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暁の銀嶺と黄昏の蒼  作者: 天野原 唯
35/110

035 再会


「ミシェイルさんとはこの町で合流するって言っていたのに……待っていなくてもいいの?」


 翌朝、朝食も早々に済ませたアルマンスールの隊商がクム・ウタールの町を出発したのは、かなり早朝だった。

 折り返しバーラートの主の元へ報告に戻るというジャヤルの使者が見送る中、私達はいつものように普通の隊商を装って宿を出る。

 そして、私はその使者に一通の手紙を預けることにした。

 父と姉に対する、これまでの消息とこれからの事を走り書きのように綴ったもの。

 私が無事である事、偶然が重なって親切な人たちと同行している事、そして、これからのこと。 

 ただその先の事は自分でもはっきりとしたものではなく、希望的観測、或いは楽観主義の夢想の域を出ない。


 誰の目に触れるとも知れない物だけにはっきりとは書く事の出来ないそれは、時々私の胸に重荷のようにのしかかってくる。

 同じようにはっきりとしない自分のこの先の展望、進むべき道が同じように靄に包まれているように思えてしまうから。

 前方に見える一際高い山に向かって一行が馬を進める中、痺れを切らしたように口を開いたのは町が随分小さく見えるようになった頃だった。

 それまでの物思いを振り切る為でもあり、気さくに応じてくれるミシェイルなら何かこの気持ちを紛らわせてくれるような気がして、早く会いたいと思っていたからかもしれない。


 けれどラウドラチャクリンもファドラーンもその言葉に特に応える気はなかったらしく、沈黙に報いられた私は幾分膨れっ面で馬を進めていく事になってしまった。

 それでも暫くして大きな薮を通り過ぎた辺りで改めて振り返ると、隊の中程にミシェイルは居たの。

 ……彼がいつ何処でこの隊商に加わったのか私には判らなかったわ。

 さっきの薮に隠れていたのかしらと考えるものの、馬に乗った人が隠れていられる程大きなものではなかったわ。

 そしてついさっきまで考えていた通り、数日ぶりに会うミシェイルに声を掛けたいと思ったが、隊列を崩してまで彼の側に近寄るのも躊躇われて、結局休憩する為に馬をおりるまで誰かと話しさえしなかった。

