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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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005 逡巡


 すぐだと言われた通り、彼等の宿は先程の広場から見渡せる場所にあった。

 ランクは高いとは言えない、よくて中流の宿だが人の出入りもかなりあって活気のある所のようだわ。   

 彼等の隊商の者だろうか……出入りしている男の一人を捕まえたファドラーンが何やら指示らしきものを出しているのを視界の隅に捉えていると、宿の中年の女性が社交室のテーブルへと案内してくれた。

 奥まったそのテーブルは部屋を出入りする客達の目に付きにくいように衝立てで仕切ってあり、商談などで彼等がよく使う席なのかしら。

 相変わらず穏やかなファドラーンに勧められて腰掛けたが、いつまでも外套のフードをかぶったままというのも……逆に訳ありだと言うのを強調するばかりのような気がする。

 むしろ……開き直って旅行者を装ってしまった方が良いのではないかしら、役人にもそう説明していたのだし。


 そう決めると、思いきってフードを降ろす。

 向かい合うように座ったファドラーンが動揺……したかのように瞳を眇めるのが小気味良い。

 この大陸に渡ってからと言うもの、この髪の色に振り返らなかった人は居なかったわ。  まぁ……そのせいでいろんな厄介事に巻き込まれもしたのだけれど。


「この辺りではあまりお目にかかりませんが……ユグドラセアの方ですね?」


 ただ一人、未だフードをかぶったままの人物……ラウドラチャクリン・アルマンスール……ファドラーンの弟だと紹介された彼がそう口を開いて、今度は私が狼狽してしまった。

 バーラートの隣国であるこのイクシールに来てから、この髪の色から生まれた国を見破った者は一人として居なかったのだもの。

 そして、バーラート絡みの私の素性に気付かれていたのかしらとも思い……慌ててしまった。

 けれど彼の問いは追求するようなものではなく、知っている事を確認する程度の気楽な問いかけだった。

「御国からここ迄は流石にお一人では無理でしょうから……途中迄はお供の方かご家族とご一緒だったのでは?」

「ええ、バーラートまでは家族と一緒でした。私の父はユグドラセアの貴族で、投資の為の視察でしたが、私はもう少し奥地のイクシールやルクアディナルファも見てみたかったので、一人旅を」


 そう、そういうふうに話を持っていきたかったの。

 ファドラーンは驚いたような表情をしているのだが、特に何も異議を挟んではこなかった。

 だから私も渡りに船、とばかりにラウドラチャクリンの言葉に同意する。


 いつまでもフードをかぶったままで、何て言うのか……少しばかりうさん臭い感じがする男性だったが、柔らかな声の彼は私の事を怪しんではいないみたい。

 このまま彼等に同行して、ルクアディナルファへと渡る事も可能かもしれないわ。怖い思いをしたばかりだと言うのに、私はそう安易に考えはじめていた。


「……まだ貴女のお名前を伺っておりませんでしたね」

 緊張が緩みかけた所へそう問われ、狼狽える。訊ねられて当然の問いだったのに、咄嗟に誰かの名前を騙る事も出来ず、本名を告げていた。

「セシリア・I・グレンフォード」

「失礼ですが、年齢は?」

 次にそう尋ねて来たのはファドラーン。

 どう返事をするべきか戸惑ったが、今更何を偽っても益はないと観念してありのままを答える。

「……17になりました」

「よくまぁ……ここ迄無事に来れたものですね?」

 その答えに彼は驚いたような表情を見せ、もう少し年上に見せようと背伸びしていた効果は一応あったらしいと判った。でも、もうその必要もないみたいだけれど。

 その次にはラウドラチャクリンに省略していたミドルネームを訊ねられ、彼等はその名で私を呼ぶ事にしてくれた。

 生まれた時に付けられた名の中でも、このイェライシャと言う名は古い言葉に因むものだとかで、普段は使わないのだ。……変に偽名を使うよりも初めからこの名を名乗っていれば良かったのだとは、今更になって気が付いた。

 そして、後は同行する為の条件を幾つか取り決めれば、この取り引きは成立する。


 私の希望はこのバーラートとイクシールの国境から、更に奥地にあると聞き及ぶルクアディナルファと言う国を目指す事。


 そしてその目的は、どう言えば良いのだろう……?


