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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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042 シェカル


「出発したのが遅かったのに……いつも通りの速度でいいの?」

 昨日のように俺とラウドラチャクリンの2人に挟まれた形で馬に乗っていたイェライシャが、そう訊ねたのは昼食の為に馬を止めた時だった。

 彼女を鞍から降ろす為に差し出した手に縋りながら、密着した身体を離す。それはここ暫く無かった素直な態度で、俺はそれに面食らう程だ。

「夕べは君の症状を柔らげる為に大分下って距離を稼いだからね……大丈夫なんだよ。今日の予定地はそんなに遠くはないし」

「ええっ……と、ティンリ高原の……」

「シェカル。この辺りでは一番大きな町だ、今夜はここで宿を取るから身体を温めて休むといい」

「うん、判ったわ……そうする」

 しおらしい程の素直さは可愛いのだが、素の彼女ではない事を知っているだけに俺としては複雑だ。


 一緒に食事を済ませ、いつもより長めの休憩を取った。

 イェライシャの体調もだが、ラウドラチャクリンにもきちんと休んでもらわなけりゃならないからな。

 それから再び彼女を馬上へと導いてその隣へと馬を並べる。あまり食は進まないようだが、水分摂取だけはしっかり摂るように気を付けた。


 隊商の先頭にはずっとサブリーダーのミシェイルが立ってくれている。

 最後尾を守っていたラウドラチャクリンが隊の中程で俺達の隣に居るので、その代わりはヨシュアに任せることにした。

 ラウドラチャクリンは一見平静を装ってはいるものの昨夜の癒しが負担になっていない訳が無いので、イェライシャの付き添いと言う名目で気を使わなくても良い場所に居てもらう事にしていたのだ。

 そう言い張ったのは俺だが、ラウドラチャクリンが素直に従ったのが意外といえば意外だった。

 彼の代わりに最後尾を任せたヨシュアは、ラウドラチャクリンに似て勘が鋭く、気が回るので重宝している存在だ。

 尤も先日は、イェライシャに口を滑らせると言う少しばかり……うっかりをやってくれたが。

 それでも太刀筋がいいので、俺の鍛練の相方としては欠かせない。

 勿論ラウドラチャクリンとも手合わせする事もあるのだが、傍流が入って揺らぐその剣先が俺はかなり苦手だった。

 なにげに耳に挟んだ話では彼の剣の師匠は俺の爺さんと同じ人物だったのだが、体術の師匠が他に居て、その人物の影響だという。

 そういえばその体術の師匠とやらの名を俺は知らない。

 その流派自体今のフィルダウスには残っていない。

 聞いてもラウドラチャクリンは答えないかもしれないが。見送った者達との過去を思い出すのが彼にとっては苦痛らしいとは聞いていたから、俺も訊ねないようにしていたのだ。


 朝、イェライシャを連れてテントから出た時に意味ありげな微笑みを見せ、健在ぶりをアピールしていた彼だったが、流石に今日は馬に跨がっている間もあまり口を開かない。

 何らかの考え事に集中しているのか、それとも彼なりのダメージがあるのだろうか。

 隣のイェライシャの様子と併せて気に掛けながら、つらつらとそんな事を考えている間に大分日が翳りはじめ、その頃になってようやく今日の目的地が見え始めてきた。



 平地の街道筋がまっすぐにその町に向かっている。

 町の目印とも言える西と東に設えられた高い物見の塔がその町の名を語っていた。

 日に輝く町、シェカルと。


 この町の中央には小高い山があり、それを取り巻くように町が出来上がっている。

 言うまでもなく山に近い奥まった区画の方がより古い地域で、この辺りの伝統を重んじる有力で古い家系の者達の住まいだ。外縁に近いほど新しい住民の住まいになる。

 そう言えば元々物見の塔は東西南北の四方にあったらしいのだが、過去にあった戦乱で二つが失われたと聞いた事があった。

 俺たちが定宿にしている宿はそんな旧市街と新市街の境目にあり、情報を集めたりするにも何かと都合のいい立地条件となっている。。

 宿を経営しているのは旧市街の有力者だが、けして新参者を拒まず、常に外界の事に気を配ろうとする姿勢が好ましい人物で、ラウドラチャクリンとは対立する事も幾度かあったが基本的には友好的な関係が続いていると言えた。

 もっとも彼は我々の素性を、祭祀王の腹心だと思っているらしいのだが。


 そしてシェカルの中央の小山には、規模はかなりのものになるだろうと思われる古い寺院がある。

 その造りがルクアディナルフアの首都の王城を小規模に模したものであろう事は一目瞭然だ。

 遠くからでも、その寺院の中央の屋根を覆う金色の金属板の輝きが目にまぶしい。

 もう日暮れだと言うのに。

 ルクア祭祀王の直轄ではないので詳しくは知らないが、この辺りでは町同様に一番大きな寺院だ。 

 そう言った事をイェライシャに……差し障りのない程度に……説明しながら俺達の一行は町に入り、じきに宿へと辿り着いた。


 いつもなら、目に付く事は何でも訊ねてくるイェライシャだが、流石に今日はその元気は無いようだ。

 古い構えのその宿にいつものように部屋を確保すると、そそくさと皆食事を済ませる。

 難所として名高い峠を越えて来た旅人が一様に見せるであろう、疲労の色は当然俺たちも纏っているのだろうし。

 宿を任されている女将にイェライシャの湯の手配を頼み、俺とラウドラチャクリンもそれぞれに湯を使うことにした。

 それほど身分の高い者が逗留する宿ではないので、浴室といっても手狭なものなのだが。

 イェライシャの異国の顔立ちと良家の子女だと説明していたラウドラチャクリンに、この宿の女将は一番良い部屋と特別の待遇を約束していた。食事を終えた彼女を、急遽浴室用に仕立てた小部屋へと女給と共に自ら案内に現れたその女将は、同時に宿の所有者からの伝言を俺達に伝えてきた。