 ましてや休憩の間にもミシェイルと他の皆は改まった再会の挨拶をする訳でもなく、普通に日常の会話を交わしている。まるで初めから彼がこの隊に居たみたいに。


「もしかしてこれは彼の家族の為……?」


「……そうだ。クム・ウタールであれだけクァーナ人が外部の者を見張る以上……近くに家族の居るミシェイルはあの町には却って接点が無い方が良いのではないかと考えてね」

 だから皆は取り立てて彼の不在に関心を寄せては居ないのだと……否、敢えて関心を向けないようにする事で外部からの違和感を無くそうとしていたのだわ。

 ラウドラチャクリンは私の質問にそう笑顔で答えてくれた。  

 理由は判らないが、何か嬉しそうですらある。

 隣に居たファドラーンは黙ったままで、夕べから妙に寡黙になってしまっていた彼が不安だった。

 途中合流のミシェイルはそれでも隊の雰囲気を敏感に感じ取っていたらしい。

 今まで感じた事の無い不安な雰囲気の旅に、私自身も寡黙にならざるを得なかったのだけれど、彼の明るく接してくれる態度には随分救われる。


 夕方近くになって馬を止めたのは街道筋から少し外れたところで、おあつらえ向きに風よけになる石積みがある場所だった。

 慣れた感じで野営の準備を始めた彼等に、いつもこの辺りで野宿しているのだと見当を付ける。  

 私も何か手伝おうと思ったのだけれど、慣れない者が下手に手出しをするのも却って邪魔のような気がして、石積みの隅に腰を降ろすと彼等の仕事振りを眺める事にした。

 けれど只眺めていた訳ではなくて、次には手伝えるように手順や誰が何を担当しているか、も頭に入れる事にする。


「何か……元気が無いね、イェライシャ。ここまでの旅は辛かった?」

「……疲れている訳じゃないの、もう……何があったか誰かからは聞いているのでしょう、ミシェイル?」


 当たり障りの無い言葉を選んで来た彼にそう答えてしまったのは、そんな腫れ物に触るかの如き皆の対応にいい加減うんざりしていたからかもしれなかった。

 それでも表情まで不機嫌にはならないよう、何とか笑顔で彼を見上げる。


 案の定、戸惑いが浮かんでいる彼の表情には少しばかり苦笑してしまったわ。

 近くで焚かれている料理用のたき火が大きくなり、手際良く夕食が暖められてゆく。

 その様子を私と並んで見つめながらミシェイルは少し迷ったふうにして口を開いた。

「少しは聞いたけれど……君がこんなにしょげているとは思わなかったな。私としては拍子抜けした気分だったよ」

「どういう事?」

「合流したら君が私や私の家族の事をいろいろ訊ねてくるだろうから……どんな風に説明しようかと思ってね。家に居る間中自分の家族をどう……表現しようかと思ってずっと観察していたんだよ。そうしたら……いつも一緒に居る訳ではないけれど大体は判っている、と思っていたその家族の事を意外と自分は見ていなかったんだって事に気が付いてね。改めて自分と家族との関わりを見直そうと思ったんだ……」

「貴方と家族の関わり……?」

 私を見つめて来たミシェイルを見返すと、私の顔に夜の風が当たる。

 彼が冷たい夜風から私を守る為にそちら側に立っていたのだとようやく気付いて、本当にこの人たちはなんて優しいのだろうと、その優しさが却って今の私には痛い程悲しくて、苦しくなった。

「そう、だからきっかけをくれた君にはお礼を言わなりゃと思っていたのに……いざ会ってみたら何だか妙な雰囲気になっているし」

 肩をすくめてミシェイルは参ったという仕草をしてみせる。

「妙ね……。そうかもしれないわ」

 彼のこの表現には苦笑いするしか無いわね。


「仲間だからといってファドを擁護する訳ではないが……私達が自分達の安全以上に、自分達に関わる廻りの者達の身の安全に心を砕いているのは知っている?」

 既に私が彼等の事に気付いているのを前提とした言い方に、最早知らない振りをしなくてもいいのだと、認めてもらえたような気がしてハッとしてしまった。

 何となく気持ちだけではなく背筋が引き締まるような、そんな緊張感。

 そして、この人達につまらない隠し事をしてはいけないような心持ちになった。

「ええ、知っているわ。初めにファドと言い合いになったのもそれが原因だったけれど……今の私が納得出来ないのはその事ではないのよ」

「納得出来ない……何に?」

 ミシェイルには意外な言葉だったのか、聞き返されてしまう。

「ファドは……私がいずれは故国へ帰るものと考えているようなの。何だかその時……私の事を拒絶されたような気がしたのよ」

「俺から見て……ファドラーンは君の事を本気で好きなんだと思っているよ、そして……君も彼に同じ想いを抱いているのかな?ともね。それとも、だから……かな、余計に腹が立った?」

「そんなじゃなくて」

 何だか茶化されたような気がして否定の言葉を唇にのせる。


「それともファドラーンに愛想を尽かして……ラウに乗り換える気になった?」


 心配げに……そして探るようなミシェイルの言葉に束の間絶句する。

 そして彼のその言葉を笑って流そうか、怒って否定するべきなのか逡巡して、溜め息とともに、うまく言葉に出来るかどうか判らないものの口に出してみた。


「ファドもそれを案じているみたいね。ラウが私の事をずいぶん評価してくれているのは判っているし、嬉しいとは思っているわ。けれど私では彼を……ラウの心を支えられないって判るから……初めから恋愛とかの対象には成り得ないのよ。……わかる?」

「もう少し……説明が欲しい」

 考え込むような表情のミシェイルに促され、思い切って言葉を続けた。

「ファドもラウも、タイプは違うけれど行動力もあって頼りになるし、礼儀正しくて私は2人とも大好きよ。ラウにすぐ傍でにっこりされたら恥ずかしいくらい真っ赤になってしまうけれど……でも駄目なの」

「そこが私には判らないな。ラウは今までに見てきた中で……随分君の事を気に掛けているようなのに」

 ……つまり今までは他の女性には目もくれなかったって事?

