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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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059 調整


「まだ旅の疲れが取れていないのですわ。まわりの事は気になさらないで……ゆっくりおやすみになられればよろしいのですよ?」

 身支度を済ませ、ファドラーンに付き添われるようにして厨房へと顔を出すと、サヤはそう言って案ずるような表情で暖かいスープと軽い食事を用意してくれた。

 言葉を区切った時に彼女がファドラーンの方をちらと見つめた所からすると、私よりは彼の方を軽く皮肉ったのだと察したが、私はそれには気付かなかったように振舞う事にした。

 当のファドラーンはそんな言葉なぞまったく気にしていないらしい。


 それにしても、と、きちんと片付いたこぎれいな厨房を眺めながらぼんやりと考える。

 じきに昼食の支度に取りかかるのだとしても、顔を出してすぐに温かいスープを出してくれたという事はいつ、私が起きて行っても良いように待っていてくれたという事なのだろうか。 

 何食わぬふうでファドラーンにお茶をサーブしている彼女の横顔をちらりと見つめる。

 嬉しくも申し訳なくなって、早めに食事を済ませると言い訳のように事情を説明していた。

「夕べは……ここの夜空につられて、ついうっかり夜更かししてしまったの。とても夜空が綺麗だったものだから。お陰で今朝はこの通り……しっかり寝過ごしてしまったわ」

「夜空ですか?まだこの辺りは人里ですから大した事はないですわ。僧侶以外の者では近付く事もかないますまいが、神聖湖の辺りまで行けば……一番良いのではないかしら。湖の表にまで星が映ってとても美しいと聞いた事がありますわ」

 サヤの言葉に一瞬、昨日見た風景が思い出された。

 湖面に映りこんで幻想的な姿を見せる、この国の王城。

「許可を貰えばいい訳だから、そのうち連れて行ってあげるよ」

「……随分簡単に言うのね」

 夢のような儚げなあの景色に、吾知らず表情が緩んでしまっていたのをのんびりとしたファドラーンの言葉に現実へと引き戻されてしまった。

 雰囲気を壊されたと言わんばかりの返事に意地の悪い言い方を選んだのに、それでも彼は笑顔を崩さない。

 いつのまにかサヤも笑顔になっていてその理由が判らない私は戸惑ってしまったが、彼女に頼み事をするには都合良くも感じられた。


「……私のお手伝いですか?大切なお客さまにそんな事をしていただかなければならない程、人手不足ではありませんし……旦那様のご意向を伺っておりませんので私ではお返事致しかねますわ」

「それもそうね、ご免なさいサヤ……無理を言って」

 無理と言うよりは突飛な申し出に、戸惑いながらも慎重な彼女の言葉。

 その様子に、サヤを困らせてしまったのだと思い、大人しく引き下がる事にした。


 あくまで使用人としての立場の彼女には私の我侭に対しての決定権は無いのだし、彼女を口説き落とす事が見かけ程簡単ではないのを初日の晩に既に経験済みだ。

「何か……ここに居る事を遠慮しているのなら、気にしなくてもいいよ?君は我々がナムリ殿から預かった大切な客人なんだから。もっと自由にしていても良いんだ」

「……その言葉は有り難いのだけれど……できれば身体を動かしていたいのよ。それにこの街の事をサヤからも聞きたかったの」

 どこまでも優しいファドラーンの言葉に、理由は言わずにそう説明だけを返す。

 考えている事を悟られてしまいそうで、視線は合わせる事ができなかった。

 身体を動かしていれば考えなくても済む事があるから……とは、どうして口に出来るだろう。


 けれどじっとしていればどうしても考えてしまうのだ。

 定まらない自分の心、そしてこの先の見えない不安を。


「……でしたら、貴女が外出なさらなかった日の夕方だけお手伝いをお願い致します。だからといって夕方の外出をやめる理由にはなさらないでくださいね」

 諦めていただけにそうサヤの返事が返って来た時は本当にびっくりして、我ながら惚けたような顔をしてしまった。

 そのままにっこりと微笑みを浮かべた彼女の顔を見つめる。

 それが彼女に出来る最大限の譲歩だと理解出来て、その好意が嬉しくて、ちょっと涙腺が緩みそうになってしまう。

「ありがとう、サヤ。迷惑にはならないと思うの、これくらいなら構わないわよね?」

 後半の言葉は隣にいたファドラーンに向けたものだったが、彼は特別な感情の変化は見せず、軽く肩をすくめただけ。

「君の時間なんだから好きに使えばいい。でも暫くは忙しいと思うよ?明日はナムリ殿の在家の一族に一応挨拶をしに行く事になると思うし」


「……聞いてないわ」

「うん、まだ言ってなかったね」

 食事の後で言うつもりだったんだよ?とにこやかに答えられてしまっては、すこしばかり言葉に忍ばせた刺も引っ込めざるを得ない。

 それにしても、サヤが食器を下げてくれるのを見送りつつ言葉を選ぶ。

「在家の一族……ってどういう事?」

「今でこそナムリ殿は僧籍に在り王に属する身だが……彼の出身である一族も、この国の中枢を占める有力な貴族なんだよ。知り合いになっておいて損は無いだろうしね」

「彼の権力はその一族の力を背景としたものなの?」

 つまりは一族の傀儡として、王の近くにあるのだろうかという問いにファドラーンは苦笑する。

「違うとは言い切れないな……けれどナムリ殿は長兄殿や一族からの干渉を最小限に押さえている。だからこそ……祭祀王に重用されたといってもいいんだ」

「そういう人だから貴方達とも交流が持てたのね」

「まぁ……そういう事だ。彼の前任者は王ですら御するのが大変な人物だったと……聞いた事があるしね」

 かなりな苦労話だったのだろうと、苦々しげに笑みを浮かべたファドラーンから推察しながらそれが誰から聞いた話なのかと突っ込みたくてうずうずしてしまった。

 どうせ答えては貰えないのだろうとは判っているけれど。


「そういえば、ラウ……は?」

 だから答えを得られない問いの代わりにそう訊ねた。

 昨夜彼が戻った時間はとても遅いもので、しかも彼にとってはかなり緊張を強いられる一日だったはずだわ。

 私以上に疲れていると言ってもいい状況に違いなかった。

 その彼がどうして居るかと言う疑問には心配というよりは好奇心に近い、不謹慎な興味が先にあったことは否めない。

「奴なら、ちゃんと起きているよ。流石にいつもよりは遅かったけれど……他にも用事があるらしくて、もう出掛けているんだ」

「……なあんだ」

 微笑んで、私の興味を見透かしたかのようなファドラーンの返事にちょっとがっかり。

 それでも改めて、ラウドラチャクリンの気力と行動力には感嘆させられた。

 只者ではないとは以前から感じているが、それを再認識した上で視線をファドラーンへと戻す。

 彼にも同じ印象を抱いてはいるのだが、ファドラーンの方が私にはより近しい存在として映っている。

 それを彼はどこまで感じていてくれるのかしらと、訊ねてみたくなった。

 もっともそんな事は恥ずかしくて聞けないけれど。

「どうかした?」

 ぼんやりとそう考えながら彼の顔を見つめてしまっていたので、いぶかしげに問いかけられてかなり焦る。

「……ううん、なんでもない。今日の夜は早速サヤを手伝う事にするわ、貴方の予定はどうなっているの?」 

 咄嗟にはそう口にするのが精一杯だった。

 




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