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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
66/110

066助勢



 誰にも出せないと思った助け舟を出してくれたのは、午後からずっと部屋から出てこなかったラウドラチャクリンだった。

 後ろにラトーが控えている所からすると、皆が戻った事を彼に知らせに行っていたのかしら。


「ましてや、何がしかの決定を彼女がする時があったとしても……お前が口出しする関わりはない事だよ」

「……承知致しております」

 しぶしぶ引き下がったハルヴァイは恭しい仕草でそうラウドラチャクリンに頭を下げた。

 まるで主君に恭順する下僕のようなその仕草に、ラウドラチャクリンに頭が上がらないというファドラーンの表現を思い出すが、彼のその表現も何だか違うような気がする。


 けれど、そういった事を追求するだけの心の余裕は私には無かった。

 同時にラウドラチャクリンの言葉に悟ってしまっていたから。


 全て、私を自由にしてくれる為の茶番だったのだと。

 ジャヤル王家と此所ルクアディナルファの祭祀王の名を担ぎ出し、彼等の間の確執すら利用して。

 行きずりのたった一人の娘の為に。

 泣き出したいような、怒りたいような、複雑な感情にどうして良いか判らなくなってしまった私の肩をファドラーンが促す。

 それに素直に従って椅子に座りテーブルに視線を落としたまま、何食わぬ顔で私の隣に座り込んだラウドラチャクリンの気配を感じていた。


 この人はなんて、お人好しなんだろう。

 瞳の奥にはあんなに昏いものを秘めているのに。


 相手からの見返りも期待しないうえに、下心もなく、あくまで冷静で。

 ジャヤル藩王の希望を容れる事でたしかにこの商家にとっての利益もあったのかもしれないけれど、その間の駆け引きはかなり巧妙で、手間のかかるものだった筈だわ。

 何事も無かったかのように、サヤが夕食の給仕をしてくれるのを幾らかぼんやりと見つめていたが、今までの騒ぎで昼の出来事がすっかり置き去りにされている事に気付いた。

 勿論さっきの騒ぎも関係がない訳ではないのだが、皆があまりにも普通にラウドラチャクリンに接しているのが却って不自然に感じられてしまうの。

 ラウドラチャクリンは彼の親しい友人が今日亡くなったと言うのに、あまりにもいつも通りの態度で、彼が無理にでも平静を装っているのだとは嫌でも判ってしまう。

 私のような行きずりの娘の為に心を砕く事の出来るひとが、自分の心の嘆きに素直になる事が出来ないなんて、不自然でその不器用さに苛立ちすら感じてしまって。



「悲しいのなら……ちゃんと悲しいって顔をすれば良いじゃない」

 深夜、人目をはばかるようにして裏庭から戻ったラウドラチャクリンを待ち伏せて、ついそう口走ってしまっていた。


「……長く寝付いておられたのだ。ようやく楽になったのだ……と思っているよ」

 表情を曇らせつつそう答えるラウドラチャクリンの真ん前に立ちはだかって、ファドラーン程ではないものの自分よりも背の高い男を見上げた。

 薄暗いとは言え廊下を照らす灯りのお陰で、彼の表情は何となく把握出来る。

 彼からすれば、自分達の事情も知らない部外者が何を言うのかくらいの余計なお世話だったかもしれない。

 けれど私としては、彼が自分の心を必死に押し殺しているようにしか見えなかった。


 知らせを受け取った直後の平静を装う表情よりはましだったかも知れないが。


「貴方がそうやって感情を隠すから……余計に廻りの皆が心配している、というのが判らないような人じゃないでしょ?それに貴方がそんなじゃ、他の人だって祭祀王様の事を悲しめないじゃない」

「痛い所を突いてくれるね……そんなにわたしの態度が気に喰わないの?」

 言葉を重ねると、ようやくそうラウドラチャクリンの言葉が返ってくる。

 怒っている風でもない淡々としたその口調。

 確かに隊商に加わって暫くした時に余計な事でラウドラチャクリンに負担をかけないよう、言葉には注意しますって約束もしたわ。

 でも、これは譲れない気がした。 


「そんなじゃないわ。ただ不思議なだけよ?貴方が……自分の感情をどうしてそんなに隠そうとするのかが判らないの。悲しいと感じているはずなのは判るけれど……」

「隠している訳ではないよ……ただ……随分沢山の人と……別離れてきたから……。これ以上悲しい思いをしたくないと思ってしまったのかもしれないな」

「私は……母様としか別離の経験は無いけれど……それでも、皆違う人でしょう?同じ悲しみなんて無いわ。そんなふうに悲しみを押さえ込んでしまっていたら……祭祀王さまだって貴方の事が心配で、安らかにはなれないでしょう?」

 変わらず穏やかなままのラウドラチャクリンの口調に、これでもかと切り込んでしまった。

 態度にも変化の見えない彼に、あしらわれているような気すらしたからかもしれないが。

「……君の度胸の良さは尊敬に値するよ。皆の気遣いを良い事にわたしが我を通していたのは事実だが……それをこうもあっさりと突き崩されようとは思わなかったな。イェライシャ、君の言いたい事は判っているつもりだ。けれど……」

 ようやく口を開いたラウドラチャクリンだったが、言い淀んだ先を奪う。

「貴方に完璧を求めている訳じゃないわ。結構不器用なひとだってちゃんと判っているもの。だからこそ……感情を抑えて隠したりなんて……しなくて良いじゃない。そうでなければ廻りも貴方の事安心してみていられないわ」

 多分、サヤが少しだけ見せた無力感も此所に端を発しているのだと妙な確信があったから。

 暫くの沈黙の後、見つめていたラウドラチャクリンは相変わらず微かに表情を曇らせたままだったが、やがて静かに詰めていたのだろう息を吐き出した。


「わたしが不安定では、皆に迷惑を掛けてしまうと……自制していたつもりだったが」

「何の為にファドやミシェイルがいるの?彼等を信用してよ。貴方か……或いは他の誰かの理想なのかもしれないけれど……何事にも動じないひとって、本当は居ないのだと思うの。貴方が何に固執しているのかは知らないけれど……周りの仲間は貴方が頼ってくれるのをずっと待っている筈だわ」

 低く押しつぶしたようなラウドラチャクリンの声に、幾分譲歩のようなものを感じてもうこれ以上彼を追いつめる事の無いよう自分の言葉にも気を配る。

 言いたい事は言ってしまったし、此所からどう動くかは彼次第だもの。

 でも此所からサヤやファドラーンが本当に望んでいる変化があれば良いな、と思えるほどに私は冷静に彼と対峙していた。


 ……もっとも、ラウドラチャクリンのこう言った変化はハルヴァイには歓迎し難いものなのだろうけれど。

 ハルヴァイが私に厳しい視線を注ぐのは、部外者としての私がこの仲間達の間をかき回す事を警戒してのものだったのだと、私自身も何となく理解しはじめていたからだわ。

 少なくとも彼は、ラウドラチャクリンやファドラーンの変化を望んではいないから。





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