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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
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037 異変


 ……本当はとても興味があったわ。

 半分上の空のように無防備だった彼が口を滑らせたのだと、その後の狼狽えようで見ていてすぐに判ったもの。

 ファドラーンが子供だった頃の話なんて、普段ならば話してはくれない、けして話題にはならない事だわ。

 けれどそれをしつこく訊ねて……事実ではない……当たり障りの無い作り話をされるのはすごく嫌だった。


 話してくれる気がないのなら、聞かない。

 だから尋ねない。

 ……拗ねている訳じゃないわ。


 ミシェイルに家族の事を尋ねなかったのとは逆の理由だった。

 彼なら訊ねれば、きっと正直に答えてくれるだろう。

 けれどそれを私が知る事で彼等にいつか迷惑が掛かるかもしれないのなら、知らないままで居た方がいい、そう素直に思えたのに。

 軽く流す風のファドラーンの答えに相づちだけを返して、食事を続けた。


 反対側の隣ではミシェイルとラウドラチャクリンが、ルクアディナルファの首都クティナンまでの日程を改めて確認し合っているのが耳に入ってくる。

 アルマンスールの屋敷を出てからここまでに十日掛かっている。明日峠を越えたら首都までは十日の道のりだと言う話だった。

 あと十日。

 そして何日首都に滞在するのかは判らないものの、その間に私は自分の道を見付ける事が出来るのかしら。

 いいえ、見つけなければならないはずなのに。

 今はその事のほうが私にとっては重大な関心事のはずだった。


 夕食の後は皆そそくさと片づけを済ませると、降ろしてあった馬の荷をテントに運んで寝仕度を始めた。

 強くなった風を遮るように地の厚い生地で覆われた簡易テントの中、交代で見張りに立つ者が入り口の近くに場所を取り、皆が睡眠を取る為に横になる。

 奥の方の一角に荷物で壁を作るようにしてファドラーンは私のスペースを確保してくれていた。その壁のすぐ外にはファドラーンとラウドラチャクリンがそれぞれ場所を占める。

 お休みの挨拶をしてそれぞれの場所に横たわっていても、やはり自分の今後の事が頭から離れなくて、なかなか寝付かれなかった。


 自分に出来る事を見つけられるのか、それとも、故国に戻らざるを得ないのか。

 何故急にそればかりが気になりはじめたのか、自分でも判らなかった。

 ただ、早く結論を出さなくちゃ、という焦りだけが先走っていたのかもしれない。

 一晩中そんな事ばかりをとりとめも無く思ううちに皆が起き出しはじめ、外はまだ暗いと言うのに出発の準備を始めた。

 朝食はかなり簡単に済ませる。

 皆先を急ぐふうなのが気になるが訊ねられずに居ると、傍にミシェイルが立っていた。

「出来れば早いうちに峠を越えてしまいたいんでね……けれど、もしも、体調が思わしくないと思ったら、遠慮なんてしないで、すぐファドや廻りの皆に言うんだよ」

「うん……そうするわ。有難うミシェイル」

「どういたしまして」

 見計らっていたかのようにそう言ってくれた彼に笑顔で答えると、相変わらずにこやかな微笑みに見守られて馬へと跨がる。

 けれど難所として聞き及ぶラワル峠を通い慣れた彼等の心理的余裕は、私には良い方には作用しなかった。

 どう言う訳か、旅慣れた彼等のお荷物、足手まといになっては大変だわ、としか考えられなくなっていたのだ。


 必然言葉も少なくなり、景色を楽しむ余裕も無くなっていた。

 ラワル峠とは、峠と呼ばれているものの、剣だかい山々の裾野を縫うようにルクアディナルファへと続く谷間の道の一部だった。

 殆どが谷間の旅で、ラワルはそのルートのうちで一番標高が高いことからいつの間にか「峠」と呼び習わされていたのだと、道々ミシェイルが教えてくれていた。


 ラワルを越えてルクアへ入る最初の平野、ティンリ高原は天気が良ければとても良い眺めだとも。


 ……後になって冷静に考えてみれば、慣れない者が急に高度の高い山地の旅を始め、大分馴染んで高地に順応していたようにも見えた体調も、峠越えの為に更に高度を上げた土地へは対応出来なかったのだろう。

