062 憶測
連れ立って入って来た三人の、それぞれの表情を見て俺は何となく変な表情をしてしまった。
一番に目をやったイェライシャは一見澄ました顔だが、それが時には言い合いに発展しかねない複雑な感情を抱えた時の表情だって事を俺は気付いてる。
怒っている訳では無さそうなのだが、何があったのか今は訊ねられる状況でもない。
その後に続いて入って来たラウドラチャクリンはいつも通りの無表情で、少しばかり疲れが溜まっているのではとラトーが心配していたとは思わせる素振りもない。
そして最後に入って来たラトーもいつも通りの穏やかな表情で、やはり特に変わった様子はない。
イェライシャだけがなにやら不穏な感情を抱えているというこの状況に、何があったのか聞きたくても聞けないジレンマを抱えてラウドラチャクリンへと視線を合わせる。
だが妙にご機嫌らしい彼はそれには気付いているふうもなく、俺の隣の席の椅子を引くとイェライシャを誘う。
俺がそれを彼女にしてやる事は至って普通になっていたが、ラウドラチャクリンがそんな事をしたのは初めてだった。
先を越されてなにげにテーブルを見回すと、今までよりも更に驚いた顔をしているハルヴァイを見つけ、あぁ、と妙に納得する。
多分、あれは数カ月前の俺の反応でもあったろうから。
イェライシャと出会う前のラウドラチャクリンは、進んで女性にサービスするような男では無かった。
ましてや国元のフィルダウスにあってはその必要もなく、むしろ敬意や奉仕を受けるのが当然の立場だった。
柔軟に見せてはいるものの、その実、固定観念でガチガチな石頭。
ハルヴァイと互角だと思える所すらあったのに。
けれど、イェライシャが隊商に同行するようになってからの彼は、少しずつ変わっていった。
何処がとは明確に言えないのだが態度にも何がしかの余裕が見えるようになり、ミシェイルに、彼の家族の消息を訊ねた時の意外に落ち着いた表情はその変化の最たるものだ。
あの時も、変化のきっかけはイェライシャだったような気がする。
今回の隊商に同行していて、彼の僅かづつではあったものの変化に立ち会っていた俺やミシェイルとは違い、ハルヴァイにとっては突然とも言える主の変化だ。
確かに驚くのも無理は無い……と、同情半分の微笑みで彼が何とか平静を保つのを見守った。
そんなハルヴァイを尻目にイェライシャが椅子に座り、ラウドラチャクリンも腰を落ち着けた所でいつものように彼のグラスへと飲み物を注ぐ。
厨房を預かるサヤの主義で朝食と昼食には特別な理由か、来客でもない限り、彼女は酒をテーブルに出さない。
今ピッチャーに入っているのも、ほんのりと季節の果物の香りを移した水だ。
同じようにそれをイェライシャのグラスへと注ぐと、香りに気付いた彼女がことさら嬉しそうな表情を見せるのが微笑ましい。
「有難う、ファド」
「どう致しまして。今日は店の方へは顔は出さなかったんだね」
興味は無かった?と言外に訊ねた俺に彼女は慌てて首を振った。
「違うの、一度部屋へ戻った所で……更にもう一度眠ってしまったのよ。自覚は無かったんだけれど、かなり疲れが残っていたのかしら。ラトーに起こされて……寝ぼけた顔で出て来たのよ」
「本当にそれだけ……?」
さっきの微妙な表情の説明にはなっていないと思い、さらにそう訊ねると、彼女は困ったような表情で視線を彷徨わせる。
どう言葉にしようかと迷ったらしい所を隣から引き取ったのはラウドラチャクリンだった。
「……わたしとラトーがふざけていたから、困ったんだよ。扱いかねたんだな」
サヤが運んでくれた食事のトレイを見下ろしつつ、かなり面白かったのだろう微笑み以上の笑みを浮かべている。
その様にやはり驚きを隠せないハルヴァイを意識しつつ、いつものイェライシャの食前の祈りが済むのを待って食事へと取りかかった。
「夕方……暗くなる前には戻るから、大人しくしていてよ?」
「失礼ね、ちゃんと待てるわよ」
出掛ける為に馬に鞍を置いて準備を整えた所へ、見送りに来てくれたイェライシャ。
