057 思惑
「……心配しなくても大丈夫だよ?」
彼女を守り、安心できるようにと努力するのは俺にとって当然の事だった。
不安そうな表情を見せる度に、勇気づけたいとの思いからそう口にしてきた。
けれども、いつからかその言葉を耳にした後の彼女は不満そうな、哀しそうな顔をするようになった。
それが何故なのか、俺には理解出来ない。
大切な女性を護りたいと思うのは当たり前だろう?
この地に着くまでに何度も意見を衝突させ、時にはほとんど喧嘩になった事すらあるのにまだ俺は彼女の事が判らないらしい。
思い上がりではなく俺の事が嫌いだとは思えないのに、俺の望む返事をくれようとはしない彼女に戸惑うばかりだ。
王城での会見も無事終わり、この辺りでは一番大きな市を冷やかしにイェライシャを連れ出したものの、何処と無く元気の無い彼女にそう繰り返す。
案の定不満げな瞳を向けてくるイェライシャに出来る限り優しく接することしかできなくて、とてももどかしい。
あまり気乗りしないふうの彼女を連れて一通り市場を廻り、その中の店で軽い昼食を取ってから帰る事にした。
一応この街の名物と言われるメニューで、知ってる店の中じゃそこそこの味の店だ。
残念ながらサヤもまだこの味は真似出来ていない。
「どう?サヤでもここの味は真似ができないと言っていたよ」
「……うん、おいしいわよ」
少しばかり上の空な返事に、流石にトーンダウンしそうだ。
どうしたのかと問いつめるべきなのか、気付かない振りをするべきなのか、その判断に迷う。
もしも彼女の不安の原因が昨日見かけたクァーナ人にあるのだとしても、彼女があまり気に病む事ではない筈だ。
「何だか、旅の疲れが出たのかしら……今日はもう戻って、明日も一日外出は無しで……ゆっくりしていてもいい?」
「もちろん。君がそうしたいのなら」
「ありがとう」
だからふいにイェライシャが口を開いた時も、咄嗟にはそう返事を返すのが精一杯だった。
いぶかしむ俺に気付いているのか居ないのか、その返事に彼女はにっこりと微笑んだだけだ。
それからは特に何か話すでもなく、時々周りを景色か、廻りの人並みかを見回す彼女の馬と鐙を並べて帰路へと付いた。
「ただいま、ラトー」
アルマンスールの店に戻り、厩に2人の馬をつなぐと既にラトーが玄関のドアを開けて待っていた。
「お帰りなさいませ。首尾は如何でしたか?それに……ラウ様は?」
「こちらの用件は無事に片付いた。ラウはナムリ殿の所に残っている。今夜は……遅くなると言っていたから」
俺とイェライシャの2人しか見当たらぬのでそう問われ、言われた通りを返事にする。
流石にそれで通じたのか、ラトーの表情も少しばかり曇ってしまった。
「……判りました。あと、ハルヴァイがお時間を頂きたいと」
「ああ、わかった。それからラトー、イェライシャ嬢は少しばかりお疲れのようなのでしばらくは部屋で休むそうだ」
ハルヴァイのしかめっ面を思い出して少しばかり気が重くなったが、それを伝え忘れるわけにはいかない。
「何処かお加減が?」
ラトーは案ずるような表情を見せ、見つめられたイェライシャはしかしゆったりとした微笑みを返した。
「いいえ、大丈夫よ。ただ……ここまでが慌ただしかったから、ゆっくりしたかっただけなの」
「では何かご入り用なものはありますか?」
「有難う。でも……休ませて頂くだけだから、気にしないで?」
ラトーの言葉にそう答えると、イェライシャは自分に宛てがわれた客室へと階段を上って行った。
それをじっと見送っていた俺はラトーの咳払いで否応無しに現実へと引き戻される。
「何を惚けておられる。そのような所をハルヴァイに見つかりでもしたらどうなさるおつもりです」
「別に……どうもしないよ。俺は奴の所へ行ってくるが、いちどサヤをイェライシャの部屋へ遣ってみてくれ。気疲れし過ぎているといけないから」
「わかりました」
何かしら楽しそうなラトーの言葉に、面白がられているのだと自覚はあったが、気にしない事にしてそう言い付ける。
心得ていると返事を返して来たラトーは、それでもまだ楽しそうだ。
「今戻った。大分待たせたか?」
通りに面した店舗部分の奥まった部屋に設けてある事務室に入り、机で書類と睨めっこしている男にそう声をかける。
意外そうな顔で俺を見たハルヴァイは……滅多に見られない表情だ……すぐいつも通りの仏頂面に戻って返事を寄越した。
