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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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040 宿題と答え


 ……私が居なくなってもいいのね?


 その問いかけにようやく、彼女が俺の言葉の何処に引っかかったのかを理解した。

 初めてイェライシャと口論になったあの日、アルマンスール家の馬屋で自分の失言を何とか取り繕おうと必死になっていた。

 中途半端な知識のまま彼女が俺たちに関わり続ける事のリスクを知って欲しかったから、例え話のつもりだった。


 あの時も今も、彼女を側から離したいなんてカケラも思っては居ないのだ。

 その証拠にイェライシャが他の男と談笑しているだけでも落ち着かない……のに。

 けれどそういう想い全てをどう表現すればいいのか、言ってしまってもいいのか、躊躇する自分が居るのも確かだった。

 それに、俺自身が彼女からの返事を待つと言った自分の言葉に縛られていたのかもしれない。


「……一度にあんまり沢山聞かないでくれ」


 溜め息とともにそう返事を返すのがやっとで、緊張していた身体から力を抜いてテントの床へと座りなおした。

 改めて、真剣な顔の彼女と向かい合って座る形になり、それはそれで緊張しない訳じゃないが、じっと彼女の顔を見つめる。


「……何から答えて欲しい?」

「どれからでもいいわ。でも全部に答えが欲しいの」

 真剣な表情のままの彼女に、欲張りだな、と言うと怒るだろうか。


「俺は君を好きだと言った、それは今も変わらない。そして……君が君の国に帰るなんて事は考えたくもない。出来る事ならば君には側に居て欲しいからね。けれど、その前に君の自由を大切にしたかったんだ」

「私の……自由?」

「そう、俺はこのとおり言葉の足りない男で……いつも君を怒らせているような気がする。だからいつ君が俺に愛想を尽かすとも限らない、それも君の自由だからね。それにこの隊の男達の半数以上は独身で、君のように美しくて気だてのいい女性に無関心で居られる奴は少ない」


「ラウを含めて……と言いたいのね?」


 俺の言いたい事に見当が付いたと、怒ったようなイェライシャの表情が語っている。

「……別に奴だけとは言ってないけどね。だから君が誰を選ぼうと選ぶまいと自由だってことだ。皆は君が最初に関心を示したのが俺だから……結果が出るまでは遠慮しているのに過ぎないし、俺がリタイアしたら立候補したいと思っている奴は多いと思うよ」

「だから私との距離を取ったの?リタイアしたと表明する為に?」

「違う。君の自由を尊重しただけだ、俺を選ばないという……自由をね」

 自嘲的になっているであろう俺の表情をどう受け取ったのか、彼女が視線を床へと落とすのをじっと見つめる。

「どうして私が貴方を選ばないなんて考えられるの?それで……平気なの?」

「それが君の選択ならば仕方が無い。俺は……随分至らない男だろう?」

「貴方がコンプレックスを抱いている誰かに比べてって言いたいのなら、そうだわ。だけど彼は……私が彼に恋心を抱く事が無いから、それを承知しているから私に優しいのよ……それも判らないの?」


 思いがけない言葉とともに、真正面から彼女の視線を受け止める。

「何故……?」

「私ではラウなんて手に負えないわ。あんな厄介そうな男の人を……選べる女性なんて、本当に自分と言うものを確立したひとか、何にも判っていない……雲のようにふわふわした……それでも許容範囲の広いひとぐらいのものだと思うわ。私は……以前にも言ったわ?彼が怖いって……あの人には私は恋愛感情を抱けないのよ」

 尊敬は出来るけれど、と苦笑してそう付け足したイェライシャを俺は黙って見ているしか出来なかった。彼女の表情が今にも泣き出しそうに思えたから。

「君は……君の価値観を満足させる事の出来る未来を模索しているんだ……それには俺は……俺達は口出し出来ないよ?自由という言葉は……俺にとってはとても重い言葉なんだ」

 そう言葉を続けた時俯いていたイェライシャが顔を上げて、口を開いた。


「Etre libre,C'est étre condamné á étre libre」


「……何?」

 呪文のように口にされたその言葉に、いや言語には聞き覚えが有ったものの意味までは汲み取れなかった。

「ようやく思い当たったわ……この意味に」

 そう言った彼女の顔は何だかすっきりとしていて、さっきまでの俺達の間にあった悲壮感などかけらもない。

 その潔いと言える程の変化に正直取り残されたような気すらしてくる。

「ありがとう、ファド……貴方のお陰で宿題が一つ片付いたような気分だわ。貴方も私も……自由というこの言葉に縛られていたのね」


 にっこりした彼女はそれでも、少しばかり目元に滲んでいた涙、先程までの感情の高ぶりの余韻のような……を拭うと、俺に向かって右手を差し出した。

「仲直りの握手。私は貴方を、貴方は私を見誤っていたのなら……もう一度ここから始めたいわ」

 差し出された手を見つめて俺が躊躇っているとイェライシャはそういった。


「出会った所から?」

「……うん」

「難しい注文だね……」

 「どうして?」

「出会った時……あの時……もう俺は君が好きだった。一目惚れって言葉は陳腐過ぎて使いたくないんだけど、そんな感じ」

 初めて見かけた時の、マントのフードを真深くかぶり高飛車な口調だった彼女、は周囲を威圧する為の精一杯の虚勢だった。


 その影に居たのは自分の居場所を捜してもがく頼りなげな少女。

 それに気が付いてしまっていたから、目が離せなかった。


 差し出されたままの彼女の手を取り、握手の代わりにその手の甲に口付けをする。

 目を上げると真っ赤になったイェライシャがいて。

 旅に出てすぐの頃、同じように口付けた時の表情と重なる。

「俺は……ずっと君からの返事を待っているよ?」

 続けたその言葉、あの時の自分の大胆さを思い出したのか更に真っ赤になった彼女に、その額へともう一度口付けを落とす。

「額に口付けるのは……俺達の間では……相手に永遠を誓う……そう言う意味がある。だから……他の奴には許すなよ?」

 俺の勝手な想いだけれど。

 赤い顔のままぎこちなくうなづいたイェライシャに、もっと触れていたい気持ちを押さえて持って来ていたカップを手渡す。

 今日をしのぐ為に強壮剤を処方したもので、微かな苦みに文句を言う彼女がそれでもその中身をカラにするのを確認してから、立ち上がるのを助ける。

 初めの数歩はよろめいたものの、何とか歩けるのを確認するとゆっくりと彼女をテントの外へと連れ出した。


 後日……イェライシャが口にした言葉を何とか思い出してラウドラチャクリンに告げると、少し考えて、彼はまたも大きな声で笑った。

 俺がその意味を判っていないのが更に面白かったらしい。

「かなり古い言葉だよ。格言と言うよりは哲学者の蘊蓄だ」

「……意味は?」

「自由とは……自由であるべく呪われている事である」

 絶対イスナードと気が合うぞ彼女、と言って笑うラウドラチャクリン。


 それでようやく思い出した、あれは親父の専門分野の言語だったんだ。



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