061 駆け引き
部屋の扉をノックする音で目が覚めた。
昼食の準備が整ったと呼ばわる声に慌てて飛び起きて、鏡を見る。
どうやらまた眠ってしまっていたらしい。
何だか目許が腫れぼったくて……穿った見方をすれば、泣いていたとも取られかねない表情になってしまっているのにさらに焦る。
咄嗟に水指しの水をハンドタオルに含ませて両目に当て、少しでも落ち着くようにと深呼吸を数回繰り返した。
「……如何なさいました?」
「ごめんなさい、すぐに行きます」
不審げな声にその主がファドラーンではない事を悟る。
多分、サヤの旦那様だと言うラトーだわ。
何処と無く掴みどころのない人物、という印象があったのだが、彼からはハルヴァイのような拒む気配は感じられなくて、たったそれだけで私は彼に対して警戒感を抱いては居なかった。
扉を開けると、ラトーは案の定顔色を伺うようにいつもより長く見つめて来た。
「……うたた寝してしまっていたのよ、夕べ……ラウが戻る頃まで起きていたものだから」
それがどれほど深夜だったかは、ラウドラチャクリンを迎えに立っていた彼に判らないはずはなかった。
一瞬困ったような顔をしてそれから彼は微笑んだ。
それは穏やかな表情ではあったものの、何故そんな時間まで眠れずに居たのかを理解している、そんな微笑みだった。
「ラウ様も先程戻られて……少し休んでおられるはずですが、貴女もあまり無理はなさいませんよう」
「ありがとう、気をつけるわね」
「おや、わたしの事は起こしに来てくれないのかい?ラトー」
穏やかな対応に促され、食堂へ向かおうと階段へ差し掛かった所で聞き慣れた声が背後から追って来た。
交差する廊下の奥からゆったりとした風情でラウドラチャクリンが姿を現す。
「貴男にも休息が必要でしょうから、敢えて声を掛けずにおこうと思いましたのに」
溜め息混じりのラトーの言葉。
それに対していつもの微笑みでラウドラチャクリンは応じるとすたすたと先に立って食堂へと向かう。
その途中階段の中程でラウドラチャクリンは不意に振り向いて、ラトーへと視線を向けた。
不満げなラトーの気配に気付いたのね、と見守ると相変わらず穏やかなラウドラチャクリンの声が続いた。
「お前の心配は判っているが……まだ大丈夫だよ。本当に駄目な時はきちんと言うから、その時は頼むよ?」
「承知致しました。それでも……早めにおっしゃって下さいよ?」
「……心掛けるよ」
まだ少し納得がいかないという風情のラトーだったが、かなり明確な言質を取った事で幾分安心したらしい。
態度も目に見えて柔らかなものになり、いつも通りなのだろうかすかなほほえみを浮かべている。
反対にやれやれと言う表情を見せたのはラウドラチャクリンだった。
「どうも……この夫婦は心配性なんだよ。わたし達の事をまだ子供だと思っているようでね」
そう私の方を振り向いて言い訳じみた説明をしてくれるのだが、取り澄ましたその表情はふざけているとしか思えない。
それに一歩後ろを歩いているラトーは、どういう訳だか込み上げて来た笑いを堪えるので精一杯のようだ。
「ここは笑うポイントじゃないと思うんだけれど……もしかして、2人で私をからかっているの?」
「とんでもない」
相変わらず澄ましたラウドラチャクリンの言葉に、やっぱり、と確信めいたものを感じた。
けれど、あきらかにふざけているらしいラウドラチャクリンには、呆れていると取れる溜め息を返すのが精一杯。
だってこれ以上何かを言っても、彼を面白がらせるだけだって事くらい流石にこれまでの経験で学習している。
だから、もう何も取り合わないぞ、という顔で食堂へと向かう事にした。
ふざけて軽口を叩き合うのは私としては嫌いじゃない。
ただ、今のラウドラチャクリンの様子は無理に振舞っているような気がしてしまうから、 それに付き合ってあげるのが彼に取って良い事なのかどうか判らないからなの。