どことなく不安そうな彼女の耳元へそう言葉を送ると、ぷうと頬をふくらませる彼女につい笑い声がこぼれる。
一緒に庭に来ていたラトーへ後を託すと俺とハルヴァイ、そしてミシェイルの三人は通りへと馬を進めた。
この屋敷に残っているのはラトー夫妻とイェライシャ、ラウドラチャクリンとヨシュアだけだがラウドラチャクリンが居る以上何の心配も無い。
いつだったか、彼に付けられた渾名は«護衛要らず»の君だった。
夕方までに用事を済ませてしまいたいのでゆっくりとしている訳にも行かず、馬を並み足で歩かせていると隣に居たハルヴァイが重い口を開いた。
「ファド様……あの方は……本当にあの娘御にお気があるのではありますまいな?今まであの方が女性にあのように振舞われた事はありませなんだ」
「その心配は無いよ、ハルヴァイ。イェライシャに対する振る舞いは……彼女に敬意を払っているだけに過ぎないとは思えないかい?私はその場に居なかったが……彼をして「見込んだ」と言わせた女性は初めてだよ」
ハルヴァイにとって最大の関心事なのだろうその話題に、何と答えようかと奴を睨んだ所で俺の代わりにミシェイルが口を挟んで来た。
見当違いな奴の疑問をからかっているようでもある。
「……だから心配なのです。あの方にあのような待遇をされて……のぼせ上がってしまうのではないかと危惧しておるというのに」
「今まで彼の廻りに居た娘達ならそうだったろうね。でも、彼女はラウドラチャクリン様を見ては居ない。……それぐらいなら君にも判るだろう」
「さて、……それはファド様次第でしょうな」
ミシェイルの言葉をさらりとそう躱すハルヴァイ。
なんでこいつはいつも俺をイビリの対象にするかな。
結構痛いあてこすりに流石にむっとしてしまった。
不機嫌丸出しで八つ当たりされて、こっちにもそれなりにダメージはある。
「陛下にしても奥方は地上の女性であられたし、あの方までもが御相手を国内から選ばぬとなれば……貴族らの落胆は激しいものになりましょう。守護主の庇護の元、自由を保障された方とは言え……その決定がいつも受け入れられるとは限りませんし」
「……いい加減にしとけよハルヴァイ。どれだけあんたが気を揉んだ所で……彼の意見を変えられはしない事ぐらいとうに判っている筈だろう。それに……国元に「あの」従妹姫が頑張っている間は彼は自分の伴侶を選ぶ気すらないと思うけどな」
不機嫌をのせた俺の言葉にようやく彼も黙る。
「アルダウーラさまか……」
ため息をつくミシェイルに、チラと視線を送ってしまった。
ミシェイルが一番嫌悪している名だ。
現フィルダウス国王の一人娘にして、ラウドラチャクリンの従妹にあたる女性。
何があったかはウワサでしか知らないが、父親の権を笠に着た娘の悪評は静かに語られていた。
彼女が何とか次代の国王にして自分の従兄を手に入れようとして手を尽くしているのを知らない者はいない。
それ故にその従兄は国元へ戻ろうとしないのだと、まことしやかに囁かれてすらいる。
俺をダシにしてラウドラチャクリンに近付こうとした貴族娘が、当のラウドラチャクリンに拒まれた後、かの姫君にかなりひどい目に遭わされたとは有名な話だ。
その彼は殆ど手がかりも掴めない何かを捜して、世界を彷徨っているというのに。
れがフィルダウスの為なのだとは、彼等護られている民は気付きもしないのだろうか。
報われない、けれどそんな他人からの評価の為に彼は行動しているのではないと、俺達は知っているから彼に従うのだ。
「……どれだけ彼に意見した所で、奴の気を変えるのがいかに難しいか……お前が知らぬはずもあるまい。よしんば彼がいつか相手を選んだとして……それがお前の価値観に添う相手ではない、とだけは俺でも想像が付くぜ」
宣言するかのようにそうハルヴァイに言い放つと、半馬身分先行させる。
おしゃべりは終わりだ。
いつも通りの商人の仮面を被りなおした俺達は、予定に遅れないようにと先を急ぐ事にした。