 ご丁寧に俺達の到着と人員構成までを主へと報告しているらしい。

 彼女の抜かりない手配に感心するが、同時にこちらも気が抜けないと緊張を余儀なくされる。


「アルマンスール家の隊商の無事なご帰還をお祝い申し上げ、旅の土産話などもお伺いいたしたく、主が明日の朝こちらへ参ります。ぜひお時間を頂きたいと」

「わざわざお越し下さるとは光栄です。先を急ぐ旅故あまりゆっくりとは出来ませんが……御当主とは是非お話をしたいと思っていましたので」

 優雅に口上を伝える女将に、かなり心にも無い言葉で相手の機嫌を取りつつ、考えた。

 ……あの目端の利く主の事だ、目的は単に俺達ではなくここ迄の情報と同行している異国の娘にある事は確実だろう。

 余程の用事がなければ、地元の名士がただの商人に会う為に旧市街から出てくるとは考えにくい。

 けれど正式な身分証も紹介状も確保してあるのだから、彼等が何か言う事があっても何の問題も無い筈だ。

 そう思いつつ、傍らで同じように身を屈めて挨拶を返していたラウドラチャクリンに目をやる。


 丁度、彼はその女将からのあからさまな夜の誘いを軽く躱していた所だった。

 そこそこに美しく、まだまだ女盛りを主張している女将はここの主の何人目かの愛人だとは有名な話だが、どうやらかなり自由も許されているらしい。

 このアルマンスールの隊商の男達の殆どは、過去に何度か彼女の積極的なアプローチを頂いている。

 かくいう俺もかつてその誘いを、かなり際どい所で断ったクチだ。

 まだ若かった事もあり、しどろもどろで……経験の無い若造……を演技するのはそれなりに面白かったが。

 幸いこの隊でまだ彼女に篭絡された奴は居ない。

 既にイェライシャは女給達に伴われて立ち去っており、この場面を見られなくて幸いだったと内心ヒヤヒヤしながら、未練たっぷりに見送る女将から遠ざかり浴室へと向かった。

 隣を歩くラウドラチャクリンはあの手のあからさまなお誘いがかなり嫌いで、愛想笑いの必要がなくなると途端に不機嫌丸出しの仏頂面になるのが実は面白い。


「お前は……今夜部屋へ戻らなくてもいいからな」

「……は?」


 入浴を済ませてこざっぱりとした俺に、後ろからかけられたラウドラチャクリンの言葉。 その意味を理解出来ずにかなり間の抜けた声で応じてしまった。

 浴室の……個室とは申し訳程度の衝立ての向こうで、冷水を浴びていたラウドラチャクリンの手が止まる。


「イェライシャの部屋の護衛だよ。他の奴に割り振ってもいいのか?」

「良い訳無いでしょうっ……て、護衛が必要だと考えているんですか?」

「念のために。なぜここの主が異国の者に興味を持ったのかが判らん」

「……判りました」


「扉の前じゃ目立つからな、中で待機していろよ」


 しぶしぶ引き受けた俺に、更に追い打ちをかける一言が。


 流石に何か言い返そうと振り向くと、衝立ての向こうから出てきたラウが真後ろに居た。

 水垢離の時に愛用している裾の長い白衣から水をしたたらせている。

「真面目に……何かあってからでは遅いからな、わたしがそういう手抜かりを嫌うのは承知の上だろう?それに……お前は彼女の暖め役だろうが」

 水に濡れた前髪を掻き上げつつ口にした、前半の真面目な口調に騙された。明らかに楽しんでいるらしい後半の口調にがっくりと肩の力が抜ける。

「俺たちをけしかけて……何が楽しいんですか」

「認めてやっているのが嬉しくないのか?さっさと陥しに行っても構わんだろう」

「俺は、きちんとした手順を踏んで彼女を迎えたいんです。まだ……確実に見通しが立っていない以上迂闊な事は出来ませんし、したくもありませんよ」

 溜め息を交えて問い掛けた俺にさらりとしたラウドラチャクリンの答え。

 欲しいものはさっさと手に入れてしまえ……唆すようなその言葉につい一段と改まった口調でそう断言してしまう。


「石頭……親父譲りか?」

「何言ってんですか、貴方だって……多分、一番大切な相手が出来たら俺みたいにするだろうって、俺は思ってますがね」


「……」


 ……やった。黙らせてやった。


 ようやく口を閉じたラウドラチャクリンを見下ろして、身支度を調えると浴室を後にした。

 上辺は軽い振りをしていても彼が……親父以上に硬苦しいのを知っているのはこの隊の皆も同様だ。

 けしかけられている……とは感じていたものの、いつもならお硬いはずの彼が何故こんなタイミングでこんな事を口にするのかは判らなかった。

 一度自分の荷物を入れた部屋へ戻ると、護衛の名にふさわしい装備を整える。

 夜をしのぐ為の衣装と、剣と、それに付随する剣帯。

 この旅の間ほとんど装着する事のなかったその重さはいつも以上の手応えで俺に緊張をもたらしてくれる。


 そして……更に緊張しながらイェライシャの部屋へと向かった。


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