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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
52/110

052 秘密


「何かあったの?」


 夕暮れ前とはいえまだ明るさの残る庭から屋内に招き入れられ、薄暗く感じてしまった室内に瞳を慣れさせようと何度か瞬きしてみる。隣りに荷物を降ろしたファドラーンはそう言葉をかけて来た。

 心持ち心配そうなその表情に、ちょっぴり頬があったかくなる。

「この街に入ってからこっち、君が妙に静かにしているのが気に掛かった。憧れと言うのとは違うのかもしれないが、君が望んだ街に着いたと言うのに……不自然に大人しいと心配になるよ?」

「失礼ね。それじゃあ私がいつも騒がしいみたいじゃないの」

「はは、ごめん。でも元気が無いような気がしたんだ。……本当に何かあったんじゃないのか?」

 取り敢えずのように言い返してしまうと、彼はそう言いながら大きな窓へと歩み寄り、室内を暗くしていたカーテンを開けた。


 途端に室内が明るくなったような気がして、つい溜め息を一つ。


「クム・ウタールで私達を見張っていたクァーナ人を見かけたの。この街に着いてすぐによ」

 勧められた椅子に身体を預けながらぶっきらぼうに、それだけを口にするのがやっとだった。情けない事に怖いと思ってしまったのだ。

「あぁ……俺も彼には気付いていたよ、ウチの隊の皆が知っている。気付かれていないと思っているのは奴らだけだ」

「あの人は一体……?」

 窓際に立ち、外の庭を見つめたままの特に驚くふうもないファドラーンに、ラウドラチャクリンの言葉が奇妙な実感として感じられる。彼等は……そして私も……けしてここでも気は抜けないのだ、と思い知らされたような気がしてしまう。

「クァーナの統治機関の……いわゆる探索者だよ。他の国がこのルクアディナルファに手を出そうとしているのではないかと……外国人の出入りには特に神経を尖らせているんだ」

「自分達だって外国人なのに……?」

「彼等の頭の中の地図では……このルクアディナルファは彼等の国の属国として描かれているらしいね。高山地帯や未だ手つかずのままの鉱山資源や……いろんなものを欲しがっているんだ」

「勝手な言い種ね。バーラートに対する私の国の思惑のように、この国を手に入れて……富を自分達だけが独占しようと言うの」


 何に対してか判らない憤りのようなものを感じて、声が少しばかり低くなっていた。

 家族とともに故国を離れバーラートへと移った頃の私にとって、世界はとても広く、珍しいもので一杯なまさに新天地だった。

 そんな土地ですら国々の争いが陰ながら行われていたなんて、想像だにしていなかった。


 外国との貿易で更に財を築こうとしていた父は、多分そういう事も知ってはいたのだろうが、娘達にそういう事は教えてはくれなかった。

 もっとも、当の本人である私は、あの当時そんな話をされてもそれに付いて深く考える事が出来るような、周りを見回す事の出来るような娘じゃなかっただろうけれど。


「力を持つとどうしてもそう言う風になるらしいな。取り敢えずは自分達の国を豊かで潤ったものにする為に……近隣の属国からの資源を当て込もうと言う訳だ。自分達の過去の歴史の中でも他国の力によって脅かされた不自由な時代があった筈なのに……こんどは自分達が力を持つとそれによって他の者を脅かす……歴史なんてそんな風に繰り返して行くしか無いんだろうか……」

 珍しく力の抜けた言葉にファドラーンを見遣ると、寂しそうな色をたたえた瞳に出会ってしまった。

 初めて見る彼のその表情が思い詰めたもののように見え、どう返事を返せばいいのか困惑する。

「……貴方は本当は幾つなの?」

 以前から気になっていた事だ。唐突なように見えるその質問に案の定ファドラーンも不思議そうな表情を見せる。

 話をはぐらかそうとした訳ではなく、目の前の憂い顔の青年が本当は幾つになるのか真剣に知りたくなってしまった、それだけの事なのだけれど。

 以前に彼の……弟……と名乗っているラウドラチャクリンの実年齢についても疑問を抱いたばかりだし、丁度いいタイミングのような気がしたのに。

 ……とはいえ推測はするものの手がかりは無いし、取り敢えず本人に訊ねてみる事にした。

 勿論……正直に答えてくれるなんて思っては居なかったが。

 

