら、彼女は今までの出来事からの推測を答えにまで導いていたらしい。
確信を持って問いつめると言うのではなく、まだ幾分かの躊躇いも残るその問いかけだったものの、それに俺は正直に驚いた。
結論に辿り着くのが随分早かったような気がしたのだ。
「……その根拠は?」
当のラウドラチャクリンは至って平静なまま、穏やかな声と表情でイェライシャへと問い返す。
けれど、その視線は少し厳しいものだった。
「……貴方とファドラーンが、兄弟だと言うには……あまりにも……似ていないからよ」
彼女がちょっぴりふざけたような返事をしたのは、そのラウドラチャクリンの視線に対抗する為だったかもしれない。
けれどラウドラチャクリンの対応はにべも無かった。
「そんなものは理由にもならんだろう?似ていない兄弟ならば世の中に幾らもあろう」
「そんな意味で言ったのじゃないわ。ただ、ファドラーンとアルマンスール家のご両親は本当に実の親子だと思えるの。けれど……父上様のイスナードさんとラウ……貴方との間にはそうは思えない雰囲気があったのよ」
ちら、とイェライシャは俺に視線を向けたが、すぐにラウへと向き直る。
これから対する相手に向かって構えたようにも見えて、俺もいつの間にか強く拳を握っていた。
「私達がイクシールの屋敷にお世話になった時……私を滞在させる……と言った時のイスナードさんの視線がずっと気になっていたの。貴方を見つめた彼の視線がね。あれは……部下が権限のある者に、許可か指示を求める……そんな目付きだったわ。あの時からそれが不思議だったのよ。そして今日ラグヌスがファドに言ったわ。「ヴァル様」に宜しくって。つまり、それはファドといつも一緒にいるか、身近に居る人の事だと思い当たったの。そしたら、貴方しか思い浮かばなかったのよ」
ラウドラチャクリンの反応を待つように一旦イェライシャは言葉を切ったが、無言のままの相手に再び口を開いた。
「私がルツィエラさんからこの外套を頂いた時……貴方も当然あの場に居たし、一番積極的に勧めてくれたのも貴方だったわ。つまり、あれは私にこの外套を譲渡する事を認めると同時に、ファドのご両親にも手放す事を認める……そう言う意図があったのでしょう?」
立て続けにイェライシャは自分の推測を言葉にした。
はっきりとした口調で語られるそれが、間違っていようと居まいと自分の意見だと主張している。
その言葉を静かに聞いていたラウは、言いたい事を言い終えたイェライシャが一つ、大きく息を吐くのを見届けてから随分満足げな微笑みを見せた。
そう、滅多にお目にかかれない極上の微笑みだ。
しかし、次の瞬間公式の場でよく見せる厳めしい表情を浮かべ、それに相応しい改まった口調で話しはじめた。
「……よく気が付いた、と言っても良いのだろうな。まぁ、周りが随分ヒントをくれたのだとは思うが」
ちらりとその視線が俺を見たのには当然素知らぬ振りで。
「そなたの推測通り、如何にもわたしがフィルダウスの辺境守り、ルドラ・チャクラヴァルティン゠イクシュヴァーク……ヴァルだ」
さらりと続いた言葉に、イェライシャも背筋を正す。
流石に緊張しているのは隠しようが無いけれど、意外と落ち着いた表情をしていたのが印象的で、ついそれに見とれてしまう。
更に彼女は名乗った相手に対して相応の敬意を表するものなのだろう、今まで見た中でも一番低く腰を落として実に優雅なユグドラセア風の淑女の礼を執る。
「……改めて挨拶を受けて頂けますか?」
「受けよう」
俯いたイェライシャのくぐもった声に、相変わらず厳めしい口調でラウ……ヴァル……も頷いた。
「ユグドラセア南部ヴォールゼントに領を置きますガイゼル・グレンフォードが次女。セシリア・イェライシャ・グレンフォードにございます。これまでのわたくしの無礼をお詫びすると共に、此所に到るまでの御身の寛大なる処置に心から感謝を申し上げます」
多分彼女が言いたかったのは、チャクラヴァルティンのプライベートに立ち入り過ぎたという自分の反省をも込めたものだったと思う。
そして出会ってからここに至るまでの、明らかに好意的な我々の対応に対するものでもあったろう。
彼の満足げな微笑みが、イェライシャが言いたかったその事をきちんと理解しているという証のようなものだ。
顔を上げたイェライシャがチャクラヴァルティンの笑顔に気付いて安心したような表情を浮かべるのを、俺も微笑みを浮かべて見守っていた。
