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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
70/110

070 贄と歌 


 動転したのか、それとも俺を庇おうとでも言うのだろうか。

 俺とクァーナ人とが睨み合う間へ割って入ろうとしたイェライシャをその気配だけで捕まえ、自分の傍へと引き寄せる。


 視線を彼女へと落とすと、とても心配そうな顔をしていて微笑ましい。

「イェライシャ、落ち着いて。俺なら大丈夫だから」

 そう小声でその耳元に囁き、目の前のクァーナ人へと視線を戻した。

 浅く切られた右腕は初めの鋭い感触から変わって、傷口独特の鈍い痛みのシグナルを送ってくる。

 鼓動に合わせて出血している気配も。

 斬りつけて来た相手は俺の右足の蹴りをまともに喰らって、まだ立ち上がれずにいた。

 足下に落ちたナイフを視線で追うのだが、俺がそいつを踏み付けているのに気付いて悔しそうな顔を見せる。

「……これであんた達が傷害の現行犯だと……訴え出る事も可能だな。まぁ、そんな事の為に敢えてその刃を受けた訳じゃないけど」

 俺の言葉に、クァーナ人も訝しげにその瞳を細めた。

 彼等の目の前に居るのは人数を頼んだ自分達に追いつめられて、しかもナイフで傷を負った男だ。

 多少腕が立ったものの所詮は丸腰。

 すぐに取り押さえて依頼主へ引き渡せばそれで済むとそう軽く思っていたに違いない。


 俺としては、出来ればその依頼主とやらを突き止めたいのだが。

 しかし今は何より同行のイェライシャを危険な目に遭わせたくはないし、ましてや動き出す時期としては尚早に過ぎる。


「自分達を囮にしたつもりは無いが……一緒に来てもらうよ。お前達がこのままこの辺りで嗅ぎ回ってくれては、迷惑なんでね」

 自分でも嫌々だと言うのがはっきりと判る。

 しかし、しなければならない義務を果たすように、ため息をついて傷付いた腕を持ち上げた。

 衣服の袖下辺りが血を吸い込んで重い上に体温で生暖かく、馴染みの感覚とは言え気持ちが悪い。


「………」


 呟くように簡潔に纏められた呪歌の一節を唇にのせ、その言葉に合わせ血まみれになった腕を上げて思い切りよく振り下ろす。


 飛び散った血飛沫にイェライシャが悲鳴を飲み込む。

 その気配とともに地面に吸い込まれていった俺の血潮は呪歌の贄となり、この場所に込められていた仕掛けを発動させた。

  


 ちと短めですみません。

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