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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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047 会見


 食堂には既に隊商のメンバーのうち半数程が集まっていた。

 ……更に他の者達は既に食事を済ませて出発の準備に取りかかっている、とはファドラーンとすれ違った時のヨシュアの報告だった。

 ミシェイルも既に食事を済ませて馬の支度に行っているとも。


 お客が来ると言うのに出発の準備に取りかかっているとは、あまり長い話をするつもりが無いと言う事なのね。

 昨夜私が入浴の為に皆と離れた間に来た知らせのようで、そのお客と言うのがどう言う人物なのか、私は何も知らされていなかった。

 ともあれ宿の女将のお化粧に昨日よりも気合いが入っている事や、女給達にも微かな緊張感が漂っている事からすると、かなりな身分の人物なのだろうと想像は付くのだけれど。

 でも何故そんな人物が、一介の隊商の為にわざわざ自ら出向いてくるのかしら。

 そんな疑問を抱きつつ私とファドはテーブルに付いた。

 ファドラーンの隣には先にあらかたの食事を済ませたラウドラチャクリンが居る。

「おはよう、イェライシャ。夕べは良く眠れた?」

「……ええ、なんとか」

 一度具合を悪くした身体は十分な睡眠を求めていて、昨夜のファドとの間の出来事で心が昂っていたわりには眠れた方だとは思う。

 思うけれど、昨夜のお膳立てをした張本人からの、如何にもいつも通りの朝の挨拶にどう応えていいのか迷ってしまった。

 相手もそれを承知の上なのだろう、余裕の笑みで座っているのが少しばかり悔しい。


 席に着いた私達に素早く食卓を用意してくれる女給達に礼を言って、食事に取りかかる。 あまり食欲は無かったけれど、旅の途中だからと頑張ってみる。

 量としては大したものではないのだけれど、もう十分頂いたと判断してカトラリーを空いた皿に戻すと、見計らったようにファドラーンが飲み物をグラスに注いで勧めてくれた。

 思い返してみれば昨日の朝からだと、それに気が付いた。

「どうして急に勧めてくれるの?出来れば……制限しておきたいのだけれど」

 水分の摂り過ぎによる生理現象を警戒していたので、旅の間私は自身に戒めていたのだ。

「気候が乾燥しているからあまりその心配はいらないよ。それに……水分をきちんと摂っていないと高山病にかかりやすくなるんだ。ツァィデアルを出てから昨日まであまり……その事には気を配っていなかったから、君が調子を崩した時に思い出してね。至らなくて悪いね」

 私はファドラーンがそう済まなそうに説明してくれるのを黙って聞いていた。

  自己管理も出来ないなんて、自分をかなり情けなく思ってしまう。

「君が知らなくて当たり前の事ばかりだから、あまり気にしないで。ここから首都のクティナンまでは緩やかだけどもう少し高度が上がるから、念のために心に留めておいてくれればいいんだよ」

 優しい口調のファドラーンに小さくうなづいて、彼の手渡してくれたグラスに唇を付ける。

 爽やかな香りのする果物で軽く味を付けてあるその水は喉越しが良くて、注がれていたグラスに半分ばかりの量を飲み干すのにさほどの時間はかからなかった。


「おいでになりました」

 後ろでそう声がして、少しばかりざわめいていた室内が静かになる。

 私がグラスをテーブルに戻すと幾人かの女給が静かに食事の後片付けをしてゆき、綺麗に整えなおされたテーブルへと1人の男性がやってきた。

 後ろには数人、部下だろうか体格のいい男達を従えている。



「彼の相手はわたしとファドがするから、君は挨拶だけしてくれれば良い。あと、彼が何か……失礼な事を言ったとしても気にする必要は無いからね」

 相手を認めた印に私達が椅子から立ち上がった時、ラウドラチャクリンの声がそう耳元をかすめる。

 失礼な事って何よ?と、ラウドラチャクリンに問い返そうにも、客人は既に目の前に来ていた。

 肩より下に伸ばした灰色の髪を後ろへすっきりと撫で付けた中年の男性だが、細身でバランスの良い身のこなしは彼が自分の体調管理を怠っていない事の現れだろう、と先程の自分と比べて皮肉に考えてしまった。

 歳はそう、私の父よりも少し年上かなと推測してみる。

 年は上だが、ラウドラチャクリンとたいして背の高さは違わない。

 とても上等な生地の衣装を纏っているが、彼から感じる威厳のような威圧感はそういった身にまとうものからではなく、それを着こなしている本人から感じられていた。

 

