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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
65/110

065 期限


 厨房を訪ねた私の表情にサヤは訝しげな表情を見せた。

 哀しいのと、腹が立つ……何に?……のでかなり複雑な顔をしていたのだわ。

「お使いが……来たの。ナムリ殿から」

 そう告げると、案の定サヤの表情も曇ってしまう。

 あの合図の手紙の事をヨシュアが知っていたのなら、他の皆も知っているに違いないと、そう考えた通りだった。

 それとも同じ目的の為に集う者達だから、かなりの情報も共有しているというべきなのかしら。

 ため息をついた私に、それでも彼女は湯を沸かしていたらしい大きな鍋から湯を掬いそれでお茶を入れてくれた。

「もうじきだとは思っていたんですが……あの方は本当にぎりぎりで間に合ったんですね」

「ヨシュアは……とうとう来たなって……言っていたわ?」

 ついそう言うと困ったように微笑むサヤの瞳がうなづく。

「現実としては判っていたの、いつか来る事態だと。けれど……出来る事ならば……その時期が遅ければ良いのにって……そう思い願った事は無いですか?」

 誰でもそんな思いをした事があるはずだとサヤの瞳が語っている。

 そして、思い出したくなかった風景が心に蘇る。


 私も、壁に飾ったあの赤い婚礼用の民族衣装を着なくてはならない日の事をそんな思いで見つめていた。


「ええ……無い、とは言い切れないわ」 

「避けられない事だと……判っては居ましたわ。でも、その時にラウが苦しむのを……皆見たくはなかったの。今までとても良くして下さった王様が亡くなられた事は当然悲しい事よ?そしてその時に……置いていかれる者の苦しみを、再び彼が味あわなければならない事が判っていたから実現して欲しくはなかったの」 

 そして同時に、その苦しみをどうにもしてやれない、自分達の無力さを思い知らされてしまうのが。

 うなづいて同意を示した私にサヤは珍しく饒舌で、そんな彼女の言葉が聞こえたような気もした。

 大切に思う人物のその心の支えに自分達が成り得ない事、その無力感を滲ませたサヤの言葉はとても意外なものだった。

 けれど同時に理解も出来た。

 私が恐怖とともに見つめるラウドラチャクリンの昏い瞳は、同時に何処か深い所でこの仲間達をも脅かしていることを。

 それでも理解しながらも不思議に思える。

 これだけ付き合いにくい相手なのに、サヤを初めとする皆は彼を大切に思っている。

『付き合いにくいって言う奴もいるけれど、結構お人好しで……憎めないんだ』


 いつかのファドの言葉が思い出されたが、違うわ、あの時のあれは彼の上司の話だったじゃない、と考え直した。


  サヤが特に追い出そうとしてこないのを良い事にそのまま厨房に居座って、外出からファドが戻るまで彼女の手伝いに時間を費やすことにした。

 イクシールに居た時、ルツィエラさんにレシピを教わったスープは此所でも定番らしく、今夜のメニューにも入っているのを確認している。

 最後の仕上げはサヤがしてくれると言うので、初めてそのスープを私が一人で作る事になったのは何気ないサヤの一言だった。

「そう言えば、貴女はルツィエラさまにレシピを教えて頂いたんですって?早速腕試しをしてみない?」

 多分ファドラーン辺りが漏らしたのだろうが、サヤの耳の早さに舌を巻きつつ彼女の誘いを受ける事にした。

 どのみちファドラーン達が戻ってくるまで私がするべき事は特別何も無いのだし。


 とは言え彼等が戻って来たのはかなり暗くなってからだった。

 あらかたの夕食の支度も出来上がり、店を片付けたヨシュアも手持ち無沙汰のように食堂と玄関を行ったり来たりしていた。


 ラウドラチャクリンはあれから一度も姿を見せては居ない。


 待つのには慣れたという風情のサヤとラトーだけが、いつも通りとばかりに窓などの戸締まりの確認をしたりしている。

 姿を見かけないなと思っていたラトーは昼からの時間を馬の世話に費やしていたらしく、何処と無く埃っぽいのをじきにサヤに見とがめられると、浴室へと追いやられてしまった。

