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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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039 温もりと距離


 自分を包む優しい暖かさの中で私は目を覚ました。


 待って……?私は馬に乗ってたはずだわ。

 どういう訳か息が出来ないくらい苦しくて、寒くて、そしてファドラーンが心配そうな表情で私を見ていて……。  

 そう自分の記憶を辿りながらも、薄闇の中自分を包む温もりの心地良さに縋り付くように更に身を寄せて、ようやくそれが誰かの胸である事に気が付いた。

 規則正しい鼓動と、寝息だろうか呼吸に合わせて胸が動く。

 自分の置かれた状況が判らない中、恐る恐る見上げて、その胸の主がファドラーンである事をようやく確認した。

 一気に頬が熱くなって、鼓動すら速く大きくなってしまったような気がする。

 それを気取られるのが恥ずかしくてそっと身体を離そうとしたが、眠っていると思っていた彼の腕は思いの外強い力で私の肩に廻されていて、離れるどころか逆に抱き寄せられてしまった。


「……おはよう、イェライシャ」

 廻りで眠っている仲間に聞かれないよう潜めた声が耳元に注ぎ込まれ、その感覚に粟立つように鳥肌が立つ。

「おはよう……狸寝入りなんてずるいわ」

「昨日の君はとても冷えていて…放っておく訳にはいかなかったんだ」


 視線を合わせて抗議するとそう返事があり、私をきつく捕まえていた腕から力が抜ける。 離れたければ好きにしていい、そんな気配だったがまだその温もりを手放すのは惜しい気がして、私は彼に抱かれたままになっていた。

 全身をくるむように彼の温もりが私を暖めていてくれる。

 昨日まではなんとなく私達の間には距離が有ったのに、今はそれがない。


 このまま心の距離もなくしてしまえたらいいのに、ふとそう……思った。


「私……どうなっちゃったのかしら……昨日?」

 それでも問わない訳にはいかなくて、曖昧な微笑みを浮かべてファドラーンへと訊ねた。

「かなり典型的な高山病。空気が薄くなったせいでの頭痛と吐き気、そして平衡感覚の喪失……さらに進行すれば肺の内部を損傷して死に至る……って奴だ。呼吸が苦しかっただろう?」

「高山病って……私は船酔いのようなものだと聞いていたわ」

 恐る恐る訊ねると、そうファドラーンの言葉が返ってきた。

 感情を押し殺しているような平坦で低い声に、怒っているのだと思った。

 具合が悪くなったら言うようにと、はじめから言われていたのだから。

 そして、それを怠ったのは私なのだし。

「莫迦……なことを。高地で気圧が低くなれば危険は幾らでもある。もしもラウが居なければ君は今頃どうなっていたか……」


「あの人が私を癒してくれたのね」


 少しばかり他人事のように言いながら、けれど私は昨日の苦しさを思い出していた。

 そして朧げに記憶に残るファドラーンの表情も。

 

 不安そうに歪んだ眉と引き結んだ厳しい口元。

 朦朧としていた筈なのに、彼のその表情だけは覚えていたわ。

「ごめんなさい……異常があれば言うようにって貴方もミシェイルもずっと言っていたのに……。貴方にあんな顔させるつもりは無かったの……それが言いたかったのに、あの時は声が出なかった……のが……こわかった……」


 喉を通り抜けてゆくだけの空気と伝えたくても言えない言葉。

 ……思い出すと胸が痛くて……涙が出た。


「……言えないくらい距離をあけていたのは俺だよ?謝らなけりゃならないのは君じゃない」

 そうファドの声が降ってきてもう一度胸元へと抱き寄せられると、素直にその胸に頭を預けた。

 涙が止まるまでのかなりの時間をそのままで過ごして、再び私は眠ってしまっていたらしい。

 微かなざわめきに目を醒ました時にはテント越しにも明るい光が感じられ、すっかり夜が明けてしまっているのが判った。

 隣に居てくれたファドラーンも姿が見えない。


 ……それどころかテントの中には誰も居なかった。私達を廻りから仕切っていた荷物も殆どが運び出されていて、外のざわめきが出発の為の準備だと気が付いた。

 皆に気を使わせてしまったのが申し訳なくて慌てて身体を起こすと、流石にまだ脱力感は拭えないけれど昨日の息苦しさは無い。

 多分馬から降りた時のまま寝かされていたのだろう、外套すら身に付けたままで横たわっていたのを身繕いしようとして、胸元のボタンが幾つか外されているのに気が付いた。


 ……自分で外した覚えは無い。……じゃあ一体?


 そのまま硬直していた所へファドラーンが入ってきた。手には持ち手のついた金属製のカップが一つ。

「起き上がれる?薬を貰ってきたよ」

 言葉を切ったファドラーンは胸元を押さえたままの私に気付いたらしい。

 隣に来て座り込んだ彼の気配に目を上げると、何と言っていいのか迷っているその表情を見上げる事になった。


「夕べ……私に何かした?」


 かすれて震えてしまったその声に、一瞬ファドラーンが瞳を閉じる。

 見つめたままで居るとその表情に微かに笑みのようなものが兆して、込み上げてきた笑いを押し殺そうとしていたのだと、悟った。

「わ、笑う事無いじゃない」

「そういう事に気が回るってことは大分回復したんだね。それにしても……俺達を信じていないな?意識の無い女の子に悪戯なんてしないよ、服の前を開けたのは……治療の為だ」


「じゃあ……」

 尚も言い募ろうとした私の前でファドは自分の両胸に両手を当てて見せた。

 そしてきょとんとしていただろう私にかなり真剣な表情で説明を始める。

「ここが大体肺のある位置だ、出来れば直接触れていた方が治療師には都合がいいんだが……未婚の女性の素肌に触れる訳には行かないからね。流石にあいつも遠慮したんだよ、肌着の上から直接は触れずに治療したんだ」

 そう言われても、やはり素肌に近い所までを2人に見られていたと知って、頬が真っ赤になったのを感じる。

「君の……呼吸が苦しかったのは君の肺に機能障害が出始めていたからなんだ。それが悪化すると肺水腫といって……死に至る病になる。重症になっても治せない事は無いが、大の男でも高熱を出して意識不明になる程だ。幸い君の症状は軽いものだったから……ラウでも癒せたんだよ、もっとひどくなっていたら彼でも命がけの治療になる」

「命がけって……」

 

「他人を癒すのは、とても気力体力の要るものなんだ……現に奴もさっきまでひっくり返って寝ていたよ」

「そんな……」

 思いがけない言葉に私が動揺の色を見せると、ファドラーンは少しばかり困ったような顔で。

「大丈夫、もう回復しているから心配要らない」

 と何だか素っ気ない。 


「もしかして……ファド……ラウに嫉妬してる?」

「別に……」

「嘘」

「……」

 誤魔化そうとしたファドラーンに、つい強い口調で否定の言葉をぶつけてしまい、それをどう受け止めたのか黙ってしまった彼を見つめた。

「どうして……貴方の方から私との距離を作ったの?怒ったままの私がラウと仲良くしていたから?ううん、そんな事よりも……どうして私が自分の国に戻ると……戻るだろうと思えるの?貴方は私を……帰したいの?私が居なくなってもいいのね?」

 初めの質問を口にしてしまって、後はもう止まらなくなった。

 本当にずっと聞きたかった事までを一気に口にしてしまい、流石にうろたえた彼を真剣な面持ちで見つめる。


 答えが欲しくて。


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