そしてチャクラヴァルティンの視線が俺に突き刺さっている……その訳に思い当たる。
「俺は……辺境守の君たるチャクラヴァルティンさまの……親衛隊の長。ファドラーン・クーファ・アルマンスール」
心持ち背を伸ばし姿勢を正して、そう俺が名乗るのを見つめるイェライシャは、さほど驚いては居ないようだ。
「……やっぱり軍人だったのね?」
「わたしの護衛であると同時に……フィルダウスにある我が領内の管理の一部をも預けてある。いずれ彼の父上が隠居なされし後は……我が腹心の大臣として務めて欲しいと思っているのでね」
「大臣……?」
なんとなく俺の正体には気が付いていたらしいつぶやきを漏らした彼女だったが、続けられたチャクラヴァルティンの言葉に今度は流石にうろたえた。
親父の事に付いてはあまり詮索してはいなかったようだ。
「ファドラーンの父……イスナードは王の重臣の一人でもある。もっとも……次代国王が寵臣……とのそしりもある程にわたしへの忠義篤い者故……その息子も同様に良く仕えていてくれる」
チャクラヴァルティンの俺と親父へのかなり好意的な評価に応じて、いつもならしないような臣下としての礼を執って彼の言葉へと応えた。
自分が忠誠を捧げている主人から、随分と高い評価を下されているのを知れば親父は喜ぶだろう。
何と言ってもチャクラヴァルティンは面と向かってそう言う事は言わないから、俺も実は初耳なのだ。
「これで……あらかたの名乗りは済んだ、と解釈しても構うまい。これから君がどうしたいのか、訊ねても良いのだろうな?」
そして次にチャクラヴァルティンが口にした言葉に、イェライシャは一瞬だけ俺の方へと視線を向けた。
彼の言葉はイェライシャに決断を促す訳ではなかったものの、これから先への彼女の覚悟を問う物のようにも聞こえる。
そして俺もそれを知りたいと思っていたから、息を詰めて彼女の返事を待っていた。
俺とチャクラヴァルティン2人の視線の中、イェライシャは俯き加減の冴えない表情のまま。
勿論この問いを予想していたであろう彼女だが、その表情は彼女自身にもまだ明確な答えが出せていないのだと、手に取るように判るものだった。
「申し訳ありません……判らないんです。自分がこの先どうすべきなのか……何をしたいのか……」
消え入りそうな声で彼女は呟くようにそう答えただけ。
その言葉に俺は自分の腑甲斐無さを噛み締める。
俺を信じて欲しいと思っている、愛して欲しいとも思っている、その想いもまだ彼女に届いては居ないのだと感じられて。
それともその決心をさせる事ができない程に、俺と言う男は頼り無いのだろうかとも。
「君がそう望むのであれば……我が権限に於いて、君をフィルダウスへと招く事も出来るが……それが君の決断の一助となるかは判らないな。正直な所」
自分の暗い考えに落ち込みかけていたが、そう口を開いたチャクラヴァルティンに現実へと引き戻された。
かなり気前の良い申し出に、俯いていたイェライシャも驚いた表情で顔を上げる。
「幻の都とも、隠されし楽土……とも世人が噂する我が王国だとて、君の故国と大して違いはせぬ。フィルダウスの民とて所詮は人間……君の知る故国の民と、そしてこの辺りの国々の人々とも……幾らも違いはしないのだ。その性質も、暮らしぶりも、そして……心の暗さもね。……わたしのように」
その言葉にイェライシャは顔を上げたまま訝しげに根眉を寄せる。
幾らか自嘲的な笑顔をつくるチャクラヴァルティンの、その理由や心境を推し量る事は出来なかった俺も、彼のその物言いには少なからず驚いた。
だが沈黙はすなわち「肯定」の意になると思い、口を開いてしまった。
「誰も……御身の事を、そのように思っている者など居ません。でなければ……上帝が御身を継承者へと望まれよう筈は有りますまい」
「違うよ……ファド。彼はわたしを試しているのだよ。わたしが己の中に有る闇と、どのように折り合うか……をね。そうでなくともわたしは厄介な存在だ、彼の国にとっても……彼にとっても」
「俺は御身の昔の経緯を知りません……が、一緒に居る間の御身が御身ご自身でおっしゃる程厄介な存在だとは思えませんし、闇なんぞ……誰の心にもあるものでしょう」
少しばかりムキになったように言い募る俺を、ラウ……チャクラヴァルティンは面白そうに見つめている。
彼の口調に乗せられて、彼が聞きたかった事を言わされたような気がしないでもなかったが。
そしてイェライシャも俺の方をじっと見つめているのに気が付いた。