「君よりは少しだけ年寄りだよ」

「……もう、その少しだけって言うのがどれくらいなのかを知りたいんじゃない」

 案の定はぐらかすようなファドラーンの返事に、すこしばかり唇を尖らせる。

「絶対二十四歳には見えないもの。……それぐらいは教えてくれてもいいじゃない」

 ……他の多くの事を知りたくても我慢しているのに。

 言えなくて飲み込んだその言葉を彼はそれでも感じ取ってくれたみたい。いつも通りの優しい笑顔の上に、困ったような表情を浮かべて、彼は私を見つめていた。

「悪いけれど……まだ教えてはあげられないな、君は怒るかもしれないけれど……」

 恐る恐ると言うふうに切り出されたその返事に、彼としては精一杯無難な言葉を選んだ「答え」なのだと納得するしかなかった私は、何となく詰めていた息を吐いた。

 仕方ない事なのは判るのよ?でも……やっぱり少し寂しいわ。

「フィルダウスの民が伝説の通りに不老不死だと言うのなら……もしも私が貴方に、その……えっと……」

 どう表現していいのか迷う。

「私の方が先に……おばあさん……になってしまうの……?」

 それ以上は言えなかった。

 もしも意地っ張りな私が正直に自分の心を認めて、貴方に貴方の言う本当の返事をしたとして。

 ……もしも……一緒に暮らすようになっても、貴方はずっと変わらないの?


 ファドラーンは驚いた顔はしていなかった。

 ずっと同じ優しい微笑みのままで。


「フィルダウスの民が不老不死だなんて言うのは正確じゃないな。本来……不老不死なんてものは無いんだ。どうしてそんな噂が流れたのか……いろいろ考えたけどね」

 肩を竦めて言葉を続ける。

「年をとらないのなら……自分が老いて死ぬ事が無いのならば子孫も要らない。子供もなければ親も無い。でも俺にはちゃんと両親が居るだろう?……確かに他の人に比べて年をとるのがゆっくりなんだとは思うけれど……それでもいつかは死ぬよ。俺の両親だってそうだ。この隊の皆だってそうだし、……ミシェイルはいずれは俺たちとは離れて妻の所へ永住すると言っているくらいだよ。彼の属性は水に関するものだったから……地上で耕作に関わりたかったんだ。それに彼は君たちと変わらないペースで年をとっているんだよ」


