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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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072 灯火(カンテラ)


 境界線の目印であり、力場を形成させる為の要石である白い石、通称ウッザーが造り出すぺリスタイルを抜けた所でようやく俺は走るのをやめた。

 無事にその力場を抜ける事の出来たイェライシャの腕を引いたままだったから、彼女に何も異常が無いか確認しようと振り返った所で胸に衝撃を感じる。


 それが俺の胸に飛び込んで来たイェライシャだと、判っては居たが、普段の彼女からは想像出来ない意外なその行動に余程此所までの出来事が怖かったのだろうと納得した。

 どう言葉をかけようかと迷っていたら、ようやく彼女は深呼吸を一つ。

「この先に休める所があるから、行こう」

 そう言葉を掛けると、胸の中の上気した頬の彼女は少しばかり不満そうに表情を作る。  走って来たのだから当然だが、息が上がっている彼女を立たせたままで状況説明をする気はなかった。

 手を繋いだまま、それでも俺が一歩だけリードする形で目的地へと歩く。

 着くまでにこの心を鎮めるつもりだった。

 自分の胸の中で、真っ赤な顔で息を乱す彼女のその姿にかなり邪なシチュエーションを想像してしまった俺自身を戒めながら。


「前にもここに来た事があるの?」


 何本かの木が倒れて、少し広くなった所が俺の選んだ休憩所だった。

 倒木に腰を下ろしたイェライシャにそう問いかけられつつ、空間の廻りを巡って他の人間の痕跡が無いか確認すると、俺もようやくイェライシャの隣へと腰を下ろした。

 血まみれの腕なぞ見せられないから彼女の右側に腰掛けようとしたのに、頑として彼女はそれを許してはくれない。

 仕方なく左側に座った所で、やはり譲らない彼女に傷の手当を任せる。

 さっきは飛び散った血に倒れそうになっていたのに歯を食いしばって傷口を見つめ、ペチコートの下に着用していたドロワーズのリボンで傷口より少し上を縛ってくれた。


 止血点を押さえられない時の応急処置としてずっと親指を中に握り込んだまま強く握りしめていたから、実はもう大分出血は止まっていたのだが。

 何とか処置を済ませたイェライシャが先程の問いの答えを待っている。

「……俺があの通路を使ったのははじめてだよ。あれはフィルダウスの民の緊急避難用なんだ。あの通りの近くにクァーナ絡みの建物があってね、もしもあの辺りで何かあった時には逃げ込めるようになっているんだ」

「で、ここはどこなの?さっきの人たちも一緒に居たようだけれど、まさか……フィルダウスなの?」

 こわごわ辺りを見つめるイェライシャについ微笑んでしまう。

「まさか、だろう。ここはルクアディナルファの神聖湖チュクンの畔なんだよ」

「確か前に、立ち入り禁止だって聞いたわよ」

「そう、だから都合が良いのさ。ルクアの民は祭祀王を最上として居るから彼の法には背かない。この辺りに居るのはルクアの民ではないとも言えるね」

「じゃあ、さっきの彼等は逃げてしまったの?」

「ここに来るまでの事を思い出して御覧。あの……白い石の辺りで何かを感じなかった?」


 途端に不安そうな素振りを見せるイェライシャに記憶を辿らせる。

 戸惑ったように首を傾げつつ彼女は口を開いた。

「何か、目に見えない……壁のようなものを感じたわ、貴方が手を引いてくれたから……抜けられたみたいだったの」

「あの辺りにあの白い石は幾つか配置してあってね、特殊な場所を形成させてあるんだ。その中側に出口が開く。そしてその石の空間……ぺリスタイル……からはフィルダウスの民しか抜け出る事はできないんだ。じきに俺達があの通路を使ったのに気が付いた奴が迎えに来てくれる、そしてさっきのクァーナ人も捕まえるよ」

「私は……貴方の国の民では無いわ。どうして出られたの?貴方が手を引いてくれたから?」

 心底不思議そうなイェライシャのその胸元へと俺は指を突き付ける。

「この外套にはフィルダウスの辺境守、つまり俺の上司の守護印が結んである。これを着用している者は彼の加護を受けている者として保護を受ける権利を持つんだ。随分前に親父達が彼から下賜されたものだ」