「お久しぶりです、ティサ・ゴパルラル卿。お健やかそうで何よりですが……わざわざおいで下さるとは実に光栄です」

 初めにファドラーンが口を開いた。

 軽く上体を屈めて相手への敬意を表する。

 身分の違う者どうしの挨拶の常として身分の低い者から高い者へと、相手の機嫌を伺うように声を掛けるのはこの辺りの習慣だと聞いていた。

 私の国でも大概はそうだったような気がするが、宮廷や……王族の前では声を掛けられるまで口を開いてはいけないという暗黙のルールがあるのも知っているわ。

 

 たとえ大切な用事があったとしても、自分よりも身分が上である相手がそれについて話すのを望まなければ議論する事も出来ないのだ。

 只、相手にとって気に入らないというだけで、長い事ずっと放置されている大事な問題が多くある事を地方貴族は不満に思っていた。

 その多くが地方の民に関わるものであったから。


「実に久しぶりだな、君たちも元気そうで何よりだ」

 ファドラーンの言葉に鷹揚にうなづいた男……ティサ卿……は何気ない振りでぐるりと廻りを見回して、宿の女将にもその視線を向ける。

 応じて彼女以下宿の者達、そしてティサ卿本人が連れて来ていた部下が皆この部屋を静かに退出して行った。

 部屋に残ったのは私とファドラーン、そしてラウドラチャクリンとティサ卿の四人。


「……なに、君たちが面白いお客人を伴っておられると言うのでね、是非一度お目にかかりたいと思ったのだよ。不思議なタイミングだが、お互いに名を知っておいた方が有益かと」

 少しだけ肩の力を抜いた、砕けた話し方。

 親密ではないにしても、それなりにアルマンスールとは長い付き合いがある間柄だと解釈してもいいのかしら。


「そう仰るだろうと思っていましたよ。こちらはユグドラセアの貴族令嬢……セシリア・グレンフォード嬢。……父上がシュヴァーゼの藩王との取り引きをなさっていたので、バーラートに滞在しておられたのだが見聞を広めたいとのご意向で。運良くジャヤル藩王の後ろ楯を頂いてここ……ルクアディナルフアへと足を伸ばしたところです」

 ティサ卿の言葉を受けてラウドラチャクリンが私を紹介してくれる。

「そしてセシリア嬢……こちらの方はここシェカルの統治評議会の一員、ティサ・ゴパルラル卿。時々我々のお得意さまになる方だよ、この辺りの貴族の中では一番目端の利く方でもある」

「初めてお目にかかります。セシリアと御呼び下さい」

 私がそれに合わせてユグドラセア風の腰を屈める挨拶をして、にっこりと微笑みを付け足す。

 何故ラウドラチャクリンが私をいつもの名ではなく、ファーストネームで紹介してくれたのかが理解出来なかったものの、ここでそれを問う訳にもいかない。


 そしてティサ卿の肩書きに、ようやくその威圧感も納得出来た。

「シュヴァーゼの傾国の美女……との噂は聞いておるよ。……かねてより目障りな相手をこんな所から崩して行けるとはジャヤルの主が羨ましいね。しかも更に自分の手駒としてルクアディナルファ王の元へと送り込もうとは……したたかで実に抜け目が無い」

「……わ、私は!」

 彼の物の言い方に込められたもの凄く嫌な含みを否定しようとして口を開いた私は、左の肩に手を掛けられて振り向いた。

 驚きよりも怒りの表情だったと思う私の視界にファドラーンの姿が映る。

 彼も不機嫌そうな表情を浮かべていて、少しそれに勇気づけられた。

 そして、ラウドラチャクリンの先程の言葉を思い出して、不満ながらも口を閉ざして成り行きを見守る事にした。

「流石に卿でも言葉が過ぎましょう?確かにジャヤルの主よりの後ろ楯は頂きましたが、入国の為ですし……紹介されている相手はナムリ侍従長殿ですよ」

 やんわりとたしなめるようにラウドラチャクリンが口を開くと、ティサ卿は判っているぞとばかりに鼻を鳴らして応じる。  

 そして彼の視線は、私の髪の色や肌を無遠慮に眺めていて。

 そういえばクム・ウタールに着く以前から私は髪を染め直しては居なかったので、かなり元の色に近い金髪になっていたのを忘れていた。


「同じ事ではないのかね?ルクアの現祭祀王の元で国の勢力を二分しておるのはナムリ殿と政治補佐のカルザン卿であろう。……侍従というものは王の私生活をも管理する役職故、彼に異国の娘を紹介するとあれば、皆考える事は同じだろう」

