068 古狸と探索者
「……少しばかり話を聞かせてもらおうか」
お約束のような低い声に、困惑したような、そして不安そうな表情を浮かべてみせる。
いかにも順調な道行きを阻まれた商人らしく。
俺とイェライシャは、少し前に今日の目的地だった貴族の屋敷を出た所だった。
ナムリ侍従長の実の兄で、この国の有数の貴族の一人であるスーイン卿との会見は、弟である侍従長を介してなされたジャヤルの主との幾つかのやり取りを説明する為のものだった。
殊に今回は俺達がこのルクアディナルファへ伴って来た異国の娘の扱いが絡んでいたため、俗世の権力者の同意を得ておいた方が良いだろうという配慮があっての事だ。
異国とは言え、貴族階級の客人ならば相応の格式の貴族の元へ預けた方が滞在先の釣り合いとしては良いのでは、というスーイン卿のその申し出はにこやかな物腰で対応したイェライシャ本人によって拒否された。
「有り難いお話ですわね。シェカルのティサ卿からも、同様のお申し出を頂きましたが……わたくしとしては現在の滞在先に十分満足しておりますので」
そうにっこりと微笑まれて、スーイン卿としてはしぶしぶだろうが引き下がらざるを得ないはずだ。
彼女はさりげなく下心のある申し出を他の男からも……時に対立する事もある地方の有力貴族だ……受けているぞとアピールする事で、自分は無用の争いの種にはなりたくはないのだと目の前の相手に理解させる方法を選んだのだ。
随分と世渡り上手になったものだと、妙な所で感心していると、スーイン卿も苦笑混じりで。
「これは……随分しっかりした令嬢だな」
「随分いろんな経験をさせて頂きましたので、誤解は特に厄介だと身に染みましたの」
肩を竦めてイェライシャは応える。
「なるほど、誤解ね。これだけガードが硬いと言う事は、現在の滞在先とやらにもう既に誰か想った相手でも居るのかね?」
けれど、そう訊ねられた時のイェライシャの反応はあまりにストレートで、隣で見ていた俺にも感染ってしまうのではと思うくらい面白い程に見る見る真っ赤になってしまった。
彼女を見ていたスーイン卿は更に面白そうに微笑みを浮かべている。
彼程のタヌキを上手くあしらう事は、イェライシャにはまだ難しいだろうな。
「随分立ち入った質問をしてすまないな。なに……私の姪に当たる娘がラウドラチャクリン・アルマンスールに御執心でね、同じ屋根の下に妙齢の女性が居ると知ったら……何かと喧しい事になるかも知れないと、うんざりしてしまったのさ。それにしてもまさか……貴女の想い人は彼ではあるまいね?」
「勿論、ええ、彼ではありませんわ」
さっきは驚く程真っ赤になっていたイェライシャだが、彼のその問いには意外にもはっきりとした口調と態度で答えを返す。
疑いようも無いはっきりとした否定だ。
「……その言葉を信じておくよ。他にも何か問題があれば相談にも乗るし……いや、本当の所は報告が欲しいと言っておいた方が良いかな。どうにもここしばらくクァーナの者達がよく動いているようだから……君たちも気をつけたが良い」
相変わらず笑顔のままのスーイン卿はイェライシャの返事がお気に召したらしく、かなり好意的な態度だ。
「承知しております」
そう言って頭を下げた俺にもにこやかな表情を向けてくる。
とはいえ海千山千の古狸の事だ、イェライシャの言葉をストレートに信じた訳ではないのだろうが、一応彼女の建前を受け入れた、そんな処だろう。
予想していたよりもすんなりと状況説明が済んだので、スーイン卿からの昼食の誘いを辞退して市街地へと出る事にした。
まだこの街にイェライシャが到着して三日目だ、市街地の観光もまだだと言ったら彼は俺たちをあっさりと解放してくれたのだ。
市街地では馬が邪魔になる事もあるので、帰りに取りに寄ればいいからと預かってくれる事にもなった。
確かに一度アルマンスールの屋敷へと戻るよりも、此所からならすぐに街の中心部へと出かけられる。
町中で俺達をあからさまに付けてくる者が居るのに気が付いたのは、スーイン卿の屋敷を出てから程なくだった。
おかしいと感じたのは距離を詰められはじめる前。
移動するそれぞれの路地に人影を感じた時点で、今日はただでは返しては貰えなさそうだと覚悟を決めた。
隣を歩くイェライシャはまだ事態に気が付いては居ない。彼女がイクシールで俺の母親から貰い受けた外套を羽織っているのを改めて確認して、安堵の溜め息を押し殺した。
早速これが役に立つとは思わなかった、母には感謝してもしきれないな。
追い込まれるように、彼等の思惑通りの小径へと誘導されているように見せかけて移動しつつほくそ笑む。
この先の人気が無い袋小路は小さな民家を挟んでクァーナの商館が建っているのだ。その小さな民家が、商館の裏口をカムフラージュする為の物であるとはとうの昔から知っていた。
そして逆にこの通りには俺達もある仕掛けを仕込んでいる。
通りの中程を進んだ辺りで、俺とイェライシャは六人ばかりのクァーナ人に囲まれて立つ形になっていた。すぐ近くに件の民家の入り口がある所から察するに、俺達の身柄を確保するつもり満々という事か。
「わたくしたちは貴方がたに用など無いわ」
思いがけない事態に遭遇していると言うのに、恐慌を来すかと思ったイェライシャが俺の隣でそう低い声で言い放つ。
けれど彼等は大して気にもしていないらしい。
「それでも、こっちとしてはいろいろ聞きたい事があるんだよ。異国のお嬢さんにも、そしてアルマンスール殿にも……ね」
リーダー格なのかそう口を開いた男は、クム・ウタール辺りからすっかりお馴染みになっていた顔だった。