「貴方は……この方の事が本当に好きなのね」
「……イェライシャ?」
優しい微笑み付きでそう言われてしまい、うろたえると、チャクラヴァルティンの低い笑い声が追い打ちをかけてくれる。
「正直で……思った事をきちんと言葉にしてくれるのが彼の長所だ。わたしが過てる時には……きっと大きな声で諌めてくれるのもこの者だと、そう思っているからこそ、身近に置いて居るのだよ」
「……まぁ、容赦はしませんからね。覚悟しておいて下さい」
明るいヴァルの笑い声に励まされてついそう口に出したが、王族に進言するなぞ正直命がけだ。
上下関係にかなりフランクなチャクラヴァルティンは、その辺りの危険性を何処まで理解しているのかが疑問ではある。
「さっき……ファドラーンが私をフィルダウスへと誘って下さった折に、片道切符なら要らない……と返事をしました。私が望めば帰していただくのを条件に……お国を訪ねさせていただく事は可能でしょうか?」
「不可能ではない……が、君を帰す時はフィルダウスに居た時の記憶を封じる事が、わたしからの条件となるが?」
俺とチャクラヴァルティンとのやり取りを聞きながら、ようやくイェライシャは進む道を決めたようだった。
しかし……自分の問いにそう応じたチャクラヴァルティンの言葉に動揺の色を見せ、瞬間俺へと視線を向ける。
困ったような、迷うような、その表情。
「仕方が無い事だとは思うけれど、記憶を封じたら……貴方の事も忘れてしまうのかしら」
「……それは……」
見つめてくる途方に暮れた彼女のその表情に、口籠るより他に何が出来ただろう。
「ただの商人として、君をこの地より故国へと送り返す男としてならば……記憶に留める事も出来ようが、君がその男を選ばぬ限り……最早必要の無い記憶だろう?」
「……判りました。条件には異存ありません、お連れ下さいますか?」
チャクラヴァルティンの感情を抑えた言葉に、ようやくイェライシャも言葉を返した。
けれど、まだ葛藤は残っているのだろう少し辛そうなその表情。
その横顔を見つめながらまだ希望があるのだと、その迷いを嬉しく思ってしまう俺は不謹慎なのか、ただの身勝手なのだろうか。
「わたしは明日より暫くフィルダウスへと戻る。君の同行を認め……あちらでの案内役兼、護衛としてこのファドラーンも付けるよ」
「有り難うございます」
「では、わたしの客人として……そなたをフィルダウスへと招く事にする。我が館への滞在を認めるが、くれぐれもファドラーンの指示には従うように。ナムリ殿程ではないが無用な揉め事は起こしたくないのでね」
同意の印として頭を下げたイェライシャにうなづくと、事務所に向かうつもりなのか歩き出そうとして彼はこちらを振り向いた。
「明日の朝、朝食の後外出の支度をして待っていてもらおうか」
神妙な顔でうなづいたイェライシャを見届けると、チャクラヴァルティンはそのまま廊下へと姿を消した。
……後に残されたのは俺とイェライシャだけで。
「勝手に決めてしまって、怒っている?」
少しの沈黙の後、彼女はそう言って見上げて来た。
幾分俺の機嫌を気にしているらしいその素振りに、諦めの溜め息が出る。
「俺が怒る筋合いじゃないだろう?君は……希望通りに自分の行き先を確保したんだ、自力でね。ヴァルも俺も……君の意志を尊重しているんだよ」
「……ありがとう」
俺の態度を気にしていたらしいイェライシャは、そこでようやく笑顔を見せた。
まぁ、フィルダウス行きに関しては、俺としてももっと積極的な行動を取りたかったのは否めない。
それでもイェライシャがラウドラチャクリンの偽装を見破る為の情報の提供、という点では充分役に立てたと自負してもいいだろう。
とはいえ、チャクラヴァルティンがこんなにあっさりと彼女をフィルダウスに招く事に同意したのが、正直意外だった。もっと彼女の意志がはっきりとしたものになってからかなと考えていた俺とはやはり思惑が違うのだと思い知る。
「とりあえず厨房に行こう。ほら、サヤが心配していたって……ラウが言っていただろう?」
俺とは多分に……違う物思いに耽っていたのだろうイェライシャを促して厨房へと向かう。
ここに戻った時間が遅かったし、他の者達も出払ってしまっているとなると今日の夕食はバラバラになってしまうだろう。
それに先にイェライシャを落ち着かせてやりたかったので、部屋で一人きりにするよりは誰かと一緒に居た方が良いだろうと思ったからだ。
思いのほか長くなり過ぎ。
区切れなかった。泣




