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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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067 潜聴とジレンマ


「おはよう、イェライシャ」

「おはよう……」


 騒動続きだった昨日とその夜のわりには、イェライシャはすっきりとした表情で部屋から現れた。

 続けざまに夜更かしをしているらしいので、今朝もお寝坊かと思っていたから普段通りの振る舞いについ笑顔がこぼれてしまった。

 彼女は部屋の扉を背にして、不思議そうな顔で見上げてくる。

「……どうかしたの?」

 怪訝そうに訊ねてくるのもいつも通りで。

「今朝も……起きられないかと思っていたよ、夕べはラウを捕まえていただろう?」

「気付いていたの?」


 途端に少し後ろめたそうな表情になるから、からかうつもりで厳しい表情を浮かべた。

「気配がしていたから……起きていたんだよ。深夜に男を待ち伏せするなんて尋常じゃないしね」

「信用が無いのね……貴方が思っているような用件じゃないわ。ただラウに一言言いたい事があっただけよ?」

「……うん、判ってる。あいつの事を気にしてくれているのもね」

 彼女の声のトーンが下がってしまったので、ふざけるのはやめておく事にした。

 努めていつも通りの声と口調に戻す。

「……だからって、人の話を聞いていたなんてお行儀が悪いわね」

「違うよ、そんなんじゃない。言ったろう……気配がしたからって」

 ぷうっとふくれて見上げられ、宥めるように言葉を口にしながら自分の表情がにやけてしまわないよう気をつける。

 本当は、優しくされてしまったラウドラチャクリンがイェライシャに変な気を起こしてしまうと困るから、いつでも邪魔に入れるようにスタンバっていた、だなんて恥ずかしくて言えないし。

 もっともラウドラチャクリンにはそんな気配なぞ筒抜けだっただろうけれど。

 潜めた声の2人だったが、何を話しているのか見当は付いていた。

 俺達じゃ決してラウドラチャクリンに対して言えない事だったが、彼女の立場だからこそ言える。


 それを彼女が自覚しているのかどうかは判らないが、イェライシャのその行動から次に何が変わるのだろうか、と変な期待を抱きつつ気配を追っていた。

 そして2人の間に俺の危惧していたような事はなく、それぞれの部屋へと消えてゆく気配にも内心安堵していた。

 何故って?気付かれていたとしても、立ち聞き野郎だとは流石に知られたくないからな。


「さぁ、食事に行こう。その後で出掛ける支度をして」

「……本当に出掛けるの?」

 怪訝そうな言葉の裏には、昨日の知らせが影を落としている。

 この国の王が亡くなったと言うのにいつも通りで良いのか?という彼女の疑問は当然なのだが。

「正式に発表されるまでは……王は死んではいない事になっているんだ。それを知りうる立場にいる者も当然そのしきたりを弁えている。喪に服すのは……新しい後継者が見つかり、王の遺体を城の聖殿に安置してからだとね」

「それはいつなの?」

「……さあな。何年も掛かる事は間違いないだろうな。今の祭祀王さまは……五歳で城へ納められたと聞いているし」

「それまで何年も隠しておくの?亡くなった事を?」

「もちろん。そして王の遺体は防腐処置を施されて……聖殿に納められる時を待つんだ」

 促すように先に立って階段を下り、イェライシャを食堂に案内しながらそう説明する。  イェライシャは納得いかないような表情だったが、待ち受けていたサヤとはいつものような雰囲気で会話している。