「いいえ、むしろお早かったな……と驚いておりますよ」
「……どういう意味だ?」
彼お得意の持って廻った言い方に、少しばかり引っかかる含みを感じる。
「言葉通りですよ。貴方が随分入れ込んでいるらしい女性との外出ですから……いつお戻りかと気を揉んでおりましたが。安心しました」
「今日の事で緊張していたし……旅の疲れが出たんだよ。部屋で休むと言っている」
言外に俺達の間がさほど深いものではないと理解したのだと仄めかす。
反論しながらも結構俺としては傷付く言葉を平気で口にする男をにらみつけてみたが、彼は澄ました顔で書類をめくっていた。
そしてその中から何枚かの書類を選び出すと、俺の方へと押して寄越した。
「それに目を通しておいて下さい。シェカルからのものですが……クム・ウタール辺りから、貴方がたの廻りをうろついているクァーナ人の身元を調べてあります」
「……判った」
相変わらずの手際の良さだ。
受け取った書類をめくりながら目を通し、予想通りの記述ににやりとしてしまう。
俺のその表情に様子を窺っていたらしいハルヴァイが怪訝そうに寝眉を寄せる。
「どうかしましたか?」
「……こいつはあんまりよく顔を見るんでお馴染みになっちまった奴だ。しかもクァーナの使節館にこうもあからさまに出入りしているとは……」
やる気ないんじゃないのかとすら思ってしまう。
クム・ウタールのあの市場で俺とイェライシャをいつまでも監視していたあいつだ。
「行動は単純ですが……その男は暗示処理を受けている可能性があります。何をするか判りませんよ」
憎々しげなハルヴァイの言葉に今度は俺が眉を顰める番だった。
暗示処理、とはラウドラチャクリンの一番嫌う手段だ。
古来よりクァーナに伝わる術と聞き及ぶそれは、与えられた任務を果たす為には自分の命すら顧みない忠実な僕を作り出すものだった。
人格も個性もそのまま維持しつつ……それでも暗示に操られ任務に向かう。
そしてその任は、目下のところ幻、或いは伝説の都とされるフィルダウスの捜索。
古い体制を捨て新たな国の体制を築きながらも、根幹にはかつての専制国家の影を引きずって居るあたりは何処の国でも一緒だなとは思うのだが。
何故……ここまでクァーナがフィルダウスを捜すのに、なりふり構わぬのかが俺には理解出来ない。
ただの伝説の国だ。国と言う程の規模ですらないかもしれない。
……どうして放っておいてはくれないのかとさえ思う。
改めて手元の書類に目を通して、男の名……通称だろうが……と出身や部族を頭に入れておく。
この男にした所でクァーナの中央にはほど遠い辺境部族の出のようだ。
何を願ってかの秘術を受けたのか、受けさせられたのか、は知らないが所詮は道具として使い捨てにされるだけなのに。
「いつも言っている事ですが……彼等に同情なさってはなりませんよ?」
「……判っているさ」
見透かしたようなハルヴァイにそう応じつつも、思い出さずには居られない。
俺達はこれまでに何人もあの術の犠牲者を捕らえて来た。
腕の立つものも多く、捕らえるのに苦労した事も度々だが、術から解き放ってやれた者は一人としていなかった。
術を解こうとしてもうまく「外せない」とフィルダウスの術師は言う。
……それでも強硬に術を解こうとすれば、正気を失う者、突然事切れてしまう者、そしてそれ以前に突然暴れ出して乱闘で命を落とす者もいた。
訊ねようも無いが故に、彼等が誰にどのような経緯でこの術を掛けられたのかすら判明しない。
そこまでして何を求めているのだろうか、幻でしかないはずのフィルダウスに。
「他にも貴方への用事はあるんですから、そこでそんなに黄昏れないでくれますか?」
「思案に暮れる……と言ってくれ」
穏やかな声に物思いを遮られて、不機嫌そうに応じてみたものの、ハルヴァイは俺を見遣ってうっすらと微笑んだだけ。
「……途方に暮れてるようにしか見えませんね」
鼻先であしらわれるとは、こう言う事を言うのだとがっくりする。
軽く睨み付けてみたが相変わらず彼は気にするふうも無い。
こんな奴でもラウドラチャクリンには絶対服従の従順な僕ぶりだ、自分に与えられた役割をそつなくこなしている。
諦めのため息をつくと、手近にあった椅子を引き寄せ彼の隣へと座り込み、貯めに貯めた書類とようやく向き合う事にした。




