036 金色の雫
ミシェイルがイェライシャの隣に居座ったのを見るともなしに意識しながら、俺は夜の準備をしていた。
夕食の支度をするグループと野営の為の風よけのテントを用意するグループ、そして数人がひっそりとこの辺りの安全を確認する為に見回りに出る。
俺はテントを、そしてラウドラチャクリンは見回りの方へと廻った。
……多分ラウは、この野営地の廻りに侵入者があれば判るような、彼なりの術を仕掛けに行ったのだろう。
そして、風を孕むと暴れて扱いにくくなるテントの布地と格闘するのはもっぱら俺の管轄だった。
横風にはためく帆布を自分の属性を使って難なく捌き、歪みの無いテントへと仕上げる。
手が空いたのかサボりかと、作業の合間にふと顔を上げてミシェイルの居る場所がイェライシャの風上なのに気が付いた。
これから風が更に強くなるのを考えると奴の意図が読める。
その配慮に感謝して奴の行動に文句を付けない事にした。それでも少しだけ属性を行使して、その付近の風が強くならないようにと付近の空気を調整する。
話の内容までは判らないが、2人の間では会話が弾んでいるらしい。不器用な俺が寡黙になる分ミシェイルがそれを補ってやっているのだろうと思いながらも少し……悔しい。
そして同時に数日前の事を思い出していた。
「彼女が頬を染めるのを見ていると、初々しくていい」
確かにそうラウドラチャクリンは口にしたが、俺はてっきり彼が俺をからかったのだと思っていた。
「私が見込んだ者ならそう言うだろうと……思っていた」
そして昨夜、イェライシャが自分の意志で旅の継続を決めた時、ラウドラチャクリンは滅多にお目にかかれないくらいの満足げな笑みを浮かべてそうも言った。
……彼は彼女の何を見込んだと言うのだろう。ただの仲間として?それとも……女性としての存在を?
危惧していただけに考えたくない事を考えてしまう。
そして奴の笑みに簡単に頬を染めてしまうイェライシャを見ているのが辛くて、そして口を開いたら言わなくてもいい事を言ってしまいそうで、俺は努めて黙っている事にした。 流石に大人げないと思うので態度までは変えられないが、それでも少しだけラウドラチャクリンとイェライシャとの間に距離を取る。
今までにラウドラチャクリン本人にその気があろうと無かろうと、彼の近くに居て、彼を気にしなかった女は殆ど居ないと聞いていた。実際……彼に付いて歩くようになってから、明らかな秋眸を感じない日はないと言ってもいいくらいだ。
けれどラウドラチャクリンの方から本気で近付いた女性なんて見た事が無かったから、彼がどんなタイプが好みなのかもはっきりとは知らなかった。だから彼が夢中になるような女性ならば一度は見ておかなけりゃ、位の好奇心だけだったのに。
ラウドラチャクリンが外見から入る奴じゃないのは知っていたが、もしも、イェライシャが彼の好みだったら?
……そして彼女が彼を選んでしまったら?
ラウドラチャクリンの瞳が怖いと彼女は言ったが……何処が怖いのだろう……にこやかに談笑している時の表情からはそんな気配は伺う事が出来なかった。
夕食の支度もほぼ完了した頃、見回りに出ていたラウドラチャクリンとヨシュアが戻って来る。
あと2人が別のルートを確認に出ているが、じきに戻りそうな気配だと……空気を読んで、風よけで話を続けていたイェライシャとミシェイルに声を掛ける。
大した話でもなかったのかすぐに2人は火の傍にやって来て、イェライシャはいつも通りに俺の左隣へ、そしてその隣にはそのままミシェイルが座り込んだ。いつもならラウドラチャクリンが座るはずの場所だったが、当のラウドラチャクリンも何も言わずにそのミシェイルの更に隣へと腰を降ろした。
皆如何にも自然にふるまっていて、変な顔をしている俺だけが取り残されたような感じすらする。
「家族は……どうしていた?」
「いつも通り、元気でしたよ。私としては意外な発見もあって……楽しみが増えたんですが」
普通の世間話のようにラウドラチャクリンがそうミシェイルに訊ね、普段なら家族の事を訊ねられると畏まって答えていた彼が、何か嬉しそうな笑顔でそう返事をするのが意外だった。
家族と言う存在を、それを持たないラウにアピールするのが辛くて、皆あまりその手の話はしなかったのに。
「そうか、何よりだな」
それ以上家族の話は出なかったがそう答えたラウドラチャクリンも意外に嬉しそうだったのが印象的で、この変化が何処から来たものなのだろう、と考えるとやはりイェライシャへと辿り着いてしまう。
隣のその彼女に食事の皿を渡しながら、ついそんな事を考えていた。
「どうかしたの?」
「……あぁ、ミシェイルの印象が変わった…と思って」
ぼんやりしていただろう俺がそう答える。
「良い事があったみたいよ?」
とびきりの笑顔でそう彼女が答えたので、先程の話題はそれだったのかと思い当たる。そして彼女のその笑顔を間近で見るのが久しぶりだって事にも。
目を逸らそうとしたが……出来なくて……至近距離でイェライシャの金色の瞳を覗き込んでしまった。
そして確か昔、親父が管理していた荘園の酒蔵で、古い酒樽から出された逸品物の古酒がこんな色だったのを思い出していた。
親父の酒蔵では年に一度、古酒の品質を確認する為にテスト用の樽を検査するのだ。
跡継ぎとして、俺も覚えておかなくちゃならない事の一つだからと連れて行かれた酒蔵は、殆どが地下に埋もれたような造りの湿気と温度にこだわった建物だった。
親父の蔵には評価の高いものが多く、特に年代物の酒はあと数年したら献上品として王家に上納されるものだと聞かされた。
透明なグラスに注がれたそれは綺麗に透き通っていて、淡い金色の輝きはまだガキだった俺には価値の判らないもののはずだった。けれどその誘惑の輝きには勝てなくて、普通ならテイスティングした酒は吐き出してしまうものなのだが、俺はそれをしなかった。
子供の味覚にはきつく苦いとしか感じないはずの酒精も、輝きの前には何の障害でもなかった。
そして他の事に気を奪われていた大人達の目を盗んでそのグラスを空にしてしまい、フワフワとした浮遊感にぼんやりとして、その後の事は実は覚えていない。
目が覚めたのは次の日だった。
頭が痛くて、気分も悪くて、何が起きたのか判らなかった。
親父や他の者達は特に怒りはしなかったが、母親のルツィエラは困った顔をしていたっけ。そんな事があって以来とっておきの良い酒に出会っても、無意識の内にあの時味わった古酒と比べて居る自分を自覚している。
「ファドラーン……どうかしたの?」
心配そうなイェライシャの声に我に返ると、俺を見つめ続けていたのか彼女はもう少しだけこちらへと顔を近付けて来た。
「少し……昔の事を思い出していたんだ。俺がまだ……子供だった頃の」
「貴方の子供の頃?」
「まあ……ね」
そう素直に口にしてしまってから、正直困った。
深く考えずに口に出してしまった言葉に、あまり突っ込まれても困るので視線をそらす。 けれど追求してくるかと思っていた彼女はそれ以上の関心を示さず、食事に専念する事にしたようで、俺は少しばかり拍子抜けした気分だった。




