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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
58/110

058 星空



 午前中に王城で別れたきりのラウドラチャクリンが戻って来たのは、かなり夜が更けてからだった。

 私がそれに気付いたのは全くの偶然に過ぎなかったけれど。


どこか心配そうなファドラーンにくすぐったい思いをしながら夕食を済ませると、ハルヴァイの監視するかのような瞳から逃れるように、サヤに導かれて浴室へと逃げ込んでいた。

 ハルヴァイは私の何気ない仕草にも怪しい素振りは無いかと、常に厳しい視線を向けていて、ピリピリしている。

 それに気圧されて萎縮しがちな私に、サヤですら彼の事は気にしないようにと励ましてくれたほどだった。

 宛てがわれた二階の一室にようやく戻ってからは、街の夜景とともにこぼれ落ちてきそうな星空がとてもよく見えるのに気付いた。

 これまでの旅の間にも夜空を見上げた事が無かった訳ではないのに、この街の夜空の方がより鮮明に星々を見る事ができる。


 考えてみれば、ここは山地の王国だわ。

 一番星空に近い国だと言ってもいいのかもしれない。

 故国で見慣れていたものとも、そしてしばらく滞在していたバーラートで見たものとも大分配置の違う星々に吾知らず目を奪われていた。

 とはいえどう風情を気取ってみても、思ってもみなかった人物からのプレッシャーで過敏になっていて、どうにも寝付けず、ぼんやりと夜空を眺める事しかできなかっただけなのだけれど。


 そうやって灯りを落とした部屋の窓際でその夜空に見入っていると、微かな馬の蹄の音に気が付いた。

 深夜とあって辺りの家々は殆どが暗闇に沈んでいる。

 窓の下は丁度、通りからアルマンスール家の裏木戸へと通じている細い路地だった。

 暗闇に目を凝らして見ていると、窓の真下を静かに馬が一頭通り過ぎてゆき、木戸では灯りを持った誰かがそれを迎え入れているのが見える。


 明かりに浮かび上がる人影はラトーだろうか。

 彼はずっと起きて、待っていたのね。

 馬から降りた人物が馬とともに木戸へと消えてゆき、迎え火の灯りが見えなくなったのを見届けると私も窓を閉じてベッドへと引き取った。

 けれど、すぐには寝付かれるはずも無い。

 昼間に会ったナムリ侍従長の疲れの滲んだ表情が思い出されて、何度か寝返りを打った。

 彼が付き添っているというこの国の王……祭祀王……とはどんな人物なのだろう。

 そしてその彼の親しい友人として旅の間気に掛けていたラウドラチャクリンは、今際の際にあるというその人物を見舞ってどんな気持ちで一人、夜の街を帰って来たのだろう。


 私が母を亡くしたのは幼い頃で、確かに悲しかったけれど奇妙に実感が無かった。母は早くから臥せっていたから、あまり触れあった思い出のようなものが無かったからかしらとも思ったが、単に私が薄情な娘だったからかもしれない。

 それからは誰か近しいひとを亡くすと言う経験は、幸いにも無かった。

 母方の親戚は何故か数が少なかったし、父方の親戚とはあまり深い付き合いをしていなかったせいもあったのだが。

 あの……昏い瞳を持つ男性にとって……友人たりえるひとは、どれほどの重さを持っているのだろう。

 比べるべくも無いがそんな風に自分の経験と重ね合わせて考えているうちに、どうやら眠ってしまっていたらしい。

 微かに扉を叩く音で起こされる事になってしまった。


「……どなた?」

 ついそう問い掛けてから自分の間抜けさを、起き抜けとは言え噛み締めてしまう。

 こうやって私の事を気に掛けてくれるのはファドラーンの他に誰が居ると言うの。

「俺だよ。いつまでたっても朝食に降りてこないから……皆心配しているよ」

 案の定のファドラーンの声に安堵しつつ、けれどその後に続いた言葉に我ながら慌ててベッドから飛び起きた。

 咄嗟に鎧戸を降ろした窓の方へと目をやり、隙間から明るい光が差し込んでいるのに気付いてしまう。

「嘘っ……いまどれくらいの時間なの?」

「大丈夫、まだお昼は過ぎていないが……疲れ過ぎていて起きる事ができないのなら、食事をこちらに届けようかと、サヤが案じているんだよ」

 慌てて飛び起きた気配を察知したのだろうか、ドアの向こうのファドラーンの声は楽しそうにも聞こえる。

「ち、違うの。夕べ夜更かししたから……それで起きられなかっただけなのっ。すぐ支度して降りて行くから……大丈夫よ」

「じゃあ、ここで待っているよ」

「……それは……駄目よ。ほら、この屋敷の中なら一人で動いてもいいんでしょ?だから大丈夫だし」

 皆に心配をかけてしまったのだと慌てて弁解してみたものの、それに続いたファドラーンの言葉に更に慌てる羽目になってしまった。


 彼の好意は嬉しいのだが、瞬間苦々し気に見つめるハルヴァイの姿が脳裏を過ったのは否めない。

 ハルヴァイが私を歓迎していないのは承知の上だが、これ以上彼のご機嫌を損ねる事はしたくなかった。

 けれども、更に続けられたファドラーンの言葉に諦めの溜め息を吐く。

「……ハルヴァイの事を気にしているのなら大丈夫だよ。彼はああ見えても……根は悪い奴じゃないんだ。それに、昨日の態度は大切な客人に対するものとしては……あまり褒められたものじゃあ無かったからね、今朝がたラウの奴に改めてしっかり釘を刺されていたよ。どうやら……サヤも君の味方のようだし」

 彼女が私を擁護してくれているのは昨日から判っていたわ。

 ……それすらもハルヴァイにとっては腹立たしいもののようだったのに。

「何と言っても奴はラウドラチャクリンには弱くてね、ラウに何か言われると面白いくらいしょげかえっちまうのさ。他の奴にはなにげに厳しい男だから……ミシェイルなんかは、あんな顔したハルヴァイを見たのは初めてだとか言って珍しがっているよ」

「判ったわ、ファド。着替えるから……少し待っていて下さる?」

「もちろん」

 何がそんなに楽しいのか判らないが、放っておいたら何時までも話していそうなファドラーンに、ようやく観念したと受け取れる返事をする。

 そしてベッドから降りると、身支度を整える為に室内に整えられていた鏡へと向かった。






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