「じゃあ、私を構っても安全だって……彼も気付いているのかしらね。プライドの高い男の人って本当はそんな女には関わりたくないんじゃないかしら……自分の弱い所を見抜かれるのって嫌でしょう?」


「弱い所?」

 思ってもいなかった、と、ミシェイルの返事が語る。

「あのひとはとても綺麗でとても賢くて……私が、以前の……身勝手で、身の程知らずで、馬鹿な娘のままだったら……きっと夢中になっていたわ。バーラートで貴方達に会う前の一人旅を経験していなかったら……多分ね。でもそんな馬鹿娘のままの私だったら、彼は今のようには私の事を気にもしてくれなかったわよ」

 そう区切って、1つ深呼吸をする。


「それに私は未だに彼の瞳を見つめ返す事が出来ないの。……あの深さが怖すぎて」


 私が何を言いたいのか、いまひとつ掴めていない風なミシェイルの顔にようやく作り笑いでない微笑みを向けた。

「私は自分がどんなに考えの足りない……弱い心の持ち主かを思い知ったの、貴方達に会う前のあの旅で。一見親切そうな男に騙されて……ほんとうに娼館へ放り込まれそうにもなったし。偶然だったのか見兼ねた誰かが手を貸してくれたのかも判らないけれど……寸前で逃げ出す事が出来たのは幸運だったわ。だから本当はもう男の人には近付きたくないって思っていたのに、結局は此所に居るし……」

 声が震え、笑顔のまま泣きそうになった。

 あの時、出来得るならば自分1人の力で旅を続けようと、人には頼るまいと、決めた筈だったのに。


「でもいろいろ学んだから、随分判って来たと思うのよ。私が一緒に居たい人は頼りになる人なんだって。安心して心を預けられる人……って意味よ?そう言う意味ではラウは駄目なの。彼を見ていると何だかとても心配になるから……自分が平静で居られなくなる……のは情けなくてつらいわ」

「彼に恋しているから、平静で居られなくなるんじゃないの?」

 何かにこだわっているのか、まだその考えを捨てていないらしいミシェイルに今度は穏やかな声で応じる事が出来た。

「ちがうわ、意地悪ね。私は彼のあの瞳が本当に怖くて……堪らない時がある位なのに。ラウに必要なのはあのひとが抱えている何か……私の言葉では言い表せないような……大きな不安のようなものを癒してくれるひとだと思うわ。そんなひとを見付けて……そのひとを守る事で自分も守られる……そんなふうでしか彼のあの昏い瞳は癒されないと思うの」

「うん……昔よく似た事を私の妻が言っていたな……有難う」

 考え込んでいたミシェイルはふと、思い出したようにそう言って、礼を付け足して来た。

「何が?」

「自分の選んだひとが……とてもしっかりした観察眼を持った人だったって、再認識出来た」


「……ごちそうさま」


「まだ夕食前だろう?」

 ひとしきりふざけて笑い合っていたら、たき火の方からファドが夕食に招いてくれていた。私達の話が切れるのを待っていたみたいだわ。

「イェライシャ……君から見て彼には何が足りないと思うの?」

「彼自身はどんな風に考えているのか知らないけれど、ラウへの劣等感をふっ切る事かしら。彼だって一人前の大人なんだし」

 ファドの方へと足を向けた私にミシェイルはそう訊ね、その答えににやりと笑みが返って来た。

 どうやらミシェイルも同じ意見らしい……と察した私は少しだけ勇気づけられたような気がして、笑顔でファドラーンとラウドラチャクリンの待つたき火へと向かった。


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