「ちょっと待って、属性って何よ。それに地上って……」

 地上、そう確かに彼は言ったわ。

 何かが引っかかった。


「前に……言っていたわね、星は無いけれどって。つまり……」

「失言だったかな。……フィルダウスは……あの山脈の氷河の下にあるんだよ」


 慌てるふうもなく、多分一番大切な秘密に私が気付いてしまったのにファドラーンは悠然と窓の外を指差す。

 追うように見つめた先には、夕焼けを通り越した紫紺の夕闇の中、それでも存在を主張する山々の連なりが黒々とそびえていた。

 知ってはいけない事を知ってしまったような気持ちになっていた私には、それら山々の黒い蔭が私を咎めているような気にすらなってしまうわ。


「いいの?教えちゃいけない事なんじゃないの?」


 恐る恐る訊ねても、ファドラーンの表情は変わらないように見えた。

 もう随分室内も暗くなって来ていたので、表情の細かい変化を読み取る事が難しくなっていたけれど。

「君が……自分で気付いたんだよ?だいぶ暗くなって来たね、灯りを付けるよ」

 私の考えている事なぞお見通しのように、ファドラーンは室内の壁際、マントルピースの上にあった燭台に近付く。

 やはりフィルダウスの人は他人の心まで判ってしまうのかしら、といくらかぼんやりと彼の手元を見つめ、ぽっと灯された明かりを見つめながら何がしかの違和感を感じていた。

 これまでの隊商の旅の間一行の皆は、食事の支度や明かりを必要とする時には必ず火口を使って火をおこしていたわ。

 それでもすぐに明かりが灯せる訳でもなく、幾度か石を打ち合わせる音がしていたものだ。  


 でも、今ファドラーンはそれを使ってはいなかった。


 燭台の足下には火口らしきものが置いてあるがそれには手を触れてすらいなかったわ。

「驚かないの?」

 問われて、見つめた先にはいつも通りの笑顔の彼。

「ちゃんと……驚いているわ」

 ……でもどう反応すればいいのか判らなかったのよ。

 私の……派手なリアクション……を期待していたらしいファドラーンは少しばかり残念そうに肩をすくめ、燭台を室内のテーブルの上に移動させた。

「……どうやってそんな事が出来るようになったの?」

「難しいよ、説明する事の方が。俺たちにとっては……呼吸するのと同じくらい自然な動作なんだから」

「……皆……そんな風に灯りを灯す事が出来るの?」


 ついそう訊ねていたのは自分があまりにも何も出来ない存在だから。


「出来ない者も居る。属性の質が違うと出来る事も違ってくるんだ。俺の属性は大気に関わるもので………風の流れを感じたり、空気の乱れを調整したりもする。おのおの身に帯びた属性は違うから、それに合った役目を果たすんだよ。属性を全く持たない普通の民も勿論居るし、だからといって差別される事は無い。それをしたら……俺達はフィルダウスの存在意義そのものを失う事になると、俺は思っているんだ」

 ……判ったような判らないような彼の説明に取り敢えず頷く。

 そして、ふと思い出したようにファドラーンは言葉を続けた。

「あと、寿命が長いのが属性って奴も要る。そんなに多くは居ないが……今のフィルダウスの国王もそうだ、王族はもっといろんな属性を操る事が出来るんだ」

 それがフィルダウスの不老不死の噂の元かもしれないね、とファドラーンは複雑な表情を見せた。


「貴方の上司……という人はどんな属性を持っているの?」

「それも秘密だな。一応あれでも王族だから……多芸なのは確かだけれど……その分性格は不器用な人でね。付き合いにくいって言う奴も居るけれど、結構お人好しなんで憎めない人なんだ」

 以前も少しだけ触れた事のある人物に付いて尋ねると、教えられない……と言ったわりに彼は饒舌だった。

 思い出してでも居るのかにこやかな表情で。

「前にも思ったけれど、貴方は本当にその人の事が好きなのね」

 そう追求してみると、少しばかり眉をひそめる。

「……やな所もあるぜ?でも何だか憎めなくてね。……で、気が付いたらこんな事をしていたって訳だ」

 幾分あきらめの口調でおどけたように肩をすくめるファドラーン。

 見慣れてしまったその仕草を見ながら、後はどんな事なら答えてくれるのかしらと考えをまとめようとした所へ、扉にノックの音が響く。

  

「失礼いたします。お部屋の準備が整いましたので……ご案内致しましょう」

「じゃあ、行こうか」

 先程ラトーと呼ばれていた男の人のものではない、年配の女性らしき声が扉の向こうからそう告げる。荷物に手をかけながらファドラーンがそれに応じた。

 相変わらず私が「本当に知りたい事」はうやむやにされたような状態のままなのだが、今のところは無理に追求しない方がいいのかもと考える事にして彼の後に付いて部屋を出た。


 部屋を出た所で待っていたのは黒髪に黒い瞳の中年の女性で、私を見ても特に変わった視線を注ぐ訳でもなく穏やかな微笑みを浮かべていた。

「お帰りなさいませ、ファドラーン様。どうぞ……お客さまのお部屋へご案内致しますわ」

「ありがとう、サヤ。正式な紹介は後でするけれど……こちらはイェライシャ嬢。ユグドラセアからおいでだ。そしてイェライシャ、彼女はサヤ……ここの屋敷の管理を務めているよ。さっき会ったラトーとは夫婦でね、ここの二階に住み込みで勤めてくれているんだ」