「現在の状況下で御身までもがそのように考えて下さるのであれば……私の目論みも成功したと考えてよろしいのでしょうね」

 私としては聞き捨てならないティサ卿の発言に対して、何処までも穏やかにラウドラチャクリンがそう言葉をつなぐ。

 その、自分の見立てが誤っていたと指摘されたも同然の言葉にティサ卿は驚いたような表情を隠せなかった。

「本当の所はそうではない……と言いたいのかね?種明かしはしてくれるのだろうな、ラウドラチャクリン?」

「お望みとあらば……但し他言無用にお願いしますよ?この令嬢の名誉の問題ですので」

「無論だ」

 おもむろにうなづいたティサ卿にラウドラチャクリンもようやく笑顔を見せた。


「感謝しますよ、貴方にはお話ししても差し支えが無いと思いますしね。……まず基本的にこの茶番はこの令嬢の自由を確保する為のものです。ジャヤルの藩王からこの令嬢を遠ざけて……最終的には故国へ戻るなり自由にして良いと、第一王妃の協力を取り付ける際の彼女の条件なのですよ」

「成る程。後宮でのライバルを増やしたくないと言う訳かね?ついでに友好国の王に押し付けようとは……流石に女性らしいえげつなさだな」

「貴方は彼女が苦手でしたね」

 含み笑いをかみ殺したラウドラチャクリンは、面白そうに肩をすくめる彼を見つめている。

「そんな生易しいものではないよ、あそこまで聡い女性は嫌いでね。実にやりにくい」

 しかし言葉とは裏腹に卿の表情は活き活きとしていて本当の所がどうなのか知りたくなってしまう。

 ラウドラチャクリンは変わらぬ口調で、私の方をちらりと見ながら、言葉を続けた。

「セシリア嬢も当初からルクアディナルファ行きを……目的は違いますが……希望しておられましたので、こう言った形で手配したのですよ。クァーナの者も貴方と同じように考えてくれるのならばそれ以上の政治的な背景を詮索されずに済みますから。クァーナも、ユグドラセアを初めとするあの辺りの国々を警戒していますから……出来る限り刺激したくないのです」

「それは祭祀王の意向かね?」

「取り敢えずはわたしの一存に過ぎません。ですが彼も健勝であれば同意下さるでしょう。現在はとてもそんな状況ではありませんが、まぁ、ナムリ殿は話の分かる方ですし……この令嬢を観光客として歓迎し、滞在を許可下さいましょう」

「どのみちそれしかあるまい。そして祭祀王のご高齢と健康状態を鑑みた上で、いずれその娘御はお役御免と言う訳だな。まあ……よく考えたものだが……ラウ、私も君に伝える事があって来たのだよ」

「……?」

 納得がいったのか、ティサ卿はようやくラウドラチャクリンが意図していた結論へと辿り着いたらしい。

 そして彼の来訪の本来の用件を切り出してきた。

 しかしその用件とやらを既に察知していたのかラウドラチャクリンは先程とは違う硬い表情を見せていた。

 その厳しい表情に、悪い知らせなのだとは私にも容易に判断出来る。

「ここの寺院の最高位の僧侶がクティナンにむけて出発した、2日前の事だ。……すでに国中の高僧に招集が掛かっていると見ていいだろう。この意味が分かるな?」


「……勿論です。情報を有り難うございます」

「何……君が王の元を離れた時点では安定しておられたのだが、ここ暫くで大分弱られたらしい。君達を手間どらせるつもりは無かったのだよ……これ以上邪魔をする気もないから出発してくれたまえ」

「……お心遣い感謝いたします」

「道中の無事を祈る。もしもご崩御されたならば……いずれ首都で会おう」

 その言葉にラウドラチャクリンは返事をしなかった。

 只、頭を下げて諒解の意を示しただけ。

 ファドラーンも同じように頭を下げて挨拶すると、ラウドラチャクリンに続いて部屋を出て行こうとした。

 私もそれに続こうとした所へ、不意にティサ卿の声が掛かる。


「セシリア嬢……?」

「何でしょうか?」


 呼び止められて見上げた卿の表情こそは優し気だったが、その瞳に見覚えたものがあり、彼に向けていた私の笑顔が引きつりそうになる。

「もしもこの国に留まるつもりになられたら、私に連絡を下され。この地に留まれるよう御協力は惜しみませんし……不自由はさせますまいぞ」

「……ご配慮感謝致しますわ」

 下心丸出しの申し出を受けるつもりは無かったが、ここで無用な諍いは避けたかった。

 彼は自分の利害もあるものの、アルマンスール家には好意的だと思えたから。

 当たり障りの無い挨拶だけを返すと、ティサ卿の視線を背後に感じつつも足早にファドラーンの後を追う。


 ゆっくりと歩いてくれていた彼の隣に追い付くと、黙ったまま宿の外へ馬屋までを一緒に歩いた。

 良く晴れた絶好の旅日和なのに心は何故だか波立っていて、何と言っていいのか判らないその感情に表情まで強張ってしまうのを止められなかった。

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