 自分自身ですら漠然としか考えていない事を彼等に上手く説明する自信は無かったが、彼等は特にそれを尋ねて来ない。だから、彼等が私の事を物好きな観光客くらいにしか考えていないのだと……思い込んでしまった。

 ここから目的地までの大体の日程と期間の説明をしてもらい、旅費の交渉をするのはいつものお約束。

 貴族の女性が旅をする場合は付き添いの婦人が同行するのが常識で、そう言った交渉毎はその付き添いの役目なの。

 けれど、今の私は一人きり。

 だからそう言った事までしっかりと確認をとるのは自分自身のためにも必要なの。

 片道とは言え、一つの国を通り過ぎる旅は結構な時間がかる。

 宿に泊まる回数からしても前金に随分な額を提示されるだろうと思っていたのに、旅が終わってからで良い、とあっさりとラウドラチャクリンに言い切られてしまった。

 しかも、最後に清算するまではアルマンスールの隊商が全てを肩代わりした上、移動の為に使う騎乗用の馬すら自分達の隊商の馬を貸してくれると言う。


 流石に……こんな美味しい話怪しいわよ、と気付いて私も身構える。


 けれどまるで見越していたかのように……所でその代わりに、と彼は口を開いた。

「途中の宿場町の小さな宿では余分な部屋を確保出来ないので、私達との同室で我慢して頂かなくてはなりません。それで宜しければこの条件でお請け致しますが?」


 にっこり余裕の微笑み、と言ってもマントのフードで顔の上半分は伺えないのだが……のラウドラチャクリンに対して、私とファドラーンがそれぞれ引きつった表情をした……と思う。 

 けれど、私と同様の反応を示したファドラーンに妙な安心感を抱いたのも事実だった。

 兄弟二人がまるでいつも通りとばかりに動揺のない様子だったら、今度こそ身の危険を感じずにはいられなかったろうと思うもの。

 だから、礼儀正しい上に女性との同室で狼狽える、そのファドラーンの生真面目そうな所を信じる事にしたの。


「……わかりました。その条件で異存はありませんが、当然道中の安全も保証頂けるのですね?」


 そう重ねて確認をしたのは、既に意地になっていたからかしら。


「我々は今日の午後イクシールへと向かいます。その首都ツァイデアルに在る我々の商家にて荷を選別して、編成し直し次第最終目的地であるルクアディナルフアへと出発します。貴女の宜しい所迄ご同行下さって構いませんが……御家族の元へお戻りになる気になったなら、早いうちにおっしゃって下さい」

 条件に異存のない事を伝えた時、一瞬ラウドラチャクリンの口元が綻んだように見え……けれど次にはそう言葉を紡ぎ出していた。

 表向きは、無謀な旅に出ようとしている娘に対して改めて覚悟を問うようにも聞こえるその言葉。

 そしてその裏で……自分の家族や他の事を何時まで放り出しておくつもりなのか?と問いかけ、いいえ……暗に責めてでもいるかのよう。

 言いたい事だけを言ってしまうと、ラウドラチャクリンは落ち着いた物腰で一礼して私の前から去っていった。

「驚かせてしまいましたか?」

 うろたえてしまっていた私にそうファドラーンが声を掛けてくれる。

 優しく気づかうふうのその言葉に、ゆっくりと首を振り……なんでもないと返す。

 得体の知れない彼等への恐怖と警戒心はあるものの、動き出したこの事態に任せようと覚悟を決めるしかなかった。


 どのみち今の私には前に進む事しか出来ないのだから。


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