044 秋波
平静を装いつつなんとか用件を切り出した時、イェライシャは傍目にも判る程がっくりと肩を落とした。
安心したとか言うのではなく呆れた、というニュアンスのその仕草に俺も肩の力を抜く。
「……何よそれ、納得出来ないわ」
けれどその後にそう言葉を続けられて、否定されたのだと思い慌ててイェライシャを見つめた。
「何にも危険な事は無いと思うんだけれど……念のためだよ、俺はこっちの部屋に居るから、君は寝室に鍵をかけてくれて構わないし」
「……それじゃ護衛にならないわ。何かあった時に部屋へ入れなかったら、意味が無いじゃない」
うろたえた俺の言葉に、ドアを破るつもり?と彼女はにべも無い。
困ったな……どう言い訳付けよう。
「確実な危険が無いというのなら……ラウが単にお節介なのかしら、それとも貴方は……お膳立てしてもらわないと女1人口説けないの?」
「……なわけないだろ」
流石に憮然として答えると彼女がにっこり。
「そうよね、そういえば……ここの女将さんともかなり良い所まで行きかけたんですって?」
「……それはっ!」
「女給達がウワサしていたわ。彼女……今日はラウをひっかけ損ねたって」
隙をつかれた、とはこの事だ。隠す事も出来ずに顔に出てしまった……と思う。
心持ち彼女の表情も厳しいもので、うろたえつつもドキドキした。
怒った顔もかなり綺麗で。
しかし彼女が知ってしまったのなら隠しても無駄だし、第一俺としては隠し事は出来ればしたくない。
「さっきも言ったろう……ここの女将はこの宿の所有者の愛人で、他にも何人か男がいるって有名な女性なんだよ。通常ならそんな女を囲っておく主の気が知れないが、情報収集の腕は大したものでね、ウチの男を毎回引っ掛けようと躍起になっているのもそのせいだろう。ケサルなぞは真面目に彼女をスカウトしようと考えたらしいしね。それにしても……俺が彼女にベッドルームの隅っこまで追いつめられたのはもう5,6年も前の話だ、君のジェラシーは嬉しいけれど」
真面目な顔でそう説明して、どんな顔するかと見つめていたイェライシャは……一瞬変な顔をして……ぷっと、まさに吹き出しつつ笑いはじめた。
「隅っこって……やだっ、格好わるい、それにジェラシーなんてしてないわよ」
「さっきの態度は典型的なジェラシーだと思うんだけれどね?。それに仕様が無いだろう……その当時の俺の設定は中堅商家の長男で、初めての隊商に、いろんな事が未経験って振りをする事になっていたんだから」
あの時の事を思い出すと、何とも言えない居心地の悪さが甦ってくる。
「実際あの時は焦ったんだ、格好わるくても……目の前の孰女から逃げないとヤバいことになるのは目に見えていたし、一応俺にだって理想の女性像ってのはあるんだよ?」
まだクスクス笑いを続けている彼女に溜め息混じりにそう告げると、脱力した勢いでソファに身体を沈めた。この部屋の主はまだ座る事を勧めてくれた訳ではないが、このままここに居座る事にすればいい。
「……理想の女性って?」
「知りたい?」
「うん」
先程の不機嫌は何処へやら、ソファへ近寄ってきた好奇心一杯の表情を焦らしてみたくなる。
「やっぱり秘密にしとく……君は笑い倒してくれそうだ」
「ひどっ……そんな事しないわ!教えてくれてもいいじゃない」
「じゃあ、交換条件……君の理想は?」
思わせぶりに溜め息をついて、勿体ぶってから言葉をつないだ。
多分返事は簡単に予想がつく。
「……やだ、言えない」
ほらね。
「フェアじゃない。俺は……俺だって好きなひとの事なら何だって知りたいよ?」
溜め息とともにそう口にすると、彼女は面白い程真っ赤になってしまう。
焦らすつもりが焦らされていたような気がして、左手を伸ばすと届く距離に近付いてきた無防備な身体を絡め取った。小さな悲鳴を胸の内に抱き込んで、くぐもった抗議の声に気付かない振りをしてみる。
猫が喉を鳴らすように、小さな笑いを漏らしつつ抱きしめたイェライシャはあったかくていい匂いがする。
丁度抱きしめて胸に収まるくらいの、あったかくて柔らかい身体。
迂闊な事をする気は無いと、ラウドラチャクリンには言ったが、あっさり前言撤回してしまいそうな気分だ。
それでも、まだ、だめだと自分の身体に言い聞かせて、抱き込んでいた腕の力を抜いた。
嫌なら、いつでも彼女が逃げ出す事が出来るように。けれど……そうはならないような確信めいたものもあって、幾らか大人の余裕を取り繕う。
今朝のイェライシャは目覚めて隣に居た俺に驚きはしたものの、俺の腕を拒みはしなかったから。




