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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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064 手紙


「ラウドラチャクリン・アルマンスール殿はおいでか」


 細く高い音の鈴が来客を告げ、開けられた扉には先日私達を侍従長の元へと導いてくれた若い僧侶が立っていた。

 指甲草染めのフードを目深く被っていたので一瞬誰だか判らなかったのだが、その下から覗く綺麗な二重まぶたにそうと思い当たる。

 背筋を伸ばした少しばかり尊大な彼の態度はしかし、店の中に入った途端に人目を忍ぶような態度へと変わっていた。

 店へと踏み込んだその僧侶はぐるりと見回しそうラウドラチャクリンの名を口にした。

「……奥におります。しばしお待ち頂けましょうか?」

 けれど丁寧な口調で訊ねたヨシュアを見つめ、彼は困った顔をする。

「長居はできぬのだ……これをお渡し頂きたい。ナムリ侍従長から故……確実にな」

 念押しすると、装束の合わせから手紙を取り出してヨシュアへと手渡した。


「お待ち下さい……これを」

 そのまま身を翻そうとした僧侶だったが、咄嗟に呼び止めたヨシュアが差し出した一抱えもある荷物に黙って視線を注ぐ。

「お身内の元へと行かれるのでございましょう?この商家へお寄りになって……皆様にお土産もなしでは失礼ですから、どうぞお持ち下さい。お気に召さなくともお納めいただければ宜しいので」

「……お心遣い感謝する。ではまた寄ろう」

 笑顔で「商家」と強調したヨシュアに何かを思い付いたような顔で僧侶はそれを受け取ると、短い言葉を残して通りへと出ていった。

 数人の供を連れた彼の馬の気配が無くなると、不意にヨシュアが大きく詰めていた息を吐き出す。


 機転の利く店員振りだったのだが、どうやらかなり緊張していたらしい。


「……とうとう来たかな」

「え?」

 小さく呟いたヨシュアに聞き返そうとしたのに、目の前に今さっき彼が受け取ったばかりの手紙を差し出されてしまった。

「すみませんが……これを隣のラウさまに届けて頂けませんか?僕は此所の当番なので」

「あ、ええ……いいわよ?」

 差し出された手紙を受け取り、その手が少し震えているのに気が付いてしまった。

 隣の部屋にいるのだからすぐに済む用事だ。

 けれど彼は自分では行きたくないのだとも気付く。

「有り難うございます」

 ことさら丁寧なヨシュアの言葉遣いに本心から礼を言われたのだと気付いて、何やら曰くのある手紙の配達を請け負ってしまったのだと悟ってしまった。

 躊躇して手紙を見つめるものの、今更断る訳にも行かない。

 仕方が無いかと覚悟を決めて、隣の事務所のドアをノックした。


 心配そうなヨシュアの視線がかなりくすぐったくて、返事も待たずにドアを開け部屋の中へと踏み込むと後ろ手にドアを閉じて。

「どうかしたの?」

「……これを貴方にって。侍従長のお使いの方よ」

 せわしなく部屋へと入って行くと、先程とは違い顔を上げ穏やかに声を掛けてくれたラウドラチャクリンだったが、そう言って私が差し出した手紙に流石に眉をひそめた。


 それでも机から立ち上がり無言でそれを受け取ると、すぐにその封を開けてしまう。

  

 ……隠すとか、人目を気にするとか、そういうそぶりも無かったので、私もプライバシーを尊重して部屋を出るとか後ろを向くとかいう配慮をする時間は正直に言ってなかった。

 ただ無造作に開けられた封筒から、綺麗な赤い紙……きちんと畳まれた……が取り出され、何処と無く心ここに在らずなラウドラチャクリンの手をすり抜けた「それ」が私の足下へと落ちていくのを呆気に取られて見ていた。  


 そしてその紙には何も記されては居ないと言う事にも気が付いてしまう。


「……何?これ」

 ようやく我に帰って、身を屈めた私がその紙を拾うまでにどれだけの時間がかかったのだろう。

 拾い上げたそれを、けれどラウドラチャクリンは受け取ろうともしない。

「何も書いてないんだね?」

「ええ」

 ただそう問われ、ありのままを答える他は無い。

「一体……これは何?」

「あらかじめ……取り決めておいたのだ、ナムリと。祭祀王が崩御なされし時の合図を」

 それでも不吉なまでに鮮やかな赤い色の意味を尋ねずには居られなかった私に、そうラウドラチャクリンが答える。  


 平たんで抑揚の無いその声に、つい見上げてしまった彼の表情はいつも通りの穏やかな表情で、唇の端にはいつもの微笑みすら浮かんでいる。

 いつも通りを「装って」いるのだと直感では判ったものの、その平静を突き崩すだけの手札を私は持っては居ない。

 私にこれを託したヨシュアは手紙の内容を察知していて、それでも……ラウドラチャクリンのこの顔を見たくはなかったのだわ。



 仮面のような表情のままラウドラチャクリンは机を離れ、黙ったまま事務室から出ていってしまった。

 封筒から飛び出してしまった赤い紙は、そのまま彼が使っていた机の上に置きっぱなし。 放置しておくわけにはいかなくてそれを封筒に納めなおすと、彼の後を追って部屋を出た。

 けれども、いつも通りの足音が階段を上っていくのを耳に捉えただけだった。

 流石に部屋まで追いかける勇気はない。

 そして今、階段を上がって自分に宛てがわれている部屋へ戻るのも何だか気が引ける。

 もしも彼が自分の部屋で亡くなった方を悼むつもりなのならば、ということでだが。

 行く当てがなくなってしまった私は、他にする事も無いので厨房のサヤの所へ逃げ込む事にした。

 夕食の準備にはかなり早い時間だが、手伝いはさせてくれると言っていたし、このまま居座ってしまえば何とかなる。  


 単に一人になりたくはなかっただけなのかもしれない。

 大切なひとが逝ってしまったのに、悲しいであろうその人はその思いをたった一人の胸の中に仕舞い込んでしまおうとしている。


 ……平静を装ういつもの表情で。


 祭祀王さまは私にとっても関わりの全くない相手という訳ではなかったわ。

 会った事は無い方だけれど。

 それでも残される悲しみが湧かないはずが無い。


 ずっと一緒に付き添っていたであろうナムリ殿はもっと悲しいはずよ?


 でも王から事後を託されていると言っていたその立場上、個人的に悲しむ為の時間をまだ作れては居ないだろうけれど。

 それでもいつかはその悲しみときちんと向き合い、そして昇華させてゆくのに。

 ラウドラチャクリンは、それすらを拒んでいるような気がする。

 人目のある所で自分の感情を露にする事を好まないというよりも、無理矢理感情を切り捨てようとしているの?

 それでは……いつか耐え切れなくなってしまうのではないの?

 捨てきれず押し込めたその感情の重さに。




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