 既にこの時の私は所謂、高山病の初期段階にあったのだ、とは後で推測出来たのだけれど。


 気を逸らそうとしても逃れられない鈍い頭痛。

 そしてひどくはないものの気持ちが悪くて、外套のフードで風を避けながら冴えない顔色と不調さえも隠した。

 その日の昼食は何とか少しだけ摂って、残りは目立たないように処分してしまった。 

 幸い馬を軽く休ませる為の休憩を兼ねた時間でもあったので、皆が集まって一緒に食事すると言うものではなく、各自馬の側で食べたりとバラバラだった。

 だから少しばかりふらつく身体を馬に預けていても、たいして誰もいぶかしんだりはしなかった、と思っていた。

 ……どうしてこんなにふらふらするのかも、自分では判らなかったのだけれど。


 そしてイクシールの首都を出てからの私は、馬に乗るのに人……ファドラーン……の手を煩わせないようにと何とか自分で馬に跨がれるように練習してもいた。

 私にと宛てがわれた馬が大人しいのをいいことに、目に付いた頭一つ分くらい大きな石の近くまで馬を連れて行き、その上から少しだけ近くなった馬の鞍へと飛び乗る、いいえ……正確にはよじ登るの。

 それを自立と考えているのか、初めは心配そうに見ていたファドラーン達も私がそのやり方で何とか乗れるようになると、本当にこけた時の為に見守ってくれるだけになった。

 纏らない考えと、いつからか覚えていた吐き気とでままならない身体をそれでも何とか鞍の上に押し上げると、馬を促して隊商の列に連なる。

 後は指図するまでもなく、馬は仲間との流れに乗るように歩み始めた。


 天気の良い昼下がり、乾いた空気と厳しい日の光がティンリ高原を照らし出していて、普段の生活の中では決して見られない壮大な自然を身近に見せてくれていたのだが、私は鞍頭だけを見つめて、だんだんとひどくなるような頭痛に耐えていた。


「イェライシャ……気分でも悪いのか?」

 突然、そう声をかけられて弾かれたように顔を上げると、伺うようにラウドラチャクリンが覗き込んでいた。

 ファドラーンは隊のリーダーとして最前に、そしてラウドラチャクリンは隊列の一番後ろに居たはずなのに。

 中程に位置している私の所までわざわざ馬を急がせてくれたのだ。

「後ろから見ていて気になったから」

 心配そうな彼に私はにっこりと笑みを返した。

「夕べあんまり眠れなかったのよ……ほら、下が岩場だから。食事したらそのぶん眠くなったみたい……大丈夫よ?」

 それでも顔色を読み取られないようにとまた俯いて、表情すら隠してしまった。

 だから、ラウドラチャクリンがミシェイルや私の廻りの人たちに何か合図したらしいのには気が付かなかった。

 そしてそのまま彼の馬が後ろへ下がるのではなく、隊列の前へと移動したのにも。

 自分の苦痛に気を取られ、回りの事は全て意識から締め出されていた。

 そして何時の間にラワル峠を越えたのかも判らず、その後の記憶すら殆ど無くなっていた。


「……イシャ、イェライシャ?」


 聞き覚えのある声に気が付いて、何とか痛む頭を持ち上げる。

 ゆっくりと廻りを見回すと馬は既に歩みを止め、世界は夕暮れの色が濃くなっていた。


 既に馬から降りたらしいファドラーンの顔が心配げに私を見上げている。

 その表情があまりにも心配そうで、どこか辛そうに思えて、私は何か言葉をかけようと思って口を開いた。

 だのに、耳に聞こえたのはかすれた喘ぎ声のようなものだけで。

 自分がどうなってしまったのか判らないまま身じろぎして、バランスを崩した身体を支える事すら出来ず……鞍から落ちた……と思った。


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