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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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006 出発


 イェライシャが逗留していた宿は宿場の関所のすぐ近くで、かなりランクの高い大きな宿だった。彼女は宿の主に同行出来る隊商が見つかった事を告げ、礼を言ってその宿を引き払う。 

 思っていたよりも少ない荷を受け取り再び我々の宿に戻ると、待ち受けていたらしいラウドラチャクリンが俺たちを見つけたのか何やら手に持ってやって来た。

 そして手にしていたその小さな袋をイェライシャに差し出す。


「これは?」

 袋を受け取りながらも怪訝そうな表情を見せる彼女にラウは口を開いた。

「貴女の髪の色は人目を引き過ぎるので……少しばかり暗い色になるよう染め粉です。勿論使っても使わなくても構いませんがね。丁度荷の中に在りましたから」

 相変わらず外套のフードを深く被っているが、口の端に面白がっている時の表情が浮かぶ。

「この宿場で……貴女を我々が引き受けたのは多くの人が見ていますから、次の大きな町か首都に入る前辺りで姿を変えたほうが自由に動けるでしょう。その髪の色ではどうにも目立ってしまうし、ありのままの町を見物するには必要かもしれないので。勿論ユグドラセア貴族の令嬢としての……格式を維持した旅をご希望なら、そのように宿なども手配せねばなりませんが」

「いいえ……出来れば目立たないようにして頂きたいわ?これはじきに使わせて頂くことにします、ありがとう。ラウドラチャクリン殿」

「呼び捨てで結構ですよ。……では後ほど」

 ようやく彼女は納得した表情で、受け取ったその小袋を服の合わせに仕舞い込んだ。

 そしてそのままラウドラチャクリンの後ろ姿を見送ると、俺にも軽く頭を下げて、イェライシャは一時的に彼女の荷物を運び込んだ部屋へと入っていく。


 昼食後すぐが出発の予定だった。


 暗くなる頃には途中の宿の有る町に着く。大きな隊商筋らしく、進む速度に合わせて野宿しなくても済む様に自然と町が一定の距離を置いて街道沿いに出来上がっていた。

 勿論それ故にハイエナも多い。

 ここからの日程にして2日程進んだ辺りの途中に有る大きな森を抜ける為に、今回の旅では少しばかり危険を冒さねばならないかもしれない、と言う事を予測していた。

 ここしばらくその森の近辺で隊商を狙うかなり荒っぽい盗賊が出ると、もっぱらの噂だったからだ。


 部屋へと戻り隊商用の荷を改めていたラウドラチャクリンは一つの包みから重めの長剣を取り出すと、後ろで見守っていた俺に無造作に放り投げてよこした。

「自分は良いんですか?」

 渡された自分の剣の鞘を払い刀身を改めてから、相変わらず丸腰のラウドラチャクリンに目をやる。  

 返って来たのはいつも通りの余裕の笑みだった。

「わたしは必要ないが……ファドラーン、お前は彼女を守ってやらねばならんだろう?」

「何か有ると、起きると思ってるんですか?」


 貴方には先見の力……未来予知の為の……は無い筈でしょ?と目で尋ねるのを受け流された。


「……判らん、その為に先遣りを出してあるんだろう?」

 二日の日程差で先行する数人の一行を送り出したのを指摘される。

「何か有れば……見つければ報告が有る。」

 確かにそうなのだが、避けようと思えば避けられるのに……?

「今回の襲撃を、甘んじて受けるおつもりですか?」

「同行者も出来た手前、安全な旅にしておきたいお前の気持ちは判らんでもないがな。しかし……この不穏な地域で一回も襲われていない、それ自体があらぬ噂の元になりかねん」


 不審がっているとも受け取れるだろう俺の言葉に、表情を崩す事なく彼はそう言葉を続けた。アルマンスール家が盗賊と通じているかもしれない……とは、商家としては決して囁かれてはならない噂だ。

「うちは手練揃いですらねェ。……襲ってくれますかね?」

「女がいる。極上の金の髪の娘。しかも妙齢の乙女とあれば……バーラート辺りの好き者なら言い値で買うだろうね。しかも我々がその女性を同行に加えた事は衆人の知る所だし」