 柔らかな物腰で丁寧に頭を下げた彼女をファドラーンはそう紹介してくれた。


「暫くお世話になります、よろしく」

「こちらこそ、至らぬとは思いますが…なんなりとお申し付け下さい」

 そうにこやかに彼女、サヤは私の挨拶に応えると、先導するように客室へと案内してくれた。

「ここの屋敷ではツァイデアルの屋敷程設備がしっかりしておりませんので……ラウ様のお部屋にしかグスルハネがありませんの。浴室は一階にございますが……じきに夕食ですから、後ほどご案内致しますね」

「……ありがとう」


 開けられた客室の扉に、すかさず荷物を手にしたファドラーンが先に室内へと足を踏み入れる。 それが安全を確認する為の彼の無意識の行動だと判って、つい微笑んでしまった。

「何か可笑しかった?」

 怪訝そうな彼の表情が更に笑いを誘う。


「だって……自分の家なのにそこまで用心するなんて」

「……ああ、もうこれは身に付いてしまった習慣のようなものなんだよ」

 指摘されて初めて気が付いたとでもいうように彼は自分の廻りを見回して、幾らかの苦笑いを見せる。つられて笑顔で応じながらも、推測してししまう。

 それだけ彼等のやっている事は危険な事なのかしら……と。

 ぼんやりとそんな事を考えてしまっていて、彼に促されて室内へと入り荷物を降ろすと、ベッドへと腰を下ろした。ファドラーンはさっき応接室でやったのと同じように、火口を使わずに部屋の灯りを灯してくれた。


「俺も荷を片付けて、着替えてくるから……後で迎えにくるよ」

 そう言ってファドラーンが姿を消したドアをじっと見つめる。

 素材自体は上等のものを使っているのだろう古ぼけたドアに、この屋敷の歴史を想像してみた。

 ずっと昔から……彼等はここで、自分達の国を護る為に息をひそめているのだろうか。

 彼等の王国を捜そうとする人々の目を欺きながら……?

 ふいに昼間のクァーナ人の姿が思い出され、彼の鋭い視線に身震いする。

 あんな怖い瞳の男達と渡り合わねばならないの?

 

 ……いいえ、ラウドラチャクリンもファドラーンもそれだけの度量を持って居るのだろうと確信出来るのだけれど、それでも不安と同時に心配になってしまう。

 無意識に安全を確認するようになってしまう程気の抜けない生活をずっと送っている彼等に、どう接していけばいいのか、判らなくなっていた。

 だって私は彼等を、彼等のペースを乱すだけの存在かもしれないじゃない。

 少なくとも、ここまでの私はそうだったわ、只のお荷物でしかなかった。


「イェライシャ、準備は出来た?」


 そんなくよくよした考えに迷い込んでいた私は、ファドラーンがドアをノックしてくれた音にハッと我に帰った。

 ぱっと立ち上がったものの、まだコートも脱いでいなかった事に気付いて、その襟元に手をかけながらこのコートをくれた人の姿を思い出す。

 ……息子達を送り出す時に彼女が見せた、流石に不安そうな表情。

 そして別れ際に彼女が言った言葉も思い出した。


「……ファドとラウを信用してね」


 そう言われた時は何の事を言っているのかさっぱりだったわ。

 クム・ウタールでラウドラチャクリンの素早い手配に驚き、シェカルでは地元の有力者であるティサ卿の言葉に不愉快な思いをさせられもした。その時瞬間的に抱いたラウドラチャクリン達への不信感を、既に彼女は察知していたのかと後で思い返して納得していたりもしたのだが……。

 どうやら違ったのかもしれない。

 待ちくたびれているファドラーンの表情を予想しながら、コートを丁寧に畳むとクローゼットにしまい込み、隣に置いてあった姿見で髪の乱れを直す。

 服は今日の旅着のままだが、気にしない事にしてドアを開けた。


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