 瞬間イェライシャの動きが止まる。

 息を呑む、そんな感じでまじまじと自分が着ているその外套を見つめて。

「多分、母さんは君が危険な目に遭わないようにとそれを贈ってくれたんだ」

「それは……とても良く分かるし、有り難い事だとも思うわ。けれど……いいの?」

「……何が?」

 問われた事の意味が分からなくてそう問い返すと、いつになく真剣な表情でイェライシャは見つめてくる。


「以前に貴方の上司は王族だって言ってなかった?そんな方から下賜された物を勝手に他人なんかに譲り渡して……貴方の両親に迷惑は掛けられないわ」

「……ああ、それね」

 たしかに普通なら王族からの下賜品は家宝と言ってもいい。

 それを安易に手放す事は家名に傷を付けるに等しい行為だ。

 場合に拠っては何らかの懲罰がある場合も考えられるだろう、とイェライシャが案じたのだと理解する。

 そして彼女の故国ユグドラセアでも、この辺りの国々でも、下賜の品にはおおむね似たような配慮をするんだな、とも思った。

「大丈夫。下賜した本人がその場に立ち会い、許可を下した以上……誰にも文句は付けられないよ」


 自分達を案じてくれたイェライシャに少し照れくさくて、簡単にそう説明するが彼女は再び絶句していた。

「イクシールのアルマ家にその方が居たの?あの時?」

「……まあね」

 視線を彷徨わせるイェライシャに、この外套を受け取った時の事を思い出しているのだろうとその様子を見つめていたが、思い当たる節が無いのか不思議そうな表情のままだ。

「分からないわ……まさかあの隊商か、アルマ家の家の中に居たとか?」

「さあね、俺の口からは言えないけれど……君が自分で気が付くのなら問題は無いな」

 その問いをはぐらかして空を見上げつつ時間を計る。

 さほど時間が過ぎたようには見えなかったが、夕暮れの早い山の事だ、すぐ薄闇に包まれてしまうに違いない。


「ほら、これを羽織って」

 随分日が傾き肌寒くなったのだろう、外套の上から自分の肩を抱いて少し身震いしたイェライシャに、俺は脱いだ自分のマントを羽織らせる。

 丁度血止めの為に縛っていたリボンを一度外したついでだった。

 縛ったままでは壊疽を起こしてしまう。流石にまだこの若さで利き腕を失うつもりは毛頭ない。

「以前にも言ったろう、俺達は結構寒さには強いんだよ」

 案ずるような彼女の瞳にそう言い聞かせ、再び彼女の隣へと座り直すと、身に付けていた物入れから更に小さな小袋を取り出した。

 複雑に結んだ紐が鍵の役目を果たすその袋の中身もまた、辺境守の君からの下賜の品だった。

「何それ……凄い飾り紐ね」

「飾りじゃない、実用品だよ。解くのにもコツが要るし、元通りに結び直す事は簡単じゃない。かなり防犯性の高い細工だろう」

「その袋を切ってしまったら?」

 簡単に最終手段を提起するイェライシャに苦笑いで応じる。

「……それはちょっと遠慮したいな。こいつを創った奴の性格からすると……リスクは高く付きそうだ」

 奴の事だ、なんか絶対仕込んでる、とあの澄ました顔を思い浮かべつつその可能性を確信する。

 創る事を最上とする彼は、無意味な破壊を望まないから。

 ましてやこれが俺以外の者の手に入った場合の事を考えていないはずが無い。

 そんな事を考えつつ左手だけでその紐を解こうとしたが、どうもうまく行かない。

 見兼ねたのかイェライシャが手を出して、なんとか解き終えるとその袋を彼女に開けさせた。

「なに……これ」

 袋から出てきたのは、イェライシャの片手でも握り込んでしまえる程の大きさの石だった。

 かすれゆく夕陽を浴びて、それでも懸命に光を反射してくるその石を彼女は不思議そうに見つめる。


 半分は白っぽい茶褐色の普通の石だ。

 その石に抱き込まれてでもいるかのように、半分白く透き通って様々な色を見せる虹色の鉱石のようなものがほの白く光を放つ。

 …オパレッセンスと呼ばれるこの石独特の反射効果だ。

「その宝石質の部分は蛋白石と言って……この辺りやフィルダウスでもよく採れる石なんだ。これは特殊な加工で実用に向くようにしたものでね……カンテラ「灯火」とよばれている。巻貝の形のものとかはインテリアとしても重宝されていてね」

 左の手のひらに受け取ったそのカンテラを俺は自分の口元へと運び、軽く口付ける。

 何をはじめるのかと興味深げなイェライシャの視線がくすぐったい。

「俺の代わりに持っていて御覧」

 あらかじめ決められた動作、この石の場合は口付けだな、で効果を発動させられるようになっているそれをイェライシャの手のひらに預けて、その効果が現れるのを待つ。

 やがて陽が落ちた薄暗がりの中、それは柔らかな光を徐々にその内側から現しはじめた。


「熱くはないのね、これは貴方達の魔法なの?」

 それはけして大きな範囲を照らし出す強力な灯りではなく、自分達の周りを辛うじて照らす柔らかな灯りだ。

 かなり長い事言葉もなくその灯りに見入っていたイェライシャは、やはりその石から視線を外す事なく口を開いた。

 周りは殆ど闇に閉ざされている中、唯一の光の中で彼女の髪が淡く浮かび上がるのをぼんやりと見つめて、どう返事をしようかと迷う。

「その石自体はオパールとよばれるありふれた宝石だ。硬くもないし乾燥に弱いと言う弱点があって……細工師には敬遠されがちな。ただ人為的な干渉で光を生む成分を持つ、数少ない種類というだけさ。君たちの言う……魔法……とは根本的に違うよ」

「……私には貴方の言う違いが、もう既に判らないの」

 拗ねたような口振りの低い声で彼女はそう言うと、再び灯りを見つめて黙り込んでしまった。

 

  


  





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