 ふざけた調子で問い掛けた俺に、ラウがさらりと口にした返事。

 思わず彼女が聞いては居ないかと後ろの扉を伺った。


「まさか……初めからそのつもりで?」

 つい……声が潜めたものになる。

「それこそまさかだな。しかし考えられなくもないだろう……だからこそお前はしっかり彼女を守ってやれよ?」

 珍しく明るい声を上げて笑い、俺を見つめたラウの何かを見透かすような蒼い瞳に正直うろたえてしまった。

「お前の責任だろう?言い出しっぺのリーダー殿」

 そんな俺を見透し、鼻で笑う様にして彼は部屋を出ていく。馬小屋へと向かっているのは判っているから敢えて行き先は尋ねはしない。

 出発前、彼は必ず愛馬と「話す」為の時間を作っている事になっている。それが彼が精神を集中させる為の言い訳だと知ってはいるが、隊商の皆はそれを黙認しているのだ。


 あの堅物……その背中を見送りながら、しかし、と思い直す。彼は意外とまめだから、もしも好きな女性が出来たら尽くすんだろうな……ふとそんなことを考えた。



「イクシールの首都へ着いてからルクアディナルファへ行くのに、途中での休みは無いのですか?」

 昼食を済ませて出発し、暫くするとイェライシャはそう訊ねて来た。

 何故かずっと俺の隣に馬を並べているので、俺はともすれば彼女の髪に視線を向けそうになるのを懸命に誤魔化していた。

「今回は少し急いでいますから、イクシールの首都ツァイデアルで荷の選別の為に1、2日休むだけですね。そこでは俺達の両親が店を守ってるんですが、ラウが出来るだけ急いでルクアディナルファへ帰りたがっているんですよ。元々俺と奴がルクアディナルファの店の担当だし、今はルクアの王が病で臥せっておられるので。」

 旅の行程を急ぐのとルクアディナルファの王がどう関係するというのか。怪訝そうな表情を見せるイェライシャに、思い出したというように付け加える。

「あぁ……ラウと王は年は離れているんですが、気の会う友人みたいなものなんですよ。まぁ、その見舞いに早く行きたくてラウが急いでいる……と云った方が良いかな?」

 我ながら長ったらしい説明に、そっとうなづいて了解の意を表したイェライシャ。俺は見慣れたラウの背を見つめていた。

 ルクアの王はおそらく最後の病だろう……と、言葉にするまでもなく皆が理解していた。

 

 勿論この世に生を享けた時から人も他の生き物も、死から逃れる事は出来ないのだとは十分に判っている。

 3、4馬身前方で隊商の前に立つラウドラチャクリンに視線を遣りながら俺が黙ってしまったのを、イェライシャは不思議そうな表情で見つめてくる。

 ルクアの現王は若い頃からラウとは親しかった。 

 長寿の属性を持つが故に、周りの者が自分よりも先に老いてこの世から去って行くのを、どのような気持ちで見送っているのか。或は言い様の無い悲哀を感じているのか、あまりその感情を見せないラウを俺は少し神妙な表情で見遣った。

 ふと隣のイェライシャが顔の向きを変えたとたん、輝く色の髪が日差しに煌めき……俺はそれに目を奪われそうになって、慌てて視線を反らした。

「貴男達は商人なのでしょう?なのに何故……剣を帯びておられるのですか?他の人たちもそうだけれど、剣を使えるのですか?」

「一応仕込まれているんですが、相手次第ですね。腕の立つ相手なら剣で話すより、財布と相談させますよ」

 探るような彼女の問いに、ふざけたような軽口を叩きながらイェライシャを見返す。

 メンバーの大半……ラウドラチャクリンを除いて……が帯剣しているのに気付いて、彼女は明らかに緊張しているようだ。普通の隊商ならば剣の使えない商人達が護衛として武人を雇うものなのだが、俺達の隊はそうではないからかもしれない。

「この先二日程行った先にある森の近辺では、ここの所良くない噂が囁かれてましてね。用心の為ですよ。襲われてから剣を出してちゃ間に合わんでしょう?」

「襲われって……のんびりした口調で随分な事を言うのね」

 呆れたふうの彼女に笑みを返しながらも廻りに気を配る。

 そのまま初日は事も無げに終わり、夕日がすっかり山脈に隠れてしまう頃(山地なので日暮れは早いのだ)ようやく見え始めた集落で隊商は馬を止めた。

 事前に本人に了解を取っていたとは言え、本当にイェライシャは俺とラウドラチャクリンとの同室になった。

 隊商の他の者達は大部屋だ。小さな集落の宿では大きな町の様に設備や部屋数を確保出来ないからだが、明らかに緊張した俺とは反対に……ラウも、そしてイェライシャも至って平気な表情でそれぞれの身仕舞を整えると、さっさとベッドへと引き取ってしまった。

 ……もっともイェライシャの方は初めて外套のフードを払ったラウドラチャクリンの方を気にしているらしく、しきりにちらちらと彼を見遣っていたが。


 彼女の考えている事はよく分かった。

 兄弟だと触れ込んでいる割りには俺とラウが似ていない、と思っているのだろう。


 苦笑してその様を眺める。

 血縁なぞ2人の間には無い、と俺は割り切っていた。

 主従関係ならあるのだが。

 彼女と我々を隔てる衝立て越しに、早々に規則的な寝息を立てはじめたらしいイェライシャの方を見遣る。どうしようかと思っていた俺の心を読んだかの様に、ラウドラチャクリンがもう一度起き上がった。

「……どうか?」

「いや。……少し夜空を見てくる。女性と2人きりだからって……イタズラするなよ?」

「な……⁈アンタと一緒にせんで下さいよ」

 売り言葉に買い言葉とはこの事だ。

 にやりとしてラウドラチャクリンは外へと出て行った。

 余裕でからかわれているのが判っている俺はふて腐れた顔でベッドに横たわり、じきに眠りに入る。目が覚めたのは大分経ってラウが戻った気配にだった。

 目で問い掛けた俺に何でもないと仕草を返して、彼もベッドに入った。


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