 その彼が浴室に向かってから少しして、ようやく厩が賑やかになる。

 帰って来た一行を出迎える為か、ラトーの代わりにヨシュアが玄関に向かった。  

 私も無意識にその後を追っていたらしく、ヨシュアが掲げる灯りに浮かび上がったファドラーンの姿に……本当に……我知らず安堵の息を継いでいた。

 それなのに、帰って来た彼等と言ったらお気楽なもので、迎えに立っていたヨシュアの肩を叩き屋敷の中へと入ってくる。

 そしてファドラーンはそのままヨシュアに捕まり何事かを耳打ちされ。

 その内容は勿論想像に難くないわね。

「おや、すっかり馴染んでるね、イェライシャ?」

 そう言って厨房に居た時のまま、借り物のエプロンに身を包んだ私に目を止めたのはミシェイルで、しかし次の瞬間には私の表情に気が付いたらしく訝しげに瞳を細めた。


「……何かあったの?」

「……お使いが……」


 けれどそれ以上は口にできなかった。

 深刻そうな表情のファドラーンが脇を通り過ぎ様、その続きを引き取っていったのだ。

「城から侍従長殿の使いが来たそうだ」

「赤い……紙しか入っていなかったの」

 特に驚く素振りもなくミシェイルが再び見つめてくるので、そう言葉をつなぐ。

 ゆっくりと彼はうなづき、肩に手を回されて皆が集まっている食堂へと促された。


 幾分平静ではないファドラーンとは違って、ミシェイルは来たるべきこの日について既に準備は整っていたらしい。

「手紙の事も、誰かが亡くなったという事も……決して公言してはいけないよ?祭祀王様が亡くなられたからと言って……すぐに公表されて喪に服す訳ではないからね」

「どう言う事?」

「政務はこれまで通り……王の側近に依て通常通りに進められる。新しい祭祀王の後継者が見つかって初めて、前王の崩御が伝えられるんだ。代々新しい候補者探しは難航するのが常でね、余計な情報が流れる前に秘密裏に捜すんだよ。近隣諸国に情報が流れても困るしね」

「……偽物が出るってこと?」

 想像して答えると、ミシェイルは疲れた微笑みを見せる。

「それだけじゃない。候補者は……生まれたばかりの子供だ。選定に入る前に候補者が事故死した例は過去に無い訳じゃない」

「だって生まれたばかりの……」

「そう……身を守るすべを持たない者を、必要以上の危険にさらす訳にはいかないからね」

 穏やかだがきっぱりとした彼の言葉に声がうわずる。

「誰が……赤ちゃんを危険な目に遭わすって言うのよ」


「新しい王の後見になる者に敵が多ければ多い程危険は増えるのです。少しでも自分に都合の良い王を望む野心家は多いし……現在の王国の体制、むしろこの国の存続自体を望まない者も居るんですよ」

「そ……んな」

 あまり多くを語りたくないと言う素振りのミシェイルの言葉を次いだのは、最後に食堂に入って来たハルヴァイだった。

 はっきりとした言葉で具体的に説明されて、分りやすいのは良いのだけれど、その内容に気がめいってしまった。

 つまり敵は至る所に居るという事ではないの。

「そこまではっきり言って恐がらせる事は無いだろう、イェライシャは……」

「此所まで関わっているのです、もはや部外者とは言えますまい。すくなくとも……隊商で一緒だった者達がその方を受け入れている以上、どのように言い訳しても彼等とて見逃してくれはすまいよ」

 話の意味が理解出来た私をかばうようにファドラーンが口を挟もうとしたが、かなり強いハルヴァイの反論にかき消されてしまった。

 けれどその内容は以前ファドラーンが危惧していた通りの事だわ。

 そしてハルヴァイの言う、彼等、がクァーナの民であろう事は説明の必要も無い。

 正論として自分の思う所をはっきり口にする質らしいハルヴァイの、同様に厳しい視線が私に向けられているのを痛い程意識する。

 彼は私がどんな反応を示すかを伺っているのだ。

 すぐ傍に居てくれているファドラーンもミシェイルも、今度ばかりは当てにしてはいけないの。


「待ちなさい、ハルヴァイ。性急に過ぎる所が相変わらずお前の欠点だね。彼女はまだ……私達の全てを把握しているのではないのだから、お前の言葉で混乱させて欲しくはないよ。それにお前の危惧するその疑いを招かない為にも……祭祀王さままでを担ぎ出したのだからね」


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