 ようやくわだかまりも解けたのだろうか、とその会話を聞くともなしに耳にしつつ食事を済ませた。



 出掛ける為に馬の調子を見てからその背に鞍を乗せていると、一度部屋に戻っていたイェライシャが玄関から出て来た。

 微かな話し声にそちらを見遣るとラウドラチャクリンも一緒だ。

 夕べ自分を追い詰めた相手と、今朝は一緒に何気ない会話をしている辺り彼の神経の太さが判ろうと言うものだ。

 それとも、イェライシャが悪意ではなく心底から自分を案じているのを理解しているから、平気なのだろうか。

「わたしは今日は此所にいるよ、気を付けて行っておいで。……ナムリ殿の兄上にも宜しく伝えてくれ」

 ゆったりとした風情で玄関の柱に寄りかかったラウドラチャクリンは俺たちを送り出してくれたが、多少は昨夜の出来事に付いて考えるだけの心の余裕は出来たのだろうか。



 街の様子は昨日とどこも変わりがなかった。


 振り返れば街の中至る所から見上げる事の出来る王城の主が、昨日この世を去ったのだとはこの中の誰一人知らないのだ。

 この街、ルクアディナルファの首都クティナンに着いた時となんら変わりのない市場の様子や行き交う人々の穏やかな様子。

 それらを見回しながらイェライシャが憂鬱そうにため息をつくのを、黙って見つめる。


 彼女のため息の理由なぞ聞かなくても判る。


 けれど、この街に来てようやく自由を手に入れたはずの彼女が沈んでいては、要らぬ詮索の的だ。

 残して来ていたバーラートでのトラブルも片が付いて、家族の安全が確保されているのも判っている。

 そして彼女自身を縛っていたジャヤルの王からの援助の条件も、ルクアディナルファ祭祀王の侍従長ナムリに依て片付けられた。

 色々なウワサや憶測は依然として残ってしまったものの、今の彼女は全くの自由なのだから。

「イェライシャ……君が何を気にかけているのか判らない訳じゃないし、あんまり無神経な事は言いたくないけれど……今の君の顔を見ていると、何があったかと余計な推測を誘ってしまうよ?」

「……ご免なさい。でも、気持ちの切り替えってそんなに簡単じゃないのよ?」

 俺の言葉に、考え込んでいたふうのイェライシャは弾かれたように顔を上げる。

 ようやく少しだけ微笑みを浮かべそう言う彼女に同意を込めた微笑みを返す。

「……うん、判っている。それでも皆……努力しているんだよ」

「そうだったわね、夕べ……ラウにあんな余計な事言うんじゃなかったかしら」


 意外に弱気な発言で、少し後悔しているのだと察した。

 友人を亡くしたというのに明らかに無理をしていると判る態度で平静を装うラウドラチャクリンを、彼女としては放っておけなかったのだろうが、どうやら今は自分が彼のプライベートに立ち入り過ぎたと反省しているらしい。

「あいつにあそこまではっきりと説教出来る奴は居ないから……どんな顔で君の言葉を聞いていたのか見てみたいくらいだったよ。あいつのあの態度にも理由が無い訳じゃないんだが、俺たちにしても……仲間内の時くらい本音で居ても良いだろう?って気持ちが無かった訳じゃない」

 そこまで言葉を唇に乗せてからイェライシャを伺うと、案の定彼女はかなり意外そうな顔をしていた。  

 でも俺たちが何処かでそう思っていると、感じていたんだろう?

「だから……君があいつに言った事はあながち的外れとは言えない。……俺としては感謝しているよ?」

 更にそう続ける。

 初めのうち何を言われているのか判らないという表情だった彼女も、ようやくその意味を理解したのか、見る見る頬が赤くなる。

「でも、きっとハルヴァイにとっては余計なお世話だったわね。彼は……周りが変化するのを歓迎していないようだもの」

 赤い顔で俯いた彼女がそれでも小さな声でそう言う。

「あいつが俺たちを……管理したがっているだけさ。俺もラウも……もういい大人なんだから、いい加減自由を認めてもらわなきゃな」

 そう言って肩をすくめてみせたが、イェライシャは小さく微笑んだだけ。

 それでも、朝からの憂鬱そうな表情は何とか影を潜めたようで、横で顔を上げて馬を進めてゆく。

 その姿を視界の端に捉えつつ、俺達は見え始めた目的の屋敷に向かった。



 

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